2007年度、全伯日系商工会議所代表者会議提出資料
|
|
7月28日にアマゾナス州の州都マナウス市で第19回の全伯日系商工会議所の会議がHONDA社が所有するアマゾン河に浮かぶ豪華クルーズPIRARUCU II号の船上で開催されました。また同日夜には、アマゾナス日系商工会議所の設立20周年記念式典がTROPICALホテルで開催されました。
南伯日本商工会議所の代表としてこのブラジルに存在する6商工会議所の船上会議と20周年式典に参加するためにマナウスまで出掛けました。
全伯会議での発言原稿を参考に掲載して置きます。
写真は、HONDA所有の豪華船内での会議を主催されたアマゾナス日系商工会議所会頭(モト ホンダ アマゾニア社長)鶴西 幸博さんです。バックの船窓を照らすアマゾンの夕焼け茜色に注目下さい。
|
|
2007年度、全伯日系商工会議所代表者会議提出資料
提出者:南伯日本商工会議所 代表 和田 好司
議題1)南伯商工会議所の現状と今後
1970年代に始まったブラジルの奇跡と呼ばれるブームに乗りポルトアレグレの総領事館が進出企業間の連絡網を確立させ総領事館と企業間の縦と横の連絡を密にする目的で1974年の9月から月に一度の会議を開く事になりこれが南伯日本商工会議所の始まりとなる。月曜会、水曜会等と名前が変わったが毎月持ち回り幹事の会合が続けられ倉敷紡績と三菱重工の現地会社(Civel社)の社長が交代で会長職に当たりいつの頃からか丸紅に勤務していた私が専務理事としてお手伝いをする事になる。1989年に進出企業の代表者だけの会合と地元の日系企業家の団体が合同、統一して現在の南伯日本商工会議所が設立された。初代会頭は、土屋 省一(三菱重工の現地法人社長)。土屋さんが商工会議所主催ゴルフコンペでゴルフ場で倒れ急逝された後、倉敷の片山さんが任期末まで勤め翌年私が2代目会頭に就任しました。その後湯川さん、石川さん、金福さん、上野さん、日野原さんと続き会頭候補者の人材が底を着いた時点で諸般の事情もあり商工会議所の閉鎖も検討される事態になりましたが、ポルトアレグレ総領事館閉鎖問題が持ち上がっている中、南伯日本商工会議所の閉鎖は避けるべきであり、存続させる事が、大事との結論から倉敷の大庭 敬太郎さんが帰国まで会頭を勤められ帰国後は、再度日野原さんが会頭職を引継現在に至っている。毎月の月例会を楽しみにして毎回30人以上も集まり日本ブラジル交流協会の研修生を引き受け月報を発行、1993年にはメルコスール・セミナを開催、バス2台の訪問者を迎えた事もある。
一時期には、日本商社が住友、三菱、丸紅、伊藤忠(大豆搾油工場)が店を構え、安宅産業も現地に繊維工場と鉄工所に資本参加していた。銀行も南米銀行、東京銀行があり工場も倉敷以外にも三菱重工、青山製作所、富士テッキ(エレベーター)、東洋曹達、大洋漁業、本坊酒造、国土開発等が活発な活動をしていた。失われた80年代を経て日本のバブル崩壊等本社の意向も反映され撤退に次ぐ撤退の波に飲み込まれ現在では綿部門と合併した毛紡の倉敷紡績と商社では住友がかろうじて営業を継続しているが往事の11名を抱えていた事務所は現在3名で切り回している。
グロバリゼシオンの大きなうねりの中、穀倉地帯と言われる農業を中心としたRS州の経済は、大きく地盤沈下IPIRANGAグループの売却、VARIGの崩壊とGOLによる買収、CORREIO do POVO紙とTV GUAIBAのREDE RECORDによる買収、ZANPROGNAの投資ファウンドによる買収と今年に入り立て続けに大きな買収劇が続いた。一方、為替の関係で州内随一の製靴工場RICHERTが72年の歴史と共に20工場を閉じて5500人の従業員の解雇を発表しています。RICHERTは、昨年8500万ドルの輸出実績がありブラジルの輸出企業250社に入っていた会社であり連鎖反応的に多くの工場が次々潰れて行きます。RS州で元気なのは、2代目への事業移行をスムーズに果たしたGERDAUグループで最近アメリカ第2の製鉄所を買収世界的企業として躍進しています。
南伯日本商工会議は、往事には50社を越す会員がいましたが、現在登録されているメンバーは半減、月例会議も行われておらず必要に応じて役員会が時々行われる程度です。
一つ明るい話題としてカンポボン市に2000年から稼働しているドイツの化学工場PROCELLEM社を今年の2月に買収し伯国大塚化学(OTUKA INDUSTRIA de PRODUTOS QUMICOS do BRASIL LTDA)として6月15日に法人登録を終了させた大阪に本社がある大塚化学(株)の存在で65名の従業員を使用、大塚化学が日本で50年近く遣っている発泡剤生産部門から川下の発砲製品の製造、販売会社ととして製靴工業用資材、自動車工業用内装材への製品原料としてポリエシレン、EVA等の発砲スポンジ材を供給している。
それともう一つ、ここに来て地元我々の大きな期待は、1年以内にトヨタがブラジルにおける新工場の設置場所を決定し現地生産を3年以内に開始するとの発表で、その候補地の一つがFORDの工場建設予定跡地であるポルトアレグレ対岸のGUAIBAである。トヨタはこのGUAIBAのFORD跡地943ヘクタールの内の僅か25ヘクタールを使用してアルゼンチンからのハイラック輸入拠点を所有しており先月ポルトアレグレに来られたトヨタメルコスール長谷部社長が地元へのリップサービス的にトヨタは、インダイヤツーバの工場でカロラー生産より前にコーヒーを植えた。グアイバーには既にデスツリブーション・センタがあるどうして工場を建てて悪いでしょうか?と発言新聞記者を喜ばせた。輸出を考慮したロジスチック、部品工場の集中性、優秀なワーカーの存在と投資環境は揃っているが、問題は州知事の交代を今後どう評価していくかでしょう。
上記明るい話題としての大塚化学の南伯日本商工会議所への参加、RS州の官民協力によるトヨタの誘致に成功すれば南伯日本商工会議所も甦生し以前のように活性化されるがそれが実現しなかった場合、パラナ日本商工会議所への合併、休眠、自然消滅への道を歩む危険性も含まれている。
議題2)2008年の日本移民100周年祭を迎えるに当たっての対応。
皇室を迎えてのサンパウロ、リオ、パラナ諸州では、大々的な行事が挙がっておりこれからその準備、実施に大変だと思いますが、南伯でも南日伯援護協会、ポルトアレグレ文化協会、日系クラブ等を中心に南伯日本商工会議所も地元での各種行事に参加、支援していく事になるが現在までのところこれといった行事は計画されておらずポルトアレグレがパラナ州のクリチーバ総領事館の出張駐在官事務所に格下げになった事から、ポルトアレグレにおける100周年祭は移民の日前後の6月18日を中心とした各地の行事とは切り離して独自に2008年9月に実施する事が決定しています。大挙して日本から遣って来る慶祝団、各種行事、催しの流れを頂戴するとの計画もあったようですが、9月にずらして独自に実施するとの決定は、やはりクリチーバ総領事が地元クリチーバ、北パラナの行事に没頭されてポルトアレグレまで手が回らないとの理由によるもので出張駐在員事務所への降格が大ききく影響しているようです。従い現在のところこれと言った企画、計画は挙がってきていない。
昨年8月にRS州戦後移民50周年祭を盛大に祝いそれなりの人集めの経験と実績も上げておりブラジリアで開催されたイタマラチ内に設置された2008年日伯交流年の会議にRS州からも代表者が参加していたとの情報が入っていおり州政府も何らかの行事を実施する可能性もあり呼びかけが掛かった時にはお手伝いするといったスタンスで南伯日本商工会議所としては、これと言った具体的な対応は現在のところ考えていない。
地元の南日伯援護協会、ポルトアレグレ文化協会、日系クラブ、南伯日本商工会議所の4団体が中心になりRS州100周年記念事業実施委員会が結成されており今後その具体化を検討して行く事になる。
議題3)来年度の代表者会議の開催場所について
地理的にブラジルの中心地に当たるサンパウロでの開催が適地ではないかと思いますが、特に意見はありません。
議題4)その他
ポルトアレグレの総領事館は、地元民による総領事館存続のキャンペンにも係わらず2005年末で廃止され昨年よりクリチーバ総領事館の出張駐在官事務所に格下げされておりこの種行事にはクリチーバの日本商工会議所が代表して参加頂く型を取るというのも今後の一つの方策かとも考える。各社が独自に現在のパラナ日本商工会議所に参加して南伯日本商工会議所の活動を休眠または廃止を検討する必要が出てくるのではないかとも思います。事実上の活動が殆どなくこの種行事に誘われても参加出来ない状況にある事を報告して置きます。
最後に日野原会頭からの伝言として南伯の経済基盤の沈下特に日系企業の衰退により南伯日本商工会議所として組織を維持していく事が困難な状況に陥っており、ブラジル全国にある日系商工会議所のこの種会合には何としても参加、協調していきたいと願っていますがそれが難しい状況に立ち至っています。
今回は、和田元会頭が完全自費負担ベースで当会議所代表として参加するとの意志表示がありお仲間に入れて頂き地元アマゾナス日系商工会議所のおめでたい創立20周年記念式典にも代表者を送ることが出来て光栄です。
全伯6商工会議所の代表者会議及び創立20周年記念式典が盛大に行われる事を南伯ポルトアレグレよりお祈りしております。
|
|