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同船者、藤間 芳嘉師匠(龍川 いく子さん)逝く!! 享年59歳
あるぜんちな丸第12次航では、681名の同船者がいましたが、現在どれ位の仲間がまだ生存しているでしょうか。1962年5月11日にサントス港に到着し丁度46年目の2008年5月11日に龍川 いく子さんが亡くなられました。毎年次々と櫛の歯が抜けるように訃報が届きますが、奇しくも46年の記念の日に最愛の仲間の一人いくちゃんが先に逝ってしまいました。遠くに住んでおり直ぐに駆けつけることもできず31日目の6月12日にサンパウロに出て来た機会を掴みいく子さんの位牌に焼香させて頂き、その後一恵さんに案内して頂きコンゴニアスのお墓にお参りすることができやっと落ち着いた気持ちになり13日の夜親しい仲間と『いくちゃんを偲ぶ会』を持ちました。何時も遅れて来ていたいくちゃんが『ごめんごめんまた遅れてしまって』と今にも飛び込んで来そうな錯覚を皆が抱く賑やかな集まりになりました。年末には延び延びになっていた同級生4人の還暦の祝いをいくちゃんの遺影と共に実施することが決まりました。BLOG、画像掲示板等に掲載された関係記事を纏めて掲載して置きます。
いくちゃん御苦労さまでした。安らかにお休み下さい。天国から後で逝く私たちをお守りください。
合掌


『私たちの40年!!』の主要メンバーで、あるぜんちな丸第12次航681名の中でも船中、ブラジル到着後も仲間の中心的な存在であった日本舞踊藤間流の藤間 芳嘉師匠(本名龍川 いく子さん)が奇しくも私たちが46年前にサントス港に上陸した5月11日の午前10時半に亡くなられました。乳がんが発見されたのが丁度一年前の私たち45年の式典前でいく子さんが参加されておらず仲間の連中がどうしたのかと疑問に思っていました。従い1年と少しの闘病生活になった訳です。
最後にお会いしたのは昨年末、小康を得て新しい年に入れば体力の回復をみて手術をする段階まで回復したとのことでご自宅の近くの清寿司で藤間 芳之丞師匠と恵子も加わり昼食を共にしながら歓談しました。その時は、いくちゃん(こんな呼び方を喜んで呉れるのではないかと思います)が元気になれば恵子、和子さん、美香さんと皆で芳嘉師匠に弟子入りし日本舞踊を習うとの約束をし4月の訪日の際に義妹から着物、帯等一式を譲り受け着物の着付け等をいくちゃんに教えてもらう積りにしていました。
日本から戻りいくちゃんの病状が気になりお姉さんの一恵さんに電話をしたところ泣き声で『癌が肝臓にまで転移して芳しくなくあとは時間の問題と思う』とのことで心配しておりましたがまさかこんなに早い訃報を受けるとは夢にも思っていませんでした。
いくちゃんとは、あるぜんちな丸の船内新聞『さくら』の編集室にお姉さんの一恵さん、吉田 美智子さん、吉田 和子さん、佐藤 昭子さん、佐藤かおるさん等編集室の華やかな女性軍のお一人でした。キュラサオの島で上陸した時にいくちゃん、和ちゃんを連れて散歩に出た時の写真が残っており買い込んだバナナを3人で分けてたいらげたとの懐かしい記述が写真とともに残っています。その後も同じ3人で『こんな写真を撮りました』との記述も残っています。いくちゃんが元気になればもう一度3人で写真を撮りたいと願っていましたが叶わぬ夢となりました。
『私たちの40年!!』の会合には忙しい中、いつも駆けつけて呉れ和子さん、美香さんと共に女性軍の花でした。いくちゃんは、日本の北海道でも日本舞踊をやっていたとかで来伯後は、藤間芳之丞師匠との出会いで一気にその才能を伸ばし若くして名取藤間芳嘉としてブラジルの日本舞踊の普及に努めてこられました。毎年踊り初めの招待状を頂いておりながら遠くに住んでいることからなかなか観劇に出向けませんでしたが、昨年の踊り初めに初めて参加させて頂き普段は、それほど大きく感じない芳嘉さんが舞台ではどっしりとその重量感を感じさせるのに感心したのも昨日のようです。また一昨年杉浦和子さんが日本から長唄の一行を連れてポルトアレグレで講演された時に藤間 芳嘉さんも特別参加され振り付けの方とお二人で我が家に泊まられたことがありますが、その時には既に腰が痛い肩が凝ると乳がんとは分からないままにその兆候があったのにどうして健康に注意深い、いくちゃんが定期的な乳がんの検査を怠ったのかと同性の恵子が悔やむことしきりでした。
これから暫くはいくちゃんとの思い出、関係写真等を紹介、掲載して行く積りですが、まずは皆さんに訃報をお知らせし冥福を祈りたいと思います。

こんな写真が見つかりました。いくちゃんを偲ぶ(1)
今日亡くなられた大事な同船者のお一人龍川 いく子さん(いくちゃん)との思いでは沢山ありますが、一番古いのはこの写真でしょう。当時14歳だったいくちゃんは我々が46年前にサントス港に付いた5月11日に亡くなった。ちょうど46年間ブラジルに住んでいたことになる。7月28日に還暦を迎える前の早世で惜しまれてならない。
写真は、左からいくちゃん、私、和ちゃんの若かりし頃の写真です。

あるぜんちな丸第12次航は、途中オランダ領のキュラサオ島に寄港しました。船内ニュースでもバナナが安いが余り食べ過ぎないようにとの注意事項を掲載しましたが、このキュラサオに下船して町を探索の途中、バナナの1房10本を購入し吉田和子さん(旧性)、龍川いく子さんと私の三人でこの10本のバナナを3本と3分の一づつ一度に平らげたそうです。私は覚えていないのですが見つかった写真を見ながらのいくちゃんの説明ですので間違いはなさそうです。キュラサオの町でバナナをたらふく?食べたあとの記念撮影らしいのですが如何にも若々しい両手に花の幸せ一杯の『こんな時も本当にあったのか』と自分でも不思議がる写真です。青春の思い出大事にしたいですね。

こんな写真を撮りました いくちゃんを偲ぶ(2)
画像掲示板、写真集に下記のような記載と写真があります。「今後十年、二十年生きている間は節目には又いくチャン、和チャンを引っ張り出して同じポーズで写真を撮って見たいですね。迷惑がられるかな?」のコメントはいくちゃんが欠けてしまい実現しなくなりました。年の順では私が一番先にくたばると思っていただけにあたら60歳前のいくちゃんの早世は、本当に残念でなりません。

写真集に『こんな写真が見つかりました』と40年前のキュラサオ島で撮った写真を掲載しておりますが、40年後の現在8月2日のサンパウロに置けるあるぜんちな丸交歓会の後、いく子さん、和子さんと記念写真を撮りました。私自身がサンパウロより遠く離れたポルトアレグレに住んで居たことと同船者意識等と全く関係なく猛烈社員振りを発揮して我武者羅に生きて来たことから40年前の写真の存在も記憶になかった程でしたが『私達の40年!!』企画で昔の新聞班の仲間を中心に40年目の集いの実施とその後のホームページ管理更新の作業を通じて昔の仲間との交流が始まり大きな時間と空間を隔てて蘇る青春の日々大切にして行きたいと願っています。今後十年、二十年生きている間は節目には又いくチャン、和チャンを引っ張り出して同じポーズで写真を撮って見たいですね。迷惑がられるかな? (その機会も永遠になくなってしまいました。)

船内学校同級生? いくちゃんを偲ぶ(3)
あるぜんちな丸第12次航の681人の内、30%近い200数十名が当時15歳以下でした。いくちゃんも14歳で中学生でした。船内学校では、結構沢山の仲間がおり(船内では中学生を対象として教える先生がいなかったかも知れません?)現在でも船内学校の同級生と言われて仲良くしていました。着伯41年の時(5年前)に黒1点の園田さんいくちゃん(真ん中)の仲良し5人組の写真を画像掲示板から転載して置きます。

着伯41年を祝って5月9日にサンパウロで中華料理の円卓を囲みましたが船内学校の同級生五人が記念写真を取りました。左から小原美香さん(1953年)、吉田和子さん(1947年)、龍川いく子(1948年)、園田昭憲(1947年)、今回初めて参加された城島サユリ(1948年)の船内学校同級生です。

少し早い忘年会をしました。いくちゃんを偲ぶ(4)
もう5年も前の忘年会の写真です。
11月22日に今年中に私のサンパウロ行きがあるかどうか判らないとの判断で同船者の仲間が少し早い忘年会を開いて呉れました。今回は産業開発青年隊の牧さんが参加してくれ朝3時に起きて寿司作りをしている杉島さんも出席しその話術で皆を笑わせ大いに盛り上がりました。掲載写真は後列左から和田、小山、牧、園田。前列左から和子さん、美香さん、いく子さんに杉島さんです。平均年齢は?美香さんはいつも船ではまだおしめをしていたと冷かされていますが着伯40年ですので最低40歳プラスα でもまだ若いでしょう?

トメアスーに住む三宅昭子さんを囲んで  いくちゃんを偲ぶ(5)
前述の8月8日(木)のサンパウロにおける会合の写真です。顔ぶれは同じですが、後列左端に小山 徳さんが写っております。ポルトアレグレでの先約が入っておりサンパウロまで出向けず非常に残念に思いましたが、昭子さんとはベレン及びトメアスーで今年の初めにお会いしており許して頂きました。計画移住地に入り40年間同じ場所で営農、生活しておられる方は少なくアマゾンでご弟妹、ご主人を亡くされ昨年11月に金剛婚(結婚50年)を迎えられたご両親の面倒を見ておられ、日本語の教師としてブラジルの子供を含む多くの生徒さんに慕われブラジル社会に溶け込んで生活しておられる昭子さんは、日々の生活を俳句と神への帰依の感謝の気持ちで過ごしておられ、羨ましい限りです。アマゾンの地に根付く同船者の足跡をこれからも書き綴って欲しい願います。

藤間流、藤間芳嘉さん南伯ポルトアレグレ公演を計画中。 いくちゃんを偲ぶ(6)
藤間流、藤間芳嘉さん南伯ポルトアレグレ公演を計画中。寄稿集より転載。
あるぜんちな丸第12次航でバイヤ州クビチエック(JK)移住地に入植後サンパウロに移り藤間流、藤間芳之丞師匠の下で修行現在師範代として活躍中の藤間芳嘉さん(龍川 いく子さん)は、ブラジル国内公演だけでなく既にチリのサンチャゴ市、アルゼンチンのブエノスアイレス市等への遠征公演の実績もあり、今回南伯の文化の都といわれるポルトアレグレ市での公演の可能性がないかどうか在ポルトアレグレ日本国総領事館の津嶋冠治総領事にお願いの手紙を出しており近い将来ポルトアレグレ公演が可能になるかも知れないと期待しております。津嶋総領事宛てのポルトアレグレ公演の可能性打診の書簡を添付して置きます。写真は、藤間芳嘉さんの舞台姿の一コマです。

龍川いく子さんへのご焼香を果たしました。いくちゃんを偲ぶ(7)
私たちのあるぜんちな丸大12次航がサントス港に付いた5月11日に龍川いく子さんが一年有半の癌との闘病生活を終えて先に逝ってしまいました。気にはなっていたのですが、サンパウロに出て来る機会がなく昨日6月12日亡くなられて31日目に運転手役をかってくれた滝谷さんの案内で龍川家を恵子とともに訪問し御焼香させて頂きました。いくちゃんの部屋は生前使用していたままに残しておりお姉さんの一恵さんに色々闘病生活のご様子等を聞かせて頂きました。
お父上の徹鐘さんの広いお部屋に仏壇が供えられており御焼香させて頂きました。龍川家は7人で北海道の三井美唄炭鉱を離職移住して来られましが、瑞さん、光子さん、よし子さん、信子さん、いく子さんと5人が他界されており残ったのは一恵さんとお父さんだけになってしまわれました。
写真は、ご仏壇と側に飾られていたいく子さんの写真と真新しい法名を書き込んだ位牌です。
御冥福を祈りたいと思います。

龍川いく子さんのお墓参りを果たしました いくちゃんを偲ぶ(8)
同船者仲間の人気者、中心人物としていつも元気でにこやかにしておられいつも彼女の傍には花が咲くような雰囲気を醸し出していた日本舞踊のお師匠さん藤間芳嘉さんが亡くなられて31に目に当たる6月12日にお姉さんの一恵さんに案内して頂き飛行場の近くのコンゴニアス墓地にお墓参りに行ってきました。
アイルトンセーナのお墓があり何度か行ったことのあるモルンビーのお墓より古い日系人が開発売り出したコンゴニアス墓地は、大半が日系人の所有墓地のようでずらっと日本名が並んでいました。アメリカの墓地と同じ用に広い丘陵地をロッテ区分して売り出されたお墓で龍川よし子さんが自分のためにと購入した龍川家のお墓には、購入されたご本人より先に瑞さん、光子さんが先に入りその後よし子さん、今回いく子さんが入られました。妹さんの信子さんのお墓も同じ墓地にありお参りさせて頂きました。
丘の上に春を告げるイッぺーロッショーが咲き乱れていました。大鉢の菊の花を滝谷さん、私と恵子の3人の名前でお供えしました。白、黄色、橙色の菊の花は華やかだったいく子さんを思わせるものでした。
元気だったいくちゃんがこの土の下に横たわっていると想像するだけで人生の儚さを感じましたが、同船者を失っていく時に感じる悲しさ虚しさを感じるとともに生きている我々、残された我々が先に逝った同船者の分も強く生き抜く義務があると感じます。またそうでなければ生きて行けない気がします。
イッぺーロッショーの咲く丘で我々まだこの世に生を許されているな仲間を見守って下さいといくちゃんの墓前でお願いしてきました。
今晩、親しかった仲間10名程でいくちゃんを偲ぶ会を行います。一恵さんからいくちゃんの船内生活中の懐かしい写真、その後の藤間芳嘉師匠としての華麗な姿等写真を沢山御預かりしました。
安らかにお眠り下さい。
合掌

龍川 いく子さんを「偲ぶ会」を開きました。いくちゃんを偲ぶ(9)
夜の同船者会は6時半から9時半まで先に逝ってしまった龍川いく子さんを偲ぶ会としていくちゃんを偲んで(酒の肴?)にして話が盛り上がりました。参加者全員の思い出を披露、笑ったりしんみりしたり何時も遅れて来ていたいくちゃんが今にも現れそうで今晩は遅いなと入口を何度も見たりして偲び合いました。
次はお前だと言われましたが、できれば惜しまれて逝ったいくちゃんのように余りボケない内に静かに逝きたいですね。亡くなった人を偲ぶ会が皆で46年も前の船内生活やその後のいくちゃんとの関わり等を語り合い大いに笑いあえたのには、その辺から遅くなって問いながら出て来そうないくちゃんを酒の肴にして語り合いました。同級生の和ちゃん、園田さんに恵子も加えて貰い11月の末の忘年会にはいくちゃんの遺影を加えた4人の少し遅れた「還暦祝い」をすることが決まりました。従い年末のアナポリスへのバス旅行にはいくちゃんも一緒に行くことが決まった訳です。昨年の忘年会の1泊旅行では闘病中のいくちゃんへの気兼ねがありましたが今年は彼女も一緒ですので遠慮なく楽しめます。
「偲ぶ会」参加者の写真を貼り付けて置きます。

藤間 芳嘉(龍川 いく子)さん元気に癌克服。社会復帰を果たす。(追憶のBLOGより)いくちゃんを偲ぶ(10)
半年も前の昨年11月12日付けのBLOGに掲題のいくちゃんとの最後の写真が掲載さえていました。鬘を付けていると言ってましたが化学療法の影響で毛が抜け落ちてしまっていたようですが、本当にお元気で社会復帰を果たしつつある若やいだお姿で食もそこそこ進み歓談しながら将来の展望を語り復帰後の第1番目のお弟子さんに恵子が入れて貰うとの約束でそれがいつになるか楽しみにしておりましたが、半年後に不帰の人になってしまうとは想像もできませんでした。お元気そうだったいくちゃんとの最後の写真が残っていたのは有難いことです。
急いで逝ってしまったいくちゃんですが、いずれ我々も逝く日が来ます。それまで天国で笑って我々を見守って下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/27360626.html

同船者仲間では4月に高野書店の高野さんを喪いましたが、乳癌で健康を心配していた藤間 芳嘉(龍川 いく子)さんが癌を克服し元気になられました。今回のサンパウロ行きではどうしてもいくチャン(藤間芳嘉師匠)にお会いしたく思っていましたが昨日土曜日にお宅を訪ねお元気そうな芳嘉さんとお師匠さんの藤間 芳之丞さんと昼食をご一緒させて頂きました。秋には必ず元気になり皆さんの前に現れると気丈夫に宣言していた通り放射線療法、化学療法の荒療法を乗り越えて治療終了、これからは園田さんの【姫まったけ】で治療を続け社会復帰するとのことで1月8日の第47回【踊り初め】の準備と指導に毎日朝の9時から夜の9時まで芳之丞師匠と共に指導に当たっているとのことで本当に嬉しく思っています。
芳嘉さんの全快祝いと全快後の新弟子第1号として恵子も60の手習いで日本舞踊を始めるとと言い出し驚いていますが、一緒に還暦の祝いをするとの約束は果たせそうで喜んでいます。
昼食時に撮って貰った写真を貼り付けて置きます。まだ体力の回復が必要とのことですが、元気になっておられましたので皆さんにもお知らせして置きます。
一枚目左からいくチャン、恵子、芳之丞師匠です。

関係コメント集
和田様
芳嘉師の訃報に驚き、ご冥福をお祈りいたします。
あんなにお元気でパワフルな方が....言葉もありません。
和田様はじめ同船の方々もお寂しい事でしょう。心から哀悼の意を表します。
和田様の発案でポルトアレグレでの公演にご協力いただいたのが、最後の共演になりました。私どもの南米長唄公演の内、サンパウロ公演は藤間流と花柳流の記念すべき共演が実現したのですが、それには芳嘉師のご尽力が多大でありました。そのご縁で今後も機会を作ってサンパウロで長唄との共演をしたい考えておりましたので、とても残念です。ブラジルの藤間流は貴重な人材を失い大打撃でしょう。芳之丞先生のご落胆は如何許りかとお察しいたします。
間もなく私は訪伯の予定ですので、お花でもお供えしてお世話になった御礼を申し上げたいと思っています。
杉浦和子

和田さん
今朝、郁ちゃんのお葬式が、コンゴーニャス墓地であり、同船者は小山さん、吉田和子さんなど数名みえていました。
お師匠『藤間芳乃丞先生』のお言葉の中に心に残る部分がありましたので書き留めておきたいと思います。
『龍川家から芳嘉を藤間にお預かりし、お返ししないうちに旅立ってしまいました。龍川の皆様には誠に申し訳ないことをしました、なにとぞお許しください』
園田 昭憲

園田 さん
船内学級の同窓生、親しい仲間を失い落胆されておられると思います。
今朝、お葬式だったのですか、和子さんに昨日知らせて貰った時に相談したのですが、龍川家の皆さんで準備しておられ我々同船者がお手伝いに行くといって却って迷惑かも知れないとの和子さんのコメントで初七日のミサとかこの次にサンパウロに出た時にお線香でも上げさせて頂けばよいのではないかととのことでそのままになって仕舞いました。同船者の皆さんも参列されたとのことで安心しました。
芳之丞師匠のお言葉身にしみますね。惜しい人を亡くしました。
ご冥福を祈りたいと思います。
合掌



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