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あるぜんちな丸第12次航同船者忘年会兼MLサンパウロOFF会開催。
あるぜんちな丸第12次航同船者忘年会兼『私たちの40年!!』ML第1回サンパウロOFF会を12月15日、16日の週末に陶芸の町CUNHAにあるHOTEL FAZENDA上村で実施しました。貸し切りバス一台で1日半36時間の共同生活、何だか45年以上前のあるぜんちな丸第12次航の仲間の船内生活の再現のような気がしました。食事が最高で大きな農場内の散歩道を皆で山菜を探して歩き廻り疲れたら流しそうめんがあり楽しい一時を過ごしました。
写真は、『私たちの40年!!』関連BLOGに15回に分けて貼り付けておりますが忘年会の様子をホームページにも収録して置く事にしました。各項の最後にBLOGのURLも着けておりますので写真及びコメントをご覧下さい。
サンパウロから220kmを歩いて現地参加した北田さん、私の眼鏡を半日以上着用してくれた小山さん、バスの中での歓談と普段と違う姿も垣間見る事が出来ました。PCが通じなかったことも余りストレスに成らない楽しい忘年会でした。機会を作り又集まりたいですね。
写真はどれを選ぼうか迷いましたが矢張り出来るだけ全員で撮ったものをと思い唯一徳力さんに皆が頼んで撮って貰った私が左端に写って入るのを使わせて貰いました。


昨日、土曜日早朝ニッケイ・パラセ・ホテルを発ちリベルダーデ公園の集合場所に歩いて出かけバスで1泊の旅行に参加しました。CUNHAの町のホテル・ファゼンダ・ウエムラは、標高1800メーターの山の上にあり有線電話は通じず36時間以上インタネットが繋がらず初めて皆さんの週末が落ち着いた週末に成ったのではないかと思います。
明日以後に忘年会の写真と説明をBLOGに貼り付けて行く積もりにしていますが、何回かに分けて送りたいと思います。BLOGの連続掲載記録が断絶しましたが又継続して行く積もりですので宜しくお願いします。
目覚ましを5時に掛けて置いたが午前4時半に恵子が起きだし一日が始まる。風呂に入りインタネットでメールをCHK一部返事を出す。6時に和食を主体とした朝食を取り荷物を纏めトランク2個をホテルに預けてCHK OUT、背中にリュックを担ぎ集合場所のリベルダーデ公園に向かう。地下鉄リベルダーデ駅前の広場では、ラジオ体操を楽しむ人達が体操をしていた。サンパウロでは、ラジオ体操の会とか歩く会があり皆さんで楽しんでおられ羨ましい。
写真は、ラジオ体操を楽しむ人達です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28460943.html

12月15日 6時40分集合、7時発とのことでラジオ体操をしている広場の反対側のアベニ−ダリベルダーデに大型のバスが止まっており既に一部の皆さんは、バスの中に座っておられた。幹事役の吉田栄一さん、吉田和子さん、小山徳さんが参加者名簿と到着者をテックしていた。7時過ぎにバスは出発し一路CUNHAを目指す。
睡眠不足の性か気分が悪くなりバス酔いの薬を貰って飲む。同船者ではないOFF会参加者の麻生悌三さん(東京農大卒)、徳力啓三さん(三重農大卒)松村茂樹さん(鹿児島農大卒)の皆さんとバスの中で色々話し合うのも嬉しい。
写真は、麻生さん、徳力さん、松村ご夫妻です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28462571.html

12月15日(土)サンパウロを7時過ぎに出発、途中FRANGO ASSADOで一度休憩しCUNHAの町に入りCUNHAの町を工芸の町として育て上げた功労者とも言える末永公子さんのアトリエに10時には到着しました。狭いアクセスを大型バスで入り込み最初に出会ったのが産業開発青年隊員の一人北田隆夫さんです。北田さんは12月4日にサンパウロを発ち何と219キロのCUNHAまでの道程をお遍路さん宜しく歩いて到着していました。糖尿病退治、体重調整、自分との戦いをキーワードに途中ピンダの町で1日休養?したそうですが9日間掛けて歩き通したそうです。一日平均25キロが限度で東海道中や四国のお遍路さんのように1日40キロはとてもではないが歩けるものではないとのことでした。特にブラジルで一番交通量の多いリオーサンパウロのヅットラー街道に沿って歩くのは安心感はあるが車に跳ねられる可能性もあり道路より出来るだけ離れた場所を歩くのには苦労したそうです。その苦労を証明するかのように足風呂で見せた貰った足には大きなタコが幾つも出来ておりました。腕の日焼けは不通で無く黒いと言うより斑になった皮膚が皮がむけて汚くなっていました。イタリア製のスキーの時に使うような杖を2本携帯しており疲れるとこれにぶら下がるようにして歩いたそうです。
農場内での散策の際に2本は必要ないだろうと一本彼から取上げて使用してみましたが、グラスファイバーで出来た3脚と同じように長さが調整できるもので急な坂等には役に立つものだと証明され年末のMACHU PICCHU行きには購入して行く積りにしていましたが、行けなくなり購入を果たせませんでした。
あるぜんちな丸の船内新聞の仲間で彼の健筆に助けられましたがその後のブラジルでの彼の生活は、40年の集い前後まで全く接点が無く一度ゆっくり話を聞いてみたいと思っています。
写真は、CUNHAで元気に我々を出迎えて呉れた北田君です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28686525.html

12月15日11時に陶器の町、CUNHAの先駆者である末永公子さんのSUENAGA&JARDINEIROのセラミカのアトリエを見学、記念品を購入、登り窯を見学し末永公子さんに色々説明頂きました。見事な作品群を並べたアトリエは、圧巻でした。今年の春先から陶芸を始めた恵子が非常に興味を示し色々質問をしたり、作品群を写真に納めていました。今回の忘年会の会場をCUNHAに設定して貰ったのもHOTEL FAZENDA UEMURAの存在も大きいのですが登り窯が見られると言うのが大きな目的の一つでした。又ゆっくりCUNHAの町を訪問してみたいと願っていますが、CUNHAの町には登り窯だけで5−6箇所あり全部で15程もアトリエがあり多くの陶芸家がCUNHAの町に居を構えて制作活動を続けているそうです。恵子がどこかに弟子入りしてCUNHA住み着くと言い出さないか心配していましたが、色々参考にしながら自分なりの作品作りを遣って行きたいとのことで安心しました。
写真は、登り窯の簡単な説明書、2008年2月2日の窯開きの案内書、末永公子さん、作品群の一部と見学風景です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28795141.html

12月15日12時半、略予定通りHOTEL FAZENDA UEMURAの入り口に到着。ホテルの看板が紫陽花の花に囲まれていました。700町歩に近い大きなFAZENDAを田舎風のホテルにして色々な特徴を盛り込み週末だけの団体を受け入れているとのことでした。オーナーの上村 孝徳さんは、元グアタパラ移住地に入植されたそうで奥様もグアタパラ出身とのことで和子さん、美香さん、美子さん等グアタパラ移住地組みは旧知の友とのことで再会を喜んでいました。家族全員に沢山の従業員を抱え美味しい食事を売り物にしたホテルで山の中とは言え大西洋の港町から近く新鮮な魚料理が楽しめました。
岩風呂と木の風呂があり散策に疲れた足を浸ける足風呂も用意されており足を湯に浸けてのビールは格別でした。風呂には滞在中に朝風呂も入れて3回お世話になりましたが、最初の風呂で眼鏡の盗難?にあい翌日まで苦労しました。(別項番外編参照)。
部屋は、今回は使用しませんでしたが和室も用意されており、風呂も家族風呂(個人風呂)もあり申し分は無かったのですが、唯一つインタネットの接続が電話線も農村電話で携帯電話と同じようなシステムでPCに繋ぐことが出来ず30時間近く不通で困りました。オーナーの上村さんの説明では、インタネットも繋がらない山の中が売りものだとのことでこれには恵子が大喜びでした。
写真は、上村さんのHOTEL FAZENDAのカタログと農場の入り口の看板、上村さん、奥さんと友達です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28761365.html

12月15日(土)3時からのFAZENDA内にある滝見物は、オーナーの上村さんの案内でホテルから下の方に向かい川の流れの音を聞きながら一段一段花崗岩の切石で道を付けた急な階段風の道を下り2箇所の滝を見る。これと云った特徴のない滝でしたが農場ホテル上村の700へクタール近い土地には大小150を越える滝があるそうです。紫陽花が満開で目を楽しませて呉れました。南にはない、がく紫陽花で赤と青と白の変わった紫陽花が印象的でした。
写真は、滝と紫陽花です。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28630827.html

12月16日(日)7時朝風呂(今回は岩風呂)朝風呂は大きな岩を四方にあしらえた岩風呂が男性軍に割り当てられ朝から風呂に入る。最初は少し温い目でしたがその内にどんどん温度が上がり茹で蛸になりそうでオーナーの上村さんにお願いして熱湯の供給をストップして水を足して貰いました。鉱泉でないので温泉とは呼ばれませんが蒸気機関車の頭部を改造したという薪き炊きのボイラーを上村さんが炊いていました。となりに三菱重工のブラジル製(CBC)の重油を炊くボイラーを据え付けていますが、燃料費がユーカリの薪に切り替えてから5分の1に下がったと喜んでいました。700ヘクタールもある農場内には薪になる木が沢山あるが自然の木は1本も伐採してはいけないそうで近くのユーカリを植林している所から良く乾いたユーカリの木を購入しているとのことでした。
写真は、岩風呂で小原庄助さんの歌が聞こえて来そうなご機嫌の皆さんの写真と朝からボイラーを炊いている上村さんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28609336.html

12月16日(日)9時過ぎから農場ホテル上村の広大な農場内の山を散策する。リオ州の世界遺産の一つ帝政時代のブラジルの黄金をヨーロッパに運ぶ港町として栄えたパラチーの町が一望出来るとの触れ込みで皆張り切って胸付き八丁の山を山菜を採集しながら昇ったが生憎霧が発生し全く何も見えず。霧がなければパラチーの町から遠く大西洋を走る外洋船まで望める「リンゴの花咲く岡」だそうですが駄目でした。今回で3回目だとの事で今度こそと張り切っていた和子さんは、今回も駄目でがっくりしていました。又の機会が有るかどうか?反対側の岡にも昇りましたがこれはミナス州に向いた岡ですが良く晴れていました。牛や羊、山羊が草を食べている高原を下り辿り着いたのがホテルの裏山に当たる小高い場所で何とそこには流しそうめんの設備があり冷たい湧き水を流し用意してくれていたそうめんを大量に流して呉れました。喉が乾いていた事もあり美味しい味のそうめんつゆを薄めて飲んだのがとても良かったです。昼飯は1時半からとの事で11時のそうめんは、お三時に近く皆が喉越しのそうめんを楽しみました。
写真は、競って流しそうめんをすくい楽しむ参加者の皆さんです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28651545.html

ホテル・ファゼンダ・ウエムラのセールスポイントの一つが美味しい食事で皆さんが喜ぶものを集積させており、特に奥さんのリードと息子さんの料理人としての腕は確かであり材料の吟味から準備、味付け、盛りつけ、飾り着けは申し分ない。到着時の昼食、翌日の朝食と流しそうめんと最後のお別れパーテイー式の昼食と都合4度お世話になったが何れも特徴を出しての食事には大いに満足した。山菜の蕨、若竹、キクラゲの煮物、大きな大木を丸切りしたお皿?に豪華に盛りつけた刺身、寿司の盛り付けには驚いた。烏賊の刺身も鮮度が良く口の中で新鮮な甘みを感じる事が出来た。柱にぶら下げたバナナが食べ頃でつい千切って食べてしまう。直ぐに減ってしまったので食したのは私だけではなさそうです。茹で立ての玉蜀黍。取り立ての新鮮な野菜。山菜を混ぜた野菜炒め。美味しかったのが餅入りのぜんざい。メタボを心配しながらも結構甘い小豆のしっかりした噛み応えのあるぜんざいをたいらげる。果物も沢山あったが山苺が格別。取り立ての虹鱒の焼き魚に付いていた花が美味しい。赤い花に大根の花か白い花がぴりりとして美味。数日居たら確実に血糖値がオーバーしメタボ兆候群で絶食しなければなるのではないかと思う。2回に分けてその一部を紹介しよう。
食事の準備終了合図は、素焼きの電気の笠に電気が点いてから『よーいドン』となりますが、その前にビールを飲みながら摘んだマンジューバと言う小魚が美味しかった事を付け加えて置きます。上村さんが作って呉れたカイピリニアも最高でした。車を運転する必要もなく2杯を平らげました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28820665.html

食事の(その2)です
私が食べる為に用意したお皿(出来るだけ控えめ)それでも2度目があったり、デザートにお汁粉(ぜんざい)を頂いたりしましたが、運転手さんのお皿をご注目!! ゆうに1キロ半はありそうなお皿を見てびっくり。ご飯に豆をベースに肉の塊がどっさり。これには体力的に負けてしまいます。虹鱒も美味しかったがあの頭がどうも気になります。一番おいしかったのは、山桃です。これは最高でした。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28824874.html

ホテルFAZENDA上村の食事が豪華絢爛であることは紹介しましたが松村さんご夫妻が入られた和室を見せて貰う積もりでしたが忘れてしまいましたが畳に布団、快適だったそうです。夜の食事の後、エンタテイナーの吉田さんの司会でカラオケ大会が始まり各テーブル毎に最低一人は唱うとのことで吉田さん、中野さん、徳力さん、牧さん、女性軍では和子さん等が得意の歌を披露し盛り上がりました。私はバックミージックに合わせて唱う等の歌い方下手で何時も応援歌を聞かされるようで嫌だ家族の者の顰蹙をかっていますが、何か唱わざるを得ない状況となり音楽なしで『大砲としゃれこうべ』の歌をがなり立てました。私が作った4番も含め下記して置きます。
1 大砲の上に しゃれこうべが
  うつろな目を ひらいていた
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  鐘の音も 聞かずに死んだ
2 雨にうたれ 風にさらされて
  空のはてを にらんでいた
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  おふくろにも 会わずに死んだ
3 春が来ても 夏が過ぎても
  誰も花を たむけてくれぬ
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  人の愛も 知らずに死んだ
4 ブラジルに来て 早四十年過ぎ
  夢かなわず 故郷を思う
  しゃれこうべが ラララいうことにゃ
  祖国の土も 踏まずに死んだ
故郷を思いながら異境の地で死んでいった多くの同船者、ブラジルの土に返る私自身の思いを込めて鎮魂の歌を唱わせて貰いました。(写真は有りません)
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28849939.html

長々と14回に分けて100数十枚の写真をご披露しましたが、最後にこの1枚と言った写真と全員集合的な写真を選んで最終回として貼り着けて置きましょう。
前に出たがり屋の私の写真がないので不思議がっておられる方も多いと思いますので一枚だけ撮って貰ったのがありますので貼り付けて置きましょう。いつもの通り幹事役をしてくれた小山さんと和子さんの写真に特別にお願いして参加頂いた恵子の書道の師匠石川先生の写真も貼り着けて置きます。
牛の糞を踏みつけないように注意しながら歩いた牧草地の散策風景も残して置きたいですね。
このBLOGに掲載した文章は『私たちの40年!!』HPの寄稿集にも纏めて収録して置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28850137.html

同船者の城島さゆりさんが45年前の寄港地サルバドールで撮った船内の懐かしいお友達の写真を見せて呉れながら熊本県出身の城島家のその後を掻い摘んで話して呉れました。お預かりした写真は、スキャナに掛けてご披露したいと思います。最近パラグアイの園田八郎さんを通じて分からなかった写真のお友達の居場所が分かったそうで高橋頼子さん当時15歳です。頼子さんは、はパラグアイのピラポ移住地に入りその後アルゼンチンに転住、ご両親は亡くなってしまったが頼子さんは、元気にラプラタ市のウルキーザ移住地で蔬菜農をしておられるとの事です。来年1月に城島さん、吉田和子さんと一緒に訪問する予定とのことです。
城島さんは、ご両親と兄一人を亡くされたとのことですが、現在ピラールドスールというサンパウロ郊外の果樹の町で葡萄、柿、最近では凸ポン(でこぼこしたポンカン)栽培に成功しており「金星」のブランドでサンパウロ市場に出しておられる。城島さんが凸ポンを持って来て呉れており夕食時に皆で試食しました。糖度が13度、サンミが1度以下でないと「金星」のレッテルを貼らないとのことでした。凸ポンは、頭の凸部分を捻ると直ぐに取れるので皮が剥きやすく大きな房に甘い味がします。夏みかんを甘くした感じですが、夏みかんの改良ではなくみかんとオレンジの交配によるタンジェリーナ系の果物だそうです。
写真は城島さんご夫妻と凸ポンです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28519739.html

城島さんのコメントです。
和田様今回の忘年会に参加させていただき有難うございました いろいろお世話になりました それぞれの係りを受け持ってくれた皆様にも有難うございました。このようなグループ 集まって行けるのも和田様のおかげと感謝いたします。 楽しい又 昔の学生に戻っての旅行みたいに はしゃいだり しての 山登り(若い人にはちょっと物足りないかな)も一人の落伍者も無く 山の空気を満喫しながら あじさいの満開の谷川 思い思いのばか話などをしながら 愉快な2日間でした 早速のメールに金星の写真も載せていただき有難うございます 来年の7月には時期の金星が出荷になります  良い宣伝をしていただきました。  では又お会いできる日まで  城島将男  

今回のあるぜんちな丸第12次航の忘年会兼『私たちの40年!!』MLのサンパウロOFF会には、最終的には34名の方が参加しておられました。パウリスタ新聞(現ニッケイ新聞)の記者をしておられた中野さんが男性軍では一番の年長者でした。5年前に来た時は散策コースを総てクリアー出来て歩けたのに今回は最初の日の滝見学コースが精一杯で皆から大きく遅れ徳力さんにフォロウして貰った事から翌日の山歩きは断念し麻生さん等と共に「風林火山」の最終回、勘助の最後を看取っておられました。中野さんは、カンポス・ジョルドンと同じように山岳地帯の気候を良く知っておられ何と冬に良くお世話になるおじんパッチ(木綿の下穿き)を用意してきておられ風呂上りに使用していたのにはその用意周到振りに感心する。
一方女性軍の最年長者は、吉田カツエさんで1918年8月25日生まれですので来年で満90歳になられます。とてもお元気で散策にも参加され流しそうめんには、事の外お気に入りだったようです。今回ABETURの旅行社にお世話になりましたが吉田栄一さん実質的に総てアレンジして呉れました。毎月数度バス旅行等日帰り旅行を含めた小旅行を企画実施しておられコンダクター、エンタテイナーとして人気を博していますが、栄一さんがどんなイ遅くなっても起きて待っておられるとのことで「栄一は雨の日も風の日も一日も休まずサンパウロまで通勤しており帰って来るまで起きて待っている」と直ぐ近くに住んでいる栄一さんを気遣う優しいお母さんです。ご主人の一市さんは亡くなられていますが、クリスマスを一緒に過ごされるとのことでベロオリゾンテに住んでおられる雅子さんがご主人の青木さんと一緒に参加しておられました。40年祭以来の再会を喜び合いました。
写真は、90歳を迎える吉田カツエさん、吉田栄一さん、青木夫妻です。男性最年長者の中野さんも紹介して置きましょう。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28729217.html

(番外編=眼鏡騒動)二日目の日曜日、朝食を終え9時10分朝の散策開始。昨夜の風呂以後、眼鏡が見付からず少し目がかすむような違和感があり皆さんにも「私の眼鏡を何処かで見付けませんでしたか」と公開質問作戦を打ち出しお願いして見ましたが風呂の簀の子の間に落ちているかも知れないからとか風呂の底に沈んでいるかも知れないとかの意見が出てその都度何度も風呂場を覗きに行くが見付からず、朝の散歩にも眼鏡なしで出発した。
第1休憩所の虹鱒を養殖している釣り場の綺麗な池の側で休んでいたら一足遅れて追いかけて来た幹事の一人徳さん(小山 徳さん)が「眼鏡が見付かった」とのことで皆がすわと注目する中、徳さんが私の眼鏡を返して呉れました。皆が一斉に何処に有ったかとの質問をしましたが、徳さんは少しどもり気味に実は風呂に入った時、部屋に置いて来た筈の眼鏡が近くの着物入れの箱に有ったので不思議だとは思いながらそれを掛けて出たとのことでした。何と私の眼鏡と彼の眼鏡は同じフレクシブルのフレームに近眼度がほぼ同じで老眼が混ざりレンズの上下がビフォーカルに成っている物で彼は、違和感を覚えず自分の眼鏡だと信じ込みそのまま一晩掛けていたそうです。夕食時とその後のカラオケの時間にも皆が私の眼鏡を探して呉れているのに彼は気が付かなかったそうです。翌朝散策に出るとき眼鏡を掛けているのにもう一つ自分の眼鏡が有ることに気が付き不思議に思ったそうです。彼の木訥な説明を聴いて皆が転げ廻って笑いこげました。私の眼鏡は見付からない筈です。完全犯罪の眼鏡泥棒が澄まして着用していたのですから。
写真は、経緯を説明する徳さんと眼鏡を取り替えて撮ったものとそれぞれの眼鏡を着用して撮ったものです。本当にそっくりで驚きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/28552517.html

光田さんからのコメントです。
私の場合は、靴泥棒に遭いました?
ン十年も前の話ですが、中学の同窓会に参加して帰る段になって、玄関で靴を履こうとしましたが、私の靴が見当たりません。
一瞬、盗まれたかも?と頭をよぎりましたが、マテヨ!参加者の誰かが酔っ払って、間違って履いて帰ったかもしれぬと思いなおし、みんなが退出するまで待機していたところ、案の定、靴が一足だけ残りました。残った靴があるということは、私の靴を履いて帰った奴がいるに違いないと確信し、その日は、残っている靴を履いて帰り、翌日この靴の所有者を探し出し、いめでたし!めでたし!



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