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【海外ものづくり事情】大内 邦彦さんの「歩きながら考える」BLOGより
日本の大手総合研究所に勤務しておられるシンクタンクの大内邦彦さんは、「歩きながら考える」と云うBLOGを開設されており色々仕事上で考えておられる事を歩きながら思考、書き綴っておられます。
大内さんとはブラジルに進出して来ている日系の機械工業の実態調査をする目的で来伯された時にアポイント取得、通訳、案内人としてお手伝いさせて頂きました。その時の訪問先の一部をBLOGに工場写真と共に【海外のものづくり事情】に報告されておられますので今回その5までを纏めて収録させて頂くことにしました。
その他にも関連のニュースとして『さわやか商会』の紹介と『ブラジルの「怪我の功名」から生まれた技術』と云うブラジルに付いての面白いコメントの一緒に収録させて頂きました。
写真は、各工場の様子とか色々有るのですが、マナウスのジャングルツアーで泊まったホテルの船着き場の写真がとても気に行っておりこれをお借りすることにしました。


ブラジルでの工場見学その1 Prensa Jundiai社

今年2008年は日本ブラジル交流年であり、すでに様々な記念行事が日伯両国で開催されています。なぜ今年が日本ブラジル交流年なのか。その理由についてはこちら。

 私は過去に2回仕事でブラジルを訪れて現地の工場を見学する機会があり、その時のことをいつか紹介する、と何回かこのブログでアナウンス(これとかこれ)してきましたが、なかなか実現しませんでした。せっかくの日本ブラジル交流年なので、これから何回かに分けて現地の工場の様子などを紹介しようと思います。今回紹介するのは、2006年1月のブラジル出張の模様です。2年以上前のことなので、現在とは状況が多少異なっているかもしれませんので、その点はご了承ください。

 初めに紹介するのは、民族系のプレス機械メーカーのPrensa Jundiai S.A.です。
 Prensa Jundiaiはサンパウロの北西約50kmにあるJundiai(地図はこちら)で、イタリア系移民の先代社長によって1950年に創業されたプレス機械の専業メーカーです。40トンから250トンクラスの小型プレスマシンを得意とし、この分野ではブラジル国内市場でナンバーワンのシェアを占めています。技術の多くはイタリアから導入したのだそうです。ちなみにJundiaiはイタリア系移民によって作られた町なのだとか。
ブラジルの自動車業界では同社のプレス機械は広く導入されており、トヨタやデンソー、ヴァレオの工場にも入っているとのことでした。素人の私から見ても、正直言ってあまり精度などは良さそうには見えませんでしたが。。。市場の9割は国内向けで、輸出はアルゼンチンやコロンビアなどに少し販売しているだけです。
ブラジルの自動車産業の発展に伴い、同社の売り上げは伸び続けていましたが、小型プレス機械の市場は中国製の流入が脅威になっているとのことでした。値段は同社の製品の半額で、安全規格もクリアされておらずアフターサービスもないけれどもブラジル国内の中小企業の間で急速に普及しつつあるので困ったものだ、と応対してくださったPrensa Jundiaiの担当者の方は嘆いていました。地球の裏側にまでどんどん入ってくるのですから、メイド・イン・チャイナ恐るべし。実はこの後、他の会社でも中国の存在感の強さを実感させられるのですが。。。
 しかし安全基準もクリアしていないような機械がなぜ国内に流入するのか尋ねたところ、2つ理由がある、との答えが返ってきました。理由の1つは、ブラジルの中小企業は設備投資を惜しむから。そしてもう1つの理由は、賄賂を握らされた税関当局がチェックなしで通関させるから、なのだそうです。いかにもブラジルらしいお話かもしれません。

ブラジルでの工場見学その2 TESSIN Industria e Comercio ltda

TESSIN Industria e Comercio ltdaは、モータ用積層鉄芯メーカーの中小企業、大和鉄芯工業(大阪市)の現地法人として1976年に設立されました。現在は260名の従業員と、サンパウロ州スザノ(場所はこちら)の本社工場とミナスジェライス州ティモテオ工場の2工場を擁する、ブラジル随一の積層鉄芯メーカーにまで成長しており、自動車部品のボッシュやビステオン、家電のエレクトロラックスなど、様々なメーカーと取引関係を持っています。
同社がブラジルに進出した当時は、日本企業のブラジル進出が相次いだ「ブラジルの奇跡」の時代で、同社は現地の日系家電メーカーに積層鉄芯を供給していました。
 しかし80年代後半、ブラジルは未曾有の経済危機に直面し、多くの日本企業は撤退してしまい、同社は販路の大半を失います。そして同社は日本の本社から、中小企業なので支援できないから自力でなんとかするように、と通告されてしまいます。本社から半ば見放されてしまった形の現社長は、積極的に打って出ることを決意し、果敢に資金調達と技術開発、市場開拓に努力を重ねながらブラジル1の積層鉄芯メーカーに育て上げていったのです。会社設立当時、現地法人の社長として派遣されたのが現在のTESSINの社長なのですが、撤退するわけにもいかず、彼はその後30年間ブラジルに滞在して同社を率いていくことになるとは思いもよらなかったのだそうです(そりゃそうでしょうね)。

 面白かったのが、ミナスジェライス州の第二工場設立のエピソードです。資金がなかった同社は現地の銀行からFINAMEという低利の融資を受けようとしますが、このFINAMEという制度融資はブラジル人を対象としたもので、外国人は対象外です。そこで現社長は「2人の子供がブラジルで生まれたからなんとかしてくれ」と懇願したところ、銀行の担当者は「じゃあ、お前は準ブラジル人だからOKだ」とあっさり認めてくれたのだそうです。このあたりの柔軟なところがブラジルのよいところだと思います。

 かつて日本の本社から半ば見放された同社は、現在では設立当時から比べて土地、建物は3倍にまで拡大し、本社に配当金を送金するまでに成長しているといいます。同社が辿った歴史は大変ドラマチックですし、ブラジル経済の混乱と再生の歴史を理解する上でも大いに参考になった企業でした。

ブラジルでの工場見学その3 Komatsu do Brasil Ltda

Komatsu do Brasil Ltdaは、日本を代表する建設機械メーカー、コマツのブラジル現地法人です。会社設立は1973年、生産開始は1975年と古く、「ブラジルの奇跡」が喧伝され、最も日系企業のブラジル進出が盛んであった時期におけるブラジル進出です。
世界の建設機械市場では大型のエクスカベータに対する需要が近年高まっているのですが、なぜかブラジルでは中小型のブルドーザ、ホイールローダに対する需要が依然として根強く、ここでの生産もこれらの生産が多くなっています。
 理由を聞くと、ブラジルは国のスケールに比してインフラ整備に向けた公共投資が少なく、しかも政府による支払いが滞りがちであるため、建設事業者が公共事業の受注を忌避する傾向があるという話を聞きました。このため、建設事業者は高額な大型建設機械への投資を惜しみ、生産性を犠牲にして中小型の建設機械を用いて土地の造成や道路の整備を行っている例が多い、ということでした。
 スケールの大きい国ですから、さぞかし巨大な建設機械が活躍していると想像していたのですが、全くこのお話は予想外でした。
また、もう1つ予想外であったのが、鋼板は現地で調達するよりも中国製を輸入したほうが安い、という話です。
 ブラジルは世界でも有数の鉄鉱石の産地です。石炭が採れないというハンデはあるにせよ、ブラジルは鉄鋼を安いコストで生産できる国だと考えていたのですが、通貨レアルの高騰、さらに材料費が高騰したことに伴い現地企業が大幅に値上げを行ったため、ブラジルの鋼板は大幅に国際競争力を失っていました。なんでもブラジル製鋼板はトン当たり840ドルであるのに対して中国製品は400ドルとのことで、輸送費と関税が付加されても中国製品の方が割安とのことでした。

 世界中どこでも中国製品との競争に直面していることを実感させられました。

※なお上記の内容は2006年1月に同社を訪問したときに伺ったお話を基にしており、現在は事情が変わっている点があると思います

ブラジルでの工場見学(その4) Mitutoyo Sul Americana Ltda.

株式会社ミツトヨは、マイクロメーター、ノギスなどの測定工具そして座標計測機器、形状測定機器、画像及び光学測定機器などのシステム機器商品の生産販売を行う、精密測定機器のトップメーカーです。製造業の方にはとてもなじみ深い企業だと思います。
 海外生産拠点は、アメリカ、メキシコ、オランダ、中国、そしてブラジルにありますが、1974年にサンパウロ州スザノ市に設立されたMitutoyo Sul Americana Ltda.は、ミツトヨにとって初の本格的な海外生産拠点です。
 同社では当初はマイクロメーターの生産から始まったのですが、生産量が少なく設備投資も大きいためマイクロメーターからは撤退し、現在はノギスと硬度計、三次元測定機の生産を主に行っています。硬度計については、ブラジルで自社開発した製品も製造していて、ブラジルでしか製造していないモデルは、自社で設計、ソフトの開発を行っています。また、ブラジル市場において同社の製品は、ノギスで6〜7割、三次元測定器で5割と高いシェアを占めています。
80年代後半のブラジル経済の混乱期には、同社は測定器だけでなく、日本の本社からの支援も受けながら工作機械や平面研削盤などの製造販売を行うことでしのいだのだそうです。こうした製品を製造したのは、苦境の中で売上を確保するだけでなく、自社でキサゲ仕上げなどの技術を向上させるためでもあったそうです。測定機器のミツトヨがかつて工作機械や平面研削盤なども作っていたとは知りませんでした。

 しかしここを訪れて一番印象に残ったのは、ミツトヨの仏教精神に基づく経営です。この件については次のエントリーで紹介します。

ブラジルでの工場見学(その5)TOYODA KOKI DO BRASIL

久しぶりになりましたが、ブラジルでの工場見学の続きです。

 TOYODA KOKI DO BRASILは、トヨタ系の工作機械メーカー、豊田工機のブラジル現地法人です。今は自動車部品メーカーの光洋精工と合併して株式会社JTEKTになっていますが、ブラジル現地法人は今でもTOYODA KOKI を名乗っているようです。
 1973年に設立されたTOYODA KOKI DO BRASILは、約30年の歴史を持つ、旧・豊田工機グループで唯一の工作機械の生産機能を有する海外拠点であり、唯一の日系工作機械メーカーでもあります。なお、サンパウロに進出した外資系企業の多くが郊外の工業団地に進出している中、サンパウロ市内の住宅地に立地している同社は、工場も面積4,000平米と比較的規模が小さいこともあり、地域社会に溶け込んだブラジルの町工場といった趣です。

 現在、TOYODA KOKI DO BRASILはCNC研削盤と油圧式の研削盤の生産と、自動車メーカー向けの部品の切削加工や組み立てを行っています。1台約8万ドルの同社製の油圧式研削盤は、25年前の旧式モデルなのですが、ブラジルでは人気があるといいます。
 また、TOYODA KOKI DO BRASILによると、ブラジルには優秀な職人が多く、精度の悪い機械を用いても、それでいかに精度を出すか、ということに長けているといいます。実際、彼らは摺動面のキサゲ加工もこなしています。

工作機械部門はこうした職人を中心とした勤続年数15〜20年の熟練工が中心です。彼らは義務教育しか受けておらず、貧しくて進学できなかった者ばかりであり、同社としては彼らにできるだけ多くのチャンスを与えるため、熟練工については、これまでほとんど全員を日本へ技術研修に送り出したほか、若者については会社側が学費を負担して工業高専の夜学に通学させています。
 企業規模の小さい同社は、ブラジルの外資系企業の中では必ずしも給与や福利厚生の水準は高いとはいえないのですが、それでも従業員の定着率は高いそうです。その理由として、給料の遅配が30年間の歴史の中で1度もない(日系企業だったら当たり前と思われるかもしれませんが、かつてブラジルを襲った未曾有の経済危機の時に遅配が無かったということは実は大変なことなのです)、ということを同社は挙げましたが、前述の従業員の手厚い教育研修や、同社が従業員と地域社会との密接なコミュニケーションを重視していることも、従業員の高い定着率に大きく寄与しているものと思われます。
 同社では毎週金曜日の夕方は皆でサッカーのゲームを行い、その後は会社負担でささやかな宴会を会社の中庭で開いています。そしてその宴会には近所の住民も招き、地域住民とのコミュニケーションも図っています。同社の日頃からのこうした地道な取り組みが、従業員と地域社会からの信頼を構築し、30年間にわたるブラジルでの事業を支えてきたと言えるでしょう。

 本当に地域に密着している日系企業だな、と同社を訪問して思いました。

※なお上記の内容は2006年1月に同社を訪問したときに伺ったお話を基にしており、現在は事情が変わっている点があると思います 


ブラジル「さわやか商会」の和田さんご夫婦

2年前のブラジル出張の際にお世話になった日本人移住者のご夫婦が来日され、ご縁のある方々が集まってお二人を囲む会が新宿で開かれたので出席してきました。このたび来日された、ブラジル南部の都市ポルト・アレグレで「さわやか商会」という商社を営む和田好司さんは、ブラジルの産業界と日系人社会への人脈が豊富で、現地の機械工業の実態調査で訪れた私は彼に大変助けていただきました。和田さんの案内でアマゾナス州マナウスの工業団地で企業調査をした後、奥様の恵子さんも一緒に3人でアマゾン河のジャングルツアーに出かけたのですが、そのときに受けた感動は忘れがたいものがあります。写真は今夜の宴会の後に入った喫茶店でのご夫妻です。
 今年はブラジル日系移民が最初にブラジルに渡ってから100周年を迎える年であり、日本、ブラジルの両国で様々なイベントが開催される予定です。私も近いうちに出張の際に訪れたブラジル企業の様子をこのブログで紹介しようと思います。

ブラジルの「怪我の功名」から生まれた技術

これまで訪問した外国の中で、ブラジルは非常に印象に残る国でした。ブラジル人は陽気で明るく美人が多い、日系人が多いので困ったときは日本語で助けてくれる、料理は美味しい、イグアスの滝やアマゾンといった壮大なスケールの大自然、などなど魅力は多いのですが、残念ながらサンパウロなどの大都市は治安が非常によくありません。幸い何事もなく過ごしましたが、いかにもやばそうな雰囲気を漂わせている場所を何度も見かけました。
 自動車の盗難も非常に多く、最近ブラジルに赴任された方のブログによると、サンパウロでは1日約500台の自動車が盗まれるのだとか。このため、ブラジルでは自動車の盗難防止技術が発達しています。私も現地で聞いたのですが、その技術は世界的にも非常に高いのだそうです(それでも盗まれるのだから盗む側の技術も高いというわけか)。しかし、あまりに自動車の盗難が多いのでやむを得ずそれを防ぐ技術が発達したわけで、いくら世界最高水準といっても誇れないような気もしますが。。。

 同様に「やむを得ない」理由でブラジルが世界的にも高い技術を獲得しているのが、1つはエタノール燃料、それから深海の石油採掘の技術です。
 広い国土を持ち資源にも恵まれたブラジルですが、かつては石油がほとんど取れませんでした。仕方なく輸入に頼っていましたが、70年代に石油ショックに直面し、ただでさえ当時巨大プロジェクトをいくつも抱えて大借金国だったブラジルは未曾有のインフレに直面、経済はえらいことになりました。そこで外貨節約のために考え出されたのが、サトウキビを使ったアルコール燃料を使って自動車を走らせることと、技術的に難しい深海に眠る石油資源の採掘です。今ではブラジルのエタノール燃料の技術は世界から注目を集めていますし、深海の石油採掘もうまくいき今ではほとんど石油が自給できています。
 あと余談ですが、レストランに入った時と支払いの時とでは値段が違う、とまで言われた未曾有のインフレを経験したことから、ブラジルでは銀行で小切手を現金化するときの処理が日本では考えられないほど早い、と現地の邦銀の方から聞きました。
 まさに「怪我の功名」ですね。

 写真は昨年の1月にブラジル出張のついでに訪れたアマゾン河の光景です。ここは治安に不安を感じることもなく、のんびりできました。
 アマゾン中流域のマナウスという都市で日系企業のヒアリングをしたのですが、こんな辺鄙なところにバイクやエレクトロニクス製品の工場が集積しているというのは、実際にこの目で見るまで信じられませんでした。機会があればこのブログで詳しく報告したいと思います。



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