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沖縄県人子弟の目覚しい活躍 赤嶺 尚由さんのサンパウロ新聞への寄稿文です 
下記お便りと共にサンパウロのお住みの赤嶺 尚由さんからサンパウロ新聞に掲載された原稿を写真と共に送って下さいました
『前略 昨日まで当地も身を切るような寒さに見舞われていましたが、今朝から打って変わって、見事な晴天に一変しております。先週末、サンパウロ新聞に掲載して貰った拙文、、<ブラジルにおける沖縄県人子弟の活躍>を転送申し上げますので、ご一読の上、もし貴兄のご慧眼に適いましたら、何卒ご高配くださいますようにお願い申し上げます。草々
尚、写真は当日の会場の模様を写したものが生憎ありませんので、話し中の小生の写真をご使用になってくださいますれば幸甚に存じます。』


沖縄県人子弟の目覚しい活躍 サンパウロ 赤嶺 尚由 

 ブラジルに住む沖縄県人の子弟たちには、何か共通する先天的な明るい肌合いと同時に、地に足の付いた逞しい雰囲気があることを常々感じ取ってきている。ブラジル沖縄県人会(与儀昭雄会長)の移住百周年を記念する数々の行事が去る八月二十三日から繰り広げられたが、以下は、その企画の中の一つ、第ニ回世界のウチナーンチュ会議で「ブラジルにおける沖縄県人子弟の目覚しい活躍振りの原因」と題して発表した私見の要約である。
 一九○八年六月十八日未明にサントス港の第十四埠頭へ着岸した笠戸丸には、総勢七八一人の日本移民が乗っていて、その内の約四一.%に相当する三ニ五人がウチナーンチュで占められていました。私は、沖縄からの笠戸丸移民の先人たちが残してくれた数多い遺産の中でも、特別に重要視してこれからも大切にして行かなければならない目に見えないものがあるのではないか、とずっと考えて来ています。 
 それが何かと言えば、「チンサーグヌ花ヤ 爪先に染ミティ 親ヌ ユシグトヤ 肝ニ染ミリ」(鳳仙花の花は 爪の先に染めななさい そして 親の教えは しっかりと肝に染めなさい)という教訓歌「チンサーグヌ花」の中に盛り込まれた沖縄の昔からの教えや喩えであり、また、或いは「カギヤデ風節」などに代表される琉球古典音楽であり、「安里ヤユンタ」に代表される琉球現代音楽であり、はたまた、「沖縄そば」や「サーターアンダギー」に代表される琉球料理であり、更には、ウチナーンチュ系の若者たちの間で、最近、急速に人気の高まりつつある太鼓やエイサーなどの琉球舞踊や音楽であると受け止めております。
 本土の小中学校で教えられたこともあるらしいこの「チンサーグヌ花」の教訓歌は、いつ何処で幾つになって聞いても、なかなか意味深な感じがしてなりません。全部で四、五節くらいある中で、私が一番印象付けられていますくだりは、「アガリ(東)明ガリバ、シミ(墨)習レーガ行チュサ、頭(かしら)結ティタモリ ワン親ガナシー」(東の空が明るみ始めたら、墨(学問)習いに行きますから、どうか私の髪を結うて下さい 私のお母様」といったところです。ここには、昔の沖縄での子の親に対する畏敬の念を込め自然な関係を盛り込んだ考え方(哲学)というか、小さな宇宙観といったものまで封じ込まれているような気がします。
 これらの歌や踊りや太鼓やエイサーや料理、そして、何よりも、ウチナー口(グチ)と表現される独特の方言は、私が改めて言うまでもなく、沖縄が昔から世界に向かって誇ることのできる立派な琉球文化であります。誰が言い出したかはっきりしませんが、極めて個性的で優れた文化を持つ民族は、なかなか滅びにくいと伝えられています。個性的な文化の周囲で、同じアイデンティティ(自己同一性=ワッターヤ ンーナ ウチナーンチュ ド ヤヌムン=私たちは、皆、揃って沖縄県人じゃないか)という風にお互いの似た肌合いを確認し合っては、県人会などを中心に集まり、手を取り合うことが出来るからだと考えられます。他府県人の子弟には、こういう勝れて個性的な文化がなかなか共有出来ていないのではないか、と判断されます。
 今、ブラジルにおけるウチナーンチュの人口は、ある信頼できる統計によれば、十五万人に達していると言われています。同じく移民でブラジルにやって来た日本の他府県人の中でも、圧倒的な数を誇り、団結や絆が固いとも伝えられています。ただ、集まり群れを作るだけでは有りません。この世の中で、一番先に即物を言う経済力にかけても、県人子弟の目覚しい実績がさまざまな分野で目立ち、大いに注目され始めています。
 私には、一九○八年に笠戸丸がサントス港に到着して以来、ちょうど百年が過ぎた今、ウチナーンチュの子孫たちが力を失い、元気をなくしていくどころか、反対に、益々末広がりに発展させて行っている原動力の一つは、間違いなくあの「チイサングヌ花」の教訓歌の中に含まれる深い数々の意味合いであり、また「沖縄そば」を始めめとする琉球料理であり、太鼓やエイサーなどの琉球舞踊や音楽であると考えられてなりません。
 今からニ十年くらい前辺りまで、「沖縄サン」とか「沖縄人」とか、聞いていて、余り耳障りの良くない差別語みたいなものさえ有りましたが、これらも、ウチナーンチュの子弟たちの活躍が目覚しくなるにつれて、次第に消えてなくなりました。しかし、沖縄県人子弟の課題というか宿題みたいなものも、反対に垣間見えてきています。ウチナーンチュ同士の間にいる時は<イジャーグワー>とか<内弁慶>みたいなりますが、一歩外へ打って出るとなると、まだ多少引っ込み思案的な所が臍の緒みたいに残っているような気もします。
 もし、百年前に沖縄から笠戸丸に乗ってきた私たちの先人たちが単なる金儲けのための移住者のままで終わっていれば、タイの原住民たちの中に、線香花火の如く瞬く間に埋没して姿を消して行った山田長政一行のような運命をたどっていたに違いありません。「チイサングヌ花」等の歌訓歌や諸々の琉球文化がその子孫の精神面にしっかり根を降ろして受け継がれてきたために、今の沖縄県人子弟は、次第に他の追従を許さない独特の存在となり、活躍ぶりを示しているのだとも理解されます。
 これまでの百年間は、良いに付け悪いに付け、笠戸丸の先人たちに助けられてきた感じがしましたが、これからの百年の間には、きっと山の裾野のように広がる日系人脈の中からこの国を背負って立つ国家的指導者が出てくることに、大いに望みを繋げそうですが、なかんずく、ウチナーンチュの末裔たちの間から、そういう風な指導者が出て来てほしいものだ、と真剣になって期待しているところであります。<筆者は、人材銀行ソールナッセンテ代表)



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