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同船者、高野泰久さん逝く(享年66歳)朋友の死を悼む(特集)
訪日中に産業開発青年隊の同船者小山 徳さんが一番に高野さんの訃報をメールで知らせて呉れました。癌を患っていたのは誰もが知る事実で『やっぱり、来てしまったか』との余りにも早い訃報に驚くと共に人生の儚さを感じる。高野書店を通じて多くの知人、友人を抱えていた高野さんの事、色々な情報、コメントが飛び交ったようです。高野さんの死を悼む特集として身近に得たコメント等を纏めてこの『私たちの40年!!』HPにも納めて置こうと思います。この5月27日には着伯45年の集いを鹿児島県人会会館で行いますが、高野さん始め多くの同船者が鬼籍に入り寂しい思いをしております。ご冥福を祈ります。写真は、邦字新聞に出た在りし日の高野さんの写真をお借りしました。


悲しいお知らせが入りました。高野書店主高野さんご逝去 4月23日 ML 4629
あるぜんちな丸第12事項の681名の同船者の一人産業開発青年隊の高野 泰久さんが亡くなられたと言う悲しいお知らせを小山 徳さんから下記のメールで知らせて呉れました。
我々同船者の中でも異色のお一人で高野書店を頑なに守り日本の良識を書籍を通じて日系コロニアに広めておられました。
『私たちの40年!!』の40周年記念式典の集まりを企画、実行された方で先月45周年の集まりにも是非参加して貰いたいと思いある日の午後2度訪問しましたが店が閉まっておりお会いする機会がありませんでした。サンパウロに出ると堅い本が必要であれば高野書店に行けば揃う事から何時もお世話に成りましたし女房などはお習字を始める時に随分貴重な本を4−5冊もお世話頂き喜んでいました。
45周年の集いでも多くの我々より先に逝かれた仲間の一人として高野さんへの追悼をさせて頂く積もりです。
コロニアの良識、高野商店はどうなるのでしょうかね。
遠い日本に滞在中で最後のお別れに参加出来なかったのが悔やまれます。
ご冥福を祈ります。

和田さん
ご無沙汰しています。日本で大活躍されているようですね。
悲しいお知らせですが高野書店店主泰久氏が21日の土曜日に亡くなりました。
詳しくは分りませんが金曜日は普通通り仕事をし土曜日の朝、気分が悪いと言って
病院に行ったようです。(転んで内出血との話しもあります)
日曜日14時に埋葬しました。
ではまた。  小山

高野書店高野さんご逝去(連絡)4月23日 ML 4630
メーリングリストBatepapoのメンバーの桜井 敏浩さんが同船者の高野さんの御逝去を知らせるメールを流しておられます。お借りして皆さんにもお知らせして置きます。
桜井 敏浩/東京です。
『現代ブラジル事典』の監修統括者の Prof.小池洋一(元アジア経済研究所。拓殖大学教授からこの4月に立命館大学教授に転身)から、以下の知らせがありました。
サンパウロにおいでの方はご存知を思いますが。
私自身は残念ながら、高野さんとは直接面識はありませんでしたが、共著の『現代ブラジル事典』(新評論)、『ブラジル新時代―変革の軌跡と労働者党政権の挑戦』(Prof.堀坂浩太郎編、勁草書房)のブラジルでの販売でお世話になりましたし、サンパウロにあって長く日本の図書・雑誌を広く扱われて、ブラジルの日系社会と日本の文化的な架け橋の役割を果たしておられることに敬意を表していました。

From: \"Yoichi Koike\"
Subject: 高野書店高野さんご逝去(連絡)
Date: 2007/04/22
各位
東京外国語大学の鈴木茂先生から、サンパウロの高野書店の高野泰久さんがご逝去されたとのご連絡を受けました。
昨年9月にお会いしたときは、体調は必ずしもすぐれないようでしたが、お仕事に復帰されていました。ブラジル日系社会だけではなく、ブラジルと日本をつなぐセンターとして重要な方でした。来年の移住100周年を前にして本当に残念です。
心から哀悼の意を表したいと思います。連絡まで。
小池洋一

高野泰久さん死去 サンパウロ新聞 4月24日 ML4640 園田さんよりのお便り。

2007年4月22日付け サンパウロ新聞
高野泰久さん死去
 聖市東洋街にある高野書店店主の高野泰久さんが二十一日午後四時頃、内臓出血のために入院先のサンタクルス病院で亡くなった。享年六十六歳。
 十カ月ほど前から肝臓ガン治療を続けていた。二十日まで店で働いていたが突然悪化し入院した。
 山梨県出身で、一九六二年五月サントス着の「あるぜんちな丸」で、南米産業開発青年隊八期生として単身渡伯した。妻の政枝さんによれば、本屋を始めたのは一九七五年ごろ。三十周年を祝ったばかりだった。
 昨年活動を一端停止した日伯交流協会でも初期から学生を引き受け、運営を手伝うなど、同協会育ての親的な存在だった。
 サンパウロ人文科学研究所でも現役の理事だった。書店在庫には希少本が多く、日本からも小説家や学術関係者がひんぱんに訪れるなど、日伯双方から頼りにされていた。
 葬儀は二十二日にゴンゴーニャス墓地で行われ、約百五十人が参列した。政枝さんによれば「初七日は家族だけで静かにやります」とのこと。書店の今後に関しては「まだ分かりません」と語った。

4月23日にbtepapoのMLに書き込まれた友人の早川 清貴信んの追悼文です。

早川です、4月初めにこの欄で<命の尊厳>として匿名で書いておりますが、実は高野君のことでした、小生同郷、同窓の誼から早くから交際がありました。
昨日野辺の送りに参列してきました、律儀で真面目が服を着て歩いているような性格でした、産業青年隊の一員として来伯裸一貫から現在の書店を築いた成功者です。

死因は大量の内出血のようです、肝臓から胆嚢に連結する総胆管に接近した場所の悪性腫瘍の為に胆管の機能が喪失人工的にパイプを設置その端を横腹外部に出す応急処置をしていたものです、それがなんの弾みか家の内で転倒外出部分の管が倒れた圧力で肝臓を一撃した模様です。
いずれにしても余命幾許も無い運命でしたが、本年66歳夭逝が惜しまれます。

奥さんより今後の問題を相談されておりますが、即時に名案がある訳ではなく小生取り敢えず東京の<東販>へ今月分の書籍出荷、一時停止、を連絡したところです。
東販には小生の同郷、同窓の前取締役がおり何かと対応してもらえるようです。
バテパッポの皆さん何方か書店を買い取る資産家がおりませんでしょうか?、このままでは仕方のないことですが、同業他社への売却が見える様に思えます。

4月23日 batepapo MLへの赤嶺 尚由さんの書き込みです。
<高野君のこと>を読んで
 今朝、早川さんの貴信を読んで、あの目が細くて、無類に人の良さそうで、物静かな高野(確か芳久)さんが急にお亡くなりになったことを知りました。早川さんが高野さんの病状に就いて本当に詳しく知っていらっしゃること、行間からそれとなく伝わってくる深い悲しみとがお2人の男の友情の厚さを更に物語っていました。私が最後に高野さんとお会いしたのは、確か昨年でしたか、高名なNHKの元ディレクターである「航跡ー移住31年目の乗船名簿>の著者相田洋氏がNHKと文協共催の文化講演会に参加するために来伯なさり、このBate−Papoの有志たちで懇談会を開いた時でしたが、仲間でない高野さんも喜んで参加して下さいました。

 私は、ちょうど案内役みたいなものを勝手に買って出ていましたから、出来るだけ出席者全員に一言ずつでも発言して貰うように気を配りましたが、高野さんの発言は、何回かに亘ってNHKのドキュメンタリーになった<移住00年目の乗船者名簿>の映像の部分に関するどちらかといえば技術的なことで、この点については、相田さんの関心も大いに惹いたらしく、しばらくお2人の間で、意見を交換なさったりしていました。日頃は、大変おとなしいお人柄であるが、言うべきことは、ちゃんと発言なさるんだなあ、という印象が残っています。甲州といえば、<風林火山>みたいな勇猛な男っぽさばかりが売り物になりがちですが、高野さんには、知性プラスその内に秘めた男らしさもあったように思います。

4月23日 batepapo M Lへの早川 清貴さんの書き込みです。
早川です、早速に朋友高野君への賛辞を呈して頂きありがとうございました、故人も喜んでいることでしょう、本人の周囲は常に素朴さが漂いその上故郷の訛り交じりで話す様はほっと!した和みを与えて呉れました。夭逝惜しみて有り余るところです。

ー移り来て今が見所桜花何故に散り急ぐ異郷の空で

ー棺抱き旅立ちぬ夫(ひと)へ聞こえがし渾身の慟哭空ろに響く

気持丈夫の奥さんが、突然、堰と切って流れ出す水の如く、棺を抱き、渾身の力で慟哭を始めた夫は冷たく横たわりその声は空ろに響くのみであった、美しい場面でした。

上記は<お通夜>に参列した折に浮かんだ愚作です、朋友に捧げます合掌。

[batepapo 4067] 高野書店主訃報 4月24日 桜井 敏浩さんの書き込み。
早川さん、赤嶺さん
直接よく存じ上げた方だけあって、心情あふれる思いでを聞かせて頂き、あらためて高野さんのことがよく判りました。
たまたま、今日届いた購読誌“Bumba”No.29 で、高野書店の広告を目にしました。
邦文図書の案内の下に[黒板ふき]という6行ほどのエッセィ(?)があります。
Quote
「物騒なんですか」と初めてのお客様からよく尋ねられる。
店の入口のガラス戸は外側から開かないようにしてある。
治安の問題もあるが実は昔あるところで、「三歩で迎えて、七歩で送れ」と言う仕事への姿勢を見たからだ。
腰掛けたままボトンの開閉で「いらっしゃい」、「ありがとう」では失礼ではないかと、座って仕事中であれ立って行って、錠前代わりの棒を鍵から引き抜き戸を開けながら「どうぞ」と笑顔で迎え、「またおいで下さい」と感謝の心でお送りしたくって、それだけ。
Unquote
何のコメントも不要な、日頃からの高野さんのお人柄、商売に対する心がけが感じられました。
それにしても、この書店の存続が危ぶまれているらしいことは、日本人移住百周年を控えている折りだけに何とも残念なことですね。

高野泰久氏逝く 「高野書店」の名で親しまれた  サンパウロ新聞WEB版より。4月25日 ML4646
既にお知らせしている通り同船者の高野さんが亡くなられた。何れ特集を寄稿集に掲載して置く積もりですが、サンパウロ新聞WEB版にも写真入りで報道されていましたので転載して置きます。

高野泰久氏逝く 「高野書店」の名で親しまれた サンパウロ新聞WEB版より。
聖市リベルダーデ区で日本語書店を開いている「高野書店」店主の高野泰久(たかの・やすひさ)さんが、二十一日午後四時、緊急入院先の病院で亡くなった。六十六歳だった。山梨県出身。

 高野さんは南米産業開発青年隊の八期生として、一九六二年五月十一日にサントス港に到着。七五年に高野書店を聖市リベルダーデ区トマス・デ・リマ街に開店(現在はコンセレイロ・フルタード街七五九番)し、今年三十二年目を迎えていた。

 サンパウロ人文科学研究所の第二財務理事のほか、日本ブラジル交流協会理事などを歴任。特に同交流協会研修生を自らの書店で延べ二十年にわたって受け入れるなど、日本とブラジルをつなぐ人材育成として社会に貢献してきた。

 高野さんは昨年十一月頃、体調を悪くして入院した際、肝臓ガンが発見された。ガンを摘出し、肝臓と大腸をパイプでつないで体内を洗浄するなど治療を続け、最近では仕事もできるほど回復していたようだが、二十日夜に容態が急変した。

 高野さんの親友で、同じ南米開発青年隊六期生の有田稔さん(六七)は、高野さんが亡くなる前日の二十日夕方頃に書店を訪れていた。その際、高野さんは書籍の発送作業を行っていたして、「普段と変わりなく、十五分くらい仕事の話などをした」という。

 葬儀は二十二日午後二時から聖市内のコンゴニアス墓地で行われ、南米開発青年隊、日伯交流協会OBなど知人、友人ら約二百人が列席した。

 初七日法要は、二十七日午後八時から東本願寺(聖市ジャルジン・サウーデ区クルシーノ通り七五三番、電話11・5061・4902)で行われる。

ベロオリゾンテにお住いの荒木 昭次郎さんからのお便り 4月25日ML4648
和田さん、
サンパウロ奥地の旅行から今日帰り、メールを開けて高野さんが亡くなられたとの事で大変驚きました。
高野さんからは毎月文春を送って戴いており、何時も手書きでの簡単な手紙のやりとりをしていました。し、またサンパウロに出た時は何時も立ち寄っては雑談を交わしていました。私には、本人は勿論、周りの友人達も病状については一言も云っていませんでしたので信じられないような事でした。

開発青年隊では一年先輩で何時も技術の専門書など必要な時は彼に頼めばすぐに日本から取り寄せてくれました。また地道に日本からの研修生を受け入れたり、青年隊員の世話をしたりで我々は大変お世話になり本当に残念に思います。

ご冥福を心からお祈りいたします。

5月2日 ML4675
荒木 さま
産業開発青年隊のお仲間高野さんを喪いがっかりされているようですね。
『私たちの40年!!』立ち上げの2002年の40周年記念の集い準備を通じて大変お世話になりました。
また日本ブラジル青少年交流協会当時からのお付き合いがありますが、彼から言われるまで同船者だと云う事覚えていませんでした。
『私たちの40年!!』の寄稿集に高野さんの追悼欄を設け残して置きたいと思いますので荒木さんのメールも使わせて頂きます。
このメーリングリストメンバーで産業開発青年隊の皆さん、日本ブラジル交流協会OBの皆さんも居られると思いますので一言で結構ですので高野さんへのお別れの言葉をお願いしたいと思います。



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