皇太子(浩宮)さまとの思い出のエピソード サンパウロ新聞WEB版より
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現在皇太子殿下が2度目の来伯中で移民尾の日の6月18日、ブラジリアの日本移民100周年記念式典、21日のサンボドロモに置けるサンパウロの記念式典、22日にはパラナ州の記念式典、その後マリンガ、ベロオリゾンテにもお立ち寄りになり24日にリオからご帰国される。今回のご来伯でも数え切れない色々なエピソードを残してお帰りになると思いますが、22年前にCEAGESP(聖州食糧配給センター)を訪問された時に大雨にあい苦労されたそうですがその時に使用された大きな傘を幸運にも取得、家宝として大事にしておられる松永博也さんがサンパウロ新聞に紹介されている。
記念の家宝の傘をさす松長翁の写真もサンパウロ新聞WEB版からお借りしました。 |
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『この傘は我が家の家宝』 ご訪問のエピソード秘めた貴重品松永博也翁
「この傘は我が家の家宝です」―。こう語るのは、サンパウロ市内にあるCEAGESP(聖州食糧配給センター)で約五十年にわたってカボチャ販売一筋に働き、現在は息子に仕事を任せて隠居生活を送っている松永博也さん(八五、福島県出身)だ。
一九八二年十月八日午後六時、当時の浩宮さまは、どしゃ降りの雨の中、CEAGESP(聖州食糧配給センター)を訪問された。
八二年十月九日付けの本紙には、「日系人のブラジル農業界での貢献はセアザを見れば一目瞭然―。浩宮さまは八日午後六時に訪れたがあいにくの大雨でスピード視察。セアザに働く人たちはバンカでひと目でもと待ち構えていたが予定コースが変更され『おめもじ』はかなわずガッカリのひと幕もあった」と記されている。
予定のコースが雨で変更になったことが、松永さんに「家宝」となる傘をもたらしたとも言える。大雨のため、ほとんどの日本人たちがそれぞれのバンカ(ボックス)で浩宮さまを待ち構えていた。その時、松永さんは傘をさし、今上天皇・皇后両陛下ゆかりの記念碑のそばに佇(たたず)んでいたという。
護衛の一人が浩宮さまに傘をさし、CEAGESPを出発するために専用の車に案内した時に用済みとなった黒色のナイロン傘を松永さんの目の前に置いて立ち去った。
その時、日本人は松永さん一人で周りにはブラジル人しかいなかった。松永さんは「こんなところに傘を置いたままにしていてはいけない。これは自分に与えられたもの」と拾い上げた。
松永さんは、「こんな記念の品は滅多にない」とばかりに、傘の柄の部分に浩宮さまご来場記念の文字をポルトガル語で刻んでもらい、後に傘に合う専用の袋を作らせ、今も大切に保管している。
「今まで知り合いが見に来て、数回開いただけ」という傘の直径は約一・五メートルもあり、中心部分の柄は直径三センチほどの太さの木製となっている。
前述の記念碑は、今上天皇・皇后両陛下が皇太子・妃殿下時代の六七年五月二十五日に訪問された際に除幕されたもので、記念碑の横で松の植樹も行われた。浩宮さまは、その松の成長を雨の降りしきる中、熱心に見届けられたことを松永さんは今も記憶している。
松永さんは、旧セントロのカンタレーラにある中央市場時代から、「鉄兜」などカボチャの販売を行ってきたが、現在は長男の住男さん(五九、二世)が後継ぎとして、切り盛りしている。土曜日には息子の車でCEAGESPを訪れることも度々あるという。
今月三日、本紙の取材のためにわざわざCEAGESPに足を運んでくれた松永さん。当時の浩宮さまが今回、皇太子殿下としてサンパウロを訪問されることについて、「自分は足が悪いので当日(二十一日)は会場には行けないと思うが、(ご来伯は)嬉しいね」と大きな傘をさしながら、充実した表情を見せていた。
(写真=浩宮さま(中央)にさしかけられているのが現在の松永さんの傘/(写真右)「家宝」の傘を快く広げて見せてくれた松永さん)
2008年6月5日付 |
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