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時期外れのチリ4361kmの休暇旅行【その1】
昨年の連邦大学の108日に渡る長期ストの為、連邦大学の授業が変則となり5月15日に昨年の12月に終っているべき2001年度の下期の授業が終った。16日から29日迄、2週間の時期外れの休暇を取りチリ南部への旅を実施する。今回はサンチャゴの飛行場で車を借り全行程車で回る計画を立てる。14間の走行距離がチリの南北の距離に匹敵する4361km(一日平均311km、最高850km、最低27km)の旅を楽しむ。
今回は、NOTE BOOKのPCを担いでいったので最低必要な仕事はFLWする積りであったが持参PCに直接接続出来たのは最終日のサンチアゴSHERATONのみで後は、ホテルのBUSSセンター、町のインターネットセンター等でhotmailにポルトアレグレから転送して貰ったメールにローマ字かポルトガル語で繋ぎの返事を書く程度になってしまった。しかしながらこのPCを担いで行ったお陰で毎晩簡単なメモ程度ではあるが毎日、その日の内に感想を叩く事が出来たのは始めての経験である。旅行記を書き残す習慣もないし今回の様に毎日日誌風に書いた事も無いので読んで貰う目的より私達二人だけの休暇を500枚近く撮った写真の説明に役立てばとの主旨で書き留めたものである。チリ旅行に付いての感想等を聞いてくれる人達もありこれをそのままHPに掲載し時間のある人に読んで貰えればと願う次第です。写真は、ブラジルでも何度か雪に出会っているとは言え本格的な雪は始めてのチリ2002年度の初雪を楽しむけい子。



チリ旅行日誌
5月16日(木)
7:00 ポルトアレグレ発
10:45 サンパウロ発
13:35 サンチャゴ着 3時間50分の旅 サンチャゴ到着前に高度を落とし雲の下迄降りた時点からアンデス山脈の雪を頂く山々が姿を現す。万年雪なのか既に今年になって降ったものなのか知りたいと思う。アンデス山脈を越えた頃から更に高度を落とし2000m頃から地上の生活が垣間見れる。黄色く色づいた畑が散在していたがこれは葡萄畑の葡萄の葉が紅葉したものである事が車を運転しはじめてから判る。飛行場はサンチャゴの町から離れているので南米第4の大都市の町の概要は感じられないままランヂング。入国手続きは、至って簡単。レンタカーのAVISの窓口に立ち寄るとYOSHIJI WADAの名札が貼っており、予約しておいた車の確認が取れた。事務員が飛行場の外にあるAVISの詰め所まで同行してくれ税関も荷物を自動透視機械を通すだけでOK直ぐに車を借りる手続きをする。
フランス製のプジョウの車は最新型で14918キロの走行記録から開始する事になった。1日54ドルとの事で先ずけい子が運転を担当する。飛行場からサンチャゴの町に入らずバイパスでRUTA 5 SURを目指し一路南に向かう。AVISの親切なおじさんが簡単な地図を書き説明してくれたのでさほどまごつく事もなくRUTA 5 SURを見つけた。途中の町RANCAGUA、SAN FERNADO、CURICO等を通過して今晩の宿泊予定のTALCAに向かう。
14:30 サンチャゴ飛行場をプジョウの車で出発。けい子が運転。
途中で運転を代わり踏み込むと直ぐ130km前後までスピードが上がり普段ブラジルで乗っている1000ccの大衆車より快適。運転しだして直ぐに道路警察にスピード違反で捕まる。簡単な書類チエックを受け外国からの旅行者でレンターカと判明したからか注意喚起とスピードを落とすように指導を受け無罪放免。その後は、制限時速100km/時+10%即110km
以下にスピードを調整する。パンアメリカンハイウエイーは、殆ど直線で南に伸びており、両側には葡萄畑と果樹園が広がりトラックが多いがそれ程混まず殆どの車がスピード制限を守りマナーは、良好。始めて使ったプジョウは、直ぐに130kmは、出るのでスピード制限に苦労した。六時前にTALCAの町に入りホテルを探す。目抜き通りの1 SUR(ウノ
スール)にもホテルがあったが車を停める場所がなく2 SURの車庫付きのホテルコルヂレーラに泊まる事にしてCHKINする。同日の修了走行距離は15175kmで第1日目の走行距離は257kmとなる。ホテルは1泊25000ペソとか。夕食は、1 SURのババリアで済ます。時差が一時間あるので現地時間の8時過ぎには、日頃の睡眠不足を取り戻す意味で早々に就寝、第1日目は終る。二人だけの休暇は、上々の開始となる。
サンチャゴの飛行場で150ドルをペソに換金。換算率は、1ドル$6,40 $95.360,00

5月17日(金)
何時もの様にブラジル時間六時には目が覚める。何時もと違うのは9時間近い睡眠で寝たりた満足感があつた事。ホテルの朝食まで時間を持て余しTVを付けて色々雑談。これが又楽しい。7時30分まだ薄暗い時間にカフェーを取る。インスタント珈琲にサンドイッチで早々に朝食を済ましパンアメリカハイウエイを南に向かう。今日は、チジャンの町が大目標でチジャン温泉まで足を伸ばし都合によっては、温泉泊まりを計画していた。チジャンの町でUターン禁止の標識を認めたが左折真っ直ぐは行けるとの判断で左折を指示したが
これが一方通行で出口のない曲がり方をして仕舞い、悪い事に角にいたバイクに乗ったお巡りさんに早速捕まってしまい誤りを詫びるやらチジャン温泉街行きの道を聞くやらで大慌てするが結局外国人の運転と言う事でこれも無罪放免Uターン出来ない所を警察の指導で曲がらせて貰いチジャンの一番の繁華街に入り正しい方向に向かう。ゆっくり町を見る機会もないまま公設市場の雑多を抜け人の頭の2-3倍もありそうなかぼちゃ、白菜と変わらない太さのセロリー美味しそうな大きなリンゴ等を横目にチジャン温泉行きの道に辿り付き82kmの山岳道路に入る。町の出口は道が悪く苦労したが町を出切った場所からは舗装道路で真正面に万年雪を湛える3212mのチジャン火山を望みながら山に向かう。途中のピントと言う町で始めて給油。チリ国営石油公社COPEC発行のチリ全土道路地図を購入する。良く出来た道路地図で昨日走行分も含め地図で確かめる。目暗めっぽう走っていたのに比べ地図を見ながらの走行は、非常に楽しく便利なことを喜ぶ。チジャン温泉への道は、万年雪を頂く遠方の高峰に黒い山に曼荼羅の白い初雪が見られる情景が前に広がり、思わず啄木の「故郷の山に向かいて言うことなし故郷の山は有難きかな」が思い出され口を付く。アンデス山脈の初めて見る山々であるが、啄木が故郷の山に畏敬と懐かしさを感じた気持と同じ様にこの初めて見るアンデスの山々特に三千メータを越すチジャン火山には、故郷の山は有難きかなの気持がぴったりの爽快な気分を味合う。ピントから山道の運転を担当した私の側でアンデス山脈の威容に歓声をあげ大きな喜びを表現するけい子を見ていると本当にこのチリ旅行は、我々に取っても忘れ難いものになるとの確信を得る。舗装の登り道が続き初雪に白く染まった山を近くに見る頃には右側の陽だまりには所所雪が見られるようになり、上って行くに従い道路際の雪が増え、周り一面が真っ白の中に色取り取りの山小屋が左右に見え出し屋根には雪が積もっており動かしていない車の上には20cm以上の雪が積もっていた。公設バスが通う終着駅のLAS TRANCASには、多くの人が雪を楽しんだり踏みしめている姿が見られた。トランカスより舗装がなくなり砂利を固めた土の道で初雪が残り途中滑ったり両脇に掻き揃えた雪の間を時速30km程で走り照り返す雪の光線、木の上から時折ばっさりと落ちてくる雪しぶきと喜びと驚きに満ちた雪の山道を沿って殆ど対向車もなくチジャン温泉に着いた。温泉にはGRAN HOTEL CHILLANとHOTEL PIRIGALLOの2大ホテルに共有地の分譲別荘、バンガロー等が散在しており、雪がより深い感じのPIRIGALLOに向けてハンドルを切り入口の管理人に名前を告げてホテルへの道をとる。まだ道の上に雪が残っており一部走行不能に近い場所もあったが動かなくなればトラックターででも助けに来て呉れるだろうとアクセルを踏み込む。何とかホテルまで辿り着き色々情報を仕入れる。雪は、今年の初雪として一昨日5月15日に一日降り続き大雪となったとの事。これは例年より早く皆を驚かせている。スキーのリフトは、やはり6月中旬以後に動き始める予定との事であった。中庭にあるプールからは湯気が上がっておりこれが有名な?温泉だと言う。海水着着けてプールに入るそうだが温度は35度程度とかで周りが雪景色の中、こんな温泉に入れば凍え死ぬ可能性もある事と海水着の用意もしてなかったので温泉ホテルには、昼食だけで引上げる事にした。写真を撮り、雪に遊び12時半に始まる昼食まで待ちランチを楽しむ。記念にチジャン温泉と刺繍した雪山帽をゴルフの時に使用出来るとの判断で購入する。価格は10ドルちょっと。序に絵葉書も数葉購入した。
夏場のシーズンが終り、スキーの冬場のシーズンを控えて年間を通じて一番の暇な時期にあたりお客が疎らであったが初雪に誘われて地元の数家族が泊まっていたようだが海外からの客はこの時期には珍しく昼食時は我々二人だけにガルソンが付ききりでアテンドしてくれる。ホテルの周りを真っ白に染めている初雪は通年より早く5月15日に降った。貴方達は初雪が見られて幸運である。雪が降った後の最初の外国人は貴方達だ等食事もサラダの前菜、温かいスープにメインはチリ近海で取れた白身の引き締まった大ぶりの魚で非常に美味ではあったがそれ以上に周りの雪を見ながら静かな山の中の雰囲気が最高でスキーシーズンを前に閑散としたホテルの食堂が心を和ませて呉れた。
チジャンの温泉ホテルを出て少しスキーのゲレンデに沿って横滑りしながら上に向かうが無理をせずに下山の道をとる、チジャンの町に戻りそのままRUTA 5を南に取り夜暗くなってからTEMUCOの街に入る。中心地に入り探しながら車庫のあるホテルドン・エヅアルドに入る。外国人はIVA(消費税)が掛からないとの事で旅券番号とブラジルの住所を明記して1泊二人で3万ペソとの事。昨夜のTALCAのホテルに比べると雲泥の差で大きなベッドのある寝室以外に応接セットのある部屋に簡単な料理の出来る設備があり(使用する機会はないが)ゆっくり出来る高級アパルトホテルで気に入る。夜は街を散策して中心地にあった中華料理店で夕食をとる。車の走行距離は、最終が15755kmで一日で580km走った事になりチジャンの山に向かう一部を手伝っただけでけい子が殆ど500km運転した事になり好きだとは云え少し無理をさせたと反省する。

5月18日(土)
本日午後3時以後にGRAN HOTEL PUCONにCHKIN予定で急ぐ事もないので午前中はTEMUCOの町の見学、買い物等に当てる事にする。町の中心地に公設市場がありそこが8時から営業開始との事で真先に出かける。野菜、肉等の売り場の他には開いているのは朝食を供する食べ物やばかり、市場の真ん中に陣取るお土産はまだ店を開けていない所が多く良く見られなかったがそれでも手袋と厚手の靴下をけい子の為に買い込む。大学の授業時にもつかえる皮の上着を選んで購入する。首元が寒いとの事でマフラも買い込み一応冬支度を整える。地図を頼りに街中の公園、鉄道博物館等に行き町が見通せる岡の上の公園にはCHK OUT後車で上がるが生憎の小雨で殆ど視界が利かず何も見えなかったが、環境保護センターが山の上にあり見せて貰う。アンデス山脈の模型がありアルゼンチンとの国境周辺には高い火山が幾つもあり昨日眺めたチジャンの山も高く聳えていた。町の中にある歴史博物館も覗きチリの歴史も又征服者としてのスペイン人と地元のインヂオMAPOCHOとの戦いの歴史であった事とスペイン征服以前に高度のインヂオ文明があった事を歴史博物館で学ぶ。午後早めにPUCONに向かう。途中で給油23L、12000ペソ。
午後4時前にGRAN HOTEL PUCONにCHKINする。部屋は519号室、ヴィジャリッカ湖に面した部屋は抜群でここに1週間滞在するのかと嬉しくなる。生憎の天気で火山ヴィジャリッカは、拝めず。小雨の中を町に散策に出て新しいセターを一着買って貰う。デザインが良く背広の下にも着られる物でこの冬には愛用しようと思う。車の走行距離は僅かで133kmのみ。15888kmを記録。
TALCAの中心地で300ドルをペソに換金。換算率は飛行場より良く1ドル$6,52で合計$195.600,00

5月19日(日)
9時に15888mを記録する愛車を駆ってVILLARRICA国立公園に向かう。距離はそれ程ないが急勾配の道を8km登ると国立公園の入口に着き、職員に情報を求めた所、スキー場の方向は、4輪駆動の車でないと入れない事、生憎の悪天候でもし辿り付いても何も見えないだろうとの事で火山の下に出来た大きな洞穴が見られるCUERVAS VOLCANICASの方に行くように薦められる。道は分かり易いので問題ないとの事で登り初めて2km地点から昨夜降った初雪が積もっており道が悪くなりチェインを着けない町の車ではスリップして危険であり道の上まで10センチ以上真っ白に積もった雪道を突破する事を断念途中で折り返した。自分達で着けた雪の道の轍を見ながら何とか又この道を征服したいとの強い願いを抱く。国立公園の管理人のおじさんは、昨日は雪がなかったので昨晩初雪として降り積もったもので雪の存在を知らなかったとの事で我々の情報を喜んで呉れた。チジャンの山と言え今回の国立公園といえ我々はチリの2002年度の初雪に遭遇する機会を得られたようでこれは又とない経験となった。写真とヴィデオカメラに記録した。今日はアスファルトのある舗装道を中心に回る事にしてVILLARRICA、LICAN RAY、CONARIPE等を見て回りPUCONに戻ってからCABURGUA湖に行き岐路TINQUILCO湖まで13kmの急勾配の道を30分以上掛けて登る。途中の道が素敵で最高。
夕刻PUCONに戻る道で始めてVILLARRICAの火山の勇姿を夕方から晴れた一部の青空の中にくっきりと頂上まで眺める事が出来る。PUCONの町の象徴としてこの山は格別と感じる。
本日の走行距離は、山道が多いなか287kmを記録する。本日訪問したVILLARRICA湖、CALAFQUEN湖、CABURGUA湖、TINQUILCO湖の4ッの湖の中最後に訪れた国立公園HUERQUEHUEの山の中に静かな佇まいを保っていたチンキルコ湖が一番印象に残った。アクセスが舗装のない山道を辿る苦行であっただけに尚さら遥遥やって来たとの感に浸る。国立公園の入口には入場料大人一人2200ペソとの表札が出ていたが日曜日で職員の休みの日にあたり大きな錠前が掛かっており無人の入口でそれでも無料で入れるように考慮してくれている。近くに2-3軒の民家があったが誰も居ないようで湖まで家の近くを通って下りて行く。湖の水は透き通っており,手を付けるとその冷たさが全身に染み渡る感じ。覗いてみたが浅瀬に小魚が泳いでいると言った感じでなくコバルト色に変わった深い方にはネッシでも住んでいそうな感じがする。チリでは人不足?季節外れの観光?人が行きたがらない場所を訪ねる?理由は色々あると思うが人里離れた場所を二人だけで訪ねる事が多いが、不思議と不安感は、なく治安上の心配を抱く事がないのが何より嬉しい。あまり日本での生活が少なかったけい子も日本の故郷、山々、川のせせらぎ、落ち葉を敷き詰めた山の小道、紅葉が進み現地ではアラモと呼ばれる始めて見るポプラの並木、プラタナス、南天のような赤い実を一杯付けている潅木等心和む風景をしきりに写真に収め、何時の日か時間が取れるようになれば水彩画にして描いて見たいとの魂胆でその画材を集めていた。

5月20日(月)
PUCONでのホテル生活3日目となる。今日も午前9時半に16165kmで出発。ガソリンを7000ペソ給油。一日の走行距離240kmで夕刻6時25分にホテルに戻る。ホテルのインタネットに30分間接続、5通ほど日本語のメールを受け取り必要な返事は日本語入力が出来ない為、ローマ字とポルトガル語で返事を書く。休暇中にまで仕事をと顰蹙を買うも最低必要な事項は,FLWしたいと特別許可を得ての事。
今日の計画は、PUCONより東側のアルゼンチンとの国境地帯方面を走る。60kmでアルゼンチンとの国境の町PUESCO税関まで辿り着く。レンタカーの会社に国境を越える特別許可を取っておいて貰わなかった為アルゼンチン側には、入れずそこから引き返す。岐路CURARREHUEからMALCHIN川に沿って42km北のREIGOLILと言う最果ての村まで狭い土の道を時速30km程度で走る。川に沿って上がったり下がったりの激しい道を右手にアルゼンチンとの国境のアンデス山脈を見ながらチリ側の道路を走る。景色が何とも云えぬ日本的な感じの場所で途中牛が道に寝そべっていたり、羊、山羊、ブタ、鶏、アヒル等がそこそこに見られ田舎風景を楽しむ。川のせせらぎを聞きながら目の前に雪を湛えるアンデスの高峰が近く遠くに見られ近くの山の頂き付近にはブラジル南部でも見慣れたパラナ松(アラウカリア)が見られ道路脇の柵の代わりに大きな木の根っこを並べた柵があり一部には現地ではアラモと呼ばれるポプラ並木が続いていたり画材用の写真を40枚近く撮る。最果ての目的地には何もなく唯一の売店はチリ政府の職員が管理する万屋兼バスの切符売り場が終点となっていた。夏場には4輪駆動の車で山奥の温泉地へ出向く者も多くそこからトレッキングで山越えしてPUCON方面に向かうものもいるが現在では上の方では既に降雪があり通行不能との事で引き返す事になった。昼を過ぎていたので簡単な昼食でもと探したがやはり万屋以外に何もなく、万屋の主人に頼み込んで珈琲だけで良いので御願いしたいと申し出た所、気持ち良くお店の裏に隣接した住宅に招じ入れてくれ奥さんが沸かしてくれた珈琲と店から買って来たビスケットを用意して呉れる。色々話をしていて驚いたことにはこの万屋は、チリ政府が職員を置き管理させている国営?販売所の役割を果たしているとの事。主人のPABLOさんはチリ南部の生まれのチリ政府の公務員で結婚して家族と共にこの万屋の管理人をしているとの事。所属は連邦政府の経済省の遠隔地域(特に国境地帯?)開発支援サービスとか言う部署に属しており年中無休で地元地域への最低必要物資供給の仕事をしているとのことであった。アンデス山脈のアルゼンチンとの国境地帯の山奥にまで電気と電話はきており衛星テレビの番組が掛かっていた。冬には数メターの降雪があるとの事で晩秋の紅葉の時期に既に山の上では降雪があり川の水は手が切れそうな冷たさで厳しい冬を想像させるに充分で季節外れの外国人を公務員としての責任感も手伝ったとは言え自宅(公務員住宅?)に誘って呉れた親切に感謝しながらREIGOLILを後にする。途中で州都テムコ市の大学1年生と言うカルロス君をPUCONの町まで乗せて上げて色々チリの情報を収集する。ラーゴス大統領の評判は?との質問にまあまあとの返事が返って来た。あまり政治談義は好きでないと見え田舎に住む叔母さんを訪ねタムコに帰る途中で近くの町まで4km歩く予定であったが助かった。栄養学を勉強している。ワールドカップにはチリが参加出来ないのは残念である等自分から話してくれた。
昨日、雪のためいけなかったVILLARRICA国立公園内の火山の下に出来た洞窟探訪を再度TRYして見る事にして山に登る。昨日雪道に立ち往生して引返した道は雪が解けて通行可能となっていたが洞窟の入口まではやはり2km近くありあのまま突入していたら大変だったと恐ろしくなる。洞窟の入口付近にはまだ昨日の雪が残っており霊峰VILLARRICAの火山が直ぐそこに見え雪を頂く夕日に映える頂上から裾野まで雪で真っ白、記念写真を何枚も撮る。洞窟探索は、案内人が付き総勢10名で火山の中に2000年掛けて出来た洞窟を見て回る。入口から145メーター下まで照明施設等を完備させており、民間経営との事で12000ペソ(20ドル相当)を支払う。洞窟の一番奥で全ての電灯を消し真っ暗のナかに数分置かれ暗黒の世界を味合わされた。約一時間の行程でそれなりに面白かった。岐路国立公園内のスキー場まで足を伸ばしたが、やはり昨日の雪が残っていて雪の道をどんどん行くのは良かったが途中でUターンする場所がなく雪の道で立ち往生、対向車のチリ人に泣き付いてUターンの操作を手伝って貰う。周りの車は全て4輪駆動で乗用車での乗り入れは我々の車だけ。辺りは薄暗くなってくるし本当に心細い気持になり雪の道は金輪際足を踏み入れないとけい子は泣きべそをかく一歩手前。山を下りるまでは雪道と下り道を運転させて貰う。今日も240kmの殆どをけい子が一人で運転する。明日は、遠出で南の港町プエルト・モンまで往復700kmを踏破する予定で早めに寝る事にする。



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