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神奈川新聞掲載の『ブラジル便り』67 日下野 吉武さんが書かれた近藤 四郎さん。
『私たちの40年!!』MLメンバーの堀 美知子さんから地元の神奈川新聞に『ブラジル便り』と言う不定期に掲載される記事があるとのことでその第67回目のグアタパラの近藤四郎さん(ブラジル稲門会メンバー)が紹介されているとの連絡を頂きました。書かれた記者の名前を見たら日本学生海外移住連盟OB会のメンバーの日下野 良武さんでした。何度かサンパウロでお会いしており同じ釜の飯を喰った仲間でもあり堀さんからは、わざわざスキャナーに掛けた記事を送って頂いたのですが、母県の熊本を訪問されておられた日下野さんにメールを出し原稿と写真を直接送って貰うようにお願いしていた所、今朝届きました。多くの皆さんが『私たちの40年!!』HPの原稿蒐集、寄稿への協力をして呉れており来年の日本移民100周年の年に1000件の寄稿を達成するとの目標が近づいているのを実感します。皆さんのご協力に感謝しております。


(ブラジル便り)神奈川新聞連載67
 「三十六年のブラジル生活。来てよかったです。無事に今日まで過ごせた。九三年には村会議員を一期やりました。二期目は落選でしたが…」と、にこやかに語るのはブラジル農業拓殖協同組合中央会(農拓協)会長の近藤四郎さん(62)。本職はニンニク生産。相模原市出身だ。郷里には実兄の近藤一郎さん(75)、次郎さん(74)、海老名市には姉の森田道子さん(69)が暮らす。
 近藤さんは五人きょうだいの末っ子で生まれは満州。父の仕事の関係で四歳の時に相模原市へ。地元の麻溝小、相陽中、県立希望ヶ丘高を経て早大第一法学部卒。「移住者の世話をする全国農業拓殖協同組合連合会の理事をしていた父がブラジルで働いていた。ブラジル在住四十二年、百歳で亡くなりましたが、私の移住は躊躇なく決まったんです」という。
 六八年、二十三歳でブラジルへ。横浜から『あるぜんちな丸』に乗った。独身だった。船を降りて一年半、パイナップルの研修でブラジル中を回る。七一年に日系農家百五家族がいる人口七千人のグァタパラに落ち着き、パイナップルやアボガドを生産販売する。サンパウロ市から北西へ三百キロの古い日本人移住地だ。百年前の第一回移民の一部が入植した歴史ある有名な植民地。一昨年、小泉首相(当時)がヘリコプターで訪問、さらに名前が知られるようになった。
 七三年に同じ相模原市出身の深沢佐代子さんと結婚。「女房の実家は『ひかり幼稚園』を経営しています。弟が園長です」。
 現在、グァタパラでニンニクを手掛ける。「一帯はエタノール生産ブームで五万ヘクタールがサトウキビ畑になってしまいました。私の畑は十ヘクタールですから点みたいなものです。(サトウキビ栽培用の)除草剤の影響でしょうか、昨年に比べて収穫が減っています」
 最近、使用人七人に仕事を任せ、週に一度サンパウロにある農拓協の事務所に通う。「以前は移住者の引受団体だったが、『日系農協のまとめ役をやっている組織』に変わりました。今、ネットワーク作りを強化中」という。取材中、引切り無しに電話が入る。
 九三年、グァタパラの村会議員に立候補。百二十票を獲得して見事当選。しかし、二期目を目指したが九十七票しか取れず落選の憂き目にあう。「ポルトガル語の勉強になりました。いい経験だった」と、晴れ晴れの表情だった。
 二十五年目に初めての帰国。以後、二回里帰りしている。「今年の二月、小・中学校の同窓生が歓迎会を開いてくれた。嬉しかったですねえ」と感慨深げ。目下の楽しみは「自宅に友人を招いて一杯やること」。子どもは男女二人ずつの四人。スマートな受け答えの近藤さんだった。(在ブラジルジャーナリスト・日下野良武){写真説明}相模原市出身の近藤四郎さん



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