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ラーモス移住地の『平和の鐘公園』訪問を果たしました。
先週土曜日ポルトアレグレから486km離れたサンタカタリーナ州のクリチバノス郊外にあるラーモス移住地を訪問しました。長崎県出身の小川 和己さん76歳の農場内にある『平和の鐘公園』の訪問とこの時期に採れる日本梨を頂に行くのが目的でした。
お元気な頃に栗本 克彦さんからこの平和の鐘公園に付いての書き込みをしておられたのを思い出し『私達の40年!!』の掲示板を繰ってみたところ下記書き込みが見付かりました。栗本さんが知らせてくれたこの平和の鐘公園訪問が5年近く遅れてしまいましたが果たせました。
写真は、平和の鐘公園の入り口の門柱です。


『私たちの40年!!』掲示版の書き込みから抜粋。
テーマ ブラジルの被爆者 栗本 克彦
ヒロシマ・ナガサキの原爆から55年目、8月10日のNHK TVで長崎で被爆しブラジルに渡ったサンタカタリ-ナ市の小川和己さんが、長崎市から送られた鐘を鳴らしてモニュメントを開いたことが放映されていました。
日本は太陽がギラギラの猛暑ですが、暦の上では立秋とか
2002年8月10日

栗本 克彦 様
NHKのテレビで紹介されたのは、南伯のサンタカタリ-ナ州のラーモス移住地に入植された長崎県の原爆被爆者小川和己さんです。小川さんは学徒動員で三菱の長崎造船所で働いている時に被爆されその後リオ・グランデ港上陸第2回目の移住者として移住して来られラーモス移住地に長崎県出身者を多数呼寄せ長崎市から被爆した浦上天主堂にあった長崎の鐘のレプリカの一つを送られ現在ご自分の農場の一番良いところを割いて『平和公園』を建設中で今年の10月には開園の予定との事です。この長崎の鐘は、現在海外には国連とラーモス移住地の二つしかない貴重なものとの事でサンタカタリ-ナ州議会、州政府アミン知事等も同州の平和を願う新名所としてPRして行く方針を打ち出しており、舗装道路、飛行場の建設等にも繋がり移住地の活性化、被爆者小川さんを通じての長崎県、日本との交流が広がって行く様です。10月の開園式には是非出向いて見たいと思ってます。貴重な通信有難う御座います。
2002年8月12日

栗本 克彦 様
本日のニッケイ新聞に下記の通り『長崎の鐘』の平和公園についての記事がでていましたので参考に添付しておきます。

ラーモスー『平和の鐘』鳴らせー長崎使節団も式典に参加
10月11日(金)
 ラーモス移住地原爆被爆者会(小川和巳代表)は十五日午後零時三十分、サンタカタリーナ州ラーモス移住地『平和の鐘公園』で同公園第一期工事落成式を開く。工事完成とともに平和を誓い合う。
 式には、今朝サンパウロ国際空港に到着した長崎県人会創立四十周年慶祝使節団の最高顧問、加藤寛治県議会議長はじめ市議たちが参加する。
 ブラジル側からはサンタカタリーナ州知事、同州議会議長、フレイ・ロジェリオ市市長たちが参加する。公園建設工事は同州政府の協力で進められている。連絡電話=41・338・6445(パラナ州クリチーバ市平和公園建設事務局、中村矗)。
2002年10月11日

栗本 克彦 様
栗本さんの書き込みに答えて5年近く遅れてしまいましたがラーモス移住地の小川さんの農場にある平和の鐘公園を訪ねて来ました。下記は小川さんの略歴です。
小川 和己さんは、1905年生まれで学徒動員で長崎の三菱造船所で働いている時に被爆、長じて東京の中央大学に学び学生中に派米青年として3年間カリフォルニアで実習した後、奥さんを騙し?新婚旅行に移住船に乗りリオグランデ港に到着した第2次移住者としてサンタマリア市郊外に3年間在住後サンタカタリーナ州の農務局開発のヌクレオ・セルソ・ラーモス移住地に第1次移住者として入植し43年になります。その間、兄弟、親戚も長崎から呼び寄せ大きな一族郎党をどう移住地に構えておられます。日本からリンゴ、梨を導入しその原木が農場の入り口にあり平和の鐘公園の裏山には沢山のどんぐりがなる木、クヌギを植えておられこのクヌギを原木にしてしいたけを栽培しておられます。クヌギに混ざって日本の栗の木もあり栗拾い、どんぐり集めを楽しませて貰いました。昨年の8月末の大霜で柿の木は全滅したとかで今年は柿の収穫が殆ど見込まれないとのことでした。ラーモス移住地の長老としてクリチバノスの市会議員、長官を2期務めておられたご子息が、政界を去り農場に戻り小川さんを手伝い親父が植えた作物、平和の鐘公園の完成を目指して事業を継いでいくとの事で頑張っておられ小川家は少しずつ其の後継者に譲られつつあるようですがまだまだ若いものには負けないとご本人は張り切っておられ100歳まで現役でこの平和の鐘公園を育てて行くと語っておられました。
2007年2月10日



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