『私たちの40年!!』実施実行委員会連絡事務所
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『私達の40年!!』の行事のハイライトとして5月12日(日)の母の日にサンパウロの静岡県人会館をお借りして40年祭を実施しますが、その最後の打ち合わせの会合が5月7日に開かれます。出席者の確認(現在の所確認者70名)、招待客への通知、当日の式次第、会場の設営、各人の分担、必要備品の準備、昼食の注文、映像関係機器、カラオケ設備の準備その他100名からの集まりでもあり、最後の詰めが必要となります。楽屋裏をお見せするようですが、サンパウロの皆さん宛ての事務連絡を掲載して置きます。写真は、船内新聞特別号に替わる『私達の40年!!』HPのアドレスを知らせるゴミ袋の写しです。 |
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愈々、あるぜんちな丸第12事航40年祭も近づきましたね。最後の詰めに皆さんとご一緒出来ないのは残念ですが、こちらでも最後の追い込みで色々できることをしております。当方で掴んでいる情報その他を簡単に報告しておきます。
@ トメアスーの三宅昭子さん(旧姓佐藤昭子)からFAXの連絡を貰いましたが、ご両親の面倒を見てくれる娘さんがトメアスー日語学校の行事でどうしても12日は、仕事に出ないと行けないとの事で予定していた式典参加が出来なくなった。サンパウロの事務局には同趣旨の連絡をいれて置くとの事でした。
A これまでの編集委員会の議事録は、『私達の40年!!』のHPに掲載しておりますが、高野さんはHPは、見ないとの事ですのでプリントアップしてFAXしておきます。
3月5日のものと4月8日のものです。5月12日に行事の式次第、催し物、展示物等もこの議事録に出ている内容を参考にして最終的にサンパウロの皆さんで決めて戴ければ幸甚です。
B 当方で写真のパネル等は、既にサンパウロに預けている2枚に赤道通過許可書他4枚を追加準備しました。
C 主催者側としての簡単な挨拶は、私の所で準備します。
D 鈴木幸男画伯が作品を3−4点展示用に貸して呉れるとの事です。鈴木章子さんにも陶芸品の展示をお願いしております。鈴木ご夫妻の近くに住んでおられる滝谷さんが運搬等を手伝って呉れるそうです。
E 計画していた40年後の船内新聞は、総て『私達の40年!!』のHPに掲載、集まった資料、写真等を公開し皆で共有する形となりましたので当日、船内新聞に替わるHPの案内(アドレス)を全員の皆さんにお知らせする目的で車の中のギア−にぶら下げる簡単なごみ袋として『私達の40年!!』500枚を日本語で印刷したものを準備しました。見本として高野さん、園田さん、岡村さんの所に各10枚ずつ5月3日にSEDEXで送りましたので6日には届くのではないかと思います。これで40年後の船内新聞特別号外発行に変えさせて貰います。一応、PCのない方等のために全ページをプリントアップした見本を準備しておりますので当日見て貰えるようにして置きます。当日の写真その他持参戴けた資料等は順次掲載していく積もりです。
F 私は、5月11日の午前中にサンパウロ到着予定でモジダスクルゼスまで出向きますが午後早めにバロンルにCHKINする予定です。ポルトアレグレには13日の午前中に戻る予定で11日、12日はサンパウロ泊まりとなります。バロンルには、一応5月9日最終確認で50%引きの特別価格で10部屋をリザーブしております。三宅さんが来られなくなり現在の所、ミナス州から来る青柳さん(コチア青年)のご家族5人と私達夫婦だけとなっておりますが、追加が出るようであればお知らせ下さい。
G 色々有りましたが昨年からほぼ毎月サンパウロに出向き皆さんと共に色々話あってここまで来られたから、やっと一区切り私なりの終止符を打つ積りです。森博士の学術研究、岡村さんの記録映像の作業継続等これからも続いていく物であり、今回の40年祭をどのように捕らえ今後に生かして行くかは、参加される皆さん一人一人のご意見、ご意向に基づくものでその行く末に大きな興味と期待を寄せている者の一人ですが、『私達の40年!!』のHPの管理運営と更新の仕事以外では私なりに40年を卒業する積りです。至らぬ点が多く皆さんにご迷惑を掛けたりご批判を戴いていたようですが、遠隔地に住んでいる事、耳が遠い?性もあり聞こえぬ振りをしてここまで突っ走ってきました。ご協力有難う御座いました。心より同船者仲間の友情、仲間としての暖かさを感謝しております。私のブラジル40年の始まりがあるぜんちな丸の皆さんと共に始めれた事を至上の喜びとしております。12日には、晴れた気持ちで皆さんにお会いしたいと思います。
平成14年5月5日
和田 好司
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