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「百年の水流」の裏話と後日談 外山 脩(在サンパウロ市)
〔百年の水流〕は、昨年8月に初版が出てから10月と12月に第2版、3版が出版され合計2000冊がほぼ完売、書店に並ばなくなっていますが、近々第4版500冊を出版予定とのことで外山さんに特別に手持ちの10冊を手配して頂いた経緯があり先月サンパウロに出た際に同船者の園田さんを誘い外山さんにお話を伺う機会がありました。その時に外山さんに特別にお願いしていた裏話と後日談の原稿を頂きました。ワープロで叩かれた原稿とのことでワードに叩き直す必要があり気にしていたのですがなかなか時間が取れずそのままになっていましたがやっとこの週末叩き終えました。
外山さんは、いずれ同書のポルトガル語版の出版とアニメによる映画化も計画されているようでその実現を強く望むものです。「日本民族の支流・ブラジルの日系社会の水流は、次第に先細りになり、いずれ消滅するでしょうが、その歴史が存在したことは、未来永劫、より多くの子孫たちに判りやすく知らせたいと思うからです。」と外山さんの書き下ろし原稿は締められています。
写真は、サンパウロの沖縄料理店【デイゴ】で鹿児島焼酎で杯を傾け大トロに舌鼓を打って楽しい一時を過ごした時の一枚です。


先日、ポルトアレグレの和田 好司さんから、氏が管理運営している『私たちの40年!!』のホームページへ、筆者が昨年出版した「百年の水流」の裏話や後日談を寄稿するように申しつかりました。
 あまり面白い話はありませんが、ともかく思い出すままに記してみます。ただ、出来るだけ硬い話は止めにして、柔らかく軽く流す事にします。

 裏話といえば、誰もが一番関心があるのは、やはりお金のことのようです。会う人ごとに「儲かったか?」と聞かれます。
 ブラジルの日系社会では、日本語を読む人口が激減「一千部売れればベストセラー」と言われる今日、「百年の水流」は2千部売れたというので、皆さん、そう思うようです。(日本の出版に比較すれば、かわいらしい過ぎる話ですが。。。。。。)
 確かに、売上金から印刷代、取次ぎ手数料その他の直接経費だけを引くと、若干の粗利益が出ました。が、最終的には、私のような貧乏人にとっては、馬鹿に出来ぬ額の借金が残った。。。。。というのが嘘偽りのないところです。
 この本は、その序にも記しましたが、十数年をかけて完成させたもので、その間、これに専念しました。財産も蓄えもなく、他には大した収入もないのに、そうしたのです。
 ために殆どの支出を借金に頼りました。筆者は一人暮らしですが、十数年間の生活費、取材費、その他諸経費で、いつの間にか、この借金が嵩んでしまいました。前記した若干の粗利益などでは、とても清算できません。
 そうゆう意味では、十数年の間、自分がおかしなことをしている、と気づいていました。が、やってしまった。誰かが、やらねばならない仕事だと思っていた事もありますが、それよりも何かに引きずられて、そうした気がします。「狐に憑かれたれたように。。。。。」と言う言葉がありますが、そのようでもあったし、恰好良く言えば「天の意志に操られて。。。。。」そうしたような気もする。
幸い、お金を貸してくれた人が居たからできたわけです。こういう奇特な人も居ったのです。世の中、まだ捨てたものではありません。
ともあれ、その借金は、これから返済しなければなりません。私は現在六十五歳ですが、残る人生は、それが最大のテーマになるでしょう。

お金の次ぎに、人が興味を持った裏話は、私が死にかけた、という噂が流れた件のようです。
先ほど申し上げました十数年の間、根を詰めすぎたせいか、私の健康状態は徐々に悪化していました。私を間近に見ていた人々は「外山は危ない」と話し合っていたそうです。そういう兆候が外見に現れていたといいます。「外山さんが近づいてくると、死臭が漂う」と気味悪がったオバサンもいた由。(これは衣類棚にカビが生えていた精もあるのでしょうが。。。。。)
当時、何故か、知人や友人の死が続いていました。そこで同じブンヤ(記者)仲間には「次は、外山だ」などと言って、キャッキャッ喜ぶ不埒者もいたそうです。
自分でも体調がおかしくなっていることは判っていました。それなら、この仕事を止め静養すればよいのですが、そういう発想は全く湧かなかった。これも狐に憑かれたのか天の意志に操られたのか判りませんが、そうでした。
結局、最後の四年間は、山頂の町カンポス・ド・ジョルドンに寄宿して、仕事の傍ら毎日、山の中を歩きまわり、少しずつ健康を回復させました。幸い死線は越えたようです。
表情に健康色が出てきた、と人から言われる用になったので、サンパウロに下りて前記の「次は外山だ」と予想した不埒者に会ったとき、ニヤリと笑って握手を求めてやったら、バツの悪そうな顔をしていました。こういう手合いこそ、一日も早くあの世へ行って貰いたいものです。が、当人は七十近いのに「俺は九十まで生きる」と欲張っているそうです。
世の中、老害が次第に増しております。

三番目くらいに興味を持たれる裏話は、「記事にかけなかったこと」です。
しかし、それは、ここで紹介しても、本を一度読んだ人でないとピンと来ないでしょう。。。。。。といって説明を加えると冗漫になってしまいます。難しい所です。
〔百年の水流〕は、一九九〇年代に次々起きたブラジル日系社会の三つの城(二組合一銀行)の落城の原因を追求している内に、結局、この社会の百年の歴史を、源から今日まで流れ下る様に取材することになり、その結果を記したノン・フィクションです。
城だけでなく、砦とでも称すべき中小の企業も、次々と消えていることは、ある程度知っていました。が、後になってハッキリしたのは、その砦も、あらかた無くなっていたという事です。判りやすく言うと城も砦も、全滅に近い状態となっていたわけです。この点を、もっと詳しく調べて強調して書くべきであったと反省しております。
その全滅にも関係している事ですが、ブラジルは、一九六〇年代末、デルフィン・ネットという大学教授上がりの政治家が、連邦政府の大蔵大臣になり、内外から借金に頼って国家経済を、高成長させようとしました。その手法は先進国の事例を記した学術書に頼ったようです。
当初、それは成功したかに見え「ブラジル経済の奇跡」などと持て囃されましたが、やはり学者の机上の策に過ぎず、やがて借金地獄に陥り、八〇年代に入ると、国家そのものが倒産に向かって滑り出し、九〇年代には大破局に突入しました。国内企業は、その大混乱の中に次々と消えて行ったわけです。日系企業に限った話しではありません。
その大破局への過程で、政府、政治家、役人の汚職が蔓延しました。汚職以前からあったのですが、それが一段と厳しくなったのです。
当時、日本の一流新聞記者が「日本政府は、ブラジルは国家=政府=そのものが泥棒だ、と見ていますよ」と教えてくれたことがあります。
外国(日本)政府まで騙したのです。
上の人間が、そういう調子ですから下が倣うのは当たり前で、政治家や役人は末端まで汚職まみれになり、それは政府系企業に間で広がりました。
さらに民間企業も彼らに歩調を合わせなければ、事業ができないほどになってしまった。これでは国が潰れる筈です。
さらに、この過程で貧富の差が極端になり過ぎました。その貧者は汚職の仲間入りが出来なかった層です。彼らは代わりに暴力犯罪に走り、治安は戦場同然、弱者の庶民は無間地獄を味わうことになりました。彼らが救いを求めたのが宗教です。
かくして汚職、暴力犯罪、宗教が、この国の3大成長産業になってしまいました。

ともかく日系社会は、百年をかけて築き上げた城も砦も失ってしまった。それだけでなく暴力犯罪の標的とされた。その実態は地獄絵図そのものであり、たとえば八〇過ぎの老人が、斧で頭を叩き割られて殺されるとか、押し入って来た強盗に家族が縛り上げられ、その前で少女のような娘さんがレイプされるというような惨(むご)すぎる事件が、少なからず起きました。
凶暴な野獣が、狂いに狂っているのと全く変わらない。
一九八〇年代以降、ブラジル国籍を持つ日系人だけで三〇万人が出稼ぎ者として日本に向かった(それ以外に、日本国籍を持つ一世が多数行った)のは、経済的事情のほかに、こうした汚職や暴力犯罪でこの国に絶望したからです。
筆者は、八〇年代末のことと記憶しますが、州警兵のーーサンパウロ市内のある管区のーー副司令官と二人で話す機会を得たとき「(彼ら凶悪犯を)殺せ、殺せ」と追ったものです。逮捕する必要はないから、見つけ次第、片端から撃ち殺してしまえ、という意味です。この国には死刑がなく、逮捕しても直ぐ脱獄してしまうのですから、それしか、方法はないのです。
ジャーナリストが治安当局の幹部に、こういう要求をしたら、日本なら大問題になるでしょうが、サンパウロ市内では、これが市民の大半の世論でした。
その副司令官も別段、筆者を咎めず「それを遣ると、又教会が騒ぐ」と呟いていました。その少し前、そういうことがあったのです。もっとも、その後、強盗たちが教会まで押し入るようになったため、神父さんたちも沈黙してしまいましたが。。。。。。
本当なら、そういう犯罪を生み出した政治家が先ず極刑に処されるべきですが、彼らは常に逃げ切るのが、この国の通弊です。
暴力犯罪の被害者は日系人だけに限理間線でしたが、その強盗たちが引き上げるとき「恨むならデルフィンヲ恨め」と言い残すのが一時、流行ったそうです。

筆者は、前記した日系人の暴力犯罪による被害の部分は、〔百年の水流〕では具体的に記事にできませんでした。余りにも陰惨な内容であり、書くに堪えられなかったのです。
また「恨むなら。。。。。」の部分は、強盗をする様な連中が、国家経済の動きの筋道を知っていたとは思えず、怪しいと思いました。誰かが、そう言えと教えたかもしれない。が、活字にするには無理が感じられました。しかし後になって、ピアーダ=小話=として書けば、一九六〇年末以降のブラジルの実状を、ものの見事に、簡明に表現しているナ。。。。。。と悔やんでいます。
書けなかった事は、他にも多々あります。コチア産組の末期、内部に発生したという大規模な不正については、時間もなく裏づけ材料も入手できず、簡単にふれることしかできませんでした。南銀の身売りに関しても、そのトップと中銀理事との関係に気になる点がありましたが、これも真相は掴めず、見送りました。
書こうと思えば書けることでも、あえて関係者の名前を伏せたケースもあります。その人物に対する攻撃記事が多くなり過ぎると判断した場合です。当人が故人となっても、死者に鞭打つようなことは最小限にとどめたいという気分もありました。家族の気持ちも勘案しました。

後日談に移ります。
〔百年の水流〕は出版後、幸い好評で、アチコチから電話や口頭で、そういう趣旨の言葉をいただきました。ブラジル日系社会の百年の歴史を総合的かつ系統的に纏めた資料が、それまで無かったためでしょう。
そういう読者が共通して口にしたのは「ポルトガル語にして出版するように。。。。」という提案です。二、三世。。。。たち日系人が日系社会の歴史を殆ど知らない、という事実を皆さん憂慮しているようでした。
現在、筆者は、そのポルトガル語による出版のための努力をしております。協力者も現れておりますが。が、問題は、やはり採算ベースに乗せる方法です。その工夫に日夜、頭を悩ませています。これ以上借金は、ブラジル経済が辿ったのと同じ結果を招く危険があります。規模はピンポン玉と地球以上の差がありますが。。。。。。
もう一つ〔百年の水流〕を追加取材して内容を充実させ、いつか日本語とポルトガル語によるアニメの長編物語をつくり、ビデオ・テープにし、テレビで、いつでも簡単に見られるようにして残しておきたいと夢見ております。
日本民族の支流・ブラジルの日系社会の水流は、次第に先細りになり、いずれ消滅するでしょうが、その歴史が存在したことは、未来永劫、より多くの子孫たちに判りやすく知らせたいと思うからです。(2007年8月20日)



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