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緑の地獄味わった戦友の絆強く サンパウロ新聞WEB版より
あるぜんちな丸第12次航で1962年5月11日にサントスに到着しブラジルでの生活が始まり同船者が入植した移住地を全て訪問し当時海外協会連合会(海協連と呼ばれていた)が経営していた移住地の殆どを訪ね歩きましたが、アクレ州(当時は連邦直轄州)にあるキナリーの移住地だけは訪問出来ませんでした。理由は、ロンドニア州のポルト・ヴェリオからはマデイラ・マモレ鉄道でグジャラミリンまで行きボリビアに入国リベラルタの町まで出向いてしまいお隣のアクレ州の州都リオ・ブランコまで辿り着けなかった次第です。そのキナリーの入植者がサンパウロで30人も集まったとのことで驚いています。何年経っても同船者、同じ移住地で開拓に携わった仲間との絆は同じ会社に務めた仲間等より強く戦友に近いものになるのではないかと思います。
写真もサンパウロ新聞よりお借りしました。


《キナリー移住地出身者、聖市で集う》 

 ペルー、ボリビアと国境を面するアクレ州のキナリー移住地出身者会が、九月二十九日午後一時から聖市内レストランのランショ・ダ・トライーラで開かれた。出席者の大半はサンパウロ在住者だったが、キナリーやポルト・ベーリョ(ロンドニア州)、ゴイアニア(ゴヤス州)など遠方地に住む人たちも駆けつけ、約三十人が一同に会した。世話人たちは「これだけ集まるとは思っていなかっただけに嬉しい」と率直な喜びを示し、懐かしい顔ぶれと旧交を温めるとともに再来年の入植五十周年に向けて集まりを拡大していく考えだ。 キナリー移住地は一九五三年、当時のアクレ直轄州の農業振興を目的に創設され、州都リオ・ブランコ市の南方十九キロ地点から始まる。一九五九年四月に六家族四十四人、同六月に七家族四十七人の計十三家族九十一人が入植した。

 世話人の一人、坂野政信さん(六一、神奈川県出身)は開会のあいさつの中で、今年四月に聖市内で行われた「あめりか丸」同船者会で会ったキナリー移住地出身者と今回の集いを企画したことに言及。「十三歳だった自分が、今では六十歳を越え、孫も三人いる状況ですが、元気で皆さんに再会できたのは本当に喜ばしいこと。今後も入植者同士の懇談を続けていきたい」と述べた。

 参加者最高齢で、現在次女とともにゴイアニアに住んでいる原ユリ子さん(八八、徳島県出身)は、当時の移住地を「緑の地獄」と称した。「アクレは陸の孤島で販売路がなく、畑で野菜やコーヒーを作っても売れず、アクレ川に流したこともありました。二十年も移住地に居たのは、お金がなくて出るに出れなかったからですよ」と苦笑する。

 原さんの長女で、現在はモジダスクルーゼス市内に住む篠木(ささき)恵子さん(六〇)は、入植時は十二歳。「こんなところに連れて来られてと、親を恨みましたよ」と苦しかった時代を振り返る。

 キナリー市内に住む浜口カズ子さん(八〇、熊本県出身)によると、現在移住地にロッテを保持している人はいても、当時の入植者は誰もいないという。

 「精米、マカシェイラ(マンジョカ)、養鶏、牧場など何でもしましたよ。今は知る人も少なくなり、寂しいもんですよ」(浜口さん)

 十八歳で渡伯して五年間移住地で過ごし、六四年にポルト・ベーリョに移り、コロニア・トレゼ・デ・セテンブロに転居、現在は十二キロ離れた街に住む川田信一さん(六六、長崎県出身)。「キナリーではよく猟に行ったよ。小さな鹿や山豚などを仕留めてね。食べ物に不自由していたから、ご飯のおかずにしてね。この集まりの話を聞いた時は感激したよ」と、今回三十年ぶりに会った同県人で移住地では隣に住んでいた大水悟さん(五六)と、当時の話で盛り上がっていた。

 世話人の篠木敏夫さん(六四、兵庫県出身)は、「自分たちが企画して実現できたが、正直これだけ多くの人が集まるとは思っていなかったので、感動している。こうした集まりを細く長く続け、今回来れなかった人にもぜひ参加してもらいたい。再来年は入植五十周年でもあるし、盛大なものにしたい」と意欲を見せていた。

 〔写真:キナリー移住地出身者会に出席した人たち〕



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