井上祐見さん今年も来伯。来年は10周年記念に新作『笠戸丸』発表予定。邦字新聞報道より。
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今年も9回目の来伯を果たした演歌歌手井上祐見さんのブラジルでの公演のニュースが幾つか報道されていました。
日本の心を聴いて 井上祐見さん9回目の来伯 サンパウロ新聞
「雪桜」に初訪伯の思い重ね 井上祐見さんの思い サンパウロ新聞
井上祐見ショー=市長も来場=ピラール、初開催に沸く ニッケイ新聞
「移民の歌でアルバムを」=井上祐見=南米ツアー終え帰国=新曲の参考に体験談募集 ニッケイ新聞
上記の通りサンパウロ新聞とニッケイ新聞のWEB版からお借りして今年の井上祐見さんの活躍を記録して置きたい。
来年の日本移民100周年、祐見さん10回目の来伯には是非又ポルトアレグレにも来ていただきたいと願っています。
写真は、サンパウロ新聞に掲載されたものをお借りしました。
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日本の心を聴いて 井上祐見さん9回目の来伯 サンパウロ新聞WEB版より
「ブラジルでの公演は、巡ってくるひとつの季節のような感覚になってきました」―。こう語るのは、今年で来伯九回目を迎える日本の歌手・井上祐見さん。六月二十九日に着聖し、七月末までの一か月間にわたって伯国内とウルグアイの十三か所で公演を行う。
来年の移民百周年には、来伯十回目の節目を迎える井上さん。チーフマネージャーの中嶋年張氏は、「百周年だから特別の公演をするという訳ではなく、巡る季節のように百一年目も普段通りにブラジルに来られるようにしたい」と、南米公演への意欲を見せる。
今回は、七月一日のピラール・ド・スールでの公演を皮切りに、五日から七日まではパラナ州クリチーバ、十日にサンパウロ福祉施設のあけぼのホーム、やすらぎホームを慰問。十三日に今回で三度目となるウルグアイを訪問し、今年五月に発表したタンゴ風の新曲「アモール・ミオ」も披露する。十六日にサントス厚生ホームを慰問、十九日のグァタパラ移住地を経て、二十一日、二十二日は毎年恒例の日本祭りに参加する。また、二十五日にドラセーナ、二十六日ツッパン、二十九日には、よさこいソーラン大会にゲスト出演するという。
特にウルグアイでは、プンタ・デル・エステ市の百周年に合わせて公演を行い、現地日本大使館の協力も得て実施される。
井上さんは、「日本移民の方々のためにということで始めた南米公演ですが、回を重ねるごとに自分の歌を聴いてもらえる世代も変わってきています。日系の方々をはじめ、今後は日本の歌を現地の人にも伝えていきたいと思っています」と話しており、単なるメッセージソングでなく、「一曲の中で伝えるストーリー(物語)」に重点を置いている。
(写真:今年で九回目の訪伯となる井上祐見さん)
2007年7月4日付け
「雪桜」に初訪伯の思い重ね 井上祐見さんの思い サンパウロ新聞WEB版より。
《故小篠マリオ氏追幕の井上祐見さん》
「♪あなたへの思いゆらゆら散る雪桜 あなたは消え思い出ただ残るだけ・・・」―。一か月間にわたる南米公演のために六月二十九日から来伯している日本の歌手・井上祐見さんが、自ら九九年に作詞した思い出の曲「雪桜」。九年前、初めて南米公演が実現できた背景には、当時の長崎県人会長で聖市議や本紙営業部員などを歴任した故・小篠マリオ氏の多大なる尽力があったという。井上さんのチーフマネージャーである中嶋年張氏は、今も小篠氏への感謝の気持ちを持ち続けている。
曲を聴いただけでは男女の愛を思わせる「雪桜」の歌詞には、実は井上さんと中嶋氏の小篠さんへの感謝と鎮魂の思いが込められている。
一九九八年、中嶋氏たちは「初めてのブラジル公演を日本移民のために歌ってみたい」と奔走。長崎県出身の中嶋氏が同県庁を通じて伯側に電話し、当時の長崎県人会長だった小篠氏と知り合った。九八年十月には小篠氏がサンパウロ・大阪姉妹都市提携の関係で大阪を訪問。中嶋氏が小篠氏に直接会いに行き、意気投合した。
「マリオさんは『舞台はできるから、ぜひブラジルに来てください』と快く賛同していただいた上に、『ここに行けば楽しいよ』と公演の話だけでなく観光案内までしてくれ、私たちに気さくに応じてくれました」と中嶋氏は小篠氏の人柄に惹かれた。
ブラジル公演実現に向けて慌しい日々を送っていた中、中嶋氏は小篠氏の思いがけない訃報を知らされ愕然となった。その日、東京は珍しく雪が降り、それまで中嶋氏が心の中で暖めていた歌の構想を小篠氏への鎮魂歌とすべく井上さんを事務所近くの雪の積もった桜並木の前に連れていき写真を撮ったという。
その時の思いを井上さんが作詞、エレクトーン奏者の滝千奈美氏が作曲して「雪桜」が制作された。
九九年一月半ばに初めてブラジルの土を踏んだ井上さんたちは、小篠氏の墓前で「雪桜」を歌うとともに、井上さんの出身県である愛知県人会での歓迎会での席上、「雪桜」を熱唱。出席した小篠しづえ夫人と家族への感謝の気持ちを涙ながらに改めて表した。
九年経った今でも、小篠氏への気持ちを持ち続ける中嶋氏は、「井上の歌は単なるメッセージ・ソングではなく、一曲の中で思いを伝えるストーリーとして聴いていただきたい」と南米公演への意欲を見せていた。
(写真:在りし日の小篠氏)
2007年7月6日付け ニッケイ新聞WEB版より
井上祐見ショー=市長も来場=ピラール、初開催に沸く
【ピラール・ド・スール】日本の歌手、井上祐見さんのショー(ニッケイ新聞、蒼鳳、ダイドーエンタープライズ協賛)が六月三十日、当地文協会館で開催された。会場には当町や近辺の町から多くの人が訪れ、遠くは百五十キロ以上離れたボツカツから足を運んだ人もいた。
南米公演は今年で九年目、当地公演が今年の初回。日本の歌手を迎えるのは初めてとあって、会場からは期待と興奮が感じられ、会館の運動場の入口には『歓迎井上祐見さん』の幕が張られていた。
午後三時に開演した。城島将男文協会長からあいさつ、続いてルイス・エンリッケ市長からは「この町に日本から歌手を迎えることができて非常に光栄です。日本文化はもはや当市だけでなく、ブラジル国の文化の一部を成しています」と歓迎のことばがあった。
第一部は「観客と一体となって楽しむ」というコンセプト。一曲目が始まり祐見さんが現れると、一気に拍手と歓声が上がった。
一曲目の途中、早くも観客の一人が祐見さんの隣にかけより、記念撮影を行うハプニングもあったが、祐見さんは歌を中断することなく、驚きながらも笑顔で撮影に応じた。始まったばかりでやや構えていた感もあった会場は、この様子を見て大笑い。同時に『井上祐見』という歌手を大いに理解することができる出来事でもあった。
曲間に行われた中嶋マネージャーと祐見さんの掛け合いは、会場を大きな笑いで包んだ。そのほとんどがアドリブということだったが、そのやり取りは絶妙で長年のお互いへの理解が成せるものであった。
その後も観客を舞台に上げて共に歌ったり、コントのような掛け合いがあったりと笑い声が絶えず、素晴らしい雰囲気のまま第一部は終了した。
ハプニング続出でコロニアならでは公演であったが、中嶋マネージャーは「ここはものすごくノリが良くてとても楽しい。おかげでついつい話が長くなってしまう。それに皆面白い人ばかりで、九年ブラジル公演をやってきて、いい意味でこんなに暴れたのは初めて」と予想以上の盛り上がりに驚き、やや困った中にも大きな喜びの表情を見せた。
第二部ではうって変わって、祐見さんは『根来恋歌』『日はまた昇る』などの曲を熱唱し、会場はじっくりとその歌声を聴き入った。特に観客の心をうったのは、『sou japonesa』。コロニアではすでに大好評の曲だが、年配の人達の中には歌を聴き、昔の事を思い出したのか涙を流す姿も見られた。
プログラムが終わるとすぐアンコールの声がまき起こり、再び現れた祐見さんに歓声。最後は会場にいる人と共に歌い、このショーの最後を締めくくった。
ショーのあと、会場出口付近で記念撮影やサインを求める人達にもみくちゃにされながらも一人一人に笑顔で応じていた。『あなたに会えてよかった…』。一度切りの出会いかもしれない今を大切にしたいという祐見さんの気持ちは確実に観客に伝わったようだ。
2007年8月2日付け ニッケイ新聞WEB版より。
「移民の歌でアルバムを」=井上祐見=南米ツアー終え帰国=新曲の参考に体験談募集
南米各地で公演を行ってきた演歌歌手の井上祐見さん(31)が九回目のツアーを終え、七月三十日帰国の途についた。来年は日本移民百周年と同時に、井上さんの南米ツアーも十回目を迎えるのを記念し、移民の心情を歌ったオリジナル曲『ソウ・ジャポネーザ』に続く、新曲『笠戸丸』をひっさげて来伯する計画だ。
井上さんは「実際の移民経験を新曲の歌詞に反映させたいので、ぜひ聞かせてもらいたい」と呼びかけた。『ソウ・ジャポネーザ』が神戸を出発した移民船の様子を歌った曲なので、その続編となる新曲では、移民船を降りて上陸する時の不安な気持ちや、最初の入植地に配耕された時の辛かった体験や思い出を歌詞の内容にちりばめたい、という。
そこで、歌詞の参考になるような出来事、思い出を書いた文章を募集し、作詞家との打ち合わせに活かし、より移民の心情に近い曲を来年持ってきたい、との意向だ。文章の送り先はニッケイ新聞社編集部(Rua da Gloria, 332 Liberdade-Sao Paulo,S.P.CEP=01510-000 Jornal do nikkey Redacao Japonesa,深沢か稲垣)まで。
今回のツアーを通して、各地で『ソウ・ジャポネーザ』が強い反応を呼んでいることを、井上さんはしみじみと実感しており、コロニアでかなり浸透してきたという感触を受けている。「九年間という年を積み重ねたからこその成果がでてきている」と振り返る。
今回は六月二十九日に来伯。ピラール・ド・スル、クリチーバ、ウルグアイのモンテビデオとプンタ・デル・エステ、ドラセーナ、ツッパンの六カ所で単独公演を行い、クリチーバ国際舞踊祭、県連日本祭り、グァタパラ移住地、YOSAKOIソーラン大会、援協施設など様々な会場でもショーや交流会をした。
なかでもピラールやツッパンでは市長も公演に参加。日本語がわからない人にも楽しんでもらうため、ショーにポ語通訳を入れる工夫もした。井上さんは「ツッパンでは若い世代の太鼓と共演できた。私と接することで日本語への関心を深めてくれたら嬉しい」。これまでは主に一世高齢者に聞いてもらう機会が多かったが、今回は「若人のためにも公演してほしい」との声をあちこちで聞くようになり、「活動の幅が広がった」という。
来年は自身のデビュー十周年でもあり、すでに十カ所以上から誘いを受けている。井上さんは「新曲『笠戸丸』を持って帰ってきます。いずれは移民のことを歌った歌で、アルバムの作成までできれば」と意気込んだ。
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