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『おじちゃん達の60年!!』の資料作り開始。(20年後?)
『私たちの40年!!』は、使用語を日本語としておりますが、必要に応じてポルトガル語、スペイン語のと投稿分等も日本語に訳し記載していく積りです。これから20年後の『おじちゃん達の60年!!』作成計画では使用語がポルトガル語、スペイン語に変わり2世、3世のルーツ発見の形で受け継がれて行く事を願っており、2部作として完結する息の長い物として育てて行く積りです。写真は、昨年11月に結婚60周年を迎えられた北伯テメアスー移住地にお住まいの佐藤正一郎さん邦子さんのダイアモンド婚式に同じ移住地に住む同船者海谷ことさんの御三人で合計なんと255歳の熟年同船者です。


現在『私たちの40年!!』の作成作業をしておりますが、20年前に同船者の集いを実現させたいと願いその具体化に努力された元長崎県人会長の吉川 元さんがおられると聞きその当時は、猛烈社員振りを発揮、家族を省みる時間も惜しむ形で我武者羅に働いていた私にそれを手伝えただろうか?と自問しています。吉川さんは、1915年生まれで現在は87歳になっておられ千葉県にお住まいとの事で現在長崎県人会を通じてその連絡先を調べて貰っております。20年前と言うと67歳で我々の現在の年齢より少し年長と云った方で現在私たちが感じている気持ちと同じ様な気持ちに動かされておられたのでは無いかと想像します。着伯20年では、まだブラジルに置ける生活(特に経済生活)が固まっておらず、仕事に子供の教育にと必死だったのかも知れません。これから10年後の着伯50年では、当時20代の始めの若かりし青年達も70代に入り増してや当時家長として家族で集団移住地に入られた方達は80代、90代に達し体力、気力が許さないか記憶そのものが遠い忘却の彼方に溶け込んでしまっているかも知れません。『私たちの40年!!』は、今だから出来る、今やらなければ出来ないとのぎりぎりの時期でもあり賛同者、協力者が集まれたのだと思う。私個人としても1995年に丸紅ブラジル会社現地役員を辞し55歳にして独立、ささやかな「さわやか商会」を設立、家族力を合わせての会社経営は、7年目にしてどうにか軌道に乗りつつある状況で一つの通過点、区切りとして来年度は『私たちの40年!!』記念誌発行事業に邁進して行きたいと念願している。
今回の『私たちの40年!!』は、681人のあるぜんちな丸第12次航の移住者の40年の歩みを日本語を公用語として(表現手段として)書き残そうとの主旨で家族と共に小学低学年かそれ以下の年齢で親に連れられて移って来た準2世の日本語よりポルトガル語、スペイン語の方が得意と言う方の原稿の扱いをどうするか決めていない。出来れば日本語で統一したい(必要があれば日本語の翻訳分を付ける)と考えている。この日本語の『私たちの40年!!』の続編として20年後に幼くして来伯したブラジル教育を受けた準2世の同船者または我々の子孫としてブラジル、ボリビア、パラグアイ、アルゼンチンで生まれたあるぜんちな丸ファミリーに『おじいちゃんたちの60年』を是非現地語で作成出版して貰いたいと念願しており、『私たちの40年!!』は、その続編、第2部ともいえる『おじちゃんたちの60年』が出版されてはじめて完結するものとしたい。当然、続編の公用語は、ポルトガル語でありスペイン語となり日本語での寄稿文等も総て現地語に翻訳して掲載する事になる。20年後、82歳までもし天命があれば喜んでポルトガル語でおじちゃんの一人として原稿を書かせて貰いたい。我々の子孫が『おじちゃんたちの60年』作成計画を実現させるにあたっての基礎資料ともなる名簿、家族構成記録、連絡網等をきっちりとした形で残せれば後は子供、孫たちに継続して貰う様、後事を託したい。

平成13年12月31日
あるぜんちな丸第12次航
船内新聞40年後の特別記念号
『私たちの40年!!』編集委員会
 和田 好司



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