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創立50周年迎えた『学移連』 記念式典、映画会で祝う 映画「北辰斜めにさすところ」上映 
ブラジル日本学生海外移住連盟(学移連)OB会(日比野亘会長)主催による『学移連創立五十周年記念祝賀会』が十一月五日、サンパウロ市内で行われる。この祝賀会には日本、米国、エクアドルなどから関係者約四十人が出席。また、学移連では五十周年と移民百周年をそれぞれ記念し、映画『北辰斜めにさすところ』(神山征二郎監督)の上映会をサンパウロ、マナウス、ベレンの三都市で催す。同映画では、主演の三國連太郎さんがコロニアに宛てたビデオレターを特別公開する。(サンパウロ新聞WEB版より)
11月5日(水)ポルトアレグレからサンパウロに出て学移連の創立50周年記念式典に参加した。『北辰斜めにさすところ』我々の学生時代の早慶戦よりまだ昔の五高と七高の因縁の野球戦を軸に過去と現在が交差する映画。見応えがあった。夜は、ニッケイパレスホテルでの式典に参加、訪伯団の吉永正義団長と45年振りの再開を果たす。関係写真は、BLOGに掲載しますが先ずは全員集合の記念写真です。


創立50周年迎えた『学移連』 記念式典、映画会で祝う 映画「北辰斜めにさすところ」上映 サンパウロ新聞WEB版より

 ブラジル日本学生海外移住連盟(学移連)OB会(日比野亘会長)主催による『学移連創立五十周年記念祝賀会』が十一月五日、サンパウロ市内で行われる。この祝賀会には日本、米国、エクアドルなどから関係者約四十人が出席。また、学移連では五十周年と移民百周年をそれぞれ記念し、映画『北辰斜めにさすところ』(神山征二郎監督)の上映会をサンパウロ、マナウス、ベレンの三都市で催す。同映画では、主演の三國連太郎さんがコロニアに宛てたビデオレターを特別公開する。

《日本、米のOBも集まり 三國連太郎氏からビデオレター》

 「海外雄飛」を志した大学生らで一九五五年に創立した学移連には、日本全国の大学六十校が加盟。時代の流れで大学構内から「移住サークル」が解散する九〇年頃まで、約五百人の学生が海外で研修した。その中からブラジルへと移住したOBは多数存在し、全伯各地で活躍している。

 正式には学移連が創立されて五十三年になるが、今年は移民百周年のため、三年遅れの五十周年祝賀会を催すことになった。日本からは東京農大、拓大、鹿大、関学、関大、神大、北九大の七大学から約四十人の学移連OBがブラジル訪問団を結成する。

 同五十周年を記念してブラジルで初公開される映画『北辰斜めにさすところ』は、移民百周記念年協会(上原幸啓会長)などの後援で十一月五日午後一時から、文協記念講堂『水曜シネマ』(聖市リベルダーデ区サンジョアキン街三八一番)で上映する。

 同映画は、未来を担う若者に「映画を通じて日本の在るべき姿 をもう一度考えて
もらいたい」とのテーマで製作されたもの。

 旧制第七高と第五高の対抗野球戦を舞台に、激動の昭和を生き抜いた旧制高校生たちの青春群像を描いた神山征二郎監督の大作で、昨年から今年にかけて全国ロードショーで放映され話題を呼んだ。

 映画製作は学移連OBの高原要次さん(福岡市在住・鹿大OB)がコーディネーターを務め、また神山監督と主演の三國連太郎さんの希望もあってブラジルでの上映が決まった。

 映画の最後には移民百周年を祝して、コロニアに宛てた三國さんのビデオレターを公開する。

 また、映画終了後は神職歌手の涼恵さんによる歌謡コンサートが行なわれる。

 これら五十周年記念イベントを催すに際してブラジル学移連OB会側は、「コロニアの皆さんが日本にいた頃と、映画の時代背景が似ており、懐かしく感じるのではないでしょうか。ぜひ、観てもらいたい映画です」と広く一般の来場を呼び掛けている。

 なお、北伯での映画上映は次の通り。

◎マナウス=十一月九日午後七時から西部アマゾン日伯協会(涼恵コンサートあり)。◎ベレン=同十三日午後三時から汎アマゾニア日伯協会。

 学移連五十周年記念祝賀会および映画上映の問い合わせは本紙編集部・吉永(電話11・7537・9030)まで。

写真:ブラジルで初公開される映画『北辰斜めにさすところ』

2008年10月24日付け

10月27日付メーリングリスト
既報の通り11月5日(水)に『学移連』の創立50周年記念式典がサンパウロで開催されることになっていますが、今回の式典に日本から参加される皆さんの団長として来伯される拓殖大学卒の吉永正義さんから今朝ご子息の吉永拓哉(サンパウロ新聞記者)の著作本、関係記事、昔の懐かしい週刊誌の切り抜き等各種資料を集めたEMCの880gの封筒が届きました。
私もTAMのマイレージを使用した切符が取れているので5日の午前中のフライトでサンパウロに飛び午後1時からの記念映写会映画『北辰斜めにさすところ』(神山征二郎監督)の上映会に参加、夜のセレモニーにも参加さする予定です。
吉永さんからの手紙に北伯トメアスー移住地で彼と会った日のことが日記に残っていたとの事で送ってくれましたが、本当に几帳面な記録を残している事に感心しました。下記転載して置きます。
1963年1月16日(水)晴
【新井先輩の農場で和田君も交えてカッサー(狩猟)に行った。原始林の中の水溜りに亀がいたので捕らえたが臭くてしようがなく逃がしてやった。しばらくするとひょろ長いヘビに出くわした。和田君が銃にバラ玉をつめカベッサ(頭)に二発打ち込んだがなかなかくたばらなかった】懐かしいですね。四十五年振りの再会を今から楽しみにしています。ファミリーの皆様の健康とご多幸を祈ります。

全く覚えていない事実で果たして私が散弾銃を2発もぶっ放すことが有り得るか疑問ですが今もヘビは余り好きでない事を考えると当時の吉永さんの日記に記載されているのでだから事実だったのでしょう。若き学生時代の忘れていた出来事に驚いています。

来週の水曜日には、1泊2日で仕事と関係なく映画鑑賞とセレモニー参加の為に一人でサンパウロに出向きます。


学移連半世紀祝う=映画『北辰斜めにさすところ』上映も=世界各地からOB
参集 ブラジル新聞メルマガ版より

 海外雄飛の志、半世紀後もなお―。日本学生海外移住連盟(学移連)の創立五十
周年を祝う祝賀式典が五日午後七時から、聖市リベルダーデ区ニッケイパラセホテ
ルで行われる。ブラジル学移連OB会(日比野亘会長)主催。伯国内はもとより、
日本から七つの大学OBを中心とした三十八人、アルゼンチン、エクアドル、米国、
パラグアイなどから、約百人が集う。参加者らはそれぞれの研修先を訪問、恩人ら
と久闊を叙す予定。なお、百周年を記念し、聖市、マナウス、ベレンで旧制第五校
と七校の野球対抗戦を描いた映画『北辰斜にさすところ』(神山征二郎監督)が上映
される。日本からの訪問団の吉永正義団長(68、拓殖大)は、「我々の時代は良か
った」と往時を懐かしみ、開催を喜んでいる。
 ▽ ▽
 学移連は一九五五年に日本国内六十以上の大学の学生らで結成され、約五百人が
ブラジルに移住、研修を行った。
 三年後の五十周年となった今回、拓殖大学、東京農大、神奈川大学、関西学院大
学、関西大学、北九州大学、鹿児島大学のOBを中心に今年二月、実行委員会を結
成、準備を行ってきた。
 きっかけとなったのは、映画『北辰斜にさすところ』をブラジルで上映したいと
いう高原要次さん(55、鹿大)の熱い思いから。同映画は、旧制高校を舞台に野
球の対抗試合を通した学生たちの青春群像劇。製作にも関わった高原さんは、「日本
の学生の古き良き志をブラジルの人にも見てほしい」と力を込める。
 上映前には、主演の三國連太郎さんがビデオレターで百周年や学移連五十周年を
祝うほか、聖市生まれで日本で活躍する歌手、涼恵さんのコンサートも開かれる(ベ
レン除く)。
 一九六二年にトメアスー移住地で一年間実習した吉永さんは帰国後も南米と関係
を持ち続け、今回の訪問で三十回目。
 夫人の峰子さんが初めての南米訪問となることから、「昔は『亭主のロマンは女房
の悲劇』といったものですが、今は逆」と笑いながら、「長年の罪滅ぼしのつもりで
す」と話し、トメアスーも夫婦で訪問する。
 横浜市議会議長も務めた同市会議員の伊波洋之助さん(65、拓殖大)は、「アマ
ゾンの実習は大変ためになった」と話し、現在までに約二百人の青年をブラジルで
研修生として派遣する活動も行っている。
 六四年に第五回調査団に参加し、六七年移住した主催側の徳力啓三さん(66、
三重大)は、「来伯が四十年ぶりという人もいる」と笑顔、歓迎ムードを見せている。
 映画『北辰斜にさすところ』の上映は、◎サンパウロ=ブラジル日本文化福祉協
会で五日午後一時から。◎マナウス=西部アマゾン日伯協会で九日午後七時から。
◎ベレン=汎アマゾニア日伯協会で十三日午後三時から


海外雄飛の若き日の意気衰えず 創立50周年を祝う 学移連訪伯団来伯して記念式典 サンパウロ新聞WEB版より

 【一部既報】日本学生海外移住連盟の創立五十周年と移民百周年を記念して結成された同連盟ブラジル訪問団(吉永正義団長)が三日朝、グァルーリョス国際空港に到着。その足でイビラプエーラ公園内の開拓先没者慰霊碑を参拝したあと、訪問団の吉永団長(拓大出身、六八)、伊波洋之助(同、六五)、安藤明(北九大出身、六三)、高原要次(鹿大出身、五五)の各氏と、ブラジル学移連OB会の徳力啓三さん(三重大出身、六六)の五人が来社した。学移連五十周年を記念して五日午後一時から文協水曜シネマで上映される『北辰斜めにさすところ』(神山征二郎監督)の一般入場を広く呼び掛けている。

記念映画を水曜シネマで 5日『北辰斜めにさすところ』を上映

 安保闘争など学生運動が盛んだった最中、日本の「内」を見るのではなく、「外」に目を向けた学生たちがいた。

 まだ一ドル三百六十円だったこの時代、一般の学生による外国留学は難しかったが、海外雄飛を志した全国約六十校の大学生たちは、校内で移住研究部、海外研究部などを組織し、ラテン語の学習や南米移住の研究を行なっていた。

 その連合体が一九五五年に創立した日本学生海外移住連盟だった。五九年に連盟傘下の学生十三人が「第一次南米実習調査団」として南米へと渡り、南米の日本移民らの世話になりながら約一年間の実習調査を行なった。

 第四次団からは、親伯派だった故・田中龍夫議員や経団連などの働きかけで、百万円以上の支援金を受けるようになり、公的資金で毎年十人前後の学生が海外で実習できるようになった。

 第十二次団(七二〜七三年)からは飛行機での渡航となり、八〇年代に入ると南米以外にもイスラエル、オーストラリア、アフリカなどにも実習生が派遣された。

 この実習制度は各大学で「移住研究」が姿を消す九〇年頃まで続き、南米を主とする海外に約五百人の学生を派遣した。ブラジルには、学移連に加盟していた各大学から百五十人以上が移住している。

 三日に来社した学移連ブラジル訪問団の代表者四人は、学生時代にブラジルで実習調査をしたことを機に、今でもブラジルへの係わり合いは深い。

 伊波さんは〇五年から〇六年まで横浜市市議会議長を務めた議員で、野球を普及するためブラジル側に野球道具一式を贈った。

 五年ぶりに来伯した安藤さんは、元ブラジル・サロンパスの取締役社長としてサンパウロに赴任していた経歴を持つ。また、吉永さんは北伯コロニアと日本との人的交流に尽力している。

 五日に水曜シネマで上映される『北辰斜めにさすところ』は、第六次総合実習調査団団員だった高原さんが映画のコーディネートをしたもの。「主演の三國連太郎さんが移民百周年を迎えたコロニアにメッセージを送ったので、そのビデオレターも同時公開します」と話す。

 訪問団に同行したブラジル学移連OB会の徳力さんは、五日午後七時からニッケイパレセ・ホテルで開かれる学移連創立五十周年記念祝賀会のことで、「所在不明の学移連OBが多いため、この機会に連絡をしてほしい」と関係者に呼び掛けている。


学移連50周年=海外雄飛の夢、覚めず=聖市=約100人が語り合う=南米、
日本、米国から ブラジル新聞メルマガ版より

 「学移連のスピリット残せ」――。日本学生海外移住連盟(学移連)の創立五十
周年を祝う祝賀会が五日夜、聖市リベルダーデ区のニッケイパラセホテルで開かれ
た。ブラジル学移連OB会(日比野亘会長)主催。伯国内はもとより、日本、アル
ゼンチン、エクアドル、米国などからOBを中心に約百人が集まり、海外雄飛の夢
に青春を燃やした学生時代を懐かしみ、果てぬ思い出話に杯を重ねた。
 学移連創立は一九五五年。ブラジルで学移連の周年行事が開かれるのは、三十周
年以来となる。映画『北辰斜にさすところ』の製作に関わった高原要次さん(55、
鹿大)の「日本の学生の古き良き志をブラジルでー」という伯国上映の思いが今回
の開催に繋がった。
 高原さんは、「移住できなかった思いがある。せめてもの恩返しという気持ちだっ
た」と話しながら、「六十以上の大学が加盟していた学移連創立の半世紀を仲間と一
緒に祝えたのが嬉しい」と満面の笑みを見せた。
 日本から訪問団(三十八人)の団長を務める吉永正義さん(68、拓大)はあい
さつで、開催に携わった関係者に感謝の言葉を述べ、「日本に残った人、ブラジルに
渡った人も『世界は一つ』という気持ちでこれからやっていきたい」と一致団結を
呼びかけた。
 母校の北九州大学から、ラテンアメリカ研究会の五人の学生を引率した安藤明さ
ん(62)が日伯国会議員連盟会長でもある麻生太郎総理大臣の祝辞を代読した。
 学移連創立に関わったエクアドル在住の井上順八さん(70、拓殖大)が乾杯の
音頭を取り、参加者らは元気に杯を突き上げ、歓談へと移った。
 「年をとれば取るほど、若い頃の情熱が蘇ってくるね」。半数以上は顔見知りとい
う会場を見渡すのは、宮本修さん(65、鹿大)。
 六四年から一年間、南麻州や聖州アンドラジーナ近郊で実習、今回七回目の来伯。
山口県山口市経営する食品工場では、多くのブラジル人労働者を雇用している。
 第十期の委員長だった武藤嵩さん(70、早稲田大)は、六六年にアルゼンチン
に。その後、パラグアイに再移住、現在は、首都アスンシオンで自動車部品を扱う
会社を経営する。
 「海外移住の基礎を作ったのは一世だが、これからは二、三世の新しい交流が生
まれれば」と話し、次の周年行事開催を期待する。
 途中、出身大学別に名前が呼ばれると拍手が送られた。余興では、拓大出身者ら
が、移住する仲間を港で見送るときなどにも披露した名物「勝ちます踊り」が会場
を沸かせ、バンカラな校風を象徴する「押忍三唱」で締めくくった。
 サンバショーでは、来場者がダンサーらとサンバのステップを踏み、会場のあち
らこちらで笑顔が弾けていた。
 最後は「学生移住連盟歌」を全員で合唱し、閉会した。
 「初めての海外旅行」という北九州大学一年生でラテンアメリカ研究会に所属す
る山崎涼子さん(19)は、「今の学生にはない団結力。羨ましい気がする」と感慨
深げに話していた。


『我らのスピリットは不滅』 日本などからOB集まって 学移連、創立50周年を祝う サンパウロ新聞WEB版より
 日本学生海外移住連盟(日比野亘会長)は学移連創立五十周年とブラジル日本移民百周年を記念して五日、リベルダーデ区ニッケイパラセ・ホテルで『学移連創立五十周年記念祝賀会』を行った。学移連は一九五五年、海外雄飛を志した全国約六十校の大学生が創立し、五九年に第一次調査団が南米で実習調査を行った。解散する九〇年頃まで、約五百人の学生が南米を中心とした世界各国に派遣されている。今年で創立五十三年を迎えるが、ブラジル日本移民百周年の今年、記念祝賀会を行う運びとなった。

麻生太郎総理から祝辞も 大吟醸酒「学移連」で乾杯、「学移連の歌」で大合唱

 祝賀会に出席するために結成されたブラジル訪問団(吉永正義団長)には日本、パラグアイ、エクアドル、北米などから三十八人が参加。地元ブラジルからは四十三人のOBたちが出席し、盛大に催された。

 先没者に一分間の黙祷を捧げた後、ブラジル側を代表して大束員昭さん(神大)は「喜びの気持ちでいっぱい。訪問団の中には若い人の姿もあり、今後が楽しみ」と歓迎の言葉を述べた。

 日本側からは吉永団長が「今は学移連の名前はないけれど、スピリットは不滅。私たちは国際化の先兵としてやってきて、蒔いた種は実となり花となった。素晴らしいことで敬意を表する」と挨拶した。

 また、麻生太郎日伯国会議員連盟会長(総理大臣)から祝辞が届いており、元ブラジル・サロンパス社長の安藤明さん(北九大)が代読した。

 会場では、訪問団が特別に用意した大吟醸生原酒「学移連」の清酒が振舞われ、エクアドル在住の井上順八さん(拓殖大)の音頭で乾杯した。

 拓殖大OBが、当時学友を海外へ送りだす際に歌っていた応援歌「勝ちます踊り」を披露したり、サンバショーもあり、和やかな雰囲気でとりおこなわれた。

 数十年ぶりにブラジルを訪れ、久々の再会を果たす人たちの姿が目立ち、出席者は学生時代に戻ったかのように、昔話に花を咲かせていた。

 最後は「学移連の歌」を全員で合唱し、大きな拍手が沸き起こった。

 スリランカ在住の寺田雅由さん(五九、関大)は三十年ぶりの来伯を果たした。「昔を思い出すとともに、懐かしくなり涙が出た。ブラジルは私の原点で感謝している」と感動した様子で話し、後輩にあたる千坂平通総領事館分室室長(五七、関大)らと「変わらないな」と言いながら再会を喜んでいた。

 上原敦子さん(六五、鹿大)は十年ぶり二回目の来伯。「中南米研究会にいた当時、合同合宿に参加したときの人たちと久々に会うことができた。それぞれ独自の成長を遂げており感動した」と語っていた。

写真:出席者全員で記念撮影

2008年11月7日付


感動呼んだ青春讃歌 『北辰斜にさすところ』三國連太郎氏のビデオレターも サンパウロ新聞WEB版より
日本学生海外移住連盟(日比野亘会長)はブラジル日本移民百周年と同連盟創立五十周年を記念して、文協水曜シネマで『北辰斜にさすところ』を特別上映した。

 同映画は一九二六年の第七高等学校造士館(鹿児島)と、第五高等学校(熊本)とのライバル校同士の対抗野球戦を軸に描いたもの。戦禍による永遠の決別を挟みながらも、旧制高校で学んだ学友たちの在りし日と現在の姿が交互に映し出される。

 会場には約三百人ほどが訪れ、映画の上映前には主演の三國連太郎さんと映画制作発起人の廣田稔さんによるビデオレターが披露された。三國さんは「ブラジル日本移民百周年おめでとう。敬意を表する」と述べ、自身とブラジルの関係について、ブラジルで行われた映画祭でサッシー賞を受賞した話を始めた。

 飛行機嫌いの三國さんはブラジルの授賞式には出席せず、当時の大統領がトロフィーを日本に届けてくれたという。「同席していた天皇陛下が通訳してくれた」と話すと、会場は笑い声に包まれた。最後は「先人に感謝し、過去を伝えていきたい」と締めくくった。

 映画のクライマックスでは目に涙を浮かべる人の姿もあった。

 後藤秀明さん(七〇、山形県出身)は「学生時代を思い出して泣いた。良かった」と感動した様子。大志田寿さん(七四、岩手県出身)は「新鮮な感じがした。皆が一致団結している姿を見て、懐かしくなった」と語っていた。

 映画のコーディーネーターを務めた高原要次さん(五五、鹿大出身)は「たくさんの人に見てもらったうえ、最後まで拍手が鳴り止まず嬉しかった」と笑顔で話していた。

 また、映画上映終了後には日本から来伯した歌手の涼恵さんによるショーも行われた。

写真:三國さんからのビデオレターを熱心に観賞する来場者

2008年11月7日付


学移連有志が百周年に寄付=「北辰―」上映会も好評 ブラジル新聞メルマガ版より

 日本学生海外移住連盟(学移連)の創立五十周年祝賀式典に参加するために来伯した訪問団(吉永正義団長)の有志七人(五人が学移連OB)が、ブラジル日本移民百周年記念協会に寄付を行った。金額は非公開。
 五日午後四時半に、同協会内で引渡し式が行われた。吉永団長(有限会社吉永商事取締役会長)、高原要次ラーニング・システムズ株式会社代表取締役、佐藤貞茂アルファインテル南米交流代表取締役から、百周年協会の松尾治執行委員長、吉岡黎明文化担当に手渡された。
 同寄付は、松尾執行委員長が吉永団長と同じ福岡県人ということもあって行われた。寄付を受け取った松尾執行委員長は「ありがたいこと。百周年のために使わせていただきます」と嬉しそうに話した。
 ◎
 同日午後一時からは、文協大講堂で行われている水曜シネマで「北辰斜めにさすところ」が特別上映され、約四百人が来場。主演の三國連太郎さんからの百周年を記念したメッセージも流された。上映後は、ブラジル生まれで新渡戸稲造の曾孫、涼恵さんのコンサートも開かれた。

麻生総理の従兄弟とついに接触!=学移連出身だった忠氏=「人生一度だけ!」
と熱弁 ブラジル新聞メルマガ版より

 「人生一度だけなんだから! 楽しまなきゃダメ!」。本紙が昨年、奥ソロカバナ場へも突撃取材を敢行したものの、姿をくらましてしまった麻生太郎総理大臣の従兄弟である忠氏。三十五年も牧場を経営する奥ソロカバナ線プレジデンテ・ベルナルデスの日系社会でも〃謎の存在〃だという。しかし、今月五日に聖市リベルダーデ区で開かれた「学生移住連盟創立五十周年祝賀会」を取材した本紙記者に「俺、麻生太郎の従兄弟。よろしく」と自己紹介、握手を求めてきたー。
 麻生太郎総理大臣の従兄弟がいるとの噂を聞き、本紙記者が奥ソロカバナ線プレジデンテ・プルデンテから、さらに二十五キロほど西にあるプレジデンテ・ベルナルデスを訪れたのは、昨年十月。
 麻生総理大臣の父で、元麻生セメント会長・麻生太賀吉氏の弟、典太氏(元筑豊製作所会長)の次男にあたる忠氏は、取材前の電話連絡で、「話すことはない。従兄弟と言っても遠い間柄。移住前にも(麻生太郎氏と)会うのは一年に一度くらい」と答えたが、現地ではその姿を見ることもできなかった。
 同地文協会員も「会ったことがない」「知らない」「自分のことを話さない人」と評するように、ひっそりと暮らしている様子。
 そんな忠氏に本紙記者が接触できたのは、学移連盟創立五十周年祝賀会の会場。取材中の記者の肩をポンと叩き、「―あんた、ニッケイ新聞の記者? 俺、麻生太郎の従兄弟。よろしく」と握手を求め、その場を立ち去った。
 今までの経緯があるだけに、その真意が掴めないまま、同じテーブルの参加者に取材していたところ、忠氏は取材を遮り、「ったく、新聞記者なんかに何も話さなくていいよ! 勝手なこと書かれちゃうから! この前もいないっていうのに押し掛けてきて…迷惑だよ!」と眼鏡越しに記者を一瞥、スパゲティを啜った。
 ブラジル学移連OB会が用意したプロフィールによると、忠氏は、玉川大学を七一年に卒業、同年に渡伯している。学移連メンバーとして第二次カナダ派遣団で活動経験がある。
 七三年から牧場経営を行い、八七年から九五年まで日本語教師もしていたようだ。日系二世の夫人と息子がいる。
 会場では、サンバショーが始まった。四人の女性ダンサーらが、参加者らの手を取り、サンバのステップに興じる。
 笑顔が弾け、賑やかな雰囲気に包まれると、多少ウイスキーがいい加減になったのか、忠氏は突然、奇声を上げながら手を叩き、異様なはしゃぎぶりを見せた。
 出席者らと共に大きな輪になって行進、ショーも終盤に差し掛かると、あっけに取られる記者に、「あのさあ〜。人生は一度きりなんだから! 楽しまなきゃ! 分かる?」と興奮冷め遣らぬ様子でまくし立てた。
 隣りにいた参加者は、「…変わった人だねえ」と一言。
 これを機会にと、「いやあ〜。元気ですねえ」と話し掛け、取材を申し込むと、「いや、今は時期的にダメ。もう来てもいないから!」と取り付く島もない様子。
 「じゃあ、いつだったらいいんですか?」と食い下がると、「ん〜来年の十二月かな」。
 祝賀会の最後、「学生移住連盟歌」の合唱となったが、歌詞を書いた紙を記者から奪い取り、学生時代を懐かしむかのように声を響かせ、「じゃ、もう帰るから!」と家族を伴い、会場を後にした。
 来年の十二月―。解散がなければ、衆議院の任期終了は同年九月。それを見越したのか、それとも単なる取材拒否か。
 「人生一度だけー」の一言にその生き様の一端を覗かせたが、ブラジルに来た経緯や、現在の生活の様子は謎に包まれたままだ。



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