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船内ニュース さくら 40年後の号外(特別号)発行。
『私たちの40年!!』 船内ニュース さくら の40年後の号外、特別号として同船者の連絡先が判明している皆さんに郵送する事になりました。これは、インターネットにアクセス出来ない同船者もいるとの配慮から40年前の船内ニュース さくら1962年5月7日発行の第31号の1ページ目のコピーと共に送る事にしました。HPでその内容を見て頂ける方も多いと思いますが、一応連絡先が分かっている同船者には、全て送る積りです。
写真は、5月12日の同船者会に参加された下原マツコさん94歳(1908年4月1日生まれ)と吉田カツエさん84歳(1918年8月25日生まれ)のお二人によるケーキカットの際に撮ったツウショットです。お二人で178歳。我々もまだ先が期待できると嬉しく成った瞬間です。下原さん、吉田さんこれからもお健やかにお過ごし下さい。


船内ニュース さくら 2002年5月12日(日)発行

 
40年後の“あるぜんちな丸第12次航”船内ニュース さくらの特別号外を発行します。

40年前のあるぜんちな丸での船内新聞を覚えておられますか?多分覚えていないでしょうね。編集責任者だった私に取っても幻の船内新聞でした。それが何と十数部殆ど完全な形で残っていたのです。同船者のリオのフンシャル移住地に入植、40年間住み着かれた岩本 洲さんのお宅に保存されていました。【幻の船内新聞見つかる】参照。当時の船内新聞の内容が幾つもホームページに紹介されております。当時小学生だった船内学校の生徒さんの作文もあります。一部だけコピー添付して置きますので当時を偲んでください。サルバドールに到着した日のものです。

船内新聞班の北田さん、吉田さん、龍川さん等がサンパウロに住んでおられ高野書店の高野さん、園田さん、杉島さん、小山さん、東さん(何れも当時の呼び名)等に私がポルトアレグレよりサンパウロに出る度に集まって貰いほぼ1年掛けて準備を進めてきました。『私たちの40年!!』と言う題で船内新聞の40年後の特別号外を発行し着伯40年にして初めての同船者会をサンパウロで開こうと頑張って来ました。折角の40年後の船内新聞をできれば戦後移住者の語る戦後移住史の一部として書き残して置きたいとの意向から書物としての印刷、出版も視野に入れての計画でサンパウロ人文科学研究所の森 幸一博士にもそのブレインとして指導を受ける事になり、更に縁があってコロニアで著名な記録映像作家の岡村 淳さんにも加わって頂き『四十年目のビデオレター』として映像を通じての記録が可能となり、その『アマゾン編』が既に完成しております。この映像記録は、同船者の一人園田さんの金銭的支援も得て可能となりました。

当初の計画『私たちの40年!!』を書物として残す計画は、時間的な制約(資料、アンケート、原稿、写真等が充分集まらない)と資金的な制約もあり最終的には一番現時代に適応したインターネットを使用してのホーム・ページと言う形で集まった資料、写真、原稿等を皆で共有し広く公開し内容を充実させていけば、いずれ何らかの歴史的な意義も備わり近い将来印刷、出版も可能となるし我々、六百八十一名のそれぞれの生き様を後世に書き残して置きたいとの切なる願望が可能となると判断しこの文明の利器を利用する事にしました。ポルトアレグレに本社をおく小島健彦社長のABRAON社の協力を得てホームページを開設する事ができました。www.nikkeybrasil.com.br/40anos がそうです。

5月12日の同船者の四十周年の集いには船内新聞の号外をこのホームページアドレスを印刷した車に付けるゴミ袋として用意して行きこれを配ることで私の仕事は終わりと思っていたのですが、四十年祭実行委員の一人高野さんから参加出来なかった同船者、コンピューターを持っていない同船者、息子さん達が持っていても日本語対応でなくアクセスできない同船者、インターネットとは全く関係のない同船者等もいることから当初の計画通り遅れても良いので『私たちの40年!!』の船内新聞号外は、書き物として連絡先の分かっている方達には郵送すべきであるとの強い意見が出され、2週間の時期外れの休暇から戻りこれを書いている次第です。

同船者の集いに付いてはニッケイ新聞、サンパウロ新聞とも大きく取り上げて呉れておりその内容もホームページに掲載されているので詳細は、そちらに譲りますが当日参加の同船者の最高齢者は、女性では下原マツコさん(1908年4月1日生まれ)満94歳、男性では龍川徹鎧さん(1914年4月27日生まれ)満88歳のお二人でした。今後も同船者の動向だけは掴んで行きたいと思いますので是非皆さんのご協力、ご連絡をお待ちしております。E-mail、FAX、電話、お手紙手段は何でも結構ですが同船者の動向特にご家族のご様子をお知らせ頂きたいと思います。最初の入植地から転住、転国、帰国された方も多くその人達のその後の消息等が掴めておりません。又入植地ではアルゼンチンのガルアッペス移住地に入られた皆さんの消息が掴めておらず学生当時訪問した移住地でもあり一度機会を見つけて直接訪問して見たいと思っております。

『私たちの40年!!』HPの内容の一部だけでも下記に羅列して置きます。PCが無くてアクセス出来ないが是非読んで見たいとの御希望がありましたらお知らせ下さい。郵便又はFAXでお送りします。
又皆さんにも是非、これまでの四十年間の生き様、ご家族の事、近況等をお知らせ下さい。連絡先の分かった同船者の所にはこれからも是非訪ねて行き船内新聞当時の若い気持で取材させて頂きたいと思いますので宜しく御願いします。
*『私たちの40年!!』発刊にあたって。
*渡伯40年後につくる“船内新聞”
*『おじちゃん達の60年!!』の資料作り開始。
*あるぜんちな丸第十二次航同船者名簿からみえるもの。
*小雨ベレンで下船された同船者を訪ねての旅。
*『同船者の皆さんへ 40年目のビデオレター』
*幻の船内新聞10数部ほぼ完全な形で見つかる。
*海を渡った高校球児たち
*ブラジルの追憶 あるぜんちな丸の二等機関士として当時を振り返って。
*船、あるぜんちな丸第12次航から40年を経過して。
*今東光和尚の【南米漫遊記】
*戦後移住を後世の記録に あるぜんちな丸船内新聞号外を計画。
*あるぜんちな丸第12次航乗船者名簿。
*あるぜんちな丸第12次航物故者名簿(5月日判明分)
*100人も集まった温かな同航会 あるぜんちな丸第12次航海から40年振りの再会を
*歳月を飛び越えて 40年目の集い あるぜんちな丸同船者

2週間のチリ4300kmの車による休暇旅行から帰国した翌日コルプス・クリスチの祝日にタイプアップ。
船内ニュースさくら編集責任者 和田 好司 
  



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