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活火山チリ富士を訪ねての4361kmの休暇旅行【その2】
HPの1回の掲載サイズが1万語までとの制限があり、【その1】で5月20日までの5日分を掲載しましたが、今回は5月21日からの5日分の日誌を掲載します。
南北全長4300kmと云われており今回はその全長を越える4361kmを車で踏破したことになるが、それでも首都サンチアゴから南の第X州のバルパライーゾから第X州のプエルトモン迄でチリの北部地方、チロエ島以南のパタゴニア地帯、南米大陸から3700km離れた絶海の孤島と言われるイースター島のモアイ遺跡等見残した所も多いが人口450万人と言われる南米の大都市、ロスアンデスの山々、50近くあると言われる活火山(何れもチリ富士の名前を被せても恥ずかしくない勇姿)の内、チジャン、オソルノ、ビジャリッカの火山の勇姿には忘れがたい畏敬と驚嘆の念を強く抱く。南米最高峰アコンカグアを見せてやりたいとの目的は、残念ながら果たせなかったが、写真はビジャリッカ湖畔のプコンの町から初雪の中を車で苦労して接近したビジャリッカ火山の麓で撮った写真です。



5月21日(火)
チリは、5月21日は、隣国ペルとの海戦勝利を記念する海軍記念日とかで全国がお休みとなっている。話に聞いていたどんぶり鉢に雲丹を一杯食べれて牡蠣もたらふく食べれるとの事で南部の港町プエルトモンから更にRUTA 5を南下フェリーで6km30分以上掛かってCHILOE大島の漁村ANCUDまで昼食を楽しみに早朝6時の真っ暗な寒い道路を一路南部を目指して出発する。走行開始が16405km、夜の9時20分にホテルに辿り着いたときの走行距離が何と17255km、実に一日の走行距離850kmを記録する。幻の昼食になったANCUDまでは420km走った事になる。期待の昼食は、雲丹も牡蠣も季節としては11月から2月頃までの夏季の期間が中心で晩秋から初冬の現在は寒い海に潜る人も少なく無理をしても痩せた小さな物しか取れず残念ながらメニュウには入っていないとの事でがっくり来る。事前情報収集不足で減点を食らうが運転好きのけい子にはアンデスの幾つもの火山を見ながら(特にオソルノの火山は格別)のドライブは気に入ったようで全走行距離850kmの内500km以上を一人で運転する。無理をしないで早めに交代するとの条件で走ったが朝の暗い内と夜になってからの運転を担当しただけで昼間は殆ど一人で運転していた。15時間20分を掛けての昼食は、幻の昼食となってしまい又来る可能性が少ないことから残念至極。バルパライーゾかビーニアデルマールで再度冬の雲丹と牡蠣を探して見たい。今回の旅の最南端の漁村ANCUDは、古い町でスペイン統治下の最後の統領が5日間の戦闘で共和制のチリ最初の統領に切り替わったとの古戦場でもあったらしく太平洋(日本まで続いている?)を望みチャカール海峡を前にしたサンアントニオの要塞を訪ね当時をしのぶ。このチロエ島より南の南緯40度以下がパタゴニア地帯と呼ばれるそうでその入り口まで来たのにそれ以南に行けず今回は、パタゴニア地帯は断念する。町では5月21日のペルとの国境線問題(チリ硝石生産地域の争奪戦)で起きた海戦の勝利を記念する祝日との事で地元の軍隊、消防署、学生等のパレードがあり中心地は、大混雑。何とか市役所前の公園に駐車して、祝日でも開いている地域歴史博物館を見学し海浜の近くの年中無休との看板が出ているLA PINGOYAというレストランに入る。祭日のためか季節外れのためか他に客は一人もなく大きな2階を二人で占領する。既に述べた通り目的の雲丹も牡蠣もなくLOCOと言う大きな貝の前菜(大味であったが美味)、カラマレスの小さな烏賊の炒め物、ブラジルでも有名なチリの鮭とコングリオの魚料理を楽しむ。締めて2万ペソ(30ドル強)。往復850kmを掛けて食しに行った割には期待外れに終る。岐路、プエルトモンの町に入る。大きな湾に面した港町で南部チリの重要都市として栄えているようで人口は、13万人との事。帰路の時間も気になり海浜通りを車で走り市役所前に車を止めて少し散策、眠気覚ましのためにも珈琲を飲み4時半頃にPUCONへの道を今度は北に取る。途中運転交代のためと珈琲の為に一度、給油に一度小休憩を取っただけで5時間の旅、年が年だけに余り無理はしない方が良いなと無事帰着後話し合う。

5月22日(水)
朝から雨で外に出られない。ホテルで朝食を取りホテルの部屋でこれまでに撮った写真を見ながら色々今回の旅行に付いて話し合う。思ったより良い写真が撮れていて自信を付けて雨の中でもPUCONの近くを見て歩くとの事で昼前から車を使用見学に出る。何時もホテルの前にいるおじさんが車を洗って呉れており見違えるように綺麗になった車でホテルの前を出発する。走行距離開始は17255km帰着は、17370kmでこれまでの最少距離となる。飛行場の近くにTRANCURAと言う川があり夏場はRAFTINGで賑わうとの事で行って見たが誰もおらず折角洗車した車を汚してしまう。TERMAS de PALGUINまで雨の中を上って行く。途中に滝が3箇所あり近くまで車を寄せるが何れも雨で滝の見えるところまで行けずに諦めざるを得なかった。パルギインの温泉?の女主人が雨の中傘を差して車の所まで説明に来て呉れる。冬の間は共同浴室(屋外のプール)は、寒くて使用不可能で個室の家族風呂を勧める。一人4000ペソでタオル、バス等は、別途精算で用意している。昼食、宿泊も可能との事でPUCON滞在中に一度試しに来るとの約束をして温泉を後にする。帰路、サンルイス温泉他も見て回るが何所とも日本の温泉地と違いプール付きの安宿と言った体裁で家族経営をしている所が多いようであった。チリでも温泉宿が多くチリの熱海だとの触れ込みで方々訪ねて見るが日本の温泉とは程遠く、水着の用意をしていなかった事から今回は温泉はダメかと諦めていたが機会があれば試して見る事にする。これまでのけい子を同伴しての帰国時には、神戸の有馬温泉、日光の鬼怒川温泉、島根県の皆生温泉、松山の道後温泉、長野の別所温泉、岩手の花巻温泉等に連れて行ったが何れも大きな大温泉浴場には慣れず温泉は好きだがその使用の仕方がプールに皆裸で入っているような感じがして恥ずかしいとの事で辟易していたのを思い出す。温泉地巡りの後、町のスーパーに行き必要な買い物をする。チリの新聞をサンチャゴの全国紙とテムコで出している地元地方紙を購入してホテルに帰る。
昨日の5月21日の祝日は、1879年隣国ペルとの太平洋海戦と呼ばれるチリ北部のイキキの海域での海戦に勇敢に臨んだARTURO PRAT艦長とその部下の敵艦を沈没させ戦いを記念するチリでは最重要な祝日として位置付けされているとの事。チリの経済を支えたチリ硝石生産地域の国境線問題が原因の海戦のあったIQUIQUEの町のみでなくVALPARAISO始め殆どの港町、地方都市でもパレード等が実施されたようだ。この祝日に政府とCUT(CENTRAL UNITARIA de TRABAJADORES=労働者統一セクター)の話し合いが午後に財務省内で行われ必要協定内容の合意が成立、19時から臨時国会が開かれ2時間の討議で懸案の6月1日より実施される最低給料が現在の$105.500から5.4%UPの$111.200に調整する法案を審議可決したと伝えている。これはCUTが現行最低給料の31%UPの$138.000を要求していたのに対し年間インフレ2.9%を加味した実質賃金UP率3%を政府は提示、今回の最低給料UPは、ほぼ政府原案で妥結した模様でチリの労働者の良識を高く評価できよう。

5月23日(木)
ポルトアレグレを出て丁度1週間、本日からチリ旅行の後半に入る。これからはあっと云う間に過ぎてしまうような気がする。今朝も昨日に続き雨模様。ホテルに居ても仕方がないとの判断でVALDIVIAの町まで出かける事にする。ホテルの前を8時45分に17370kmで出発、夕刻早目の4時半に17675kmで戻って来る。一日の走行距離305kmとなる。往路は、私が運転、帰りはけい子と半数づつの運転となる。VALDIVIAの町では、傘を買ったりしたがPUCONへの帰り道ではVILLARICA火山が裏側からくつきり夕暮れに映え本当に美しく写真のシャッターをしきりに押す。明日晴れれば噴火口まで昇り5時間、帰り3時間合計8時間の雪山歩きを計画、申し込んでおり天気の回復を祈る気持である。夜の7時には翌日の天気予報がINTARNETで発表されるとの事でもし雪山走破の可能性があれば、旅行社から雪靴その他重装備のサイズ併せに来てくれる事になっていたが、7時現在頂上では雪で吹雪いており明日の雪山への挑戦は、実施不可能との事でがっくりする。
明日は、温泉に行きゆっくり浸かりPUCON最後の一日を過す事にして夜は、日誌書きと写真整理に時間を費やす。
本日のVALDIVIA行きに付き簡単に記載して置く。VALDIVIAは、人口12万3千人の河に面した綺麗な町で河べりに遊覧船の乗り場があり客引きが行きかう賑やかな所に海岸市場の店が連なり各種魚介類、魚が並べられて売られていた。何所の魚河岸でも威勢の良い声が飛び交い雨の中活気があった。幻?の雲丹もあがっており1個250ペソで売られていた。メルーサ、コングリオ、シェーラ、コルビーナ、サーモン等の肉のしっかりした大型な魚が多く見られた。昼食は、これらの魚屋さんの一人のおばさんの推薦による市場の直ぐ前のALONDRAという見てくれの良い店に行く。季節外れでここでも我々2人だけの客で心配していたがその後2組ほど入って来たので一安心。メニューには雲丹はなく前で売っているのにどうして出さないのかと云ったらそれでは早速買ってきて料理するとの事で雲丹を注文する。どんぶり鉢に一杯との表現は当らないが、スープ用の大きな器に山盛りの雲丹が出てきた。市場で売っていた雲丹を6個ほど買ってきてこれを処理したらしいが、酒と調味料を使って綺麗な色と濃くのある味に仕上げた日本の粒雲丹を白いご飯に塗って食べるのを想像していただけに生の雲丹は、口の中で溶けてしまいそうな柔らかな歯ごたえのないもので雲丹の中に住んでいる?とか云う小蟹に似た小さな生き物が最高に美味しいと進められたが動めく小動物?を見て躊躇していると店の主人が自ら口に入れてしゃぶって見せてくれたのでこれを断る事も出来ずけい子と私は一つずつ口に掘り込む。小蟹を丸まましゃぶる感じで別に何の味もしないまましゃぶり滓を口から戻す。肝心の雲丹は、この小蟹の出す赤茶けた分泌物の匂いが強く口に残って食べ難い感じがする。雲丹だけを良くよってレモンを掛け、玉ねぎのみじん切りと匂いの強いクエントロの葉っぱの刻んだものをまぶして口に掘り込み余り長く口の中に置かず飲み込むといった作業を続けるも一向に減る気配がなく途中でGIVE UPする。醤油とわさびを持って来ておればもう少し食せたかも知れないが大量の雲丹を半分以上残す形で敗戦。もう一度TRYしたいと思うものではないと満足する。店の主人のお勧めの数種類の貝のごちゃ混ぜスープは良く出しが出ていた美味しかった。真っ赤な大きな貝は、けい子に回す。
後先になったが、昼食前に雨の中を橋の向こうに見える古い建物が歴史博物館と聞き歩いて橋を渡り訪問する。チリの地方都市には必ずと言ったように歴博物館があり幾つも見て回ったが、何所とも歴史を大事にし特にスペインによる統治以前の原住民インヂオのMAPOCHO文明の遺跡等から発掘された土器、銀製品等の陳列が多くインカ、アステッカ、マヤ文明に匹敵する高度な文明が栄えていた様に感じる。歴史博物館で注目を引いたのは、ドイツ人による殖民の歴史が語られていた事でブラジルにドイツ移民が入って来た頃にその一部がチリ南部の気候の良い諸都市(ドイツ本国と似ている?)に入っているのは興味深く感じる。地元にはドイツ名のビールKUNSTMANNの工場があり昼食時に試した後、記念に一缶持ち帰る事にした。
VALDIVIAまで往復305kmの旅の目的の一つは、手持ちドルをペソに取り替える事も含まれていたが、けい子はどうしてチリ滞在中の必要ペソを一度に替えて置かないのかと文句を云っていたが、これは月間30%、年間1800%以上のインフレを経験した者の習癖の残りで日本からの出張者にもドルは毎日少しずつ交換する様にと指導していた頃の名残で今回も150ドル、300ドル、200ドルと必要最低の小口換算になる。ちなみに換算レートは、1ドル$6,40(飛行場)、$6,52(テムーコ)、$6,40(ヴァルヂヴィア)となっているが夕方プコンの町で見つけた両替商では、$6,50との事ではるばるVALDIVIAまで行く必要は全くなかった事になる。

5月24日(金)
昨夜既にプコンの火山噴火口までの8時間の行軍は悪天候のため取り止めとなっていたが、プコンの山は朝から眺められる状態で雨は降っていなかった。寒さに体が慣れて来たのかそれ程寒さを感じなくなる。プコン最後の日の過し方は、雪山行軍が駄目になった時点からPALGUINの温泉に浸かる事を目的に温泉郷と滝を見て回る事にする。17675kmで9時過ぎにホテルの前を出発。17823kmで4時半過ぎにホテルに戻る。走行距離148km。けい子は写真を撮るのが面白くて今日は、運転なしで撮影に凝る。一日で80枚近く撮る。夜の内にPCに取り組んで置くので8メガバイトのチップ一枚で済み、昔のフィルム使用の写真と比べるとその便利さがあり難い。夕刻プコンの歩き慣れた町を再度回りお土産物等を買い漁る。
朝からHUIFEの温泉、POZONESの温泉、HUEPILの三大滝を訪ねる。チリでは温泉地滝のある観光地等は、多くは個人の所有地内にあり其処に住んでいる家族が入場料をとり見学させて呉れるところが多い。HUEPILの滝ではおばさんが出てきて一人500ペソを払うと片側押しの遮断機を上げて入れてくれる。季節外れの時期でもあり入場者は我々二人だけ。人気がなくても個人の所有地に入場料を払って入っているとの安心感もあり歓声を上げながら滝見に出る。1の滝は直ぐに着き問題なかったが2の滝3の滝はは、山の上方まで歩いて上がる必要がありそこそこ疲れる。前に見えるプコンの火山を遠くに眺めながら、もし天気が許せばあの雪山の中を行軍していると想像するとやはり都会に住む我々には雪山の行軍は無理だったと感じる。滝見物で顎を出しかねない都会生活者には無理だと神様が天候を調整してくれたと感謝する。もう一つ上り3時間、下り2時間のHUERQUEUE国立公園内の5時間のトレッキング(山歩き)コースをトライしようかと検討したがこれも考えれば無理なコースで止めておいてよかったと思う。昼前にCHINAの滝、落差73m、LEONの滝、落差93mを見て回り目的地のPALGUINの温泉に着く。先日雨の中此処を訪問しており、温泉と共に昼食も取れるとの事であったので安心して昼過ぎに到着する。不思議と此処にくると雨に遭うようで又小雨が振り出す。温泉地の昼食は、お任せコースで3組の保養?泊まりの人達が静かに食事を取っていた。アバカテ(アボカド)を中心とした前菜、肉の煮込みスープ(田舎風シチュウ)、ジャガイモのプレーと肉の切り身、デザートには洋梨に余り甘くない蜂蜜をかけたものそれに生の葉っぱを集めたお茶が出て二人で13000ペソで非常にゆったりした気分で食事を楽しめた。食後直ぐに温泉とも思ったが他にする事もなく温泉入浴量一人4000ペソと借りタオル500ペソ二人で合計9000ペソを支払って食堂から林の中に400mほど歩いて浴槽に着く。同行してくれた青年がバンガロ風の家族風呂らしき所に案内して呉れて部屋の鍵を開けてくれる。中は服を壁に掛ける衣文掛けと荷物を置くイスらしいものがあるだけのセメント製の床から直ぐ浴槽があり言われた通り服を脱いで浴槽に飛び込む。縦の長さは大の男が横になってもあまる2m30cm程度で横幅は大人二人が充分並べる広さで1m20cmぐらい。水温は38度から42度程度の天然の温度との事。浴槽の底が砂利で敷き詰められており横になるとお尻が痛いのに閉口する。熱い湯が常に下の方から湧き出しているとの事で横にある小さな洞穴風の穴に手を入れて見ると熱い湯が入り込んで来た。自分の所有地の一部から湯が湧き出していることを発見これを自然に浴槽の中に流し込む様にしたのがこの温泉の始まりとかで何代目かのご主人が夏の間は温泉プールそれ以外は家族風呂で楽しんで貰っているとのことで1回通常30分との事だったが早々の手で引上げたがそれでも小雨の中、事務所まで戻る間も体が火照って気持が良かった。プコン最後の日は温泉郷の巡り(最高5000ペソから最低3500ペソで風呂に入れる)と滝巡りで途中の晩秋から初冬の景色を写真に収める小旅行となった。途中日本に似た景色に出くわすと始めての場所で日本でも行っていない何処かの場所を思い出す事が多くけい子は「なんとも云えない懐かしさ」を覚えるとの事で潜在意識の中に日本的な風景として似たような風景が閉じ込められているようでしきりに写真機のシャッターを押していた。日本行きをキャンセルしての秋のチリ旅行を実施して本当に良かったと感じる一時であった。
今回の旅行では、ホテルの近くにゴルフ場があると聞いていたので昔であれば絶対に逃さない筈であったが今回は靴だけはスパイクレスのゴルフシューズで来ているが手袋その他の小物も用意して来ておらず気にも掛けていなかったが最終日の今日、クラブハウスだけでも見ておいてもとガソリン給油時に聞いて見たら何とホテルの隣接地のプコン半島の全てがゴルフ場の所有地であると知り早速訪ねて見る事にする。ゴルフ場の入口ではゴルフ場は私有地となっており関係者以外には立ち入り禁止だと云われるがクラブハウスだけでも見せえて欲しいと頼み込んで20分だけとの条件で入れて貰う。クラブハウスは時間のせいか無人でプレーしている人も一人も居なかった。所々に別荘があり人が住んでいる形跡が見られるところもあったが殆どのところは無人であった。此処になら家を建てて住んで見たいとけい子は気に行った様子であった。ホテルの裏山の感じで我々の519号室が直ぐそこに見える様で写真に収める。
PCへの写真の取り込みを終らせ早めに明日の800km行軍に備え就寝。

5月25日(土)
プコン最後の朝は、ブラジル時間6時に起床「ブラジルと時差が一時間あるので現地時間では午前5時。荷物の準備をして簡単な朝食を取り6時過ぎにはCHK OUTする。一路サンチャゴに向け北上を開始する。雨のプコンを後にしてサンチアゴまで雨、雨、雨の12時間となる。一日車の中で写真は、本日はゼロ。参考に素行距離、使用時間等を下記する。
6時20分 プコン発 17823km 好司運転 真っ暗の雨の中出発。
8時40分 小休憩  17990km けい子運転開始。 187km走行
11時10分 小休憩  18140km けい子運転終了。 200km走行
11時35分 好司運転開始
13時32分 小休憩 18357km  好司運転終了 167km走行
13時44分 けい子運転開始
15時30分 小休憩及び給油 18501km けい子運転終了。144km走行
15時55分 好司運転開始。RANCAGUAからサンチャゴまで僅か83kmであったが車の量が増大、大雨の中苦労する。サンチャゴの町に入ってからは水害の様相を呈し一部の場所で車が通過できず立ち往生している所もあり運転に苦労する。町の中心地への入口が分からず辛うじて最後の入口マポチョ川の標識を見て町に突入。大通りを右に曲がり行き着いた所がチリ国立大学の経済学部の構内で旨く逢えたERNESTO CASTILLO教授に町の地図を下にサンチャゴの町の説明を受ける。大学の近くにあった三つ星のホテルPRINCIPADOを紹介して貰い6時20分丁度12時間で18596kmでホテルにCHK INする。1泊朝食つきで60ドルとの事、一応3泊する事にした。最後の95kmに大学での市内案内等の時間も加えて2時間25分掛かった事になりその困難さが伺われる。コピロットのけい子も肩が凝り自分で運転している方が楽だとのコメント。プコンから773kmを12時間掛けて走った事になる。休憩時間等を含め平均時速60キロ強となり雨天を考えると国道の制限時速100kmに近い速度で走っていた計算になる。この様な外国での強行軍は、今回が最初で最後になるのではないかと思う。ラリーではないが今日一日は車で雨の中を走るだけの一日となった。天気予報では火曜日まで雨との事で明日のバルパライーゾ、ビニャデルマールの見学、月曜日のロスアンデス行きは雨になりそう。  




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