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【ブラジルの紅茶】 麻生 悌三さんの寄稿です
毎月、ブラジルの農業関係の話題を選んで原稿を送って頂いている麻生さんから10月号の原稿が届きました。今回は、【ブラジルの紅茶】です。
紅茶は世界で350万トンも生産されておりその半数がインドと中国で生産されているそうです。ブラジルは植え付け面積も少なく世界の生産国20位にも入っていないとの事ですが、ブラジルの紅茶と云えば忘れられない岡本寅蔵さんの逸話を紹介して呉れています。ブラジルの紅茶王として有名な方です。
また付録として山本山の緑茶栽培と販売に付いても触れていますが、実はさわやか商会ではこの山本山のお茶の南2州の販売店を遣っており年に数回お茶を仕入れますが、一度に4、5千ドルの仕入れで事務所の1部屋がお茶で溢れることがあります。緑茶は、やせるのに良いとかで薬局等からの注文が多く我が社の唯一の伝票を切っての販売商品と成っています。米屋(ウルグアイからの水田米の輸入販売)を辞めてからはお茶屋になっています。
写真は、週末に紅茶を淹れて一服と湯気の立っているのを撮ったものです。


茶は大きく分けて、中国種(小葉種)とアッサム種(大葉種)に分けられる。相互に交配し雑種を作る。従い、原々種は共通の茶樹であったと思われる。中国種は雲南省地方から、東方の寒冷地に栽培が拡がるにつれて、葉が冬の寒さに適用するため、葉の小さな潅木(木は根元から枝分かれし、樹高は2−3m)の茶樹が生き残り、緑茶に適う、成分の葉に改良された。カテキン含有量(茶の渋み成分)が少なく、酸化醗酵しにくい葉は緑茶向きの茶樹である。中国種は日本、トルコ、グルジャ、イラン等、冬の寒さが厳しい所で栽培されている。一方、アッサム種は英国人ブルース大尉が1823年にアッサム地方で野生のアッサム種を発見した。葉は中国種より大きく、喬木(樹は直立し樹高は10mを超える)であり、形態が異なる為、永らく、茶と認定されなかったが、最終的に茶の変種と認められた。カラキン含有量(茶の渋味)が多く、醗酵し易く、紅茶向きである。ケニヤ、スリランカ、等の無霜地帯に栽培される。かって、インド、スリランカの紅茶は中国種が植えられていたが、アッサム種が導入されると、自然交配し、雑種が出来た。今日ではこの雑種が栽培の主力である。世界の茶の生産量は紅茶(醗酵茶)78%、緑茶(未醗酵茶)20%、ウーロン茶(半醗酵茶)2%に大別できる。

―世界の主要生産国の茶の生産(2005年)
生産国      生産量     輸出量      国内消費量     栽培面積
中国       85,8万トン 20,9万トン  58,8万トン  160万Ha
インド      85,1    18,0     75,4      52
スリランカ    30,8    26,8      4,0      19
ケニヤ      29,5    24,6      4,9      14
トルコ      20,2     5,9     14,3       −
インドネシヤ   16,3     9,8      6,5      13
ヴェトナム    10,8      −        −        −
日本       10,1      −      15,0      4,0 
アルゼンチン    6,4     6,1      0,3      4,1
茶の世界の総生産量は2005年で350万トンと云われている。(2007年は380万トン)中国とインドの生産量が50%を占める。輸出量は152万トンある。中国の輸出の80%は緑茶である。主要生産国20カ国の20位は南アフリカ(生産量年1,3万トン)であるが、ブラジルは栽培面積が少なく、は世界の20カ国の内に入っていない。

―世界の主要茶輸入国(2005年)
主要国      輸入量       一人当たり年間消費
イギリス     16,2万トン   2,17kg
ロシヤ      16,1       −
パキスタン    12         −
アメリカ      9,3       −
エジプト      7,3       −
日本        4,3       1,18
イラク        −        2,4
アイルランド    2,35      −
リビヤ       2,28      −
日本は紅茶(1966年以降は生産なし)とウーロン茶の生産は無く、専ら輸入である。パキスタンはインド、スリランカと相互貿易協定がありながら、ケニヤより輸入している。

―茶のプラントハンター岡本寅蔵
岡本寅蔵は明治26年(1893年)に奈良県に生まれる。京都第16師団で兵役終了後、茶どころ宇治の製茶工場に6年間勤務、最高級の玉露茶を揉む腕利きの職人となって、
26歳の時、1913年に博多丸でブラジル移住しレジストロに入植し、米作、サトウキビ栽培に従事した。レジストロ植民地は1916年に海外興業(海興)のにより造成され、
周辺の植民地2箇所を合せたイグアッペ植民地はブラジル最古の邦人植民地。尚、レジストロ植民地には1917/18年に250家族が入植している。今尚、レジストロを中心としたイグアッペ地方には日系家族2000家族が居住している。レジストロはサンパウロ市から西南に160kmに位置し、サンパウロとクリチーバの中間の地点で、サンパウロ州では最も高温多雨地帯でサンパウロのアマゾンの別名があり、茶、バナナが主産物。岡本寅蔵は茶の専門知識を持っており何とか、レジストロで茶の栽培が出来ないか模索していた。当時サンパウロ市内のドンジョアンVIの宮殿の庭園(現在のブラス駅近く)にシナ茶が観賞用に植えられているのを知った。茶樹はリオデジャネイロ植物園から移植された樹で、ポルトガル領マカオから持ち込んだらしい。何とか、それをレジストロに植えるべく、サンパウロの海興本部を通じて画作するが、埒があかず、ようやく、事情に詳しい沖縄県人の屋比久氏と知り合い、同氏の手引きで、シナ茶の種子、25粒を採取し、レジストロに播種した。1925年に数キロの緑茶、紅茶を作ったが、結局、紅茶の適種ではなく、栽培も頓挫した。 1934年に訪日し翌年1935年にブラジルに戻る帰路、船がセイロン(スリランカ)に寄航した(当時の移民船のルートは神戸―シンガポールーケープタウンーサントスであり、セイロンに立ち寄ることは、船のドック入りとか、何らかのトラブルがあったに相違ない)。岡本寅蔵は船の停泊期間を利用して、アッサム種の種子を入手すべく計画した。当時のセイロンは英領で、種子の持ち出しは厳重に監視されており、発覚すれば投獄は間違いなく、下手すれば、射殺の危険もある。どう云うコネとルートで種子を入手したか不明だが、アッサム種の種子100粒を入手し、5個のパンの中に種子を埋め込み、隠して、船中に持ち込む事に成功した。この茶種は緑茶、紅茶の両方の原料に使用可能なアッサム種(camelia simensais種)の雑種で、船中で瀬戸物の鉢に播種した。61本の苗が発芽し、ブラジルに持ち込む事に成功した。この61本の苗がブラジルに紅茶産業を興した礎である。イギリス等のプラントハンターは国家が後ろ盾になり、組織的に行ったが、日本移民の場合、アマゾンのジュート(日本の製麻会社が種子の持ち出しに絡んでいるが)、胡椒(移民船監督の南拓の社員臼井牧之助が入手)、茶、は全て国家権力とは関係のない個人の発想で遂行されており、驚嘆すべき日本人の才覚と実行力である。
セイロン紅茶はインドに於いて紅茶産業に成功を収めたイギリスはセイロンにも拡げるべく、1839年にカルカッタからセイロンのベラテニア植物園にアッサム野生種が移され、又、中国からも種子が導入された。1866年頃にアッサム、中国種が自然交配で新しい雑種を作り、その土地に適した性能を発揮し増殖された。セイロンは元々、コーヒーの産地であったが、1870年代後期、コーヒーのさび病が蔓延し、コーヒー園が全滅した。その跡地に、茶の栽培が勃興した。 セイロンも気候は紅茶栽培に適しており、高地(標高1200m以上)、中高地(標高600−1200m)、低地(標高600m以下)に茶園が分かれており、寒暖の差の大きい、高地のウバ紅茶と、インドのダージリン紅茶は、世界の2大銘茶として知られている。紅茶園で働く労働者はインドよりタミール人を移入した。これが、後年、悲惨な民族闘争をスリランカで起こした原因である。(民族組織タミールの虎対スリランカ政府軍との20年に亘る、武力紛争)。岡本寅蔵氏は40Haの茶園(60万株)を造成するとともに、紅茶工場Cha Ribeira Ltdaを創設し、現在は孫のリカルド岡本氏が引き継いでいる。

―ブラジルの紅茶産業
世界の紅茶の生産はあがっているが、ブラジルは残念ながら、右肩下がりの現状である。
1958年紅茶栽培が盛んになった、隣国アルゼンチンは栽培面積約4万Haを北部のミッシオネス。コリエンテ州に拡げ、生産量は世界第9位の6,4万トンとなり、ブラジルとの間に水をあけている(種子は黒海沿岸のグルジャから導入されたらしい)。ブラジルの産地はレジストロを中心とした地域が90%を占め、生産の95%が輸出向けである。国内消費は僅かで、年間200−300トン程度ではなかろうか。一方、アルゼンチンは国内消費は年間8千トンを見積もる。
ブラジルの栽培面積も減少が続き、1983−1994 5376Ha、1995−2002 3700Ha、2008年の推定面積は2000Haである。
A) ブラジルの紅茶の輸出の推移(1996−2006)
年度        輸出量       輸出高FOB       平均価格−キロ
1996      3442トン    4042千ドル      US$ 1,27
1997      2990      3874            1,30
1998      2830      4376            1,55
1999      2595      3594            1,39
2000      3302      4516            1,37
2001      3723      4708            1,27
2002      3632      4057            1,13
2003      3919      4207            1,07
2004      3238      3585            1,10
2005      3011      3655            1,21
2006      2852      3681            1,29
輸出国別ではUSA向け約40%、イギリス向け約28%、チリー向け約19%の割合である。国内消費は2006年で180トン。コーヒーの国ブラジルは紅茶は人気がない。又
缶飲料では、Lipton/Pepsico, Nestle/Coca Colaの生産がある。
B) ブラジル紅茶
―立地条件=世界の紅茶生産地は熱帯、亜熱帯に於いて、標高1千メーター以上、温帯に於いては標高500メーター以下に位置する。昼夜の温度差による、フレーヴァー、色つき、が得られる。レジストロは標高20メーターで高温多湿地帯であり昼夜の温度差は少ない。立地条件としては茶栽培の適地とは云えない。
―品質=増量材として使用されている。アルゼンチンのようなブランド力はない。従い、価格競争力がない。
―栽培管理=価格が弱いと管理の手抜きが起こり、それが品質低下に繋がる。最終的には栽培面積の減少となる。この負のスパイダルを切るには、品種改良、アルゼンチンを手本とした徹底的な機械化と製茶工場の近代化である。1950年の神戸博覧会でセイロン紅茶に劣るも、日本の紅茶よりも良いと評価を受けている。本気に取り組めば、増量材の地位に甘んじることはない。苗を定植後4年で収穫があり、1Ha当たり8千本を植え、1Ha
あたり年間16トン(1本に2kg)の収穫を見込める。
―紅茶の製造=製造工程は、1)葉の湿度除去(葉の湿度を12時間かけて40%除去)−2)裁断、揉み―3)醗酵―4)乾燥(湿度3%)−5)精選―6)袋ずめ、の6段階に大別出来る。醗酵工程がノウハウであるが、先ずは原料の優劣が根本であり、栽培管理である。生葉5kgから紅茶1kgが製造できる。 尚、かっては、7社あった製茶工場も現在は4社のみで、Amaya,Yamatea,Chabras,Cha Ribeiraの日系工場である。

―付録 ブラジルの緑茶
かっては、レジストロで緑茶の生産が行われていたが、1976年に山本山がブラジルに進出してきた。当初はコチヤ産組、丸紅、山本山のJVであったが、コチヤと丸紅が抜け、
山本山一社となった。現在もレジストロ近郊に農園、工場を持ち、緑茶の生産も行っているが、主力はパラナ州クリチーバ近郊に移し、農園(緑茶に最適な品種やぶきた種を導入している)、製茶工場を稼動させ、緑茶(煎茶)をアメリカ等に輸出している。1997−2006年の山本山の緑茶の輸出量は、1997年411トン、1998 277 1999 316 2000 369 2001 355 2002 317 2003 291 2004 354 2005 396 2006 377トンである(ブラジルの緑茶の生産は山本山が独占している)。日本等が人件費の高騰から、付加価値の高い玉露等を生産の主力として来たため、一般茶の番茶、煎茶が品薄減少が起きていた。ブラジルが一般茶に生産のターゲットを絞ったのは成功である。年間400トン生産し、国内消費は40−50トンである。

―付録 ブラジルのマテ茶
アルゼンチン、ブラジル、パラガイの3カ国で生産され、栽培総面積は約26万Haである。
アルゼンチン65%、ブラジル22%、パラガイ13%の比率である。ブラジルの生産量は年間24万トンで輸出は年間3万トンと紅茶の10倍の規模である。輸出先はウルガイ、
チリー、ドイツ。南米全体の総生産量は年間約60万トン。アルゼンチン55%、ブラジル36%、パラガイ9%の割合である。抹茶タイプのマテ茶をシマロンと呼ぶ容器に湯を注ぎ、金属のストローで吸飲する飲み方が一般的である。尚アルゼンチンの輸出先はシリヤを中心とするアラブ諸国である。規模的にはブラジルの国民茶はマテ茶と云えるが、消費はブラジル南部に略、限定されており他地域では馴染がない、。
以上
麻生
2009年10月1日



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