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日々折々  「日伯交流年」開幕  吉田 俊英さんのBLOGより。
仙台市にある同林寺の住職の吉田 俊英さん(早稲田大学法学部卒)のBLOGに掲題の『日伯交流年』開幕と言う書き込みを見付けました。吉田さんは宮城県の海外移住家族会(留守家族会)のお世話もしておられ以前に映像作家岡村 淳さんの作品『アマゾンの読経』の鑑賞会を同林寺で開催したこともあり下記URLに紹介しております。
http://40anos.nikkeybrasil.com.br/jp/biografia.php?cod=950
2008年の『日伯交流年』を分かり安く解説されており是非皆さんにも読んで頂きたいと思い転載をお願いした所、下記写真と共にご同意を得ましたので収録して置きます。
送って頂いた写真は、海外移住物故者諸精霊供養の位牌開眼の時の写真で2006年8月26日撮影したもので左から吉田俊英、鎌田前会長、吉田ふく子、佐藤多恵子との説明が付けられていました。


  「日伯交流年」と言っても、何の事かわからない人も多いかもしれない。私も、昨日の新聞とニュースで初めて知りました。まず「日伯」という言葉自体、ピンと来ない方も多いかもしれない。日伯の日はもちろん日本のことです。伯とはブラジルのことです。漢字では伯剌西爾と書きます。


日伯交流年とは、「世界最大の日系社会を有するまでになった日本人のブラジル移住の100 周年を祝うことはもちろんですが、これに留まらず、より幅広い両国国民の間で交流事業を行 なうことで、未来に向かって日伯両国の結びつきを強めることを目指して」この1年間活動交流を行うことです。(外務省ホームページより)
www.mofa.go.jp/mofaj/area/brazil/jb2008/index.html">http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/brazil/jb2008/index.html



その開幕セレモニーが2008年1月17日、ブラジルの首都ブラジリアで開催されたそうです。


2008年1月18日付け  ニッケイ新聞
国レベルで交流年開始祝う=ブラジリア百周年=ルーラ大統領も出席=日伯関係者約300人が参集
 【ブラジリア発】ルーラ大統領立ち会いのもと、日伯交流年の開幕セレモニーが十七日午前十時から首都ブラジリアのパラシオ・イタマラチー(外務省)で行われた。日本政府を代表して木村仁外務副大臣、聖市からも日系団体代表ら百二十人が特別に用意された空軍機で出席、各州からも日系団体関係者が駆けつけ、記念すべき節目の年の始まりを盛大に祝った。
www.nikkeyshimbun.com.br/080118-71colonia.html">http://www.nikkeyshimbun.com.br/080118-71colonia.html


ちなみにニッケイ新聞とは、日本経済新聞のことではありません。主にブラジル在住の日系人が購読者となっている日本語で書かれた日刊紙のことです。聖市とはブラジルの大都市サンパウロ市のことです。聖パウロの名前を地名としており、ブラジル日系社会ではサンパウロ市を聖市と略称しています。

  「日伯交流年」開幕は、日本のテレビのニュースでも取り上げられ、新聞でも報道された。しかし、その扱いは小さかった。

以前、別の記事の中で触れましたが、私は宮城県海外移住家族会という南米移住者の留守家族の会の会員になっており、会の会計を担当しております。主にブラジル移民の留守家族を中心として発足された会ですので、当会としてもブラジル移住百周年の記念行事を計画しています。しかし、そういう立場にいる人間でも、外務省が「日伯交流年」の企画をしていたことは知りませんでした。ブラジル移住百周年に当って何か記念行事等を行うだろうとは思っていましたが、交流年と言う名称がついていたことは知りませんでした。立場上海外日系人協会や国際協力機構のホームページを見る機会は割りと多いのですが、昨年中は「日伯交流年」の記事やお知らせは全く載っていなかったと思います。
今年になって、JICAの海外移住資料館のホームページに「特別展示「日伯交流年 ブラジル日本移民100周年記念写真展 ― 新世界に渡った日本人 ―」を開催します[08.1.15]」という記事が載っていましたが。

  移民事業は過去のことであるが、日系移民は北米南米を中心に多く地域に多くの方々が居られます。そして、現在でも日本に戸籍が残っている方々も多く居られます。また、日系移民もしくはその親族の方々数十万人が日本へ「デカセギ」に来ている。交流年というお祭りでは片付けられない多くの課題が山積となっています。
   私の少しばかりの知識と経験では、それらの課題に対して何ら寄与することはできないだろう。せめて、移住百周年という機会を通して移民の歴史と現状を学び、学び得たものを伝えていくよう努めたいと思っております。

和田好司 様

                             仙台市 吉田俊英

 あのような内容の文面で、「私たちの40年」に掲載していただくのは、お恥ずかしい限りです。ましてや私の場合、宮城県海外移住家族会の会員としては新参者ですし、会計といっても一昨年から担当するようになったばかりです。一応、会の運営の一端を担わせては頂いておりますが、会の責任者ではありません。正直、ご辞退させて頂いた方がよろしいのではないかと考えました。
 
 しかし、「でも待てよ。」と考え直しました。コメント欄にも書きましたように宮城県海外移住家族会では、本年9月6日にブラジルイ移住百周年を記念した慰霊祭と記念イベントを計画しております。といっても会員が減少し十分な広報宣伝も出来ない状況ですので、計画の細部まで決まりましたら「私たちの40年」に投稿し紹介していただこうと思っておりました。その前振り的な意味で掲載していただけると考えれば誠にありがたいことである、と思いました。

    写真をお送りさせていただきます。
    写真は、2006年8月26日撮影の写真です。
海外移住物故者諸精霊供養の位牌開眼の時の写真です。

 宮城県海外移住家族会前会長鎌田源一郎が海外移住物故者慰霊のため発願して位牌を注文し、洞林寺でこの位牌を祀ることにしました。
 宮城県海外移住者物故者慰霊碑は宮城県大崎市鳴子にあります。以前、私のブログに記事を書いておりますが、毎年宮城県国際交流協会と宮城県海外移住家族会が鳴子で慰霊祭を開催しております。鳴子は全国の温泉地の中でも屈指の源泉数と泉質を有するところですが、仙台から車で2時間近くかかる場所にあり、交通の面ではやや不便な場所にあります。鎌田氏としては、宮城を訪れた移民関係者が気軽に海外移住物故者の冥福を祈ることが出来る場があることが望ましいと考え、海外移住家族会として慰霊のための位牌を用意することを提言しました。総論的な部分では賛意を得ましたが、従来からある鳴子の慰霊碑とそこでの慰霊祭をないがしろになるようになっては困ると言う意見も出て、移住家族会として位牌を用意するということには至りませんでした。
 それで、鎌田氏個人が位牌の購入費用を負担し、鎌田氏が施主となって位牌の開眼供養を行いました。その開眼供養は鎌田氏が施主となって行われました。
写真左から、私吉田俊英、鎌田前会長、吉田ふく子、佐藤多恵子。





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