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『さくら丸 私達の40年』 40年目の同船者会計画開始!!
松村滋樹さん光江さん御夫妻から1966年9月サントス着のさくら丸120名以上の移住者を乗せて来たさくら丸の40年目の同船者会を計画 『さくら丸 私達の40年』を計画したいとの抱負を知らせて来て呉れました。松村さんは1942年生まれの現在60歳、鹿児島大学農学部卒、来伯後帰化しておられ忍、真紀、誠、綾の2男、2女の4人のお子さんを全て大学まで行かせ必死に子育てをして来られた25年以上の友人で盛和塾の熱心な塾生として大きな夢の追求とお子さんたちに自分の夢を引き継いで貰う努力をしておられ、『私たちの40年!!』に触発され『さくら丸 私達の40年』を計画されるとの事、私達の経験が何らかの役に立つ様であれば喜んでお手伝いしたいと思います。写真は、5月12日にサンパウロで再会した際に撮らせていただいた松村ご夫妻です。



皆様こんにちは松村滋樹(しげき)と光江(みつえ)です。
ホ-ムペ-ジに自分を乗せるなんて 夢!でしたが「私達の40年」あるぜんちな丸第12次航の
編集委員会の皆様の御好意でこんなにも早くそして簡単に実現しました。皆様に感謝しながら
私の家族と1966年9月渡伯のさくら丸の同船者の紹介を簡単にさせていただきます。

家族の紹介
名前 出身地 生年月日
滋樹マキシミリアノ 鹿児島県日吉町 16.07.1942 鹿児島大学農学部卒業後渡伯 帰化
光江エレナ サンパウロ市 27.05.1948 オズワルドクル-ス大卒 教師
忍(しのぶ)マルコ 同上   07.11.1974 国立数学院(IMPA) 博士課程2年生
真紀(まき)アンドレイア 同上 26.01.1978 UNESPアララクアラ校卒 歯科医
誠(まこと)ロドリゴ ポルトアレグレ市 23.04.1979 MACKENZIE大 工業デザイン科3年生
綾(あや) 同上 14.11.1980 MACKENZIE大 都市計画&建築科2年生

1966年9月イビウナの農家に配耕された私は後サンパウロ市に出て竹中商会で肥料農薬販売に
従事。丸紅ブラジルでは繊維機械輸入販売。その後ポルトアレグレに移り養鶏場、プラスチック
工場、富士フイルム写真現像所などで働きました。1985年サンパウロに戻り味の素で飼料アミノ酸の
輸出及び輸入販売、ロジスチックに従事。さらにサンパウロ総領事館にて在外選挙登録、H.STERN社
でブラジルの宝石販売の経験をしました。
ブラジル観光公社発行の観光ガイド資格を得て現在インベスツ-ル社で旅行業務に携わっております。

大農園主になる‘夢‘を持ち続けながらの長いサラリ-マン生活でした。日本にいる兄弟達は未だに
「成功者」になれない私にちょっと冷たいのですが人生まだ20年はあり‘夢‘は捨てていません。
又、決して豊かな生活ではありませんが良き妻平和な家庭があり向上心をもって勉強に励んでくれる
子供達がいます。勉強以外にスポ-ツや音楽にも興味を持ち豊かな心を持っていて良い友達がいて
私達夫婦には何の不足もありません。後は良い伴侶に恵まれ家庭を築いて早く独立してもらいたいの
です。(孫もほしい!) 二階には妻の両親も住んでおりおじいちゃん、おばあちゃんとの対話もあります。

また光江と誠は日本でそれぞれ日語教師とアニメの研修を受ける事が出来ました。日本の素晴らしさを
肌で感じそして日本のおばあちゃん、おじさん、おばさん、いとこ達にも会えて嬉しかったそうです。
忍も真紀も綾もどんどん外国に出て新しい世界を知って欲しいものです。
妻の光江や私はこんな幸せを神様にいただいている以上これからは心をもっと磨き人のため世の為に
尽くしたいと願っております。(特に私達の地球号が水や緑がいつまでも豊かであるように守りたい。)

さくら丸同船者会
1966年9月サントス着のさくら丸には120名以上の移住者がいました。そのうちコチヤ青年を中心にした
20数名は5年置きに同船者会をもって来ました。でも他の家族移住者、単身移住者の集まりがある
のか分かっていません。何人かの同船者には声をかけた事もありますが。

今回和田様達の‘あるぜんちな丸第12航-私達の40年‘の大成功をみて「さくら丸-私達の40年」を
ぜひやって見たくなりました。私は船の中である家族移住の方の神戸港出航や御家族との写真を
現像中ダメにしてしまった苦い経験もありこの方にもぜひお会いしてお詫びしたいのです。

今年1月カンポスドジョルドンさくらホ-ムで渡伯35周年記念を開きました。出稼ぎに行った仲間も
随分いて今回10家族17名が集まりました。小人数でしたが遠くサンタカタリ-ナ州、ミナス、リオ
からも出てきてもらい35年振りに肩を抱き合ったり初めての奥様方に挨拶したり感激の場面も
ありました。ペドラデバゥの岩山に登り汽車の旅を楽しみそして夜は尽きぬ話に夜は更けました。
マッサ-ジの仲間に農作業の腰の痛みをとってもらう人もあり和気アイアイの一時。山の上のせいか
朝のコ-ヒ-が美味しくてあんなに食べた事は初めてです。岸ホ-ム長林さん達にお世話になり皆んな
の良き ‘おもいで‘になりました。
集まってくれた仲間は
サンタカタリ-ナ 柳幹城 ちよ子夫妻、リオ 松村淳一 ひろ子夫妻、ミナス 佐藤公三 マリア夫妻、
マリリヤ 小斉平吾郎 百合子夫妻、アチバイャ 三木路生 八重子夫妻 中島かつじ、サンパウロ
山本常博 ひろ子夫妻、広瀬哲洋 明美夫妻、松村滋樹 招待者 松田潤二郎 (JICA)
の皆さんです。
さくら丸の乗船者名簿を見るとPLの人、工業移住者、花嫁移住者、家族移住者、銀行や新聞社に
勤める人、ベレン港で降りた人など懐かしい人、会いたい人がいます。
一人一人探し合えばきっと皆んな集まってくれ大きな40周年が出来そうです。

このホ-ムペ-ジをお借りし今から皆さんに呼びかけたいと思います。
和田様始め12航あるぜんちな丸の皆様ありがとうございます。

好きな言葉です。
「凡事徹底」          鍵山秀三郎先生 ブラジルを美しくする会会員です。
「強烈な願望を心に抱く」  稲盛和夫先生  サンパウロ盛和塾塾生です。
「念ずれば花ひらく」  相田みつお先生 高貴な詩の愛読者です。

ジアデマ市 2002年5月29日 松村滋樹 光江  感謝!



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