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藤間 芳嘉師匠の思い出を手持ちの写真と共に送らせて頂きます。富山県にお住みの竹村 朋子さんのお便りです。
『私たちの40年!!』の船内新聞【さくら】の編集、ガリ切りを手伝って呉れていた龍川いく子さんは、着伯後直ぐに日本でも遣っておられた日本舞踊をサンパロの藤間流の藤間芳乃丞師匠の下で鍛え上げ藤間 芳嘉師匠として後進の育成に力を注いでいましたが、思わぬ乳癌が見つかり『絶対に直して見せる』との強い意志で化学療法、X線療法と八方手を尽くしましたが残念ながら昨年5月11日私たちがサントスに到着して丁度46年目の日にf不帰の人となられました。サンパウロの藤間流日本舞踊教室で芳嘉師匠に指導をして頂いていたお弟子さんのお一人のお母さんに当たる竹村朋子さんが『私たちの40年!!』画像掲示板に書き込みをされたご縁でメーリングリストにも参加して頂いておりこの度お礼の気持ちを込めて見つけた写真と共に思い出と追悼文を送って下さいました。
芳嘉師匠とお弟子さんのお嬢さんが写っている写真を送って下さっておりこれを使用することにしました。有難うございます。合掌 


嬉しいお便りが届いています。
昨年5月11日、丁度私たちのあるぜんちな丸第12次航が46年前にサントスに到着した日に乳癌を患い治療の甲斐もなく先立たれた龍川 いく子さん(享年59歳)が藤間 芳嘉さんとしてサンパウロの藤間流舞踊学校で教えておられた愛弟子のお一人のお母様である竹村 朋子さんが下記お便りと共に写真と文を送って下さいました。週末に『私たちの40年!!』寄稿集にも収録させて頂きますが、一日でも早く皆さんんもお知らせしたく転送させて頂きます。
龍川 一恵 さま
この竹村 朋子さんの書き込みをプリントアップして藤間 芳之丞師匠にも手渡して上げて下さい。喜ばれると思います。長年妹さんのいく子さんを支えて来た一恵さんとしてもこうして日本にも芳嘉先生の教えを受けた生徒さんがおられることは幸せなことと思います。

和田様
いつも、ブログを読むのを楽しみにしております。
更新の速さには、感心!!です。
こちら、富山は、2月というのに暖かく、雪も山にしかありません。
芳嘉先生の写真を探していたら、二枚ほど見つかりました。
拙い文章ですが、お世話になった先生に感謝の思いを込めて、書いた物とワード文書にしましたので、お恥ずかしいですが送ります。
残念ながら、写真データがなく、スキャンしたものなので、多少、解像度が悪いかと思いますが、ご容赦ください。また、写真が見つかりましたら、送らせて頂きます。
それから、言い遅れましたが、ポルチナーリ・ファンとして書き込んでいるのは、私なんです。
後日、こちらの寄稿文も、送らせて頂きます。
では。          竹村 朋子


みなさん、初めまして。富山県在住の竹村と申します。
2004年に主人が富山県黒部市のファスナー会社から、サンパウロ州ソロカバ工場勤務に異動になったことに伴い、私ども家族はサンパウロ市に一時住んでおりました。進学の関係で、長女と次女は2007年12月に帰国、長男と私は2008年8月に帰国しました。(主人は、まだ、ソロカバ勤務です。)現在、14歳になる次女が、藤間芳嘉先生に日本舞踊を指導して頂いた関係で、このサイトに辿り着きました。

2007年1月 藤間流舞踊学校踊り初めの会・リベルダージの文協にて
中央が芳嘉先生・左から4番目が次女

その暖かいお人柄で、芳嘉先生のお稽古は、娘にとって、厳しいながらも、とても楽しいもので、毎週月曜日、リベルダージの文協4階の藤間流舞踊学校の教室で、1時間、みっちりと教えて頂きました。海外赴任が決まったときには、しばらくは、日本舞踊のお稽古は娘にさせられないだろうと思っておりましたが、たまたま、友人からもらった“サンパウロなんでも便利帳”にあった学校の電話番号に電話をかけたのがきっかけで、3年間、芳嘉先生と芳之丞先生にご指導して頂きました。見聞が狭かったせいで、サンパウロにこのように立派な日本舞踊文化が根付いていたことを知らなかったのですが、今になって思えば、サンパウロに行った御陰で、未熟ながらも、本当の芸の一端を身につけさせることができたと先生には、大変、感謝しております。
芳嘉先生は、いつも、明るくお元気で、そのエネルギーがどこから来るのかと思うぐらいでしたが、ある日、腰痛がひどいとのことで、座って指導をされ始めました。が、娘が肝心なところができないと、さっと立ち上がって、前踊りをしてくださいました。今にして思えば、あの時も、かなりお辛かったのでは無かったでしょうか。写真は、2007年1月の新春踊り初めの会のものです。この時は、「京人形」で、やはり腰痛がひどくて、練習不足を心配されていましたが、素晴らしい踊りをご披露されました。

常磐津 「京人形」    左が、彫刻師・左甚五郎役の芳嘉先生、右は、人形役の芳翁先生

芳嘉先生が舞台に立たれると、客席から、必ず、声がかかったものです。ご存知の通り、小柄な先生でしたが、舞台では、踊り巧者ならではの存在感があり、観客の心を掴むあの絶妙な間の取り方は、先生ならではのものでした。発表会当日は、いつも、先生は、朝早くから、他の出演者のお化粧や衣装の最終確認などで大忙しで、ご自分の出番の直前まで、白い割烹着姿で、走り回っていらっしゃいました。
娘のサンパウロでの最後のお稽古の時、病気から回復されたとのことで、芳之丞先生と指導にあたられていました。やや、痩せてはいらっしゃいましたが、ニコニコされて、「日本でも、頑張ってね。」と言われました。私どもは、先生がしばらくしたら、また、あの元気なお姿になられるとばかり思っていたので、また、機会があったら、お会いできるだろうぐらいにしか考えておりませんでしたが、あの時が、先生にお目にかかる最後の時となりました。
日本に帰って、娘が踊りの稽古を再開し、先日、久しぶりに舞台を踏まして頂きました。たくさんの方々にお褒めの言葉を頂きましたが、これも、先生の熱心なご指導によるものと思っています。私は、ブラジルで日本舞踊を習っていたことを不思議に思って聞いてくる人には、「サンパウロの日本舞踊は一級品。」と、必ず答えています。確かに、あの教室には、芸を磨こうという熱心なブラジル人と日本人が集まって、芸を伝えようという熱心な先生がいたのです。娘には、いつまでも、芳嘉先生の弟子であったことに誇りを持ち続けて欲しい、自分の踊りには地球の裏側サンパウロで学んだ芸が息づいていることを忘れないで欲しいと願っております。そして、ブラジルで、日本舞踊のこの素晴らしい文化が引き継がれ発展していくことを願って止みません。


新しいメンバー竹内朋子さんのご紹介。
『私たちの40年!!』MLは、今年に入り1万回のメール配信を記録し1月も300通(1日平均10通)を超すメールが飛び交っています。メンバーも過去最高の281名から急に40名がyahooの配信整理?にあい241名まで激減しましたが、その後徐々に復帰、新規登録等で何とか過去最高の281名を取り戻し現在283名が登録されていますが、その283番目のメンバーが富山県にお住みの竹村朋子さんです。ブラジルに住んでおられる時にお嬢さんが亡くなられた同船者藤間芳嘉師匠に日本舞踊を習っておられたとのことで画像掲示板の芳嘉師匠逝去のニュースを見付けられ下記書き込みをしておられます。

初めまして。富山県在住の竹村と申します。
一昨年まで、娘・沙友理がサンパウロで芳嘉先生に日舞を教えて頂いておりました。
最後にお会いしたのは、2007年12月で、数年後にまたお会いできると思っておりましたが、たまたま、目にしたこの掲示板で訃報を知りました。
先生には、本当に良く教えて頂いたのに、本当に残念でなりません。心より、ご冥福をお祈りします。

このMLのメンバーに成って頂くようにお誘いした所、気持ち良く参加して下さり下記メールを頂いておりますので竹村さんの紹介文としてご本人の了解が得られましたので下記して置きます。竹村さんはまたブラジルに来るチャンスがあるようですのでブラジルにも関心が強いと思います。日本の富山県とブラジルを比較した折々のコメントを今後期待したいと思いますので宜しくお願いします。

和田様
初めまして。富山県在住の竹村朋子と申します。
メールどうもありがとうございました。
私ども家族は、主人のブラジル赴任に伴い、2004年4月から、サンパウロに住んでおりました。
現在も、主人はソロカバにおりますが、娘達の進学の関係で、私どもは、日本に帰国しております。
次女の沙友理が、こちらで日本舞踊を習っていたので、縁あって、芳嘉先生に教えて頂いておりました。
踊りについては、本当に、雲の上のような存在で、今後のご活躍を本当に楽しみにしておりました。
先生には、帰国後にすぐに名取の資格がとれるようにご指導いただいたのに、事情があって、社中を変わらざるを得なくなり、一から出直しとなり、先日、やっと、初舞台を踏まして頂きました。
そのご報告をと思い、芳嘉先生がお亡くなりになったことを知らずに、文協の藤間流舞踊学校にお手紙を出してしまいました。
すぐにでも、お墓参りができれば良いのですが、サンパウロは、私たちにとって、本当に遠いです。
芳嘉先生のノブレガのアパートの近くに住んでいたのですが、お伺いしたことはないので、お姉様やお父様を存じ上げませんが、もし、ご住所を教えて頂けましたら、御霊前のお供え物などを日本から送らせて頂きたいので、
よろしくお願いします。   竹村 朋子 



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