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コチア青年移住第1次1回生の三宅好美さんにお話を伺いました。
昨年11月にあるぜんちな丸第12次航の2008年度同船者会兼『私たちの40年!!』メーリングリストOFF会としてブラジリア、アナポリスの河野農場、ピレノポリス、カルダス・ノーバスの温泉旅行を実施した際に三宅さんも参加しておられたのでお話を伺う機会がありました。写真は、旅行中に撮らせて頂いたものです。
1955年から67年まで13年間にわたって行われたコチア青年移住は、58年までに第1次導入1519名と59年から67年までの第2次導入の989名と合わせて、総数2508名がサントスに上陸している。
我々のあるぜんちな丸第12次航でも第2次17回生として合計17名がコチア青年移住者として記録されている。


三宅好美さんは、1933年に岐阜県可児市で兼業農家の長男として生まれるが家業を弟さんに任せてブラジルでの生活に憧れコチアの下元健吉さんの話を聞き感激、1955年5月のコチア青年の第1回移民募集に応募し1955年8月4日、神戸港出港のあめりか丸にコチア青年1回生として岐阜県から8名、日本全国から109名の仲間と共に乗り込みブラジルをめざす。三宅さんと一緒に来た岐阜県の8人の仲間の内、既に5人が死亡したとのことで残っているのは三宅さん達3人だけ。三宅さんは、岐阜県可児市出身の75歳。レジストロのバナナ園に3名の仲間と共に配耕される。3ヵ月後に同バナナ園のサンパウロ市内のバナナ販売倉庫に移されバナナ担ぎの仕事からバナナの販売に従事、ポルトガル語の習得が早まる。コチア産業組合の行政指導もありコチア青年が町で働くことは邪道とのことでレジストロに戻り今度はお茶の栽培農家にお世話になる。コチア組合の幹部の方からのお誘いを受けカンピーナス市の近くのモンテモールのコチア組合員の方のところに移動、養鶏に従事、パトロンの一人娘の孝子さんと1959年に結婚。長男の忠良さんが60年に生まれる。忠良さんは、ENG. QUIMICOとしてヤクルトのラージェス市のリンゴジュース工場に勤務したが、現在は、HORANBRAの花をCEASAに下す仕事をしている。
二男の良雄さん63年生まれと65年に生まれた長女の三恵さんの3人のお子さんに恵まれる。
1972年から1980年までコチア産業組合の本社事業部に勤務大口養鶏家への販売促進の仕事に携わる。
1974年に新居を建てたのに合わせご両親が訪伯、好美さんのブラジルでの活躍を見て大いに安心する。10年後の1984年にも両親が揃って再訪伯して呉れる。好美さんも1980年に25年振りに祖国日本を訪問、その後19回の訪日を記録しておりブラジルに移住して来て良かったと語る笑顔が印象的であった。4年前に最愛の奥さんを亡くされ、続いて2006年には、101歳のご尊父、99歳のご母堂を亡くしたが長男として出来なかった親孝行が苦になるが送り出して呉れた両親にも満足して貰える人生を過ごして来たと思うとのこと。
機会があればもっと詳細、面白い話もお聞かせ頂きたかったのですが次の機会として収録して置くことにしました。



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