東京農業大学OBの角 忠三郎さんを訪ねて 五味 茂さんの寄稿です。
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40数年ぶりにホンジュラスの研修地からブラジルを訪問しておられるJICAシニアボランティアの五味茂さんがポルトアレグレの後、訪問したのがクリチーバです。クリチーバでは『私たちの40年!!』メーリングリストの石田さんに案内役をお願いした関係上非常に効果的な取材、再開、出会いがあったようで報告が届いており掲載して行きたいと思います。
まず最初は、東京農業大学のOB角 忠三郎さんです。角さんとは角さんが入植しておられたラーモス移住地(リンゴ、ネクタリン、梨等の果樹の移住地)の頃からのお付き合いをさせて頂いておりヤクルトのリンゴ園の園長さんをしておられる時に家族全員でヤクルト農場を訪問、リンゴとにんにくを栽培しているところで豪快なお話を伺いました。角さんの奥さんは、映画「青い山脈」の杉洋子さんの妹さんということで移住地、OB仲間では有名話でした。最近は、山梨の果樹園で剪定時期だけとの約束で奥様と毎年日本に出かけておられたようですが昨年を最後にしたとのことをお聞きしております。角さんのお嬢さんにはクリチーバの光洋ステアリングの工場で何度かお会いしており社長秘書として頑張っておられます。このように懐かしい方を訪ねての最近のご様子を知らせて頂くことは嬉しいことです。
写真は、五味さんが送って下さった内の角ご夫妻と3人のものを使わせて頂きました。
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角 忠三郎様 「夢・ベテラン」の皆様へ
4月6日日曜クリチーバでは、日本人会主催の「花祭り」(写真1)が開かれており、そのお近くの角邸宅を約束した午後2時に訪ねました。角さんは、玄関さきの庭に水を遣りながら迎えてくれました。郊外の広々とした閑静な住宅街で、ヤクルト商工を20年勤め退職した時、日本派遣のヤクルト社員住宅を譲り受けた住まいです。
福岡出身の角さんは、東京農大のそばに住んでいた世田谷のお嬢さんをみそめて、卒業して、南伯に連れてきたのが奥様(写真2)で、クリチーバで日本語教師をなさっています。
1963年最初の入植は、ポルト・アレグレ近郊の果樹園でしたが、その時は、トマトや花卉栽培をしていました。それから桃などもやった話になり、近年山梨市でも働いたことなど話されたので、私の父の実家も山梨市で、桃・葡萄をやっていたので、果樹から林真理子や最近の日本の話題など夫人を交えて話に花が咲きました。東農大同期の親友芝田さん(17年前に御逝去)とは、入植の時から何かと相談事をしていましたが、カステロブランコの革命があった時など、八百屋もやったこともありました。
移住事業団が、プロジェクトとして果樹をラモス殖民地でやることになり、果樹やりたかった角さんは、そちらで10年やりましたが、サンパウロの近くでも果樹を作っていましたので、市場として対抗できず、儲からなかったようです。壁にあたって考えていた時、ヤクルトが納入する税金で、開発事業の植林を、サンタカタリーナのサンジョアキンで林檎の木を植える農園を開く話があり、安定した生活も大切と考え、農園の果樹栽培技師支配人
として、厚遇で勤めることになりました。
お子様は、娘3人息子4人だったので、家庭で日本語を教えていたら、近くの移住者の子供にも日本語を教えてほしいという話があり、徐々に日本語教室的となり、教え方も工夫していったそうです。しかし、角さんが、サンパウロに転勤になったときの日本語教室での教授法が解ってきたそうです。
奥様には、蜜入りのとても美味しい林檎を食べさせてもらったり、日本語指導の話など聞かせて戴、御夫妻に感謝申し上げます。
Jica シニアボランティア ホンジュラス国在住 五味 茂より
「追記」
クリチーバの「花祭り」は、偶然の訪問でしたが、お客様は地元ブラジル人(写真3)で、出店の日本食を味わったり、日本の楽器文化(写真4)を紹介したりするなど、1万人以上の人々が集まり楽しんでいました。出店は各県人会(写真5)や趣味などの会などでやり、収入は日本人会の運営資金にもなるようです。
日本人会長(私の後ろ)から、クリチーバ総領事の佐藤ご夫妻(写真6)を紹介されました。
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