『ブラジル日本移民 100 周年に寄せて』 早川 清貴さの名句10首が届きました。
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『南の和田さん 早川です、なんとも天候不順の昨今ですが、お変わりありませんか和田さんの御住いの地方は旱魃、豪雨、突風等天災に見舞われてその都度TVのニュースになります、そんな折には和田さんの処は大丈夫かな等、かすかな、心配が頭を過ぎります。
主幹誌<40年史>百万回のアクセスは達成されたでしょうね、ところで先般お約束小生の愚作である<短歌>をお届けしております、一方<ブラジル日本移民100周年>なる画期的な年も僅かを残して逝かんとしています、小生なりにその歴史の流れを飾ってみたく<日本移民>に関する歌を折に触れて手許に書き留めています、中には日本の同人誌より<仲間より大好評>の評価を得たものもあります、愚作の中より下記をご紹介します。
歌は小生が旧植民地の探訪、その他知人、友人などからの体験談等を心にとめて謳ったものです。』
上記はサンパウロにお住みの早川さんから頂いたお便りです。早川さんご自身が選首された〈日本移民〉に付いて詠まれた珠玉の10首を収録して置きたいと思います。
写真は、11月に皆で押し掛けたアナポリスの河野農場で河野さんに農場で一番気に入っている景色として推薦頂いたフランボヤンの大木が茂る倉庫を望む写真を使用させて頂く事にしました。
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01)百年の移民の心を宿さんか松太ぶとと緑豊かに
サンパウロより700kmの旧植民地<チエテ移住地>を訪問の折に先駆者が植えて祖国を偲んだと言う幹の太い日本松が今は牧場に変わった場所に聳えていた、側により往時の先駆者の模様を聞きたい気持がした。
02)百年の前の廃家黒々と残る移民の焚き火の跡が
移民資料館には何回と無く足を運んだが、その中に初期の移民者が暮らした粗末な住家が、廃家同然であるが、家が陳列されている、実存したものを解体して移したとのこと、唯一の楽しみ一家団欒の厨には不恰好に構築した竈に焚き火の跡が黒々と残る。
03)宵来れば涙ぐむなり望月にコーヒー園に祖国の月が
今わ古稀を過ぎたであろう、ゴルフ仲間のコチア独身移民青年が奥さんを迎えた折りの昔話、何処で見る月も変わらぬためか異国で見る月に祖国を連想して涙する、夫に見せまいとして涙を隠す嫁さんに「ああ!呼ばなければ良かった」とつくづく思った由。
04)終の住処これかと赤土吹き荒ぶ地に移民妻涙ぐむ
サントスに花嫁移民を迎えに出た、長い道程を経て新居に着いた其処は灼熱の太陽赤土が風に舞い上がり殺伐とした環境に覚悟できた新妻も二の句が告げず涙を流す。
05)椰子の葉に露を凌ぎて河の水呑みしと女の移民せつなく
何時だったか邦字新聞に連載された女性移民物語の連載の中で、アマゾン移民として、渡伯前に説明受けた場所には着いてみれば何も無く、密林の中バナナの葉っぱで屋根を葺き、アマゾン河の水を飲料水とした等<壮絶>な物語が記憶に残る。
06)この先に自由と希望がある筈とレール伝いに夜逃げする移民は
沖縄移民の物語(書物)の中に、余りにも、酷使されるコロノ生活に耐えられず集団で夜逃げした事実が描かれている、闇を利用してファゼンダより可能な限り遠く離れた場所で夜が明た、幸いに其処には鉄道のレールがあった沿線を歩き昼近くに、漸く、名も知らない小さな街に着いた。
07)老移民の開く旅券に挟まれる天子の御影色褪せたり
先の参議院選挙の折に文協で御手伝いした、その折に田舎より投票に来たご老人に投票の方法を説明した折の状況である、そのご老人は選挙人証を無骨な手で取り出した出国時に発給された旧い旅券の中には昭和天皇のセピア色のご真影が挟まれていた。
08)又一つ異国で齢重ねたり祖国は遠く去りし日々近し
加齢を重ねる毎に過ぎし日の祖国の思い出が懐かしく身近に感ずるようになって来た、誰でも感ずる人間として当然の現象であろう、しかし人生の過半数を過ごした異国にありて祖国は遠くなったが思い出は極く身近となった。
09)移り来て時は流れて半世紀我も描きぬ移民「100年史」を
小生には先輩先駆者の如き、当地での、苦闘の体験は恥ずかしながら誇れる程に無い、しかし過ぎ越し方を振り返れば何らかの形で日系社会に貢献して来たと自負している。
10)小半時走れど尽きず砂糖黍の緑渡れるエタノールの風
女房が幼年時代を過ごした旧植民地(ミナス州寄り)への郷愁があり何回と無く訪ねてみたいとせがまれていた、思い切って先月出かけた、一泊二日往復1,000kmの道程であった、かの地はエタノール景気で煮え返りその昔女房家族が居住した家は跡形も無く僅かにマンゴーの木が往時の姿を留めていた、砂糖黍を満載した列車の如く連結したワゴン車が唸りを上げてエタノール街道をつ走る、走れども走れども尽きない砂糖黍畑、目から鱗が落た旅であった。
小生年間150首程詠んでいますが、何故か日本移民先駆者の体験談、苦闘の跡残す旧植民地等を訪ねるのが好きで、時間と体力が許す限り実行しています日本の選者も一冊の本に纏めて出版する時期であると奨めてくれてますがどうしたものかと躊躇しています。
以上
早川 さん 皆さん 南の和田です。
何時も心に響く詩を詠んでおられる早川さんの感性に驚嘆していますが、赤嶺さんが退会されてからこのBATEPAOの輪の中でボールをあげる役割を担い難しいブラジルの経済事情等を旨く纏めて頂いており大変有りがたく思っています。
ブラジル日本移民100周年に寄せて選ばれた10首、何れも戦後移住者の目線、感覚で詠まれた秀作だと思います。是非寄稿集に収録させて下さい。
写真に付いてですが、今回は、週末に訪問するアナポリスの河野農場で撮った戦後農業移住者としての河野さんの原点とも云える農場を象徴するような写真を撮って見たいと張り切っていますがどうでしょうか?
21日(金)の夜行バスで伊豆山さん、リオからは山下さんもブラジリアで合流し22日にアナポリスの河野農場に南十字星を見に出かけます。1週間前の気象庁の天気予想ではゴヤス州は、大雨との事ですが確率が33%との事で晴れる可能性も66%残されています。どんな写真が撮れるか楽しみです。
序でで申し訳ないのですが、西郷さんがボールをレヴァンタされた 『麻生首相の趣味は漫画』に沢山の方が反応しボールが飛び交っているのでそれを纏めて寄稿集に収録して置きたいと思いますので書き込みされた皆さんの了解をお願いして置きます。
また渡邉裕司さんの書き込みに写真もありましたので下記のURLでBLOGに貼り付けさせて頂きましたので事後承諾になってしまいましたがお知らせして置きます。
安い投資? 渡邉 裕司さんからのお便りです。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada/37149826.html
早川さん
もたもたしており送って頂いた原稿収録が遅れてしまいました。お許し下さい。
アナポリスの河野農場訪問は、感激ものでした。ブラジリアでコンサルタントとして日伯の経済交流の橋渡しとして活躍されている河野さんの原点と云うかブラジルでの農業移住者としての親から継いだ精神をきっちり守りその城を手放さずに歴史の一部として残されているのは同行された伊豆山さん、山下さんも羨ましく思うとのコメントをしていましたが一歩一歩前進しながらも過去を捨てないで残しその上に城を築いて行く農業移住者としての河野さんの原点が現在の彼を作り上げているのだとつくずく思いました。
早川さんがご一緒しておられたらどのような詩が詠まれるのでしょうか?
素養のない私が素直な気持ちを表したものを紹介して置きましょう。
『移り来て 早半世紀過ぎし人 アンポリスの農場に 見事な花を咲かせるを見て 嬉しく思う我あり』字句はバラバラですが気持ちが伝わると嬉しいです。
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