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「本通じて交流」66年の人生 読売新聞5月1日付け 遊友録38 玉井義臣
あるぜんちな丸第12次航の681名の同船者の中には、コチア青年、豊和工業の野球移民、花嫁移民、南伯の雇用移民等と共に一際目立った強力な団体があった。33名に上る南米産業産業開発青年隊の第8期生である。33名中一部の者が帰国、既に5人が亡くなって居たがこの度又一人その大きな人物が急逝した。高野泰久さんその人です。あしなが育英会会長の玉井義臣さんが読売新聞の関東地方版に連載しておられる「遊友録」に高野さんを取り上げて高野さんを偲んでおられます。玉井さんは日伯青少年交流協会(現在休眠中)会長もしておられ高野書店に毎年遺児を引き受けて貰っていた。在りし日の高野書店のサロンで研修生と一緒に撮った写真が見付かりましたのでこれを使用する事にしました。ご冥福を祈ります。


 多くの遺児から「もう一人のお父さん」としたわれた、サンパウロ市東洋街の「高野書店」店主、高野泰久さんが、この4月21日、急逝された。66歳だった。
 高野さんは山梨県出身で、地元の日川高校卒業。少年の時から「何か変わったことをしてみたい」と夢見ていた。1960年、南米開発青年隊に土木を専攻して入り、62年に移住。サンパウロ州近郊の移住地造成に従事した。そこで農業体験ヲし、67年から8年間、世界的自動車メーカー、GMの工場で働いた。つらい移民終業時代だった。
 75年、35歳の時、古本屋が廃業したのを知って「それじゃあオレがやる」と、書店を開店した。
 「本を通じて日本とブラジルの懸け橋になりたい」。日本の雑誌や小説はニッケイ一世や日本企業駐在員に喜ばれた。一方で、高野さんは日本のブラジル研究者に専門書を紹介した。書店でコーヒーや酒を飲みながら、世間話をしたり、ブラジル事情の情報交換をしながら「じゃあ、その本取り寄せてよ」となることもしばしば。高野書店が日伯文化の中継点となり、本が文化交流の役割をしていた。
 少年時代の夢「何か変わったことをやりたい」は、地球の反対側で花開いた。突然の悲報は、今年、開店32周年を祝おうとしていた矢先のことだった。
 「高野書店はブラジルの今を知る窓口であり、高野さんはより高い目で私たち研究者の求める本を探して下さった」。また、「世代、職業を越えたサロンで、夕方からは酒も入り、上質な話と笑いが絶えなかった」と語るのは、少年時代と新聞記者時代、サンパウロに住んだ堀坂浩太郎・上智大教授。故斉藤広志・サンパウロ大学教授も生前、私に「留学生たちにあの宝石のような会話を聞かせたい」とおっしゃっていた。
 高野さんは私たち日本ブラジル青少年交流協会の留学生ヲ受け入れて下さった。85年以来受け入れた、21人の学生のうち17人は遺児の学生だった。仕事は本の入荷、仕分け、荷造り、配達などの単純な作業だったが、高野さんは仕事よりも、人生や生き方を言葉や背中で遺児に教えて下さった。奥さんの正枝さんの父親が交通事故で亡くなってからは、遺児だけを受け入れ、家族同然にかわいがって下さった。深謝したい。
 高野さん。大きな人生でしたね。合掌。
(玉井義臣・あしなが育英会会長)



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