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<曲がり角に来た中国経済> 赤嶺 尚由さんのサンパウロ新聞への寄稿記事より
サンパウロ新聞のWEB版には、寄稿文、読者からの投稿等を掲載しないので新聞を購読していない私には読めなかったのですが、赤嶺さんにお願いしてBATE PAPOのMLを通じて送って頂きました。赤嶺さんは、今回上海で行われたWUB(ワールドワイド ウチナーンチュ ビジネス アソシエーション)の年次総会にブラジル代表のお一人として参加されました。私たちには良く理解出来ない点もあるのですが、ブラジルに最初にやって来た笠戸丸の多くの移住者の方が沖縄出身でブラジルに於けるコロニアを形成する上で沖縄出身者の団結、共存、進取の気質は、世界に冠たる華僑の皆さんとも比較、匹敵するウチナーンチュと言う言葉、琉僑としての沖縄を離れても世界中何処に発展していても心が通じ合うという県人会意識以上のものをお持ちのようで羨ましく思います。赤嶺さんは、元パウリスタ新聞の記者をやっておられた経験から何時も読む人を意識した文を書かれます。三回に渡ってサンパウロ新聞に掲載された文と一部BATE PAPOへの書き込みを収録して置きます。
写真も赤嶺さんが送って下さったブラジル出身の与那嶺真二WUB国際会長を囲んでブラジル代表団のメンバーの皆さんです。


<中国のグリーンGNP構想>(1)
それこそ駆け足程度で、先月16日から20日にかけて、上海を旅行してきました。到着したのが深夜、沖縄向け出発したのも早朝、その内一日半は、会議と懇親会で占められましたので、文字通りの慌しさでした。上海で開催されたWUB(ワールドワイド ウチナーンチュ ビジネス アソシエーション)の年次総会に参加するのが主な目的です。今回は、日程の関係上、見たいと常々思っていた北京や西安等、中国文明の遺跡が数多く残る地域には行けなかったので、会議(上海Jetro支部の後援)の合間を縫って、せめて上海市内とその周辺都市だけでもよく見たいと考え、沖縄に滞在中だった愚妻が先に予約してくれていた参加者の観光ツアーに合流しました。先ず、ご存知の方々も数多いと思いますが、上海の人の多さに、吃驚しつつ、認識を新たにしました。日本に留学した経験もあり、比較的最近の流行と思しきあの尻上がりの発音(1例 何々じゃないですか?)もそっくり真似しているほど、日本語の流暢な中国人ガイドの説明によると、上海市内の人口が約1,300万人、周辺都市も含めると、約1,700万人にまで膨れ上がっているそうです。ご参考までに、サンパウロ市の人口が約1,000万人といったところでしょうか。

 急激な人口の膨張に刺激されるかのように、上海市内、郊外を問わず、アパート用や事務所用ともなかなか判別出来ないビルの建築ラッシュが進んでいました。正直言って、サンパウロやリオ市内のビルの方がいくらか丁寧に手間隙をかけて造られているような感じがして仕方ありませんでした。まあ、10%を遥かに超すこのところの経済の急成長と、しかも、その中心地とあっては、何もかもが追いつけ追い越せでやらないと、需要に間に合わず、ゴタゴタ雑然とした市内の雰囲気も漂わざるを得なくなるのでしょう。その反面、これまで世界一を誇ってきた超高層ビル、世界のありとあらゆる有名ホテル群、イタリアやフランスの化粧品類の有名ブランドチェーンも、明るいネオンに彩られて軒を並べていました。

 そして、私たちの乗っている市内巡りの観光バスが洗濯物を窓際に吊して干している古びたアパートの立ち並ぶ拙ぶ貧しそうな地域を通過してきた直後だったせいか、都心だけのけばけばしさと言って悪ければ、華美さが相当に目立ちました。でも、中国人は、元々、赤や青の原色がお好みの模様ですね。さて、一番言いたい本題に入ります。ほぼ全世界からのウチナーンチュ300人の参加者の総会が私たちの宿舎クラウンプラザ フーダンを会場にして、本格的に始まった2日目のことでした。上海でも経済関係の大学教授として名が知られ、日米両国に留学したこともあるというウー チー ナン上海国際問題研究所学術委員会副主任の大変興味深い日本語での基調講演がありました。その道の専門家とあって、私は、これからの中国経済の先行きにも、ソレ行けとばかり、手放しで明るさ一辺倒の見通しや予測といったものが披瀝されるのかどうか、その1点により注目していました。

 同教授の講演は、結論から先に言えば、中国がこれまでのように、世界中から(鉄鉱石などの)資源を輸入し加工して、一部を国内需要に充て、大部分を輸出に回すような消費型経済が確かに一種の曲がり角みたいな所に来ていて、世界中の潮流に押され、中国政府首脳の間でも、目下のより焦眉の急といえそうなものが環境問題等に移りつつあり、<グリーンGDP構想>を導入し、もっと科学的な発展観に基づいたモデルを作るべき時期に来ている、と率直な見方を示しました。私の独断偏見では、世界中の天然資源を貪ってばかりいるような経済成長モデルが最早限界点に達していて、高騰する一方のコモディティー(国際的商品)の相場傾向とも両立し得ない事情があるような気がしました。そうなれば、鉄鉱石等の天然資源を輸出して、急速に世界で35,6位のエクセレント カンパニーとなったブラジルのヴァーレ ド リオ ドーセ(略して単にVale社。公社色の残影を払拭するのに、社名変更の可能性も取りざたされてきている)にとって、大きな打撃や試練を与えかねません。

 続いて、同教授は、今後とも、相当程度の水準で成長路線を進むという見方を明らかにしながら、1、2010年の上海万博が大きな起爆剤になることは、間違いだろうが、国内で資源エネルギーインフラ整備の問題が付いて回る。2、労働力(賃金の上昇も含めて)の面での課題も予想より早く出てきている。3、過剰流動性の問題が更に深刻化する。政府は、預金準備金の積み立て額を引き上げ、景気過熱とインフレ上昇にも対応しようとているが、なかなか効果が出にくい。4、貧富の格差や地域の格差問題が一段と深まっている。上海の場合を1例にとると、富の35%が僅か1%の人口によって握られている。5、日本からの進出企業数は、約6300社まで上がり、生産された製品の約63%が輸出に回されている、と以上の主要な各点を指摘しました。

 この基調講演が終わり、短いパネルディスカッションに移った時、小生が「先生のお話は、中国がこれからも成長一辺倒で行くのかな、と考えていた私には、とても刺激的で、想定外でした。今の中国経済には、既に相当程度のバブル部分が含まれているように思え、要は、それが何時何処で破裂するかが気掛かりです。」といった第1番目の質問に「ありがとう。私も、バブル説は、確かだと思います。ただ、それが何時ごろ何処で弾けるか、或いは、幸運にも軟着陸できるのかを今の段階で予測することは、出来ません。徐々に速度を落としながら、これからもかなり高い水準での高い経済成長を続けていくものと見ています。」とのことでした。急がれるインフラの整備面では、特に上海集装箱<コンテナ>埠頭10区(上海港内)を最初に見せて貰ったが、手狭というよりも、輸入貨物量が多過ぎ、最早間に合わない感じでした。そのために、隣省にハブ洋山深山水港という中国最大規模の輸入専用コンテナ等を陸揚げするための工事がかなりのピッチで進んでいて、生憎の小雨の中でその威容を誇っていました。

<無錫旅情の重い余韻>(2)       赤嶺 尚由

 小生は、不明にして良く知りませんでしたが、かれこれ10年前近く、日本で<無錫旅情>という演歌が流行したことがあるそうです。中国では、歌詞の良もあって、かなりヒットしたようです。もっとも、中国では、日本の流行歌がよく歌われていて、谷村新司の<昴>も、国民的な愛唱歌となったことがあります。ウー、チー ナン先生の基調講演を聞いた翌日、上海の周辺都市の観光ツアーに出かけ、その1つが無錫市でした。嘘か真か、又、余談になることもお許しいただいて、昔、錫の有名産地として知られたこの周辺がいつの間にか肝心の錫が採掘されなくなったため、いつの間にか、名前まで<無錫市>に変わったというエピソードを紹介して皆を笑わせた後、例の日本語を上手に話す男のガイド役は「約4年前くらいになりますが、上海と周辺都市のの水がめみたいになっているこの無錫市にあるかなり規模の大きい<太湖>に工場廃水みたいなものが流れ込んで公害問題を起こしてしまい、中国政府のかなり上のお偉いさんが北京からわざわざ視察に派遣されるほど、大変なショックを巻き起こした事件があったそうです。
 そして、「この公害問題は、まだ完全には解決されていない筈です。」と続けました。なるほど、30分程度、遊覧船で湖上を観光して回った時、岸辺の底には、まだ青い苔みたいなものが固く張り付いている様子が窺えました。これで以って、ロマンの香りというか詩情豊かというか、兎に角、上海周辺の人々に愛唱されたらしい<無錫旅情>も何処かへ吹っ飛んでしまい、代わりに<無錫ショック>と言っても良いほど、日々の市民生活を直撃する大規模で初の公害問題が開発途上国の中国で起こる結果となりました。その点では、基調講演であの先生が指摘したように、中国政府首脳が最近になって環境問題により注意を払い、重きを置き始めたという点とも確かに符号しているように思えました。急速な経済成長のもたらしたエフエイト コラテラル(副作用)とも言うべき環境公害問題は、貧困の格差問題と一緒に、発展の恩恵にまだ浴していないこの国の多くの一般国民に大きな欲求不満を与えかねないだけに、政府首脳も、より注意を払わなければならないのでしょう。
 無錫市郊外にある<太湖>で取れたという触れ込みの真殊を湖畔のかなり大掛かりな販売店で、愚妻が日本語の片言話せるまだうら若い売り子のしたたかな宣伝文句についつられてしまい、気に入った1個のネックレスに手を伸ばした後、逡巡したり、逡巡しては、また買気を見せるようなことをしばらく繰り返していました。
何とか商談を成立させ、包装のことで相談を始めた二人の側を離れ、販売店の窓際に近寄ってから眺めたその時の<太湖>は、確かに綺麗に澄んでいて、あの<無錫旅情>が流行った頃の湖面も、きっとそうだったんだろうな、と思われて仕方ありませんでした。しかし、中国の環境が時限爆弾みたいなものに映りました。
 因みに、<民度>という言葉を手許の大型辞書で引くきますと、「国民の生活や文化の程度を指す」と出ていました。万里の長城や全国に数え切れないないくらい存在している伝統ある遺跡等を識ることにも大変な興味がありましたが、この国のここ最近の驚異的な経済成長以後、今の今を生きる一般国民がどんな恩恵を受けているか、要するに、人民の生活水準とか文化の程度で以って、きっと推し計れるに違いないこの<民度>が何処まで改善されてきているかにも非常な関心がありました。
なかんずく、自分が住んでいるブラジルの<民度>と比べて、どうなっているかを短い滞在日数の内に、出来れば見ておきたいという気持ちが旺盛でした。しかし、何分にも、滞在時間の短さという物理的で、不可抗力な事情が原因になって、それを詳しく云々するほどの満足のいく探求が出来ませんでした。
 ただ、その一端に触れることは、可能だったような気もします。身贔屓といわれてしまえば、それまでのことですが、結論は、貧困や犯罪を始め、同じように社会問題の山積している我がブラジルの方がそれでもいくらか<民度>の高い印象を受けました。建築ラッシュの現場一つ見ていても、灰色、というよりも、薄暗いペンキを塗った壁面、狭い空間を最大限に利用しようとする意図からに違いないが、ただ無闇矢鱈に細長く空に向かって高く伸びていて、ヴェランダ類が見受けられずに、小さくて狭い窓しか付いていないビルの群れは、アパート用にしても、事務所用にしても、ブラジルの方が色彩豊かで、建て方のセンスやデザインにも富んでいるように感じました。最高潮のラッシュ時にも、先行車を追い越せ追い抜けとばかり繰り返す傍若無人の運転マナー、尾篭な話で恐れ入るが、レストランなどのトイレの清潔度等、<彼我の民度>を比較することは、その基準が多義多彩に亘るため、一筋縄では行かず、並大抵のことではありませんが、どうも、こちらの方が心持高い模様でした。。
 もう一件、<無錫旅情>の現場をを訪れる前に、照屋さんという同じ市内で沖縄県人が経営していて、日本から進出してきている各種工場の機械と電気系統の保守を24時間体制で担当しているという会社(約200人規模)を見学させて貰った時に、時刻が正午近かったために、工員の多くが地べたに敷いた薄いゴムテントみたいなものに三々五々に座るようにして、漫然と会社支給の昼事を摂っていました。そして、食べながら、じろじろと訪れ来た私たちを関心深くという表現よりも、むしろ、好奇心(乃至は、猜疑心)と言った方がより正確に思える余り有り難くない視線を向け、見上げるようにしていました。ブラジル人の一般工員が訪れる人たちから「ボン ディア」と挨拶されれば、すかさず同じような反応を返してくれる愛嬌たっぷりの笑顔とかにこやかさが微塵もなく、隔絶の印象を受けました。
 その会社の照屋社長自ら、工場の外庭に皆を案内しながら、誰からとなく飛び出した「ここの民度とか一般工員たちの程度や水準は、どうですか」といった問いに、間をおかずに「残念ですが、まだまだという感じですね。隙を見ては、怠けようとします。あの食事をしていた従業員の中から、いざという時に、責任ある部署を担当させられる者は、今のところ、先ず一人もいませんよ」ということでした。我がブラジルでは、言われたことしかしない。言われた以上のことをして、失敗すれば、ギロチン台に乗せられて責任を取らされた奴隷制度時代のものの考え方の名残がまだ良く残っています。そのせいか、自分から先にものを考えて仕事するという習慣がなかなか見受けられませんが、少なくとも、隙を盗んで、仕事を怠けるような者は、さすがにもういないのではないか、と私自身も次第に認識を強くしてきています。(筆者は、ソールナッセンテ人材銀行代表)

地球の裏と表を問う(3)
上海でのWUB(ワールドワイド ウチナーンチュ ビジネス アソシエーション)の第10回年次総会の打ち上げパーティーが市内のかなり高級なリバー サイド ホテルで行われた席上でのことでした。午後7時からの開始でしたが、パーティーの開かれたホテルとは別のところに泊まっていた伊波支部長以下ブラジル代表数名が折からの交通ラッシュに巻き込まれ、各国の代表が交互に壇上へ上がり、5分程度の自己紹介と挨拶を行った後になっても、姿を見せませんでした。最後にブラジル代表団の順番が回ってきたので、取り敢えず、居合わせていた数人だけでも壇上に上がって、待機する形になりました。心配と焦燥感の入り混じった表情で私のすぐ隣に立っていた与那嶺AC真二WUB国際会長が「赤嶺さん、もうこれ以上待てないから、急で申し訳ないが、貴方が代わりの挨拶をやってよ」と半分命令式に頼んできましたので、多少でしゃばりかな、と思いつつ、場合が場合ですから、まあ引き受けざるを得ない羽目になりました。
 それまで、私は、各国支部長の挨拶に良く注意を払って聞いていました。そうしていますと、簡単に聞き捨てにならない一つの言葉が主に北半球に位置する国々の支部長たちによる挨拶の中で、繰り返されていることに気がつきました。その言葉が何かといいますと、大同小異がありながらも、私たちブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビア等の南半球から来た参加者のことを「遠い地球の裏側から良くぞ来てくれました」という内容のものでした。私の気に障った言葉といいますのがこの「地球の裏側」です。もう少し詳しく言えば、戦争好きであまねく知られている何処かの国の専売特許かともそれまで考えていたユニラテラリズム(自己中心主義)と見事に機軸を同じくしているように感じられて仕方なかったからです。地球の裏とか表とは、何ぞや。仮に、私たち、南半球に住んでいる者から北半球の彼らを「地球の裏側の皆さん」呼ばわりをしたら、果たして聞き流してくれるでしょうか。幼稚性症候群と言われるだろうな、と考えつつも、私の頭の中は、それに反比例するかのように、次第にカッカとなっていくだけでした。
 もちろんのこと、北半球にお住まいの支部長たちに悪気が会ってのことではないとはよく判っているつもりでした。しかし、これまで10回に及ぶこのWUBの国際会議をそれこそ地球の裏でも表でも何回となくやってきているだけに、そして、その時の私の腹の虫の居所も、きっと悪かったのでしょうか、約300人の参加者を前に次のように切り出してしまったのです。「先ず、ここにいらっしゃる皆さんに苦言を一つ呈させていただきます。さっきから黙って聞いていますと、私たち南半球からここにやってきた仲間のことを<地球の裏側から良くいらっしゃいました皆さん>とか何とか、絶えず繰り返えされているようですが、敢えて仰りたいのであれば、地球の反対側とか南半球と言っていただきたい。このような国際会議に参加する皆さんには、その程度の知識や平衡感覚くらいは、持っていて欲しいものです。どうも地球の裏側という語感には、何時になっても、馴染みにくいものがあります。第一、地球の表とか裏とか言うのは、誰が決めたんですか」。
 ちょうどその時でした。壇上に立っている偉そうに喋っている私の目のすぐ下の絨毯の上に土下座をして「いやー、お許し下さい。何も深く考えずについ口から出まかせで言ってしまいました。確かに地球の反対側とか南半球と言わなければなりません。今後、充分に注意させていただきます。」と平謝りに謝る人がいました。話を中断して、頭を下げ続けているその人の方を良く見ますと、何と、無錫市内でかなりの規模の機械電気の据付とメンテナンス工場を経営していて、シンガポールWUB支部長を務め、その日の午前中に無錫市内にあるその工場も見学させて貰ったばかりのあの熱血肌の照屋社長ではありませんか。熱血社長でなければ出来ないこの咄嗟の行為に却ってに慌ててしまったのは、私でした。「いや、そういうつもりで言ったのではありません。挨拶に入る前の枕詞程度に考えて口から出してしまいました。どうかお手を上げてください」と言いましたが、とうとう聞き容れられませんでした。
 世界の北半球や南半球を問わず、ユダヤ人とか華僑とか故郷を持たなかったり、そこから離れて住むことを余儀なくされていても、固い絆で何代にも亘って結ばれた言わば流浪の民族がいます。ともすれば、彼らの経済面での繋がりだけが強調され過ぎる感じを受けますが、より強烈で特色を持った文化で結ばれている事実に気付かないわけには行きません。経済関係は、言うまでもなく大切ではありますが、今回の会議に参加して改めて感じたことは、経済プラス文化面で、ウチナーンチュ同士の絆の強さを深める必要性が痛感されました。そういえば、優れた文化を共有する民族は、滅びにくいという昔からの言い伝えがあります。その点、WUBの国際会長である与那嶺真二会長(ブラジル出身)が「沖縄県人にも、海外で暮らしている県系人にも、幸い特色のある琉球文化をずっと共有してきている。、このWUBという組織が単なる経済交流という関係のほかに、例えば祖先崇拝という沖縄が昔からはぐくんできた文化を昇華させてずっと子々孫々まで伝えていく努力を習慣付けた時、琉僑という組織が次第に華僑に近づいていけるだろう。」と結んだのがかなり印象的でした。(筆者は、ブラジル市在住 企業経営)

赤嶺さん
早川です、一寸送れましたが、バテパッポ及びサンパウロ邦字新聞への紀行文の掲載等赤嶺さんの<健筆>にはほとほと感心させられます又<無錫旅情の重い余韻>は文学的に最高の表現で小生大変に気に入っています、一寸語弊があるかも知れませんが<海千山千>を経験した執筆における<老獪>と云うことでしょう。
さて、前置きはこのくらいにして中国の<民度>に就いて書いておられますが、小生は身内の二世、三世等に中国の経済、文化の発等についてしばしば説明と解説を要請、要求されることがありますが、特に経済の発展とそれに付随する生活文化の向上等については決して誉めてはいません。
中国の地図を頭で想像して頂くと、ロシアと国境沿い旧満州から出発して朝鮮の国境沿い、それに一寸内陸に入り北京、南東の青島そして上海からヴェトナム国境の方まで伸びています、現在経済の発展の恩恵に浴する地域はこの海沿いの地方であり奥地に入れば<経済の発展?それは一体何ですか?>と云うことになるでしょう、空には自国の衛星が翔まわり、地上では牛が田畑を耕す実態が混在している政治と国民の<乖離>は否定できません。
又論語を例に出して恐縮ですが<子の曰わく、民はこれに由(よら)らしむべし。これを知らしむべからず、子曰 可使由之、不可使知之>
上記は<人民には法律や為政者の方針に従わせればよいもので、その意義や理由など知らせる必要はない>と云うこの孔子の言葉が古くは徳川幕府の方針、現代では中国の共産主義政治方針のような気がしてなりません。
日本が全国隅々まで<豊かさ>が行き渡るのに約半世紀の日時を必要としました、
現在の中国は、大部分の国民はそれそうとうの糧をえて生活出来れば<満足では無いが満足>とするしかない、実情ではないのですか。
ブラジルを物指しに書いておられましたが、中国の<目の当たり>をご覧になった赤嶺さんのレポートからブラジルの方が豊穣性においては凌駕していると云えるのではないでしょうか?
                                   以上

南の和田さん 皆さん
  赤嶺です。
         <ウー チー ナン先生の予想の的中率>
 上海への文字通りの駆け足旅行の模様は、先に本欄で気付いた点だけ連載させていただきましたが、注目されていた中国の共産党大会を終えて、一つだけ気付いたことをここで追加させてください。それは、WUB(ワールドワイド ウチナーンチュ ビジネス アソシエーション)の年次総会で、流暢な日本語を使い基調演説を行ったウー チー ナン上海国際関係研究所学術委員会副主任(大学教授)の今後5年間の中国経済の動向に関する予想の的中率が非常に高かったことでした。帰ってきてから、NHKの衛星放送で同大会の結果をフォローしていたところ、1、地域の間と国民の間でかなりの格差が出てきて不満も高まってきている。2、これまでの驚異的な経済成長をいくらかスローダウン(減速)させてでも、環境問題に対処し、又、成長の恩恵にまだ浴していない階層に気配りをして行く。3、科学的経済発展観を目指す。等の各点が表現の多少の違いがあっても、この先生の基調演説の中で、一足先に指摘されていたということです。科学的発展観というのは、要するに、国の内外から見ても、より納得の行く無理のない経済成長モデルとだという風に理解されました。更に、習近平上海市党委員会書記(54歳)が今回の党首脳人事で、上から2,3番目の高い序列に抜擢されていて、1部では、5年後の有力な中央書記候補の一人にも目されている模様です。ウー チー ナン先生も、講演中や会場内でのその自信ある言動から推して、確実に習近平人脈の中に入っている重要な補佐役の一人のような気がしてなりませんでした。
 <Ps> 南の和田さん、大変お待たせして申し訳御座いませんでした。サンパウロ新聞への連載も、本日で終わりましたので、拙文<曲がり角に来た中国経済>(1) 無錫旅情の重い余韻(2) <地球の裏と表を問う>(3)を纏めて添付(写真も1枚)してお送りいたします。どうかよろしくご高配下さい。写真は、ブラジル出身の与那嶺真二WUB国際会長を囲んでブラジル代表団のメンバーです。

南の和田さん サンパウロの早川さん
  赤嶺です。
              <Muito Origado>
 前略 拙文の過分なる取り扱いに対しまして、改めて感謝申し上げます。和田さんの昨日付けの貴信によりますと、御誌へのアクセスが来年には80万回に達する由、日本移民100年を文字通り目前にしてのこのたゆまざる努力の結晶である快挙に心から祝意と敬意を表したいと存じます。しかも、その動機がボランティアであることに大きな意義と意味を見出しております。尚、小生が働いたところは、パウリスタ新聞社で御座いました。
 ついでの形になってご海容をいただきたいと存じますが、昨日のBate-Papoで、畏友の早川さんから拙文<無錫旅情の重い余韻>に大変ありがたい評価を賜りまして、心から感謝申し上げます。根が至って単純な者で、又、その道に精通した早川さんのことですので、そのエールを大変ありがたく頂戴して置くことに致します。Muito Obrigadoでした。




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