『千の風になっていた坂口さん』東京農大農学60年卒 鈴木武夫さんの寄稿です。
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東京農大卒業生アマゾン移住50周年記念誌 《ゴリラのように逞しく、神のごとき愛と英知を》を送って頂き読ませて頂いている。私たちは、まだ46年ですが、ほぼ同じ時代をブラジルで生きてきました。アマゾンに入植された40数名の東京農大OBが寄稿しておられますが、ブラジル南部に40年住んでいる私とは直接の接点が少ないのですが、坂口先輩を想いその思いを書き残しておられる鈴木武夫さんの寄稿が目に留まった。鈴木さんは、最初は、アマゾンのトメアスー移住地に入られその後、四季の変化があるブラジルの最南端のポルトアレグレに引っ越してこられました。当時私はポルトアレグレに総領事館に勤務していましたが、良く事務所を訪ねて呉れ色々語りあった懐かしい方です。その後ブラジリアに引っ越して行かれてから音信が途絶えていましたが、この記念誌を編纂された佐藤さんにお願いして鈴木さんの連絡先をお聞きして40年近い時を経て連絡がついた。鈴木さんがポルトアレグレにおられた時に撒いた種が大きく育ち現在もポルトアレグレとグラマードにお弟子さんが開いた空手道場が活動を続けており私の訪日中の4月に鈴木師範を迎え合宿を実施されたとのことです。昨日お弟子さんの一人Ernaniさん(グラマードで空手道場を経営)が写真を届けてくれました。
写真は、鈴木師範を囲んで撮ったお弟子さんの皆さんで左端がErnaniさんです。
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「私のお墓の前で泣かないで下さい」で始まる「千の風になって」の詩は日本では去年の紅白歌合戦で歌われてからCDで100万枚以上を売りあげ本も出版され多くの日本人に読まれていると聞いています。47年まえに移住したアマゾン、トメアスーといえば数ヶ月前、他界された坂口さんとの思い出を抜きにしては語れません。徳は得に通じるというそうですが徳を積んだ坂口さんとの思い出は45年以上近く経った今でも鮮明に思い出されます。人生経験が足りない若い時というのは怖いもの知らずでトメアスーに着いて1年足らずでアカラに土地を買い独立農になろうとしたのですから若気の至りだったと今になって思います。トメアスーからアカラへ移る時引越しを手伝ってくれたのが坂口さんだったのです。当時、坂口さんは炭を焼いたり葱を小規模に栽培してトメアスーの港の近くで開かれていた市場に出荷していて生活も決して楽ではなかった時期だった筈ですが小さなトラクターにリヤカーをつけ私の引越し荷物を港まで運んでくれました。その時に受けた先輩の親切は今でも忘れることは出来ません。アカラに移ってからも何度か訪ねいろいろ農業に関する話を聞かせて頂きました。農大では武道の稽古に専念し勉学を疎かにしてきた私には大変ためになる話ばかりで役に立ち助かりました。何故ならアカラ在住当時、私は唯一の農大出ということで入植されていた邦人から農業に関する件、例えば果樹や野菜の栽培について聞かれ往生していたのです。日本から専門書を取り寄せ勉強する傍らトメアスーに坂口さんを訪ね教えてもらった知識を受け売りしていたのです。南大河州へ移ってからも1度はトメアスーに訪ねサンパウロでお会いすることが出来たと記憶しています。当時2〜3歳だった長男のハジメ君が私が用を足している屋外に在った便所の板の隙間から覗き込んで、”おじちゃん!おじちゃん!”と呼ばれ困っているのを見た奥さんが“はじめ!こっちへ来なさい”と叱っていたのを覚えています。後日談ですがそのハジメ君が青年になってからトメアスーの2世の仲間たちをリーダーとしてサンパウロへ連れて行った帰り、ブラジリアに住んでいた私にロドヴィアリアから、“ベレン行きのバスに乗れなくなったので泊めてくれませんか”と電話してきましたの“どうぞ”と気軽に返事しました。一人か二人ぐらいで泊まりに来ると思っていたところ我が家にやってきた2世の人たちの数は何と12,3人もいてびっくりしました。当時ブラジリアで花屋を営んでいた同窓の吉川等さん(拓植科OB)に電話して応援をお願いし半数の人たちを彼の農場のほうに泊めてもらうことにしました。きっと坂口さんはブラジリアへ行ったら鈴木に電話しろと教えていたのでしょう。今となっては懐かしい思い出の一つです。以上の坂口さんとの思い出だけではなく、部の先輩である常光さんの跡を引き付いでの空手指導でお弟子さんたちから謝礼に米、豆、野菜等を戴いたこと、カボクロと呼ばれる人たちから“おい、日本人!日本には太陽、月があるのか”と聞かれショックを受け考え込んでしまったこと、トメアスーに着いて1ケ月で生まれて初めてマラリアに罹ったこと等、数々の懐かしい思い出が私の心の中に記憶されています。しかし、坂口さんとの出会いはその中でも特筆に値するものでした。”千の風になって”の中に”大地を吹き渡っています”という部分がありますが、それは坂口さんの生前のことであの世に行ってからは、星になって生前同様1等星として夜にはアマゾンの空に輝き後に残った同窓の活躍の様子を見守っているに違いありません。私事になりますが、この”千の風になって”の詩は5,6年前に私が主宰する武道の普及組織“道人門”の合宿の講話で使わせていただいたことを覚えています。河合隼雄著”ユング心理学と仏教”に載っていた部分を抜粋してポルトガル語に訳してテキストとして使いました。本来の意味は家族や親しい人を亡くした人の心を癒すためのように読まれていますが、私はむしろ坂口さんのように生きているうちから千の風になるよう努力すべきとの思いでブラジル人たちに解説しました。今日11月1日はカトリックのお盆です。拙宅にある30センチもあるかないかの小さな仏壇の前で坂口さんのあの世での名前―戒名“植樹院”や他界された同窓生の霊を般若心境を読み供養したく思います。これからも坂口さんの1等星には遠く及びませんが21いや31等星位にはなれるよう精進して生きて行きたいと念じております。
2007年11月1日
鈴木武夫 (1960年農学卒)
法名 文覚庵 大寛武統
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