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初雪、地震、集中豪雨のチリ4361kmの休暇旅行【その3】
今回の2週間のチリ休暇旅行は、初雪、地震、集中豪雨に見舞われる4361kmの車の旅でした。3人娘もほぼ育て上げこれからは二人だけの生活を大切にしながら残りの人生を過ごして行く事になり共通の目的を定め(今回は無事に車を運転し協力し合ってチリ観光地を走りまわる事)それを成し遂げる段階で相互信頼が増し人生を共有する気持ちが生まれるとの確信を得られる旅となりました。これからも機会を見つけ出切るだけ旅行と言う手段を通じて人生を楽しんで行ければと念願します。10月の学期末には、出来れば娘二人も同行させてブラジル中部地域のチャッパーダ・ジアマンチーナの山歩きに出かけようと次の計画を練り始めています。レンソイスの町には同船者の谷千穂さんがポウザを経営しておられ訪ねて見たいと思います。写真は、唯一雪山で助けてくれた山男が気を利かせてシャッターを押して呉れた雪の中のツウショットです。


5月26日(日)
朝から雨が激しくゆっくり朝食を済ませ雨の中予定通りVALPARAISO、VINA DEL MARの見学に出かける。
10:10分 18596kmでホテル前を出発海浜に向かう。道は西方に向かい南北のパンアメリカンハイウエイを横切り右手にQUILLCURA飛行場への道を経て一路海浜に向かう。運転はけい子が担当。有料道路の通行料が片道3300ペソで往復6600ペソ丁度10ドル強。大きなトンネルが二つあり121kmで1時間45分の旅となる。VALPARAISOは、チリの最大の港町として栄えたとの事だが、町並みは古く山の上に広がる民家がブラジルのスラム街を思わせる風情で山の上の方にも車で上がって見たが家の建物が昔風の古い家並みが続くが所謂貧民街とは程遠いものでコロニア風の家並みを感じさせた。雨の日曜日にも関わらず港の公園の側では人手が見られお様々の手作りのお土産物の売り場が並び一軒一軒覗いて回るのも楽しい。銅製品、石細工、革製品、アルパカの毛糸で編んだ帽子等を購入する。何所の土地でも似たり寄ったりのものが多いがついつい買ってしまう。海岸伝いにVINA DEL MARに抜ける。大きな避暑地で海外線にリオのコパカバーナ、サンタカタリーナのカンボリウを思い出させる高層ビルが立ち並び夏の季節は大変な賑わいになるとの説明も頷ける。雨の日曜日で車の数は多いが海浜には人がおらず高い大波が舗道まで水飛沫を立てて押し寄せてくるので海浜通りは水浸しの所が多く市の清掃員が道路掃除をしていた。降り続く雨で地盤が緩み方々で小さな崖崩れが見られ走行に苦労する。チリでは普通らしいが木曜日にもサンチアゴ市を中心に地震が起きたとの新聞報道もありイキキからアンカグアまでの諸都市で地震を計測したとの事で日本同様日常茶飯事と言える。週末の土、日は各地で集中豪雨が遅い10数人の犠牲者が出たとの事。
帰路サンチアゴの町で唯一日曜日に開けていると言うショッピングセンターに立ち寄る。5000台の無料駐車場があると云うだけに大型ショッピングで人でゴッタかえしていた。ブラジルにもあるブランドの店も多く見られ、その内の一つでお土産も兼ね冬用のセーター3枚を選び購入する。「ブラジルにも似たようなものはあるしお値段が」と躊躇するのをことさら旅行中のチリで購入した事が大事であり記念にもなると買わした次第。ショッピングを出て町に戻る段になって反対方向に走り東の雪山への方向に走りガソリンポストで聞くと町は反対側で30分は掛かるといわれがっくり来る。町の中、それも夜道の運転を嫌うけい子に不安な気持をさせてしまい7時40分に18899kmの走行距離を記録何とか無事ホテルに辿り着く。一日の走行距離、308kmを記録する。

5月27日(月)
サンチアゴは今日も雨。今回のチリ旅行に当りチリの各種情報を三谷旅行社アンデス・ニッポンツールの永渕寿美子さんにメールで提供して貰いHPにもアクセスして情報を提供して貰っており最終日の28日のサンチアゴのホテルをリザーブして貰っていることから事務所に訪ねる予定をしていたが生憎のコルポス・クリステの休日が繰り上げの月曜日になって祭日との事で事務所は休み。小雨の降るサンチアゴの休日をどのように過すか話し合ったが、けい子は雪は恐ろしいので雪山に行きたくないと不安げであったが折角此処まで来たので冒険を覚悟でVALLE NEVADAまで行こうと決定する。今日の一日の運転は、自分でする事、危険を感じれば直ぐに引き返す事を条件に雪山に挑戦する事にした。
9時30分、18899kmで走行開始。サンチアゴの町を東に突き切りVALLE NEVADAに向かう。山の上り口で車に着けるチエインを賃貸する。半日で10ドル相当の6500ペソで前輪に着けるチエインを借り運転免許書を保証状代わりに預ける。上り道になりカーブがきつくなる。殆ど360ドルの折り返しカーブに番号が付けられており16番カーブ付近でチエインを取り付けて呉れる山男がこれから先はチエイン着用が必要とのことで賃貸してきたチエインを装填して貰う。チエイン装填作業だけで5000ペソとのことで5ドルを渡しこれしかないとのことで作業をして貰う。ピンカーブの中を始めてチエインを付けてハンドルを握る。雪の上ではチエインを付けての運転は、より安全性を感じるも殆ど360度のピンカーブを右に左に続けているうちにハンドルを取られ苦労する。運転している者より側で見ている方が疲れる様で気にしない様にしていたがけい子の顔色が蒼白になって行くのが分かる。カーブ26を過ぎたころからチエインの停めゴムが外れたのか大きなチエインが車体に当る音がしだしてこれ以上走行を続けるのが困難と判断して下山する事に決めるもU-ターンする適当な場所が見つからず決局カーブ27の手前で車を停める。難所には必ず地元の山男が待機しており直ぐに救助に来て呉れる。チエインを停めるゴム紐が外れており走れるように修理?するが2000ペソ払う意思があるかとの質問を受ける。選択の余地無しで御願いする。上から降りてくる車、下から上がって来る車が我々の車の作業の為に難渋しているのを見てチエインが完全に再装備されてもこれ以上冒険を続ける意欲を失いここで完全GIVE UP下山する事にする。作業をしてくれたパブロさんは、雪が積もって来たのでもう少し下の方の難所に魚場?を移したいので下山するのであれば少し下まで乗せて行って欲しいとの事でそれなら運転で出来のであれば運転して行くようにとの条件で乗せる事にした。頂上まで行けばカーブが40箇所あるとの事で残念ながら27のカーブで車による雪山登山をあきらめ18944km(サンチアゴから45km地点)で11時45分(2時間15分)で下山を開始する。下山は登りより用心が大切との事でパブロさんは、4kmの道のりを30分掛けて(時速8km)全行程をロー注意深く走った。18948kmの地点で再度停車、チエインを取り外す事になった。行く時に取り付けて呉れた山男がすっ飛んで来たが運転しているのが仲間の一人であることから諦めてパブロさんがチエインを外す作業は3000ペソだが遣らして呉れるかとの交渉を受ける。頼むより仕方がないので彼に任す。作業が終り出発しようとすると今度は、今日は祝日だし朝6時半から山の中で働いていたのでサンチアゴ迄乗せてもらえるならこれで仕事を切り上げたいとの事で同じ仲間の一人を誘い二人で早めの作業切り上げとした様で聞いて見ると一日雪山で頑張っても稼ぎがない日もあるとの事で今日は、不慣れな日本人観光客が網に掛かり合計5000ペソ稼げたのでこれで十分?との判断で家族のもとに戻る事にした模様。大井川を渡る時の雲助見たいなもので現地の人は助けを求めず自分たちで殆どの作業をしているようであったが車にチエインを掛ける経験等皆無でパンクの際のタイヤ交換も覚束ない我々は雪の中彼らの救助がなければ立ち往生して下山も覚束ない所から正直言って地獄で仏の様な有難さで難所の一部の運転も含め大助かりであった。帰路は、山男の住居の近くまで届け(新しいショピングセンターが出来たので是非覗いて行くことを薦めるとの口実でパブロさんの家の前まで届ける羽目となった)マプショ川の右岸のサンタマリア大通りを町に向かう。市営公園の山の上まで車で登り大都会サンチアゴの全景を眺める機会を得る。途中に日本公園もあり紅葉、銀杏、楓等が綺麗に紅葉し本当に日本の秋を偲ばせてくれた。途中の見晴台であった3人組が山の頂上でも歩いて上がって来たとの事で言葉を交わす。下山途中でまたまたこの3人組に出くわし下まで乗せて欲しいと頼まれる。車の中での話では3人はアルゼンチンからの出稼ぎで大工の仕事がチリの家具工場あたりで見つかりそうとの事で国境を越えて出稼ぎにきたとの事で休みの日はする事がなく町から歩いて上ってきて帰る途中だったとの事。昨年末までは1ドルが1ペソであったのが現在は1ドルが3.75ペソまで下落しており給料がドルベースにすると3分の1程度まで下がった事になり、自国アルゼンチンで働いても生活して行けない。チリで家具製造関係の仕事に付き節約してドルで本国の家族に送金する計画との事。今日は、雪山で遭難者?を助ける仕事をしている山男にアルゼンチンからの出稼ぎ者と旅行者の我々と少し違う世界に住んでいる人達と接する事が出来た。
午後4時に19009kmでホテルに到着する。本日の走行距離は110kmと少なかった割に経費が掛かり苦労の多い一日だったが、結果として雪山に挑戦したのは忘れ難い経験となった。
まだ時間的に早かった事から雪で濡れた服を着替え再度歩いて町に出る。ホテルから地図を頼りに歩いていける現代芸術美術館を訪ねるも休館中で入れず。帰路市営公園のCERRO SANTA LUCIAを閉園の5時に最後の入場者として入れて貰う。エレベターで公園の中腹まで上げて貰い見晴台、1540年にサンチアゴの町を創設したPedro Vardiviaの記念碑等、町の真ん中に立派な公園を持っているサンチアゴ市民は羨ましいと感じる。メトロポリタン公園の山の上、サンタルシアの岡の上から眺めるサンチアゴの町の広がりと雨が上がったとは言えアンデスの山々は霞んで見え絵葉書のような景色は見られなかったがその壮大さと上から見る町並みでホテルの近くの地図は自然と頭に入る。地下鉄の駅も近く町の中心地にあるイタリア公園の直ぐ側のPRINCIPADOホテルを見つける事が出来たのがサンチアゴの町を良く知り気持ち良く過せた大きな要因と感謝する。少し早い夕食をホテル直営のレストランでビールとチーズ、ハム、ポテトチップに黒いオリーブの実を混ぜた皿一杯の摘みを頼むと食べ切れない量で時間をたっぷり掛けてビールと共に何とか平らげてホテルに戻る。今日も一日楽しく無事過せた事をビールを傾けながら喜び合う。本日でチリ走行4000kmを突破、4095kmとなった。

5月28日(火)
チリ最後の一日になる。情報提供等世話になっていた三谷トラヴェルの事務所迄地下鉄を利用して訪ねる。今晩泊まるホテルFour Points SHERATONのヴァウシを取りに行く。1泊88ドルとの事で事務手続きをしてPRINCIPADO HOTELのCHK OUTをする3泊で208ドルとの事であった。SHERATONは、名前だけでなくそれだけの設備もあり今回の旅行で初めてPCをFREE INTERNET ACCESSで自室で見る事が出来る。HOTMAILでの日本語の交信が出来助かる。2-3日本語で返事を書き後は帰国後に回す。丸紅当時からさわやか商会になってからも含め初めての完全休暇を楽しむ。チリにも丸紅時代に農機具のアタッチメントを売り込みにメカーの輸出部長と来た事はあったが、40年前にアルゼンチン側のメンドーサから汽車でアンデスを越えた時の思い出、印象が強く是非あのアンデスの山上で南米大陸最高峰のアコンカグアを見せて遣りたいとの願いがあったが、本日ロスアンデスの町まで出向くも残念ながら見られず、雪山挑戦は昨日で懲りているのでアルゼンチンとの国境までの60数キロの道をGIVE UP近くのサンフェリッペ、プタエンド等を見て回る。アンデスの山々が遠くに見られるがサンチアゴの町から見られる遠望とさほど替わらず少々落胆する。本日の走行距離はそれでも243km走る。
ホテルの近くに食堂街があり煩い程の呼び込みを受けるがチリ最後の晩でもあり寿司バーに入り日本食を頂く。ピアノ生演奏がありピスコ・サワーがサービスに付く店に入り、お奨めの寿司と刺身のコンビナードを頼む。日本茶が無くピスコ、ビールで寿司となりカリフォルニア巻き、ニューヨーク巻き、レインボ巻きに刺身に握り寿司が量だけは充分な大きなカマスの様なお盆に載って出てきた。主人以下呼び込み、台所の寿司マン等全てチリ人でサンチアゴにはちゃんとした日本食店もあると聞いていたが車を転がして店を探して回る煩雑とその労力を考慮すると最後の晩餐としては物足りなさもあったがホテルから2-3分の歩いて行けるところに寿司バーでもあったのがもっけの幸いと言うべきか。ホテルに戻りウエルカム・ヅリンクがあるとの事でバーで又ピスコ・サワーをご馳走になり機嫌よく部屋に戻る。日本茶替わりに飲んだ紅茶が利いたのか目が冴えて寝付けず結局PCに向かいこれを叩いている。2週間のチリ旅行の毎日をその日の内に記録出来たのは,PCを担いで来ていたからで初めての経験である。

5月29日(水)
帰国日になる。ホテルで朝食を取る。1泊88ドルに含まれているとの事で朝食に行くがこれがなんと一人8000ペソ(15ドル弱)ブラジルではそれなりの食事が出来る価格でチリはやはり食べ物はブラジルに比較すると割り高感が強い。ホテルの周りを約一時間程、散歩する。10時過ぎというのに殆どのお店が開いておらずサンチアゴは夜型の町らしい。靴屋、眼鏡屋が多くこれは朝早く?から開いていた。男物のヴィロードの格好の良い上着がウインドに飾っていたのを目ざとく見つけ買って呉れるとの事で中に入ったが、サイズが合わず買いそびれる。店で一番小さいサイズを出して貰い試して見るがそれでも腕の先、腹回りがぶかぶかでどうしても駄目で諦める。早めにホテルをCHK OUTして飛行場に向かう。走行開始が19252km。出発が10時48分 飛行場着が11時47分で19279kmでこれが最終走行距離となる。2週間前に飛行場で車を掴んでから実に4361km走った事になる。チリの北端アリカから南端のプンタ・アレナまでの距離が略4300kmとの事でチリの端から端まで走った事になる。一日平均311kmとなる。雪の中4回、大雨の中2回、一日最高850km、最低27km(ホテルから飛行場迄)で無事車を返す事が出来た。良く遣ったと二人で喜び合う。これが最初で最後の車の旅となりそうな気がする。二人で協力して何かを成し遂げた充実感を共有する事が出来た。この相互信頼感の再確認が今回の旅の一番の収穫と言える。飛行場で帰国のVARIG便を待ち小さな買い物をしたりして時間を潰す。サンパウロ経由ポルトアレグレに着いたのは、夜の11時前であった。娘達が揃って出迎えて呉れる。仲よく二人で遣って呉れていた様で彼女達の親離れも完璧で娘達3人も育て上げたとの感が強くこれからも子離れをして二人で生きて行く事に成りそうで嬉しくもあり寂しくもある瞬間であった。来週の月曜日からは、大学の授業も始まり忙しい毎日が繰り返えされる通常の生活に戻る予定。



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