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世界市場紀行 ワールド・バザール21 いまどき報告 ブラジル(2) 8月号―11月号
昨年4月から毎月『世界市場紀行 ワールド・バザール21 いまどき報告』という穴吹工務店の提供番組でブラジル編を担当させて頂き原稿を送っていましたが残念ながら今年の3月で終了してしまいました。昨年の世界金融危機の影響の結果の一つだと思いますが大変残念です。ブラジルの世界遺産で私が訪問した場所をもっともつと報告したかったのですが、その機会を失いました。まだリンク切れしておらず世界市場紀行のサイトそのものは残っており下記URLでご覧頂けます。写真も豊富で結構眺めるだけでも楽しいものです。折角ですので私が写真と共に送ったブラジル編のその2として8月号ー11月号の4回分を寄稿集に収録して置くことにしました。8月号のグラマード、カネーラの紹介、10月のブルメナウの10月祭り、世界遺産のオーロプレット(9月)、ヴィアデイロ高原(11月)を紹介しています。www.e384.com/imadoki/index.htm
写真は、9月号のブラジル最初の世界遺産OURO PRETO紹介に出て来る末娘小百合と3人で撮った写真を使いました。


ブラジル南部最大の観光地グラマード、カネーラの紹介 2008.8.5 update
前回までは、「ブラジルにおける日本移民100周年」関係の話題が続きましたが、今後はブラジル各地の紹介、特に世界遺産に登録されている各地の紹介等をして行きたいと思います。今回は、南伯随一の観光地セーラーガウシャー(*)と呼ばれるグラマード(Gramado)、カネーラ(Canela)を紹介したいと思います。
(*):セーラーガウシャーとは、ガウシャ(RS州)の山脈と云う意味で山岳地帯を総称するポルトガル語です。プライアー(海浜)の反対語として使われることが多い。
画像右:カネーラの町の街路樹。梅、桃、桜が植えられている。

実は、今回の原稿の締切日は7月24日との指定を受けていたのですが、26日に日本からの訪問者を案内してグラマードにお連れする計画があり、特別に3日間の延長をお願いしておりました。今回の来訪者は、東京から杉浦英明、和子ご夫妻と高知市の穴吹工務店分譲のマンションに住んでおられる山野上基さんの3人に、運転手が妻の和田恵子、私は案内役を兼ねて写真係をしました。
朝の9時にポルトアレグレを発ち約2時間のドライブでグラマードの歓迎ゲートに到着、先ず記念写真を撮りました。沿道には躑躅(つつじ)が綺麗に咲いていました。グラマードの町はイタリア人によって開かれましたが、その後ドイツ人が増えて現在は州内でも白人が多い観光地でお隣のカネーラを合わせて人口が約7万人ですが、週末には訪問者で膨れ上がり15万人以上になると言われています。
グラマードの街路樹は、モミジで統一されており、紅葉が終わって葉が全て落ちた寂しい光景でしたが、春が近い季節で梅、桃、桜、木蓮(ピンクと白)、色々な花が咲き始めており目を楽しませてくれました。町の入口にあるロータリーには各州の旗が立ち並び、国際映画祭のキキット像(*)が立っていました。
(*):キキットとは、グラマードの国際映画祭で受賞者に授与される木で彫ったインヂオ像。これの大きい像が飾られていたのですが、撮りそこなってしまいました。
画像上左:まずはグラマードの歓迎ゲートで記念撮影。
画像上中:ヨーロッパ風の建物が建ち並ぶグラマードの町。紅葉も終わり、モミジはすべて葉を落としていました。
画像上右:沿道には躑躅(つつじ)が綺麗に咲いていました。
画像下右:町の入口にあるロータリーには各州の旗が立ち並ぶ。

最初に訪問したのは、ラーゴ・ネグロ(黒い湖)で公園の入り口でガウショー(GAUCHO)の民族衣装の皆さんとの記念写真、公園の看板の前でも写真を撮りました。
グラマードは「紫陽花の町」としても有名ですが、紫陽花はまだ時期が早かったようですが枯れてドライフラワーになったのが残っており、日本では湿気が強いからか直ぐに腐ってしまいこんな風に枯れて残らないとのことでした。それでも今年初めての紫陽花が一輪咲いているのを見つけました。次々と蕾が開いていくのでしょう。
画像左:ガウショーの民族衣装の皆さんとの記念写真。
画像中:ラーゴ・ネグロ(黒い湖)。
画像右:枯れた紫陽花の中に一輪。

グラマードとカネーラの町は6kmの距離で殆どひとつの町のようになっており、カネーラには、有名な州立公園内の「カーラコールの滝」と「石の教会(ノッサ・セニョーラ・ロウーデス・カテドラル)」が有名です。
まず州立公園を訪問し滝を見晴し台から眺め滝壺まで927段の階段を下りて行くのが順路ですが、風邪気味で熱を出している私と杉浦夫妻は断念し、子供が乗る夢の鉄道に乗って滝壺まで下りて行った山野上さんと恵子を待つことにしました。
画像左:州立公園内のカーラコールの滝。
画像中:子供が乗る夢の鉄道。
画像右:州立公園内の見事なパラナ松。

州立公園で滝とパラナ松の景色を楽しんでいたらお腹が空き出し、行き付けの名物のカフェーコロニアル(Cafe Colonial)の店「コエーリョ(Coelho)」に出かけました。我々の顔を見ると大げさに喜び肩を叩きあいました。
お腹が空いていたので写真を撮り忘れ夢中に食べ始めましたが、豚肉のフライ、茹でたソーセージ、若鳥の唐揚げ、ピクルス、各種ケーキ中でもお勧めはアップルパイ、ピーナツが上に乗ったケーキ、チーズケーキ等で、飲み物は赤ワイン、白ワイン、葡萄ジュースの飲み放題。好きなものをだけをお代わり出来るシステムで一人当たり30レアイス(20ドル)。
食べ終わってから写真を撮っていなかった事に気がつき、オーナの方にお願いして再度テーブルを飾って貰って写真を撮りました。
画像上左:カフェーコロニアル(Cafe Colonial)の店「コエーリョ(Coelho)」にて。
画像上中、上右:グラマードの名物料理といえば、テーブルの上に小皿に盛られた料理がこれでもかというくらいたくさん並べられるカフェーコロニアル。好きなものをだけをお代わり出来るシステムで、一人当たり30レアイス(20ドル)です。
画像下右:「コエーリョ(Coelho)」の店構え。

お腹が一杯になったので再度見学を続けることにしてカネーラに戻り、ラージェデペドラのホテルと周辺の別荘地を眺めに行き壮大な渓谷の景色を楽しみました。アロエの花に似た綺麗な花が咲き乱れており、寒緋桜は見事に咲いていました。近くには白い木蓮が咲き誇り椿も咲いていました。もう春がそこまで来ている感じでしたが、夕刻ポルトアレグレに戻る前に見たら温度計が7℃を示していました。
カネーラの町の街路樹は、梅、桃、桜が並木に使用されておりどれも一緒に咲いて心が温たまる思いがしました。梅の花越しに有名な「石の教会(ノッサ・セニョーラ・ロウーデス・カテドラル)」が撮れました。
丁度学校が冬休み中で町はごったがえしておりその人の数には驚かされました。大きなエスポ会場、クラシックカーの博物館、蒸気機関を使用したミニ工場の展示場、色々覗いて見たいところが多かったのですがグラマードの町に戻り車を止めて町中を歩きました。
画像上左:ラージェデペドラより渓谷を望む紫陽花。
画像上中:アロエの花に似た赤い花と別荘。
画像上右:寒緋桜。
画像下右:石の教会。左手は梅の木。

カネーラの大通りには電線を全て地下に埋める工事が進められており一部は本当にさっぱりした景観になっていました。今年はまだ一度も雪が降っていないとのことで、サンパウロ、リオ等から雪を期待してやって来た観光客には期待外れだったようですが、革の服やジャンパー等を購入したり、お土産にチョコレート、ワイン等を買い込む人達で賑わっていました。
グラマードの国際映画祭会場の前で楽団が演奏していました。我々もお土産にチョコレートを買い、お茶とチョコレートのフォンデュを楽しんでいると夜の帳が下り急に冷え込んで来ました。最後に立ち寄ったのは多くの若者で賑わうアイススケート場でした。
7時にグラマードを発ち9時にポルトアレグレに戻りました。今度はまた紫陽花の咲いているグラマードをご紹介させて頂きます。
画像左:グラマードでは、防災と景観の改善、路上スペースの確保のために電線は地中に埋設している。
画像中:グラマードの国際映画祭会場の前で楽団が演奏。
画像右:楽団の演奏風景(遠景)。


ブラジル最初の世界遺産『古都オーロプレット』を訪ねて 2008.9.9 update
今回は、ブラジルのミナス州にあるブラジルで最初に世界遺産に登録された古都オーロプレット(黒い金)を訪問する機会がありましたので、画像と共に紹介しましょう。
末娘の小百合が2年間の放浪の旅(日本国旅券を併用していることからワーキングホリデイー・システムでニュージランドとオーストラリアを拠点にアジア諸国、アフリカ諸国を回って来た)を終え住みついたのが遠く離れたミナス(MINAS)州の大学都市ヴィソーザ(VICOSA)。そこでどんな事をしているか週末を利用して出かけてみました。
ついでにミナス州の州都ベロオリゾンテ(BELO HORIZONTE=日本人ブラジル移住100周年祭で皇太子殿下を迎えて立派な日本庭園を開園した町)、古都のオーロプレット(OURO PRETO)、マリアーナ(MARIANA)等を訪問する機会がありましたので、今回は1980年にユネスコ(UNESCO)の世界遺産に指定されているオーロプレットを取り上げました。
1600年代の終わりに初めて金塊が発見され一躍注目されヴィラ・リカ(VILA RICA=豊かな村)と呼ばれた町は急速に発展し、1700年代後半には4万人の人口を数える当時としてはラテンアメリカ最大の都市に成長。ブラジルの独立運動発祥の地としても有名で、ミナス州の英雄チラデンテスの生家も残っています。
今回のオーロプレット訪問は、ベロオリゾンテ側からでなしにマリアーナ側から入りましたが、大型バスの町への進入が完全に禁止されており町のシンボルの一つであるイタコロミ(ITACOLOMI)の山が見える場所で車を停めて、バンデランテス(奥地開拓団)の金塊を求めて遠征して来た冒険者達が到着を確認するために眺めたと言われるイタコロミの特異な山が見えるスポットで末娘、小百合を入れて記念写真をとりました。
画像上左:イタコロミの山
画像上中:イタコロミを望む丘で家族3人で記念撮影
画像上右:オーロプレットの遠望
画像下右:オーロプレットの中心地、チラデンテス広場。チラデンテスは、ここオーロプレットの出身でブラジル独立の先駆者。広場の南側に独立運動(INCONFIDENCIA/インコンフィデンシア)記念博物館がある。

1698年にサンパウロから奥地の金を目指したバンデランテスのアントニオ・ジアスが同行するジョアン・デ・ファリア・フィリオ神父に最初のミサを上げさせたのがこの地の始まりと言われており、大きな金塊が見つかった土地、ヴィラ・リッカと名付けられたが、1711年にオーロプレット(OURO PRETO)と改名されました。
町は見る見るうちに発展し、30年後には4万人の人口を擁し、18世紀後半には当時のラテンアメリカ最大の都市に発展したが、さすがのオーロプレットの町も1750年代から金の産出が鈍り始めその発展は止まりました(ジアマンチーナ=DIAMANTINA=他の都市に移動していたようです)。
ブラジル独立後の1823年にはミナス州最初の州都に指定され、1897年に計画都市のベロオリオンテに州都が遷都されるまでミナス州の中心都市として栄えました。1933年にはブラジル国民記念都市に指定され、1980年にはブラジルで最初の世界文化遺産に指定され世界中の観光客が押し寄せています。
最近ではメルコスール(南部共同市場)の創設会議がブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ・パラグアイの大統領を迎えオーロプレットに集結したことでも有名で、何でもブラジル最初、否、南米最初のタイトルを欲しいままにして来ました。
オーロプレットの町は標高1,179メーターの高原にあり、2004年現在の人口は68,208人を数えていますが往時の金による繁栄と違い観光資源を中心としています。高原の町と言うより坂道の多い谷間の町で大型バスは町に入れさせず、ベロオリゾンテからサンパウロ、リオに通じる道は町の外にバイパスを通して町の訪問には観光用の車が使用されています。
最大の問題は町の中に車を停める車庫、駐車場が不足していることで、我々も駐車場所を見つけるのに30分近く町の中心地を車で回り何とかブラジル独立運動の中心地となった独立運動(INCONFIDENCIA/インコンフィデンシア)記念博物館前に駐車が出来きました。
画像上左、上中:町の中心地にある独立運動記念博物館の全景
画像上右:独立運動記念博物館の正面
画像下右:坂の町、オーロプレット

長い坂を下りたり上ったりしてミナス州の旧都の過去と現在に繋がる将来に思いを馳せたのだが、南米最大の町として栄えた町が昔のままの佇まいを残し、ここから運ばれた金がポルトガルを通じてイギリスに蓄積され産業革命の原動力になった事実からブラジルの古い田舎の町が世界の近代化への資金を送り出したことを思うと世界は繋がっていると思わざるを得ません。
1733年に開かれたバロック建築の粋を残すノッサ・セニョーラ・ダ・コンセイサォン女子修道院(NOSSA SENHORA da CONCEICAO)の大伽藍で跪(ひざまず)きながら、この町がこれ以上大きくならないで何時までも帝政時代の面影を伝えて行くことと、家族の平安とを共に祈りました。
画像左:古い時代の衣装を身につけて記念撮影
画像中:お土産に、土で作った人形を購入
画像右:カテドラル(大伽藍)の遠望

オーロプレットはバロック形式の建物と石畳の坂道、美しい教会を持つ町として有名


第25回オクトバーフェスタを迎えるブルメナウ 2008.10.14 update
サンタカタリーナ州のドイツ人が拓いた町、ブルメナウ(BLUMENAU)。今回は、第25回のオクトバーフェスタの開催を10月9日に控え、その準備に大わらわのドイツ人の町を紹介しましょう。
ブルメナウの町はドイツ人が拓いた町としては最古ではないものの最大に近い30万人の人口を持ち、繊維産業をはじめ各種産業を誇りサンタカタリーナ州の中心的な町の一つです。1850年にブルメナウ博士が17名のドイツからの移民と一緒にイタジャイ川を上って来てこの地に住み着いたそうです。
既に158年の歴史がある町ですが、1980年代初めにイタジャイ川の氾濫による大洪水に見舞われました。当時の新聞にカヌーを漕いでいる避難民が街角の信号機を手で触れている写真が紹介されたのを覚えています。
一致団結してこの大水害の復旧作業を行った市民が、この災害を乗り切った記念として、阪神・淡路大震災後に復興・再生への夢と希望を託して開催される神戸ルミナリエのように、祖国ドイツのミューヘンで行われているビール祭りを導入、1984年からOKTOBERFEST(オクトバーフェスタ)として開催されています。今回第25回オクトバーフェスタとして10月9日から26日までの18日間開催されます。
画像左:ブルメナウの町並み。中央の建物は、町のシンボルともいえるカテドラル
画像中:立派な市役所
画像右:町のまん中を流れるイタジャイ川(時々氾濫する)

その祭りの特設会場にもなるのが、VILA GERMANICA(ドイツ村)。ここは年中無休で一般公開されており、ブルメナウの町を訪れる観光客は必ず訪問するスポットとなっています。私も仕事でブルメナウを訪問した機会にオクトバーフェスタの準備に大わらわの会場に立ち寄ってみました。
今年(2008年)の目玉商品としてドイツ風の立派な時計台備えた3階建ての建物を建設中でまだまだ完成に時間がかかりそうですが、そこはブラジル式のダールウンジェイト(何とかする)で完成させることでしょう。心配はなさそうです。
何時も人気のある飾り立てた馬車等は、さすが遠慮して出ていませんでしたが、それでも各地からブルメナウを訪問している観光客がドイツの民族衣装を借りて俄かドイツ人になって記念写真を撮っていました。私も赤い帽子だけ購入して記念写真の仲間に入れて貰いました。
画像左:VILA GERMANICA(ドイツ村)の入口
画像中:建設中の建物
画像右:ドイツの民族衣装を身にまとって記念撮影(赤い帽子が筆者)

ブルメナウのオクトバーフェスタはブラジル中で有名ですが、私の住んでいるリオグランデドスール州にもドイツ人が拓いた町は多く、特に1824年にドイツからの最初の移民が到着したサンレオポルドの町、サンタクルスの町、イグレジンニヤの町の10月祭りも有名です。
本場のミューヘンに倣い最近は日本でもオクトーバフエストが東京・日比谷公園(2008.5/23-6/1)ほか全国で開催されるようですが、町を挙げて人口30万人のブルメナウにその2倍から3倍の訪問者を迎えると云った規模のお祭りは想像を絶するものと云えます。
1988年の第5回大会、1992年の第9回大会には100万を超える訪問者があったと記録されています。昨年(2007年)の第24回大会には69万人が集まり、何と36万5千リットルの地ビールを消費したそうです。今年は70万から80万人の人出がある予定とのことで既に会期中のホテルは100%予約済みで、近くの町に泊まってバスや車を使って参加する他方法がなさそうです。
10月と云えば北半球では秋、南半球では春で1年のうちで一番気候の良い時期に当たる。秋の収穫、春の訪れを祝う民族の祭りとして、地ビールにビア樽ポルカの賑やかな音楽に合わせて飲み踊る10月祭りが地球の南北を問わず賑わうのも、むべなるかなと云えましょう。
第25回オクトバーフェスタは10月9日から26日までの18日間開催される。
画像上左:VILA GERMANICAのツーリスト・インフォメーションセンター
画像上中:VILA GERMANICAの新しい建物の完成予想模型
画像上右:工事中の会場前に靡くブラジル国旗と、右からサンタカタリーナ州、ブルメナウ市、ドイツ村の旗
ドイツ風の建物が立ち並ぶ街路


世界自然遺産、ブラジル中央高原のCHAPADA dos VEADEIROS  2008.11.4 update
ブラジルの首都ブラジリアは世界遺産の文化遺産に登録されており、紹介したい都市の一つですが、今回はそのブラジリアより北へ240km離れたブラジル中央高原のCHAPADA dos VEADEIROS(シャパーダ・ドス・ヴェアデイロス/ヴェアデイロス平原国立公園)を紹介させて頂きます。
1961年にクビチェック大統領が国立公園に指定、2001年にはエマス国立公園と共にUNESCOの世界遺産・自然遺産(半乾燥地帯の保護区域)に登録されたましたが、余り知られていません。
2005年8月に、家族全員でブラジル南部のポルトアレグレより車を転がしてこの国立公園があるゴヤス州からトカンチンス州まで出かける機会がありました。その距離は何と往復6,708km、この大旅行についてはホームページ『私たちの40年!!』にも3回に分けて報告しておりますが、今回は、当時の写真を中心に自然が織りなすこの珍しい世界遺産を紹介しましょう。
画像左/中:アルトパライーゾからサン・ジョルジまでの高原地域の代表的な景色。
画像右上:国立公園内を行く。
画像右下:家族5人全員で記念撮影。

ブラジリアから210km北に行ったところにアルト・パライーゾ(天国の高い場所)と云う町がありますが、25万6千ヘクタールの5都市にまたがる広大な高原、山脈、丘陵、渓谷からなる「セラード」と呼ばれる高原半乾燥地帯の中心都市となっています。
ブラジリアに住む友人の河野賢二さんがこのアルトパライーゾに大きな別荘(元はレストラン兼ショウルーム)を持っておられ、此処を拠点にして3日間国立公園内を歩いて回りました。
河野さんの別荘、トトロ・ハウスのあるアルトパライーから37km離れたサン・ジョルジと云う町(1990年代まで水晶の採掘で栄えた町)にヴェアデイロス平原国立公園の入口があります。この公園には必ず資格を持った案内人を付けないと入れないとのことで、地元の43歳のマリアさんと云う方を見つけて入山しました。
画像左:河野さんの別荘、トトロ・ハウス。
画像中:サン・ジョルジ。今でも潜って入れる水晶の採掘場。
画像右:ヴェアデイロス平原国立公園のコース案内。

ゆっくり見て回るには最低1週間は必要と云われているスポットの内、国立公園の規定コース(1日目はキャニオン1、キャニオン2、カリオッカの滝、3日目は80mと120mの滝があるOS SALTOSのコース)、2日目にこの世の景色と思えない別世界を感じさせるVALE da LUA(月の谷)とRAIZAMAと云う私設公園内の滝と天然プールのあるコース、以上を何とか3日間で見て回りました。
SALTOコースでは、世界遺産を紹介するためイギリスから来た撮影隊に出くわし、撮影中に訪問客にうろつかれては困るとかで30分近く絶景スポットから退去させられるというハプニングがあり、娘たちは文句タラタラでした。それも今となっては懐かしい思い出です。
画像左/中/右:国立公園のキャニオン、滝、渓流の景色。

この地域が世界遺産に指定されてから、日本のJICA(国際協力機構)がこのセラード地域に生息する絶滅に瀕する動物を守るための「緑の回廊(動物の移動経路を確保する)」建設計画に取り組み、長期滞在の専門家2名、短期の専門家8名の計10名を派遣して自然環境保護に協力しています。公園内の看板には必ず日本のJICAのマークが記載されており誇らしく感じました。
3日間で何と35kmを歩きまわり自然との接触、1万種類近く植生しているといわれる木々、花々を堪能しました。文末で、その内の幾つかを紹介いたします。
画像左:公園内の看板には日本のJICA(国際協力機構)のマークが記載されている。
画像中:双子の滝(120m)。
画像右:双子の滝(80m)。

訪問先の一つVALE da LUA(月の谷)は、大きな石鹸の石(=蝋石)が水により浸食されてまるで月の表面(?)を思わせる奇怪な様相を呈していました。
大きな風呂の穴が幾つもあり、娘たちが入り込みまるで深い井戸の底で風呂に入っているような感じではしゃいでいました。RAIZAMAの滝、自然のプール、水さえあれば飛び込む様子を、子供の頃に中耳炎を患い泳げない私は羨望の目で見守るだけでした。
10月からは雨季(10月から4月)に入り、雨の強い日は入山禁止となるとか。乾燥期の終わりの一番良い季節に訪問したようで、絶景に息をのみ、自然と接し世界自然遺産の一つを十分楽しむことが出来ました。
最近は、エコツーリズムが持て囃されているようですが、果たしてどれだけの日本人の方がここを訪問するでしょうか?
画像左/中:VALE da LUA(月の谷)の奇岩
画像右上:まるで井戸の底で風呂に入っているような感じ。
画像右下:天然プールで戯れる娘たち。
追補:高原に咲き乱れる花、花、花。
個々の名前は分かりませんが、ブラジルでは御馴染の花、花木です。南にでは見られない珍しいものもありました。



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