ミナス州に住む三女、小百合からの写真が届きました。
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2年間のニュージランド、オーストラリアの旅から戻ってからはミナス州の学園都市ヴィソーザで農業経済の修士課程に挑戦、自らもシチオ(小農場)に住み農業に取り組んでいるようです。7月に訪問した時に約束した乳牛1頭のプレゼントは、乳搾りも大変だし山羊で我慢するとのことで近くの農場から譲り受けて来た山羊を飼い毎日自分で乳を搾り余った乳からバターを生産しているとのこと。
ボリビアにお住みの三浦さんから「どうして農業なのか?」との質問がありそれに答える形での書き込みを収録して置くことにしました。
写真はシチオCRINDIUBASの新しい住人LELECAと乳を搾る小百合。余った山羊の乳を原料としたバター作りにも挑戦しているようで好きなことが出来るのは幸せなのでしょうね。年末には家族全員で小百合の所に出向き田舎のクリスマスを過ごす予定にしていますが、クリスマス用の七面鳥が大きく育っているとのことですが見ると食べられないですよね。今年のクリスマスは、どんなクリスマスになるか今から楽しみにしています。
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2年間のニュージランド、オーストラリアの旅から戻ってからはミナス州の学園都市ヴィソーザで農業経済の修士課程に挑戦、自らもシチオ(小農場)に住み農業に取り組んでいるようです。7月に訪問した時に約束した乳牛1頭のプレゼントは、乳搾りも大変だし山羊で我慢するとのことで近くの農場から譲り受けて来た山羊を飼い毎日自分で乳を搾り余った乳からバターを生産しているとのこと。
写真はシチオCRINDIUBASの新しい住人LELECAと乳を搾る小百合。初めて作った山羊の乳を原料としたバター作りに挑戦しているところです。好きなことを出来るのは幸せなのでしょうね。
和田さんのところの娘さんは、なぜ農業を専攻するようになったのですか?日系女性には珍しいと思うのですが。
三浦 さん
ご質問は、もっともですね。
実は私も農業移住者としてブラジルに来ましたので最初はゴヤスの山奥で牛飼いを遣っていました。ブラジルにおける農業では高度の土地利用との観点からすると牛飼いの他にないとの2年間の放浪の旅の結論でしたが、結局牛飼いは2年間続かず24頭の牛を友人に預けて農場を出ましたが、その友人が勝手に草が少なくなってきたので全ての牛を売却したとの通知と僅かな販売料金を送って呉れて牛飼いの夢が潰えてしまいました。ブラジルで通用する資格を取り再度田舎に戻る積りでしたが、いざブラジルの法科大学を出てブラジルの弁護士の資格を得るには得たのですが、残念ながら田舎に戻ることはありませんでした。日本の商社丸紅で猛烈社員振りを発揮して21年間勤務、丸紅ブラジル会社の役員も務めましたが現在のファミリー会社さわやか商会を1995年に創立14年目を迎えています。
前置きが長くなりましたが末娘の小百合は、1981年ポルトアレグレ生まれで当地連邦大学経営学部を卒業後勉強した事を生かしたいと多国籍企業への就職を目指して入社試験に臨み筆記試験ではいつも優秀な成績でパスするのですが最終の面接試験で何度も失敗しています。若作り(こんな小娘に高級を出すのは勿体無い?)の性か何故か採用されず一時『お父さんの元気な間の遊び場所』と決め付けていたさわやか商会を暫くの間手伝ってくれていましたが、自分で見つけて来たワーキングホリデイーのシステムでニュージランド、オーストラリアに各1年過ごし最後にカナダでもう一年過ごす予定のようでした。
オーストラリアの後半にミナス州出身の獣医学部卒の現在の伴侶と知り合い捕鯨基地の西オーストラリアの無農薬農場で研修、自然食レストランの責任者、ワイナリーの農場直営店での販売、アフリカでのヴォランタリー活動をしたりして今年の5月にブエノス経由ブラジルに帰国しましたが、伴侶のエドワルド君がヴィソーザの大学の獣医学部での講師としての就職が決まり現在教鞭をとっていることから小百合もヴィソーザの連邦大学の農業経済の修士課程に席を置きアカデミックな生活を再開しており、エドワルド君の父君所有の30ヘクタールのシチオ(小農場)に住んでおり将来は無農薬野菜、乳を搾りバター、チーズ等を自家製で作り町の近くでもありオーストラリアのワイナリーが経営していた直営店又は日本の道の駅的な地方物産を取り扱う店を道路際に開けるとか農業その物より農産物の流通面での仕事を自分なりに開拓していきたいようで現在はその準備期間と言うか充電期間(ワーキングホリデイーの延長線上の生活?)をしているようです。店を開店したらママが制作した陶器等も是非販売させて欲しい。ミナスに来て登り窯でも作って売れるものを生産して欲しい等勝手な事を云っています。
娘3人が3人とも親の手を離れそれぞれが自分の責任において好きなことを遣っており、親の云うことは子供の頃から聞かない(そのように育てた親の責任ですが)傾向があり自業自得と諦めていますが、小百合が農業に興味を示し実践しているのは私としては自分が出来なかったことに取り組んでいると云う意味では嬉しいことですが、どこに行き着くかは本人次第と思っており見守ってやる以外に何も出来ないと思っています。
だらだらと長くなってしまいました。ごめんなさい。
三浦さんからの返信
和田さん
長い説明ありがとうございます。よくわかりました。
親としては、子供が一生懸命何かできることを、そろえてあげて応援してあげることなのだと思います。うちは、長女がラパスの日本レストランでアルバイトしながら日本語勉強しています。たまに、ラパスからサンタクルスに帰ってきます。結構、気に入ったようで、店の主人にもかわいがられているようで安心しているところです。
三浦さんのお嬢さんは、親元を離れてラパスの日本レストランで働きながら日本語の勉強をしておられるとのこと偉いですね。おっしゃる通り親が引く弓を離れた矢はその方向付けだけは親として責任を持つべきですがその後は自分の力で飛んで行って呉れることを見守ってやるしか方法がないですね。
11月にブラジルでお会い出来るのを楽しみにしております。
この部分をまとめて寄稿集に収録して置く事にしました。
ミナス州のヴィソーザに住む小百合からの便りが届きました。27歳の誕生日は、普段の一日と同じで平穏に幸せに過ごしたとの事です。
地元ロタリークラブ主催の課外事業の一つとして子供たちに土を溶かしたペイントで絵を描く授業を担当して楽しんだそうです。ヴィソーザの町にはこの土を原料にしたペイント外壁も内壁も塗った教会があるとの事です。
Oi, pessoal!
Esse e-mail é pra agradecer o carinho no meu aniversário!
Mais um dia tranqüilo, nada de grandes comemorações mas cada dia mais feliz!
Mando em anexo fotos do Dia da Cidadania. Evento do Rotary com a escola da comunidade de Amoras na área rural de Viçosa. Foi esse sábado! Dei uma oficina de tintas à base de solos. A técnica é uma adaptação do antigo barreado mas pode ser aplicada em paredes externas e internas também. Temos uma igreja aqui em Viçosa toda pintada com as cores da terra!
Amor,
Sayuri
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