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あるぜんちな丸第12次航 着伯45年の集い!! 5月27日に開催。
5年前の2002年に初めて同船者の40周年を祝い『私たちの40年!!』のHPを開設しましたが今回45周年の集いを開催しました。ブラジルだけでなくアルゼンチン、パラグアイ、ボリビアからも同船者が集い楽しい一日を過ごすことが出来ました。九州ブロック沖縄の運動会と重なり沖縄出身の同船者が参加出来ず残念でした。来年は日本移民100周年の節目の年でもあり100周年の前夜祭的なお祝いを又5月に46年の集いとして集まろうとの声が出て皆で来年も集まることに成りました。
少し遅れてしまいましたが、全員で撮った写真と共にサンパウロ新聞、ニッケイ新聞の記事、メーリングリスト、blog等に掲載された書き込みと共にホームページに記録を残して置くことにしました。


あるぜんちな丸第12次航で渡伯された同船者の皆さんへ
先週の5月9日に『私たちの40年!!』がこの5月で着伯45年になるのを記念して同船者仲間で集まろうと云う事になり5月27日(日)の午前10時から鹿児島県人会で集います。私はサンパウロから遠く離れており何もお手伝い出来ませんが、実行委員の小山 徳さん、吉田 和子 さん、吉田 栄一さんの3人を中心に会場の下見、当日のお昼の仕出し、参加者の確認作業等をやって呉れています。現在47名の確認が来ているとのことですが、このメーリングリストのメンバーで参加頂ける方がおりましたらこのメーリングリストへの書き込み又は小山 徳さんへ直接電話でご連絡頂けると嬉しいです。
小山 徳 さん (011)3277-1640

着伯45周年 丸木さんからのお便り。
和田さんと同船者の皆様

45周年記念式典オメデトウ御座います。
僕達も年末に神戸出航40年になりますが、同船者で消息の判っているのはエスピリトサント州ヴィットリアの大村君とリオグランデドスール州カシアスの石田君の二人だけです。懐かしい同船者と会えるのは羨ましいです。
もう一人、同船者でペンソンも一緒だった真藤君を忘れてました。散水のエースとし
てコロニアきっての名投手でしたが出稼ぎで帰国されました。日本で2回会いました。

いよいよ明日着伯45年記念の集いが開催されます。
昨日よりサンパウロに出てきています。今日午後小山さんと明日の会場になる鹿児島県人会館に出掛け下見をしてきました。大きな邸宅を購入して県人会館に使用しておりプールがあり大きな車庫もありました。会場として使用する大部屋はそれ程大きくありませんが、こじんまりとした50人程度の集会では十分に感じましたが余り沢山集まると混雑するかも知れませんが下のプールサイド、大きな応接間、会議室等もあり皆で歓談するにはスペースは十分と言えます。
明日は、9時過ぎには会場に出向く積もりにしています。

着伯45年の集い!!
あるぜんちな丸第12次航の着伯45周年集いは、5月27日(日)に午前10時から昼を挟んで午後3時近くまで楽しい語らいの一時を過ごしました。差し入れの日本酒(谷 広海さん)、マンジョカ焼酎の伯魂と梅酒(松村 茂樹さん)アルゼンチンワイン(田上 英昭さん)を午前中の自己紹介の部から飲み始めました。昼は奄美食堂の豪華な仕出しで刺身、寿司、おでん等々歓談しながら楽しみました。
アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアに地元ブラジルからの参加者は、サンパウロ州奥地からリオ、マセオ、ブラジリア、ポルトアレグレからの参加者が集まりました。50名程のこじんまりした会合となりましたが、吉田 栄一さんの名詞会で式次第も順調に進み和気藹々の笑いに包まれ今回初めて参加の同船者もおり道であっても絶対同船者としての識別が出来ない初対面のような方も居ましたが、少し話し始めると同じ釜の飯を食った仲間同士45年の時間の経過を飛び越しての仲間意識が芽生え親しみが生まれます。日本を離れ移住先国に着くまでの45日近い空白期間を分かちあった仲間は、矢張り特別の関係で結ばれていると言えましょうか。
司会をしておられた吉田 栄一さんが来年はブラジル移民100周年でもあり私達の46年を祝いまた集まりたいがどうかとの提案があり皆が拍手で同意する場面もあり積極的に検討して行きたいと思います。
邦字紙のサンパウロ新聞、ニッケイ新聞両社よりも若い感受性の強い記者の方が取材に来ておられ参加者の皆さんと歓談、取材しておられたので邦字新聞にも今日の会合の様子が報道される予定で楽しみにしています。
食後に記念写真を撮りましたが写真を撮ってくれた新聞記者、娘の弥生等が欠けていますんで丁度皆で50名の参加者を数えたようです。
楽しい一時を有難う御座いました。
嬉しそうな皆さんの笑顔は下記blogに貼り付けております。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/20403859.html

井川さん提供の象牙椰子のストラップ大人気でした。
井川さんが送って下さった祝45周年のあるぜんちな丸イラストと藤木画伯のお願いしたあるぜんちな丸のイラストをレーザーで彫ったエクアドール特産の象牙椰子のストラップを参加全員に姫マッタケ抽出液、プロポリスの石鹸と共に参加記念として配布させて頂きました。皆さん大変喜んでいました。
井川さんどうも有難うと御座いました。
写真は、あるぜんちな丸のイラスト2枚とあるぜんちな丸のバルボア港沖の雄姿です。記念写真の奥の壁に掛かっていました。
写真は下記blogに貼り付けて置きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/20464828.html

祝!45周年
和田様
井川様
「私たちの40年」の皆様
四十五年の記念のお祝いを拝見して本当におめでとう御座います。
皆様の永い間の色々の事を思い出されていることとお察しいたします、これからも皆様のご健康とご多幸をお祈りいたしています。
愚生何の縁もないのに、お仲間に入れていただき、常々皆様のコメントを拝読していて、深い繋がりの皆様をとても羨ましく思っています。この度、愚生の拙いイラストを皆様の記念のお品に使って戴き、光栄に存じています。

 有難う御座いました。
藤木 亘

祝!45周年
藤木様
  45周年のイラストありがとうございました。私もアウトサイダーでしたが、縁の下で皆様のお役にちょっぴり立てて、うれしく思います。
  藤木さんのイラストをレーザーで象牙ヤシに彫るのは難しかったようで、出来栄えはいまいち満足ではありませんが、

とりあえず、お礼もご報告も兼ねて、藤木さんへ1個現物をお送りしたいと存じます。内緒で、小生の
Fax(03−3678−8960)へでもご住所・TELをご連絡いただけませんか?
よろしくお願いします。
井川 實拝

赤道祭の閻魔大王山下さんも70歳に。。。
サンパウロ新聞記事より。
船上で行われた「赤道祭り」の思い出を「閻魔大王の役をして、二人の若い子の注いでくれたお酒の味が45年経った今でも忘れられない」と話した南米産業開発青年隊8期生の山下 公さん(大阪出身70歳)。同じ船で渡伯した青年隊の仲間と再会し「40数年会ってなかったけど、顔をあわせた瞬間分かった。まるで(会っていなかった)期間が短縮されたよう」と語った。同船には33人の開発青年隊員が乗船。この日の式には10人の元隊員が参加し、思い出話に花をさかしていた。
写真は田上さん提供の第12回赤道祭の貴重な写真と70歳になった閻魔大王、山下 公さんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/20514412.html

≪近隣諸国からも参加 船上の昔話に楽しい一日≫
今朝のVARIG便で6日振りにポルトアレグレに戻って来ました。今朝サンパウロで飛行場に向かう時に道路脇の温度計が10度を示していましたが、ポルトアレグレでは昨夜は3度まで下がって昼前にポルトアレグレに着きましたが、9度でした。来週カシアスに行きますが、何と零下1.3度を記録しているようです。冷たいミヌアーノ(南風)が南極からアルゼンチン、ウルグアイのパンパスを通り過ぎてポルトアレグレまで届いています。オジンパッチは手放せない季節になりました。来週はブエノスアイレスとコルドバに出張予定で冬の準備をして行かないと凍え死にそうです。
一部既報ですが、本日のサンパウロ新聞に45年の集いの記事全文がWEB版に掲載されていたのでお借りしてお届けして置きます。関係写真等と共にblogにも掲載して置きます。
≪近隣諸国からも参加 船上の昔話に楽しい一日≫ サンパウロ新聞WEB版より。
 一九六二年五月十一日サントス港入航のあるぜんちな丸(第十二次航)着伯四十五周年記念式典が二十七日午前十時から聖市パカエンブー区の鹿児島県人会館で開かれた。〇二年に行われた四十周年に続く二回目となる今回の式典には、ブラジルだけでなく、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアからの参加もあり、約五十人が久々の再会を喜んだ。
 式の始め、吉田栄一さん(同式典実行副委員長)が「元気でここに集まることができ、生きているという喜びを分かち合う集いにしましょう」とあいさつした後、先没者に出席者全員で黙祷を捧げた。
 続いて、この日のために用意されていた、船内新聞「さくら」の「四十五年後の号外」が当時の編集責任者、和田好司さんによって読み上げられた。「櫛の歯が抜けるように多くの仲間が去り、これからその速度は益々速まるでしょう」という言葉を出席者一同は厳粛な表情で聞いていた。先月二十一日に亡くなった聖市リベルダーデ区にある高野書店の高野泰久さんも同船で渡伯した一人だった。
 出席者の紹介では、それぞれが船内の思い出や入植してからの経過を話したり、移住後に築いた家族と並んで近況を報告したりした。なかには、航海中に同船者の女の子に抱いた恋心を暴露したり、「あの時は若かったけど、こんなに頭がはげて」と笑いを誘ったりする人もいた。
 船上で行われた「赤道祭り」の思い出を「閻魔大王の役をして、二人の若い女の子が注いでくれたお酒の味が四十五年経った今でも忘れられない」と話した南米産業開発青年隊八期生の山下公さん(大阪出身、七十歳)。同じ船で渡伯した青年隊の仲間と再会し、「四十数年会ってなかったけど、顔を合わせた瞬間分かった。まるで(会っていなかった)期間が短縮されたよう」と語った。同船には三十三人の開発青年隊員が乗船。この日の式には十人の元隊員が参加し、思い出話に花を咲かせていた。
 今回、式に行くことのできない父親、田上英昭さん(鹿児島県出身、六十六歳)の代わりにアルゼンチンから駆けつけた田中アリエルさん、クラウジアさんと夫のビィットールさん、ミリアンさんは英昭さんの思い出の品を持参。日本を出発する時にもらった日の丸の旗には独身で船に乗った英昭さんへの「女に用心」という言葉や「キバレ」(がんばれ)と鹿児島弁での寄せ書きがされていた。また、アルゼンチナ丸と刺繍の入った水色のタオルを見た同船者は「よく残ってたね」と懐かしげに手にしていた。
 アリエルさん兄弟は式の前から、白黒の写真に写る人物を指しながら「父と同じ部屋だったこの人に会いたい」と話していたが、その同室者は来ておらず、所在も分からなかったため「残念だ」と肩を落としていた。
 式典は昼食後、全員で記念撮影をし「来年のブラジル移民百周年を記念し、また一年後に集まりましょう」と約束し終わったが、出席者たちの大半は話の尽きない様子で飽きることなく膝を交えて語り合っていた。
(写真:あるぜんちな丸の同船者ら)
2007年5月29日付け 

2007年5月30日付け ニッケイ新聞
結びつき強める同船者会=ア国から娘を代理出席させる人も――45年の歳月、つのる懐かしさ=62年5月サントス着港=あるぜんちな丸の〃親類〃達
 あるぜんちな丸第十二次航が、一九六二年五月十一日にサントス港に到着した。〇二年の着港四十周年以来、五年ぶりとなる「あるぜんちな丸・第十二次航渡伯四十五周年記念同船者会」が、二十七日午前十時から、鹿児島県人会館で行われた。三カ国在住の人たちが一堂に会した。同船者の代理の娘たちがアルゼンチンから出席するケース、パラグァイから弟二人がやって来て、兄弟三人が顔を揃えるなど、もあり強い絆を一層強めた。
 同船は、六二年三月三十日、横浜を出港、四月二日、神戸港でも六百八十一人を乗せ、ブラジルに向かった。五月三日にベレン、七日にはサルバドール、九日リオ、十一日にサントス港へ到着。最終的に、ブエノスアイレスに着いた。
 この日の参加者は、総勢約六十人。アルゼンチン、パラグアイ、ブラジリア、リオ、ポルト・アレグレからも出席。「前回は、百二十人以上が出席したが、住所や電話番号が変わっていて、連絡がつかない人が多かった」と小山徳実行委員長は言う。
 会場では、開会前だが、五年ぶりに会った同船者たちは嬉しさいっぱい。抱きあう人や、写真を撮る姿が目に付く。四十五年前に日本を離れるときの気持ちを懐かしく語りあっていた。
 来年着伯四十六周年を迎える同船者会は、移民百周年記念ということで、来年も同船者会を開くという同意をした。
 開会で、吉田栄一副実行委員・司会は「五年ぶりに会う仲間の元気そうな顔が見れて嬉しい。今後も互いに喜び合い、それを分かち合う楽しい集いにしていきたい」とあいさつ。
 神戸港出発当時から船内新聞『さくら』を編集していた、和田好司さんが、今回、同船者会のために、「四十五年後の号外」を発行し、あいさつとともに読み上げた。
 「〇二年五月十二日に着伯以来、初めての同船者会を静岡県人会館で開催し、百人を越す同船者および関係者が集まりました。五年後の五十周年にも、船内新聞『さくら』の号外を発行したいと願っています」。
 その後、参加者全員が自己紹介をした。今回、田上英明さんは、事情により出席できず、代理で、子供三人と婿の四人がブエノスアイレスから出席。英明さんから預かった、神戸港出港当時、日本国旗に寄せ書きをした、貴重な旗を持参してきた。
 長女の田上クラウディアさんは「父が参加できなかったのは残念。今回、私たちが、同船者会に参加して、仲間意識という絆を感じた。ブラジルまで来た甲斐があった」と満足した様子。
 鹿児島県人会の園田昭憲会長と、兄弟の義人さん、八朗さん二人がパラグァイから駆けつけた。
 園田さんは、九人の兄弟が同船、パラグァイに入植した。七番目の義人さんは、パラグァイの鹿児島県人会会長をしていて、八番目の昭憲さんは、三十三年前にブラジルに来て、現在、ブラジルの県人会会長。世界三十二ヵ所ある同県人会は、国境を越えて交流する。兄弟で会長を務めているのは、史上初めて。九番目の八朗さんは、JICAの職員。現在イグアスー移住地在住。
 最後に、吉田和子副実行委員長は「今回も盛大に同船者会が出来て良かった。来年もこの会が開かれるなら、元気な顔で集まりたい」と閉会のあいさつ。
 あるぜんちな丸・第十二次航「私たちの四十年」は、ホームページにも記載される。アドレスはwww.40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php">Ahttp://www.40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/index.php

鈴木画伯の「追想展」 Corneta創立75周年を記念して サンパウロ新聞WEB版より。
あるぜんちな丸第12次航の同船者のお一人東京都出身の鈴木幸男さんの「追想展」についてのお知らせがサンパウロ新聞WEB版に掲載されていました。私たちも鈴木夫人のコロニアの著名な陶芸家、鈴木 章子さんより45年の集いに招待状を届けて頂いております。機会があれば是非鑑賞に行きたいと思っています。多くの作品は、鈴木さんのお宅を伺った時に見せて頂いておりますが。。。
鈴木画伯の「追想展」 Corneta創立75周年を記念して サンパウロ新聞WEB版より
 二〇〇五年、七十八歳で死去した鈴木幸男画伯の追想展が六月五日から七月五日まで、クラブ・トランス・アトランチコ(聖市シャカラ・サント・アントニオ区ジョゼ・ゲーラ街一三〇番)で開かれる。
 これは画伯の古い友人のフリッツ・バーグ氏が経営する、大手の手工具製造会社「Corneta」の創立七十五周年を記念して開催される。
 開場は月曜日〜金曜日の午前九時から午後十時まで。
 油絵、版画、デザインなど約五十点が展示される。
 なお、画伯の夫人は、半世紀以上にわたって陶芸作家として活躍、コロニア陶芸界をリードしてきた鈴木章子さん。
 (写真=画伯代表作の一枚)
2007年5月31日付け

先月の5月27日にサンパウロの鹿児島県人会会館に置いて行われた45年の集いに寄せられたお便りを下記の通り大会実行委員長の小山さんから送って頂きました。

パラ州カスタニャル在住 田代恵美子さん
前日に同船者の西村和子さんの長男の結婚式がありそちらに出席するので行けません。
残念に思います!!
皆様によろしくお伝えください。 恵美子

サンパウロ州スザーノ在住  武吉民江さん
残念ですがこのたびは参加できません。
この次には、ぜひ….。楽しみに待ちます。   武吉民江

リオ州フンシャール在住  黒澤フジさん
同船者会の御案内下さいまして ありがとうございました。
主人黒沢繁は2007年1月25日に亡くなりました。
お世話様になりました。私は都合悪く行けそうもありません。
良い楽しい同船者会と皆様方の御活躍をお祈り申し上げます。  黒澤フジ  
                             
パラナ州クリチーバ在住  松岡由凱さん
連絡ありがとう。
私は家内がまだ働いていて、月曜日朝早く職場まで送って行かなくてはならないので出席できません。悪しからず。  松岡由凱

サンパウロ州レジストロ在住 浜埜英樹さん
小山さん他、実行委員の皆様大変ですね。私は都合上欠席させていただきます。皆様によろしく。  浜埜

サンパウロ州イグアッペ在住 新井栞さん
折角 ご招待頂きましたのに都合により出席できなくなりました。  新井栞

サンパウロ州タイウーバ在住    
今回の企画に対する皆様のご苦労を推察ありがたく感謝と感動いたしております、有難うございます。
どうぞ素晴らしい良き集いとなります様お祈り申し上げます。  井出大  

サンパウロ新聞に掲載された式の様子を伝える文の一部です。写真は司会中の吉田さんです。背景に仲の良い青年隊の皆さんの歓談風景が出ています。
『式の始め、吉田栄一さん(同式典実行副委員長)が「元気でここに集まることができ、生きているという喜びを分かち合う集いにしましょう」とあいさつした後、先没者に出席者全員で黙祷を捧げた。』

下記は、サンパウロ新聞の記述ですが、単身でアルゼンチンに移住した田上英昭さんのご子息3人と長女のクラウジアさんのご主人の4人が45年の集いに参加され人気を博しました。特に田上さんが大事にしておられる染みのついた日章旗の書き込み、船内で使っておられたあるぜんちな丸のバス・タオル、赤道祭の写真等を一緒に持参してくれました。日章旗の前での4人の写真。日章旗等を下記して置きます。
今回、式に行くことのできない父親、田上英昭さん(鹿児島県出身、六十六歳)の代わりにアルゼンチンから駆けつけた田中アリエルさん、クラウジアさんと夫のビィットールさん、ミリアンさんは英昭さんの思い出の品を持参。日本を出発する時にもらった日の丸の旗には独身で船に乗った英昭さんへの「女に用心」という言葉や「キバレ」(がんばれ)と鹿児島弁での寄せ書きがされていた。また、アルゼンチナ丸と刺繍の入った水色のタオルを見た同船者は「よく残ってたね」と懐かしげに手にしていた。
 アリエルさん兄弟は式の前から、白黒の写真に写る人物を指しながら「父と同じ部屋だったこの人に会いたい」と話していたが、その同室者は来ておらず、所在も分からなかったため「残念だ」と肩を落としていた。


ニッケイ新聞より転載。
『鹿児島県人会の園田 昭憲会長と兄弟の義人さん、八郎さんの二人がパラグアイから駆けつけた。園田さんは、9人の兄弟兄弟が同船、パラグアイに入植した。七番目の義人さんは、パラグアイの鹿児島県人会会長。世界32ヶ所にある同県人会は、国境を超えて交流する。兄弟で会長を務めているのは、史上初めて。九番目の八郎さんは、JICAの職員。現在はイグアスー移住地在住。』
写真は、昭憲さん、義人さん、八郎さんの3兄弟です。

早速のメール有難うございます 先日の45周年に参加できてとても楽しかったです 28日にはブラジリアの吉田様ご夫妻がピラールに来られましたゴルフをしたりマージャンしたりして楽しい1日でした これも45周年企画の御かげと感謝致します。下田の父母は健在です 機会を見て写真を送ります ピラールにも是非おいで下さい御待ちしております 城島将男  小百合
写真は、集い当日挨拶をしている城島小百合さん(旧姓下田)、ご主人の城島将男サンとお嬢さんの3人です。

吉田吉田ニッケイ新聞報道より。
『最後に、吉田和子副実行委員長は「今回も盛大に同船者会が出来て良かった。来年もこの会が開かれるなら、元気な顔で集まりたい」と閉会のあいさつ。』
写真は、挨拶をする兄の武弘さんと奥さん(ブラジリア在住)と吉田和子さんです。ヴィットリアにお住みのお姉さんの美智子さんが今回は出て来られておらず非常に寂しく思いました。次回は是非参加して欲しい方の一人です。

ニッケイ新聞より転載。
『鹿児島県人会の園田 昭憲会長と兄弟の義人さん、八郎さんの二人がパラグアイから駆けつけた。園田さんは、9人の兄弟兄弟が同船、パラグアイに入植した。七番目の義人さんは、パラグアイの鹿児島県人会会長。世界32ヶ所にある同県人会は、国境を超えて交流する。兄弟で会長を務めているのは、史上初めて。九番目の八郎さんは、JICAの職員。現在はイグアスー移住地在住。』
写真は、昭憲さん、義人さん、八郎さんの3兄弟です。



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