エッセイ 永遠の命 トメアスー移住地の三宅昭子さんからのお便りです。
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同船者で船内新聞班で一緒に頑張っていた仲間のお一人トメアスー移住地に御住みの三宅昭子さん(旧姓佐藤)からお手紙を頂いた。写真が同封されていたので写真紹介と共に少しづつ叩いてみます。全文が叩き終れば寄稿集に収録させて頂きます。
エッセイと共に下記お便りも同封されていました。
『いくちゃんが5月11日(母の日)に召されたとのこと。私の妹、薫も45年前の母の日(5月12日)に召されています。母の日は二人を思い起こす日となりました。今いれば59歳、いくちゃんと一つ違いでありました。
移民半世紀親族10基の墓洗う 昭子
三宅の両親、佐藤の両親、夫、弟、妹、義妹、甥、姪の10人を見送りました。』
写真は三宅さんから送って頂いた写真の一枚、龍川いく子さんがトメアスーの移住地を訪問された時にトメアスーのお墓を昭子さんと妹の恵美子さんと一緒に訪ねられた時のものです。
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エッセイ 永遠の命
われよりも若きの訃報身に沁むや 昭子
舞踊家、藤間流の藤間芳嘉師匠が逝った。六十才のの若さで惜しい人を。。。と残念に思う。私の同船者であり、いくちゃんと呼んで妹とは大の仲良しであった。私たち船内新聞班は、兄弟、姉妹、家族同様である。何事にも慎重で健康には人一倍気をつけておられたのに。。。乳がんは、早期発見であれば、恐いものではないと聞いている。彼女は、ご自分の健康を過信されていたのだろうか。気が付いた時には、方々に移転していたとか。以前、車の追突事故に会い、腰が痛いと云って事故のせいと考えていたころ既にがんの移転が始まっていたのでしょうか。お正月近くには小康を得て踊りの指導に出られるようになったと喜んでおられたのに。。。(その一)
エッセイ 永遠の命 (続き)
2002年の9月、40年ぶりでお会いして、その3ヶ月後にはトメアスーを訪問してくださり、ちょうど入植祭でしたので願ってもない踊りをご披露して下さいました、そのころトメアスーは、転機で文協会長が変わったりして入植祭に出席する村民も少なく催しものなく淋しい限りでしたが、彼女が藤間流の舞踊をもって彩を添えて下さったのは懐かしい思い出です。
妹、恵美子とともに主人のお墓参りをして下さいました。私はどうしてもお見舞いしたくてこの正月過ぎまた入院されたと聞きでかけました。頭痛や吐気に悩まされておられましたが、そんなにやっれても見えず相変わらずおきれいでおられたので薬のせいでそうゆう状態なのでしょうかとおもっておりました。「今の姿や寝ている部屋など家族以外の人にはのぞいて欲しくないと思っているが、昭子さんは家族同様だから。。。」と嘔吐の処理など手伝わせて下さり、貴重な一時を過ごすことができましたことは、とても感謝なことでした。こんなに早く逝ってしまわれるとは。。。いずれいつかはこの世を去らねばならないのですが。。。(その二)
エッセイ 永遠の命(終り)
私たち人類をはじめ全世界、全宇宙を創造された全能の父なる神のもとに帰らねばなりません。それには、永遠の命という命をいただいて。。この世から去ってどこに行くのか知らないということがないようにと話させていただいた時、うなずいておられましたが。。。人は何処から来てどこに行くのでしょうか。死と云う言葉を人は忌み嫌いますが、必ず迎えなければならない現実であり誰一人としてまぬがれることのできない事実なのです。神に造られ、神にそむき、楽園を追われた人類の祖はすなわち私たちの姿であり、神に立ち帰る道も備えて下さいました。私たちが受けねばならない罪をキリスト様が身代わりとなり十字架上で受けて下さりよみまで下りましたが蘇って今も生きておられ、私たちのために取りなしていてくださる。それを信じ受け入れた者には神の子となる権利を与えられるという。そして永遠に神と共に過ごすことができる道を行くことができる。。。このことの故に私は、どんな時にも失望することなく生きる道を見出してきました。この命によって安んじて命尽きるまで精いっぱいこの世の道を生き(たとえ明日が知れなくとも)歩ませていただこうと思うこの頃である。
椰子の花 アマゾン暮らし 謳歌して 昭子
雲の峰 わが国籍は 天にあり 昭子
トメアスー 2008年6月16日
三宅 昭子
いくちゃんが5月11日(母の日)に召されたとのこと。私の妹、薫も45年前の母の日(5月12日)に召されています。母の日は二人を思い起こす日となりました。今いれば59歳、いくちゃんと一つ違いでありました。
移民半世紀親族10基の墓洗う 昭子
三宅の両親、佐藤の両親、夫、弟、妹、義妹、甥、姪の10人を見送りました。
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