『これぞ移民の心意気』 丸木 英朗さんの寄稿
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トロントにお住いの丸木さんは、甲子園のすぐ傍で産声を上げた根っからの虎党でブラジル、アメリカ、カナダに移住、転住された国際人で物書き、水泳、こよなく歌を愛し、野球に詳しい方で阪神タイガーズ博士の一人でダイナマイト打線から最近の選手名鑑をすべて頭に入れておられる方です。交友録をベースに掲題の『これぞ移民の心意気』を書いて送って呉れています。昨年は、日本からの帰路トロントに立ち寄り丸木さんにトロントを案内して頂きトロント猛虎会の皆さんとも交流を持つことができました。今年は阪神の優勝は間違いないと思いますのでサンパウロとトロントを繋ぐ盛大な優勝祝賀会を計画したいと思っています。写真は、やはり丸木さんが解説して呉れている阪神頑張れの横断幕を持って10万人?〈大袈裟やな!〉の甲子園の土を踏んだ時の写真を使用しました。 |
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添付の写真は4月26日に甲子園球場での阪神巨人戦観戦に行かれたブラジル猛虎会の面々。向って左から事務局長の和田さん、会長の尾西さん、和田さんの弟さん、和田さんの奥さん、和田さんの叔父さん。
「タイガース頑張れ」とポルトガル語で書かれた巨大な横断幕を、地球の裏のブラジルから甲子園に担いでこられた明石出身の尾西さんは、サンパウロの日本人町で明石屋宝石店を経営のかたわら兵庫県人会長。今年6月には日本から皇太子を迎えブラジル移民百周年祭が予定されており、その準備に訪日された一行は天皇皇后に拝謁の後、甲子園に駆けつけた。甲子園球場は遠路はるばる訪ねてきた一行をグランドに招き入れ祝意を表した。外野席まで満員、十万人の大観衆の「百年祭おめでとう」の大歓声に五十年ぶりで甲子園に来た尾西さんは大満悦。生涯このような嬉しい日が来るとは、人生最良の日と申されたとか。
前号の「バーチャル交遊抄」に書いたように、阪神タイガースの宮崎オーナーとコネのある僕に、和田さんから巨人戦のチケットが取れないので宮崎さんに頼んでくれと云われ、去年に続いて仲介の労をとったところ、なんと招待状がブラジル猛虎会に届いた。宮崎オーナーからのメールでは僕のことを「影の仕掛人」と、まんざらではなかった様子、「交遊抄」を書かれたのもむべなるかな。
カナダに住んでる僕はブラジル移民のなれの果て、兵庫県西宮市甲子園出身の僕はブラジル兵庫県人会では会員待遇。2005年1月には明石屋で尾西さんに会い、阪神タイガースにまつわる思い出話をした仲。家内の故郷のレシーフェから空路3時間、サンパウロに着いたら尾西さんが地方からの来訪客用に確保されてる銀座ホテルのスイートルームを提供してくれた。
期せずして殆んど時を同じく、ブラジルのサンパウロとカナダのトロントで、昔懐かしい歌声の集いが発足した。3才でブラジルに移住された田辺さんが、昭和3年に入植した耕地で父親が過酷な農作業の後で風呂の中や風呂上りに一杯やりながら歌う「酒は涙か溜息か♪」など日本の歌を憶えていたので、邦字新聞で呼びかけたところ、ブラジル全土から参加者があり「なつメロ想い出の集い」として、日本人町のカフェテリアでの昼食後に3時間ほど皆が一緒に歌うようになった。毎回特集があり、前回は東海林太郎特集で、今回は軍歌特集。ブラジルには、今でも日本が戦勝国と信じてる人が居るらしい。一方、「トロント歌声喫茶の会」は戦後派、反戦歌や労働歌はじめロシヤ民謡などのリクエストが多い。ブラジルでもカナダにも双方に共通してるのは、日本語学校で教育を受けた二世や三世も参加され、童謡や唱歌が歌われる。
久し振りで訪れたサンパウロで、「なつメロ合唱の集い」と改名し老ク連(老人クラブ連合会)に会場を移した歌声喫茶の会に参加した僕は、子供の頃よく歌った「空の神兵」をリクエストした。「よくぞ歌ってくださった、わし等も、その歌を一度でいいから堂々と歌ってみたかった」、と大勢の出席者から握手を求められ肩を叩かれるやら、果てさては、ご婦人連からはキッスの雨あられ。第2の故郷で、みんなと楽しく歌えたサンパウロへの旅は、たった1泊やったけど、僕の生涯でも思い出に残るひとときやった。
その年に、阪神タイガースが2年ぶりで優勝したら早速、日本人町のリベルダージ広場には「祝・阪神リーグ優勝おめでとう・V」の横断幕が掲げられたサンパウロ。我が街トロントでも「トロント猛虎会」のトラキチ達が集まり「阪神Xデー優勝祝賀会」はトロント狂騒曲となり大騒ぎ。姉妹都市でもないのに、こないによう似とるんは、やっぱり同じ日本人の血やろか?南米と北米、季節は逆でも日本人としての想いも衿持も同じもの。若い頃に歌った懐かしのメロディーを、上手下手に関係なく皆で一緒に仲良く歌う楽しさは何もにも変えがたい。ブラジルでは遠くバイア州から90才を超えたシベリア出兵の勇士も駆けつけ軍歌の大合唱。
南伯のポルトアレグレに住む和田さんはロシヤ民謡「しゃれこうべの歌」の替え歌を、東京の歌声喫茶「ともしび」で披露された:
ブラジルに来て 早四十年過ぎ
夢かなわず 故郷を想う
しゃれこうべが ラララ云うことにゃ
祖国の土も 踏まずに死んだ
故郷を想いながら異境の地で死んで逝った多くの同船者、ブラジルの土に還る私自身の思いを込めて鎮魂歌をお聞きいただきました、と挨拶。和田さんは、安保反対デモでの自治会仲間の樺美智子さんの死を契機に、政治家になる夢を捨て大学卒業後ブラジル奥地のトカンチンス州に移住。ナイヤガラの斎藤ファームのハンク斎藤さんなんかと同じ農場に入植。初代の丸紅ポルトアレグレ所長を歴任、現在は貿易商としてサワヤカ商会社長。 和田のワにサ・ヤ・カが娘さんのイニシアル、奥さんは連邦大学の化学科教授を今年定年退官。
ガルボンブエノ街717番地にある銀座ホテルを出た僕は、走馬灯の如く、いろんな想い出に浸りながら日本人町を歩き、ガルボンブエノ街13番地に着いた。地下鉄リベルダージ駅の入り口の直ぐ傍に、明石屋宝石店があった。地下鉄サンジョアキン駅の近くのホテルから、回想の赴くまま丁度一駅歩いたことになる。途中で渡った大阪橋の鳥居には「よくぞ日本人を、この国に受け入れ守ってくださった」と思わず合掌した。それは、かつて上海出張の際に渡った横浜橋を思い起こさせ、ここもいずれは「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」になるのでは・・・と、USマリーン(アメリカ海兵隊)より勇猛な大日本帝国海軍陸戦隊の建物だけが骸骨の様に残存していた事実と重なり複雑な思いをした。人種の坩堝と言われるサンパウロで、日本人の子孫は他の民族同様増加してるものの、白人や黒人と混血しており苗字も日本名ではない者も多くなり、もはや日系人とは云えないのが現状で、出稼ぎで日本に帰るので日本人口は減少しつつある。百年で30万人の日本人がブラジルに移住し、日系人は150万人。現在は、その子孫が30万人以上も日本に出稼ぎに行っており日本に定住しブラジルに帰国の意向はない。
http://blogs.yahoo.co.jp/tigers_toronto
丸木英朗
Hideo Maruki
805-4001 Bayview Avenue
Toronto, Ontario
M2M 3Z7
E-MAIL:maruki_hideo@rogers.com
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