ノルウェーの二人旅(1999年5月31日〜6月15日)石田通泰さんの寄稿です。
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京都にお住まいの石田通泰さんは、いつも奥様が企画された手作りの海外旅行を楽しんでおられるようですで既に今年行かれたドイツ中部の旅を寄稿集に収録させて頂いていますが今回は9年前に行かれたノールウェーの二人り旅の様子をBLOGに掲載されていましたので9年前の若々しいリーセフィヨルドの断崖の上で撮られた石田さんのお写真を借りて収録させて頂く事にしました。
BLOGに出ている8通のコメント集も一緒に掲載して置くことにします。
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ノルウェーの二人旅(1999年5月31日〜6月15日)
あるMLでノルウェー旅行の話があったことと、ブログを2008.7.31にはじめたので、前に行ったノルウェーを思い出しながら旅行記を書いてみました。投稿初日の21日から何度か追加。23日部分的メモを見つかり追記。
会話はすべて英語で済みました。バスの運転手も英語はうまくないといいながら、説明してくれました。もっともこちらの英語もうまくないし、旅行に必要な程度の英語力ですので、うまくない英語の方が気が楽です。ノルウェーでは対岸のイギリスの放送が入るので、英語は自然と覚えるようでした。
1. 日程はアルバムに書いていました。
5/31 関空10:30 アムステルダム15:15 16:30 オスロ18:15
5/31〜 6/2,13(4泊) Hotel Rainbow Astoria Oslo オスロ
6/3(1泊) Hotel Atrantica オーレンス
6/4 〜 6/5,7(3泊) Hotel Rainbow Tronheim トロンハイム
6/6(1泊) Radisson SAS Hotel Bodo ボード
6/8 〜 6/10(3泊) Hotel Grand Terminus ベルゲン
6/11 〜 6/12(2泊) Commandor Hotel スタバンゲル
6/14 オスロ10:40 アムステルダム12:30 14:35 関空15日8:50
この日程は特に北部のボードへの鉄道が学生の夏休みになると混み合い、乗れないこともあるとかで妻が決めたようです。ちょっと早すぎたということで、スタバンゲルでは、逆にバスがなく、600mはあるという絶壁に行けませんでした。私はいつも嵐のような日程を組まない限り、旅の日程には口出しをしません。
これを書くにあたり、アルバムを見ましたが、9年前ですから、二人とも若いのにびっくりしました。
60歳と69歳はやはり違いますね。当たり前ですが、やはりびっくりです。
2. オスロ
飛行機は、アムステルダムで乗り継いだようですが、既に忘れています。9年前ですからね。
確か機中でピアノの勉強中の若い女性が隣に座っていて、オスロ空港で降りた後は、バスでオスロ駅まで同行したように思います。こちらは荷物はすくないが、彼女は多かったので手伝ったからではないかと思います。バスで降りた所は、駅の裏のような感じのところで、女性が待ち合わせしている場所は、駅の正面とかで、そこまで同行したような記憶があります。
彼女と別れ、駅の近くのホテルに入りました。このホテルは帰国前にも1泊しましたが、昼食にワッフルを自分で焼けるシステムを採用していました。もちろん無料。白人の家族連れも利用していました。オスロの観光地は、ホテルの近くにあるので、トイレ休憩にも帰れ便利でした。
大きな通りが歩行者天国になっていたり、公園の子供の遊具がオリジナル性があり、大きいもので感心したのを覚えています。また、オスロ駅のホームへの昇降通路は幅の広い動く歩道を斜めに設置したようなもので、これも珍しかったのを覚えています。しかも速度が速いのです。
確かオスロの博物館だったと思いますが、役に立たなくなった老人をフィヨルドの崖の上から突き落とす突き落とし棒なるものが展示されていました。ノルウェー版姥捨て山もあったんだとおもいました。
3. オーレンス (オスロ北西 370km、距離はグーグルアースで測定)
小さい港町オーレンスには、列車で近くまで行き、その後は海岸沿いを走るバスでした。ホテルに入ったときは、まだ早かったので、次の日のバスの停留所と時刻を確認して、裏山に登り、小さい港町を見下ろしたのを覚えています。
オーレンスへの鉄道沿線は、雪解け水であちこちの山から幾筋もの細く長い滝が出来ていました。夏場だけの滝のようです。
4. トロンハイム (オーレンス北東 270km、オスロ北北西 400km)
トロンハイムへはバスで入りましたが、途中の湾は船で渡りました。湾はフィヨルドだと思いますが、周囲の山はさほど高くありません。普通の海岸線のような感じです。オーレンスからのバスはここで引き返します。バスの運転手は、英語が下手だといいながら、向こう岸での状況、バス乗り場、時刻などを説明してくれました。乗り継いだバスは、旅行書では、トロンハイムの市内のバスターミナルに着くはずでしたが、鉄道の駅が終点でした。ターミナルは廃止されていたようです。
現地の状況は旅行書と変わっていることが間々ありますが、あわてないことです。
トロンハイムは確か古都だと言うことでした。港とか山の上の要塞などに行きました。
山の上の要塞には、第二次世界大戦で使ったであろう、今でも現役で使える大砲が何門か無人で据え付けられいるのにびっくりしました。戦時になれば、使うらしく、塗装もされ、砲口には頑丈なカバーがかけられていました。
その山の上に行く最初の坂は急で、特殊なリフトが備えられていました。説明の看板を見ると、積雪時に、自転車などを引っ張り上げる装置のようでした。
トロンハイムのホテルの朝食は、カニの足を剥いたのが大量に出ていました。私は食べるのが面倒で、あまりカニが好きでないのですが、剥いてあるので、試しに食べるとおいしいので、このときは大量に食べました。現地の高校生の団体が宿泊していたのですが、彼らは、カニに見向きもしませんでした。
ボードへの列車の旅は朝が早いので、ホテルで、車内で食べる朝食を作ってもらいました。朝食を食べる時間がないときは、ホテルで頼むと作ってくれますね。この持ち出し弁当の英語もあったと思いますが、忘れました。どなたかわかりますか?
5. ボード (オスロ北 850km、トロンハイム北北東 450km)
ボードはノルウェー国内から行ける鉄道の終点の町で、夏場は北極圏内で終日太陽が見える街です。
トロンハイムからボードへの鉄道は長い道のりだということがあるのだと思いますが、一車両の半分位に、子供の遊び場が設置されていました。さすが福祉の国だと思いました。
ボードのホテルで、妻は夜の間、白夜の太陽を見ていたそうですが、私は自然現象なので、あまり興味がありませんので、寝ていました。確かに夜だと言うのに、明るい空というのは不思議ですが・・・・
ボードの付近も湾が入り込んでいますが、山も、島も高くなく、松島的な景観です。切り立った崖を期待して行くと失望します。南部の方が切り立った崖が多いようにおもいます。
6. ベルゲン (オスロ西北西300km)
ボードからオスロ経由でベルゲンには鉄道では一日では行けないので、トロンハイムで1泊して、2日がかりの移動でした。ボードから一気にベルゲンに移動したとおもっていたのですが・・・・・
オスロからベルゲンへの山越えは、まだまだ雪が残る鉄道の道で、途中に小さな山小屋が沢山ありました。多分、個人の別荘だろうとおもいます。この国では、大抵の家庭で別荘、船を持っているようです。
ベルゲンの港の市で深海魚のアンコーを売っているのにびっくりした記憶があります。この港市で日本人にあいました。オスロでも会いましたが、それ以外は東洋人にあわなく異国に来た感じがしました。
ベルゲンでは裏山に登って港を見たり、古い木造の街を見学したりしました。オスロ方面に少し戻り、フロム鉄道で山を下り、途中の大量の水が流れる滝の駅で途中下車して滝を見学したり(最近、この滝では妖精が出るそうです。)、ゾグネフィヨルドを船で移動したりしました(有名らしく、シニア料金はない)。
7. スタバンゲル (オスロ西南西 300km、ベルゲン南 160km)
ベルゲンからは高速船でスタバンゲルに移動しました(レールパスを持っていると船賃は半額になる)。もちろん前日船着場を確認しました。この高速船は結構大きく、狭い水路でも高速で走るし、途中の寄港地でもいとも簡単に接岸するので、さすが海賊の末裔だけあると感心しました。海岸の景色も最高。
スタバンゲルでは、ついた当日は、街を歩き回りました。住宅街を歩いていると小さな店があるので入って、なにか買った記憶がありますが、何を買ったかまで記憶はありません。木製品だっとおもいますが、最近、土産はほとんど買わないですね。
湾を歩こうとあまり人がいない海岸を二人で歩いていると、家のある所から、なにやら怪しい感じの人が降りてくるので、やばいとおもって引き返しますと、彼も引き返します。多分泥棒さんではないかとおもいます。人のいないところでは、常に警戒は必要ですね。個人旅行では周りを常に見る習慣が必要だと思います。
翌日は観光船に乗って長さ40km程度の狭い水路のリーセフィヨルドをさかのぼり、終点からバスで山の上に登り、かえってきました。数百メートルはある断崖プレーケストレーン(上の写真)もあり、細い水路を航行するので、景色には圧倒されました。途中に滝とかアシカなどがいると、留まってくれます。
この観光船の女性のガイドは私たちが気になるらしく、二人で納まった写真を撮らないものだから、なぜ二人で撮らない?と聞いて二人の写真を撮ってくれました。そういえば、外国では写真を撮ってくれとよく頼まれますね。
船を下りて、バスで山の上に登って景色の良い場所での休憩時間にフィヨルドを見ようと山の急斜面を下りるのですが、向こう岸の山の斜面が見えるだけで、細長い海面は見えない。山は急斜面で、木がないので転げ落ちそうでした。今思い出しても少し怖い感じがします。(上の写真)
この船とバスのツアーはシニア料金で半額でした。シニアは55歳からのようでしたが、シニアというだけで良いようです。
スタバンゲルのホテルでの一夜目は確か金曜か土曜の夜で、外が大音響の音楽でやかましいので、ホテルの夜の支配人(といっても一人勤務)に事情を聞きに行くと、隣は酒場だという。騒音条例がないので、警察も取り締まれないらしい。申し分けないといって広い部屋がないのでと、一人部屋にマットだけ持ち込んでもらい、狭いが音が聞こえない部屋に変えてくれました。その支配人と色々話をしました。普通の家庭でもヨットは持っているとか、彼はヨットまで持っていないが、ボートは持っている、もちろん別荘もあるといってました。税金が高いが仕方ないとも言ってましたね。高い税金は若い人に不満は多いが、社会主義と自由主義の中間も悪くないともいってました。
翌日は、フィヨルド観光から帰ってくると、大きい部屋に変えてくれていて、アルコールのボトルが二本置いてくれていました。昨夜のお詫びのようでした。
スタバンゲルからオスロへは列車でしたが、途中の駅で、乳母車が多いのに気がつきました。少子化対策をしているのだろうなとおもいました。
オスロから空港までは鉄道を利用しました。切符を出してくれそうなときに、妻がシニアと言ったものだから、「それならもっと早く言え」といわれました。欧米ではシニアと言ってみるものですね。窓口でシニアと書いてなくとも割り引いてくれることが多いようにおもいます。
記憶に残っているのはこの位でしょうか?質問があればどうぞ。判る範囲でお答えします。
費用は二人で約57万円。内訳飛行機226000円、ホテル169000円(代理店手配のみ)と49000円(個人手配)の合計218000円、レイルパス43000円、交通費51000円、食事はほとんどはスーパーで買い物12000円、そのほか見学、土産、関空までの交通費などすべて含みます。
コメント集
石田さん、ノルウエーの旅読ませて頂きました。良くも記録されたものと感心しています。私も2001年に北欧4カ国をツアーで家内と行きました。石田さんの様に語学が出来ませんからツアーが安心です。でも、現地ではよく二人で出歩いたものです。ノルウエーではオスロからベルゲンへ行った記憶があります。旅行の写真と別に旅行記ページも作って居ます。
www2u.biglobe.ne.jp/~mkishi/hokuouhp/hokuou.htm">http://www2u.biglobe.ne.jp/~mkishi/hokuouhp/hokuou.htm
彦左さん 9年前はデジカメを使っていなく、普通の写真でした。そのアルバムが15冊あります。場所をとって仕方ありません。1冊50枚の写真として750枚ですね。やはりデジカメの方が沢山撮りますね。CD一枚で収まりますから、写真の枚数は制限していません。
記録は妻がアルバムに記載していたので、拝借しました。その後は記憶だけですから、間違いもあると思います。英語は旅行が出来る程度ですから、たいしたことはありません。もちろんノルウェー語は知りません。
私たちもデンマークに行きました。ツアーでは、スエーデンのストックホルム、フィンランドのトゥルク、ヘルシンキ、ロシアのサンクトペトルスブルクに行ったこともあります。ロシアにはバスで入りましたが、政治の体制で自然も異なるということを実感しました。
石田 さん
私も仕事でベルゲンまで出向いたことがありますが、コペンハーゲンから飛行機でした。世界中の船屋(傭船、船会社、エイジエントが集中)している古い港町です。フィヨルドの船旅が懐かしいです。
ところでアルバムがあるとのことですので関係写真を一緒に掲載して頂けないですか。トラックバックを貼り私たちの40年!!関連BLOGにも転載させて貰いたいと思います。
写真はデジカメでないので、写真をデジカメで取り直してみます。
日光のところでないとうまくとれないようですので、明日にでも挑戦します。
妻が旅行好きで、旅行のアルバムが背の高さの本棚2本になり、最近はデジカメとCDへの保存です。皆さん、昔のアルバムを整理して、CDに入れているようですね。
今まで本棚2本のアルバムは見たことはありませんでしたが、今回ノルウェーの旅をブログにするので、初めて見ました。
よく海外旅行をされて、いろんな所に観て歩かれ羨ましい限りです。
私も観光で海外旅行はしましたが、東南アジアの観光が中心で今後も
オーストラリァやスイスなどにいってみたいものです。
石田 さん
写真有難うございます。写真と全文をお借りして『私たちの40年!!』関連ブログにトラックバックを貼らせて貰いました。寄稿集への収録も御許可頂けるでしょうか。
今後とも色々の旅行記を楽しみにしています。
和田さん 石田です。
私は皆さんのお役に立てばと思ってこのブログを作っています。ですので、引用は自由にしてください。
labitutuさん 石田です。
海外旅行は妻が好きで、たまについてゆかないと料理を作ってくれませんから、ついてゆくだけです。妻は子供たちが出張などで海外に自分より先に行くものですから、負けじと行っているようですね。
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