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武藤 嵩 様 ・ 「夢・ベテラン」の皆様へ 五味 茂さんの寄稿です。
ホンジュラスにお住いの五味 茂さんが40数年ぶりに南米各地を歴訪されて「夢・ベテラン」の(日本海外移住連盟OBのメーリングリスト)に各地でお会いされたメンバーの皆さんとの交流を報告されています。今回は、パラグアイのアスンシオンに住んでおられる早稲田の海外移住研究会OBで学移連の委員長を務めたことがある武藤 嵩さんのことを報告しておられます。
武藤君は、学生時代はずうずう弁(今でもかな?)を丸出しで確か褌を着用していた猛者で富田、真砂、武藤と3代続いて早稲田から連盟委員長を排出した黄金期の一人で彼がアルゼンチンに移住したとの報に一番ふさわしくない?国に移住したものだとの感がしましたが、私がポルトアレグレに住むようになり隣接するアルゼンチンのブエノスアイレスに彼を訪ねた時には地下鉄で通える郊外に家を購入していましたが、その後パラグアイのアスンシオンに再移住したとのことでアスンシオンにも彼を訪ねたこともあり、サンパウロで行われる早慶野球戦には、夜行バスでアスンシオンから遠征して来て元気なプレイをしていました。8月の10年振りの現役による早慶戦にはまた彼とサンパウロで会えるのではないかと楽しみにしています。写真は、五味さんが送ってくれた武藤さんとのツウショットです。


4月16日、夜中の0時25分マナウス空港発ち、早朝サンパウロのゴメイス・ガルリョス空港に着きましたが、空港からは一歩も外に出られない規定にJicaボランティアはなっています。40年前、一年以上住んでいたガルボンブエノのはずれの下宿も、マタラゾの工場の同僚の家族がいるカンピーナスにも行けません。アスンション行きタム航空は、8時に出ましたが経由地のシウダ・デル・エステ市は、イグアス移住地に近いですが、ここでも降りられない規定です。10時頃アスンション空港に着き、街中の内山田ホテルに行きました。ここで、ホンジュラス国で懇意になったパラグアイ人のE夫人と待ち合わせますが、シニアボランティア同期のI氏たちが滞在しているので、声をかけ街中で両替しながら、40年前と変化した様子を案内してもらいました。E夫人の実家(写真1)に泊めてもらい、翌朝日系2世が中心のセントロ日系を訪ねました。そして昼前に、武藤氏(写真2)の事務所に連れて行ってもらいました。
事務所を引っ越したばかりで、何かとお忙しいおりでしたが、日系老人クラブ連合会の佐藤隆一事務局長に連絡し、お会いさせてくれました。ここには、日系社会シニアボランティアのT氏が1年近く活動しており、内容を説明してくださり、私の話を聞くと、後任にちょうどいいと言ってくださり、新年号の会報や資料を下さりました。日系社会福祉協議会の事務局長もしているので、日系社会福祉センターと併設している「日系診療所」を案内してくださり、現状を聞かせてくれました。武藤氏は、両方の常務理事をもなさっている佐藤隆一氏とは、古くから懇意にしていることもあり、日系老人クラブのシニアボランティアに好意をしめしてくださり、今後連絡を取り合ってくれることになりました。
武藤氏が次に重要と考え、パラグアイ日本人会連合会事務局長の会田義雄氏にもお会いさせてくれました。連合会は、全パラグアイ日本人会の組織団体でセントロ日系も入っており、日本語スピーチコンテストと作文コンクールを主催しているので、その詳細報告書「青空 19集」を頂きました。会田氏は、併設されている全パラグアイ日系人教育推進委員会の事務局長も兼任しているので、その機関紙「みおつくし」24号等も渡して下さいました。Jica所長のアイデンティティの確立などの熱い言葉も掲載され、パラグアイの日本語学校の歴史と現状がわかります。
そして、その中にある日本語学校の職員室を案内して、教材などの話をしてくれました。
19日朝、41年前に訪問したラ・コルメナ移住地に向かって出発し、雄大な大地(写真3)を車で走り11時前に着き、再び宮坂国人氏の胸像(写真4)の前に立ちました。E夫人が懇意にしている宮本果樹園(写真5)を訪ねると家族で歓待してくれました。宮本氏の友人の三井氏が迎えに来てくれ、経営するレストラン(写真6)で和食を嗜みながら老人福祉の話をすると、父三井波夫氏は日系老人クラブ連合会の前会長でした。移住地でもこれからは老人介護の問題が重要で、私の母が大腿骨骨折で金属骨と変える手術をし、脳溢血で90歳で亡くなるまで15年近く介護し、歩かせていました。寝たきり老人にさせない介護の大切さを語り(写真7)あいました。
夕方、武藤氏の邸宅(写真8)に送ってもらい、泊めて頂くことになりました。学移連第6次派遣団の横田善則氏が、娘アスカさんに武藤氏から連絡があったので、イグアス移住地から私に電話があり、クリチーバで山下団長と池田氏に会ってきたことや、農大杉野農場などで世話になった懐かしい話などしました。夕食は、奥様の和風鍋料理で中南米では初めてだったのでゆっくり味わいながら、語りあいました。武藤さんは、自動車部品販売のお仕事を経営していますが、パラグアイ日系社会でも幅広くご活躍していたので、友人も多く信頼されていますので、私にたいして的確な判断を即座にして、お世話してくれました。
武藤様には、何かとお忙しいおり、佐藤・会田氏の両事務局長にお会いさせてくれ、貴重なお話とご指導戴き誠に有り難うございました。奥様には、土鍋をつつきながら、日本語教育の話などして戴き、宿泊してお手数をかけ、感謝申し上げます。またお会いできるときを楽しみにしています。
Jica シニアボランティア ホンジュラス国在住 五味 茂より

アスンションが学移連関係者訪問の旅の最後となりましたが、多くの方々にお話を聞かさせて戴き、近い将来南米で活動させていただく方向性がみえてきたことは、「夢・ベテラン」の皆様のおかげと思いますので、誠に有り難うございました。学移連関係者の他の移住者の方などの報告は、番外編の旅としてさせて頂ければと思っていますので、よろしくお願い致します。
Jica シニアボランティア ホンジュラス国在住 五味 茂より



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