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世界市場紀行 ワールド・バザール21 いまどき報告 ブラジル(3) 12月号―3月号
昨年4月から1年間、毎月いまどき報告 ブラジルとして穴吹工務店の提供番組でブラジル編を担当させて頂きましたが世界金融危機の影響で3月で終了してしまいました。メインのテレビ番組世界市場紀行もなくなってしまったとのことで非常に残念です。
私が書く原稿で唯一原稿料を頂けていたのがこの番組で毎月5千円、年間6万円の原稿料を頂き97歳のオヤジの養育費負担金の2カ月分を援助頂いた計算になり大変有難かったのですが。。。原稿料以上に私なりに気に入った仕事で取材費が掛かっても自分で直接出掛けて行き自分で撮った写真でブラジルの世界遺産、ブラジルの各地の話題を報告して行きたかったのですが。。。またこのような企画、機会があれば嬉しいのですが。。。
最後の4回分を記念に『私たちの40年!!』HPにも収録して置くことにします。
まだリンク切れにはなっていないようですので下記URLで写真の全部を見ることができます。www.e384.com/imadoki/index.htm
写真は、2月号に紹介したミナス州のヴィソーザの街を昨年のクリスマス休みに家族全員で末娘、小百合を訪問した時に撮った家族5人勢揃いの写真を使用しました。もう少し大きな写真を探してみます。



珍しい計画都市、世界文化遺産に登録されているブラジリア 2008.12.9 update
ブラジルの首都ブラジリアは、1987年に世界文化遺産に登録されている計画都市です。1956年1月に大統領に就任したジュセリーノ・クビチエック大統領は、ブラジルの首都をリオから内陸部のブラジル直轄区(Distrito Federal)として定められていたブラジリアに移すことを決定、即時実施、任期中の1961年4月21日にブラジリアに遷都しました。
画像左:ブラジリア全景模型
画像中:ブラジリア全景模型の拡大図。世界一大きい国旗も見える。
画像右:飛行機を模ったブラジリア。いずれも三権広場の博物館の展示物。
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計画都市の設計は建築士のルシオ・コスタが計画、各主要建物は奇代の建築家オスカル・ニマイヤーが設計しました。都市として動き始めて僅か26年後の1987年に世界文化遺産として選ばれました。
古い都市の街並みが世界遺産に指定されることはあっても若い計画都市が世界遺産に選ばれることは珍しく、多くの人たちはブラジリアが世界文化遺産に選ばれていると聞くと『嘘、本当?』と驚きます。ブラジリアへの遷都50周年記念となる2011年4月21日までのカウントダウンが始まっており、510何日とかの電光表示が幾つも見られました。
画像左/中:移動中のバスから見たブラジリアの寸景
画像右:ブラジリアの心臓部、バスターミナル
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今回、『私たちの40年!!』の同船者仲間と、サンパウロよりブラジリアまで長距離バスで14時間を掛けて世界遺産の街を訪問しました。総勢30名。ゆったりとしたバスの旅で、土曜日の朝、ブラジリアに到着。朝食後ブラジリア市内を見学して回りました。
最初に訪問したのは大聖堂(カテドラール)。立派なエントランスから中に入ると、明るい大伽藍で天使が高い空を舞っておりミサには大音響が予想される、如何にもブラジルらしい教会で、誰もが記念写真を撮っていました。我々も負けずに一枚、全員が揃わなかったのが残念です。
画像左:ブラジリア大聖堂のエントランス
画像中:大聖堂の大伽藍。天使が空を舞っている。
画像右:大聖堂内での集合写真を撮影
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ブラジリアの三権広場の国会議事堂では、お椀の形をした下院議院、お椀を伏せた形の上院議院、大統領府、最高裁判所がありますが、何と言っても目を引くのが100mの高さに靡く、横幅24m、重量は60kgあると言われる大国旗。風が吹くとパタパタという音が聞こえるとのことで傷みが激しく毎月取り替えておりこの大国旗の製作費用はブラジル各州が持ち回りで負担するそうです。
画像左:お椀の形をした下院議院と、お椀を伏せた形の上院議院
画像中:最高裁判所
画像右:100mの高さに靡く世界一大きい国旗
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ブラジリアの三権広場に博物館があり、ブラジリアの町全体の模型等も展示しており、建設当時の労働者の写真や100mの高さに靡く世界一大きい旗としてギネスブックに記録されている大国旗他、全景が見られる模型もありました。
博物館の入り口には、クビチェク大統領がブラジリア建設開始の時に行った宣言の碑や彼の像が小雨に濡れてブラジルの行く末を眺めていました。
画像左:ブラジリア建設当時の労働者たち
画像中:毎月取り替える大国旗の製作費用は、各州が持ち回りで負担。
画像右:雨に濡れたクビチェック大統領の像
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今年の6月18日の日本移民100周年記念式典に参加の為に皇太子殿下ブラジリアに立ち寄っておられます。大統領府の衛兵が立つ坂道を歩いてルーラ大統領と接見した際に、慣例を破り皇太子殿下自らが大統領に手を差し伸べて固い握手を交わしたとの逸話は、まだ記憶に新しいところです。
ブラジリアの大統領官邸『暁の宮(PALACIO de ALVORADA)』には、衛兵が立っておりますが、訪問者が入れ替わり立ち替わりツーショット、スリショットの記念写真を撮っています。
目ばたき一つせずに直立不動の姿勢を取っており、何時間かごとに交代するのでしょうが大変な労力だと思います。鹿児島県人会研修生の二人も衛兵との記念写真を撮らせて貰いました。
画像左:大統領府(PALACIO de PLANALTO)
画像中:大統領府の衛兵と守衛
画像右上:大統領官邸(PALACIO de ALVORADA)
画像右下:大統領官邸の衛兵と鹿児島県の研修生
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ブラジリアが一望に見渡せるテレビ塔にも上がって見たかったのですが、ブラジル中央高原地域は現在雨季に入っており生憎の雨でエレベータが動かず果たせませんでした。
画像左:テレビ塔
画像中:中央銀行のビル
画像右:立体交差
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ブラジリアは標高1,100mのブラジル中央高原の真っ只中にあり10月から4月ごろまで雨季(夏)に入りスコール的な雨が降りますが、乾季には雨が一滴も降らないそうです。街路樹として植えられたマダカスカル島が原産地と言われるフランボヤンの赤い花が目を楽しませて呉れました。また、八重のハイビスカ、ブーゲンビリア等も咲き乱れていました。
画像左:フランボヤンの花
画像中:八重のハイビスカ
画像右:ブーゲンビリア
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三菱重工ブラジル現地工場CBCに於ける忘年会に参加しました。 2009.1.13 update
12月は、ブラジルでは暑い、暑いクリスマスと正月を迎える準備で仕事の上でも日常生活でも師走だけに気忙しい日が続きます。
ブラジル移住が始まって以来100年の歴史を刻み、その最後を飾る今年(2008年)の大晦日には、サンパウロの東洋人街(昔は日本人街と呼ばれていた)のリベルダーデ(Liberdade)広場でNHKの第59回紅白歌合戦の実況放送に合わせ餅つきの様子が数分紹介され、コロニア縁(ゆかり)の宮沢和史が≪島歌≫を熱唱しました。そんなリベルダーデ広場の様子を少しご紹介しましょう。
NHKで実況中継されたリベルダーデ広場は、地下鉄リベルダーデ駅の前にあります。東洋街を17世紀風の日本街に作り直すプロジェクト、「カミーニョ・ド・インペラドール(天皇陛下通り)」の第1次工事がこのほど終了、きれいに整備されています。この工事には、ブラデスコ(Bradesco)銀行など民間企業からの資金援助が行われています。
天皇陛下通りには、大阪橋があり(サンパウロと大阪は姉妹都市)、東洋人街名物の赤い大鳥居があります。昨年(2008年)6月に皇太子殿下もこの鳥居の下をパレードされました。また、ブラデスコ銀行リベルダーデ支店の外装が、大阪のシンボルである“大阪城”風に生まれ変わりました。サンパウロ市内の案内は、そのうち詳しくさせて頂きたいと思っています。
画像左:リベルダーデ(Liberdade)広場の年末の寸景。紅白歌合戦を実況中継した餅つき場。
画像中:東洋人街のシンボルである赤い大鳥居。皇太子殿下もここをパレードされました。
画像右上:大阪橋のネームプレートは漢字表記。
画像右下:通称「大阪城」、ブラデスコ(Bradesco)銀行リベルダーデ支店です。
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さて今回は、趣向を少し変えてブラジルの工場内で行われた忘年会の様子をお伝えしたいと思います。私が工作機械の販売をお手伝いしている三菱重工のブラジル会社では、12月13日(土)に社員の家族も含めた忘年会を三菱重工のブラジル現地工場CBC(CBC Industrias Pesadas S/A=ブラジルボイラー工場)の社員福祉施設を借りて実施しました。この忘年会に参加するためにポルトアレグレから何と1,000km離れたサンパウロまで出かけた次第です。
サンパウロのパウリスタ大通りの近くにある事務所前から30人乗りの小型バスで70km程離れたCBCの工場があるジュンジアイと云う町まで1時間半掛けて出向きました。
画像:CBCの航空写真(CBCのホームページより)
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現地参加の職員と家族を入れて総勢30数名が集まり、希望者にはCBCの工場見学が許されました。と云っても土曜日で一部のセクションを除いて仕事はしていませんでしたが、家族の者にとっては三菱重工の工場がどんなものか知る上で貴重な経験となったようです。
CBCは、1955年にドイツのフォン・ティッセン(Von Thyssen)がミナス州のヴィルジニアの町に創立した会社で、1963年に三菱グループ(重工/電機/商事)が買収しました。1974年には現在のジュンヂアイ市に工場建設を始め、1977年に完成させたもので、ブラジルの基幹産業を支えブラジルの工業化に大きく貢献して来ました。
現在従業員は工場に850人、営業を中心としたサンパウロ事務所に100人合計950人が働いている。工場用地は183万平方メートルあり工場敷地は5万6千平方メートルを有し、砂糖、パルプ、ペトケミ、ガス化学等へのボイラーや各種機器を製造販売しており、ターンキー(完成品としてすぐに利用可能、という意味)による工場建設等も請け負っている。国際金融危機の影響も当然新規受注にある程度響いて来るとしても2010年までは受注工事が詰まっており人員整理等は全く考えられないとのことで不況に強い産業と云えます。
画像左/中/右:CBC Industrias Pesadas S/A(ブラジルボイラー工場)
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CBCのHPよりお借りした航空写真の左先のテニスコートの先が昼食会の会場となった施設で楽に200人は入る設備です。
いつもはシュラスコと呼ばれる塩だけで味付けする豪快な串刺しの焼き肉、いわゆるバーベキューが供されるのですが、日本人職員が多い三菱重工ブラジル会社の昼食会には、何と日本式の竹串に刺した小さな焼き鳥風の肉が準備されており、手作りのおにぎり(と云ってもプラスチックの枠にご飯を押しこむ押し寿司風のおにぎり)、野菜に惣菜と日本のピクニックのような雰囲気で現地の皆さんも“肉を箸で食べるサンパウロ州では珍しくはない”日本式の食事を楽しんでいました。
画像左/中:昼食会の食卓
画像右:昼食会寸景
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昼食後、会社側で用意した豪華な景品が皆に配られて、初めてジョニウッカーのブラックラベルを当てた運転手さんがご満悦で良いクリスマスが迎えられると喜んでいました。
日本から来ておられる大隈社長、八尋部長と共にバスの前での記念写真、参加者全員で撮った写真も大きな企業グループで仕事をさせて頂いている幸せを感じる瞬間でした。
画像左:番号付きの福引き券
画像中:左から八尋部長、大隈社長、和田
画像右:バスの前で参加者の記念撮影
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広いCBCの敷地内には記念植樹が彼方此方にあり、世界の三大花木と言われるジャカランダ、フランボヤン、火炎樹が咲き誇っていました。
画像左/中/右:左から火炎樹の花、フランボヤンの花、ジャカランダの花
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ミナス州のヴィソーザ連邦大学とヴィソーザの町を紹介 2009.2.10 update 
昨年(2008年)のクリスマス休暇を、ミナス州の州都ベロオリゾンテより275km南東(リオ方面)に下った町ヴィソーザの近くに住む末娘小百合の農場を訪ねて家族全員で過ごした。
人口8万人に満たない田舎町に州内随一の連邦大学があり、在籍生の数11,544人(学部生9,838人、大学院生1,706人)、815人の教授陣に2,511人の職員を入れると何と14,870人が大学関係者であり、全人口の20%近くになる。2008年の大学受験生が19,105人で合格者が2.085人(倍率が10倍近くなる名門大学)、卒業生が1,536人との記録がある。
町の人口の20%が4年前後で移動する可能性が強い学生層で占めている町は、人口に対するモトバイクの数が非常に多いと感じた。また町そのものが大学を中心として動いており、ヴィソーザの連邦大学では他校では見る事が出来ない経済活動が目立った。
その一例が、大学構内に大学自体が経営する大きなスーパーマーケットがあり、買い物をする市民で賑わっていたことだ。また、大学内にはホテル学科の学生が実習の場としているホテルがあり、出版物を発行する出版社や印刷工場がある。
さらには、畜産学科の学生が管理実習を行う農場や近郊農家から持ち込まれる牛乳を加工するための工場が大学内にあり、学生がチーズ、バター、甘みを抑えたドゥルセ・デ・レーチェ(Dulce de Leche:砂糖を入れた牛乳を煮詰めたキャラメル状のもの)等を生産・販売していた。
これらの経済活動のみならず、大学構内の大きな池では町の太公望が釣り糸を垂れていたり、市民が池の周りをジョギングや散歩するなど、大学が市民の憩いの場所ともなっていた。
ヴィソーザの町の歴史は1800年にフランシスコ・ダ・シルバ神父が小さな教会を同地に建てる許可を得たのが始まりで、町の近くを流れるツルボ川に因みサンタ・リッタ・ダ・ツルボと呼ばれていた。1871年に町に昇格し、1876年には当時のヴィソーザ大司教の名前を取りヴィソーザ・ダ・サンタリタ(Vicosa de Santarita)と命名され、1911年から正式に現在と同じヴィソーザと呼ばれるようになる。
町の標高は648mで、最高気温が26.4℃、最低気温が14.8℃、年間の平均気温が19.4℃と云う過ごしやすい気候で平地が少なく丘陵地が85%占めているが、気候的にブラジル国内でも最高級のコーヒーが生産される地方である。しかしながら、価格的にコーヒーには魅力がないとあって、最近はユーカリの植林がコーヒーを駆逐しているようだ。
1875年にヴィソーザの町で生まれたアルトゥール・ベルナデス(Artur Bernades)が第13代のブラジル大統領に選出され、彼がミナス州知事時代の1922年に農畜産大学を設立し、大統領時代に連邦大学に昇格させたことから、正式なヴィソーザ連邦大学の設立は1926年と記録されている。2006年には創立80周年祭を盛大に行っており、80周年記念と明記された正門がある。
末娘の小百合は、ヴィソーザの町の近くの農場に住むことになり、昨年(2008年)後半よりこのヴィソーザ連邦大学の農業経済の修士課程に籍を置き勉強を始めている。ヴィソーザ連邦大学には54の大学院コース(修士課程と博士課程)があるが、その中でも伝統的に農畜産、農業経済がブラジルでも特筆されており全国より学生が集まる。

ヴィソーザの町は、ミナス州の金鉱開発の時代にリオ、サンパウロからの金を求めて遣って来る冒険者の通過する町、ポルトトガルへ運ぶ金塊の通るカミニヨーレアル(王室の道)と呼ばれていた旧道沿いにある町として栄えて来た。町としての今日を築いたのは矢張りブラジルの第13代ベルナデス大統領、彼がヴィソーザ連邦大学を設立したことが現在の大学の町としてのヴィソーザの基盤となっている。
この町が生んだ最大の英雄アルツール・ベルナルデスが町でどのように顕彰されているか興味があったが、町の中心地にある公園の中に1969年9月28日にベルナデス大統領の像を建立しているが、町の英雄を讃える像としては如何にも貧相な感じがした。当然、彼の名前を付けた街路が町の中心地にあったが、これも主要道路とは云えないものであった。
画像一段目:
画像左:ヴィソーザ連邦大学正門
画像右:正門にある門柱(全部で4本ありポルトガル語とラテン語で書かれている)

画像二段目:
画像左:正門付近の写真
画像中:校内の建物
画像右:大学本部の建物

画像三段目:
画像左:大学経営のスーパーマーケット
画像中:大学が経営するホテル
画像右:クリスマスの飾りがある印刷、出版社

画像四段目:
画像左:買い物客で賑わう、大学が経営するスーパーマーケット内部
画像中:スーパーマーケット所有の買い物を届ける車
画像右:門柱と校内遠景

画像五段目:
画像左:正門の守衛室と背景は池のある公園
画像中:池のある公園
画像右:大学構内にある小さな駅(今は汽車は走っていない)

画像六段目:
画像左、中:ヴィソーザ連邦大学校内の建物
画像右:ヴィソーザの鉄道の駅

画像七段目:
画像左:第13代のブラジル大統領アルツール・ベルナルデス。ブラジルは彼の在任中(1922-1926)の1926年に国際連盟から脱退した。
画像中:町の中心地にある教会。ここの公園にアルツール・ベルナルデス大統領像がある。
画像右:町の守護神、サンタ・リタ(Santa Rita)の像

画像八段目:
画像左:ヴィソーザの町の公園内にあるアルツール・ベルナナルデス大統領の記念像
画像中:大統領像の前で記念撮影
画像右:ヴィソーザ連邦大学創立80周年記念(1926-2006)のシンボルマーク

画像九段目:
画像左:火炎木が咲き乱れるヴィソーザ連邦大学校内
画像中:末娘の小百合が通う農業経済学部の看板
画像右:校内の竹藪で、家族全員で記念撮影

画像十段目:
画像左:アルツール・ベルナルデス(Artur Bernardes)通りの道標。ヴィソーザで唯一の歩行者天国になってはいるが、主要道路ではない。
画像中、右:歩行者天国の様子


ポルトアレグレのカーニバル 2009.3.10 update
「いまどき報告」も3月号で終了とのことで書きたかったブラジルの世界遺産の数か所を纏めて報告しようかとも思いましたが、矢張り最終号ですので世界的に有名なブラジルのカーニバル、それもリオ、サンパウロ、サルバドール、レシフェー等の有名なカーニバルでなく、地元ポルトアレグレのカーニバルを取り上げることにしました。実際に見に行った臨場感溢れる画像と共にブラジル・ポルトアレグレのカーニバルを報告させて頂きます。
ポルトアレグレのカーニバルは1930年代に市内の北部地帯の比較的貧しい地域で始まったようで、1956年からポルトアレグレ市の観光局が公式に現在の様なカーニバルを主催することになりました。毎年のチャンピオンが歴史に残っていますが、私が応援に行ったBANBAS de ORGIAは19回の優勝を誇る名門チームです。
リオ、サンパウロの特設リンクとしてのサンボドロモ(Sambodromo/カーニバル会場の俗称)を見習い、ポルトアレグレでも専用のサンボドロモ設置が検討され、2006年12月に完成しました。2007年からは現在のPORTO SECO(乾いた港=トラック輸送便の発着場所のこと)地域で開催されており、今年(2009年)で3回目になります。初めて見ましたが、結構立派な設備で、2月21日の土曜日には何とサッカーの大試合並みの6万人近い群衆が集まったそうです。
サンボドロモの正式ピスタ(道路状の演舞場)の長さは450m、さらに150mの補助ピスタが出場準備のスタート前の側にあります。全長600m、横幅16mの飛行場のピスタの様なもので、両側に観覧席が配置され、真ん中にカマロッテと呼ばれる桟敷席が用意されています。
画像右上/左/中:ポルトアレグレのカーニバル 。
画像右:ポルトアレグレの専用サンボドロモ。ピスタの長さは450m。
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一般席の入場券は5レアイス(2ドル強)でした。出口に当たるE席の切符でしたので、入場が始まって30分以上経ってからやっと山車や行列が見え始めました。
各チームは、最低1,700人の参加者に山車が5台程を中心にポルタバンデイラ(旗を担ぐ人=これは女性)とメストレサーラ(男性)の二人は採点対象で、重要な役割を果たしています。
昨年(2008年)の日本移民100周年記念行事で日本が大々的に紹介されたことから各地のカーニバルでも日本に関する山車とか行列の中で色々な形で使用される様になって来ているようです。今年のリオのカーニバルでも大きな大仏が山車に使用されているようですし、マンゲイラに日本人部隊が31人参加したり、神戸出身の美人女性も大事な役割を担ってリオのサンボドロモで活躍したようです。
画像右上:一般席の入場券は5レアイス(2ドル強)。
画像左:旗を担ぐポルタバンデイラ。
画像中/右:日本移民100周年記念行事の影響か、衣装に『春』『夏』『秋』『冬』などの漢字がプリントされている。
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カーニバルの各チームの採点基準は、減点法で採点しているようで持ち点は最初から各採点項目10点として満点から減点して行くようです。採点項目は、テーマ(音楽も含めている)、バテリア(打楽器の楽隊)、進行状況も大切で先ず制限時間1時間内で450mのピスタ(会場)を1,700人以上の参加者で通り抜ける事を義務付けられています。
私が応援するBAMBAS de ORGIAは、時間超過で減点される可能性があり最後の部分を駆け足で終わらせましたが、全体的な進行がまずいとのことで多くの審査委員から減点を食らったようです。
もう一つ大きな審査の要素は、ALEGORIA(アレゴリア)と呼ばれる神戸の花電車を思い出させる山車で、5台は必要なようです。BANBAS de ORGIAの最後の山車の頭の部分が落ちてしまっていたとのことですが、気が付かずに通り過ぎました。もっとも時間調整で駆け足で通り過ぎたので気が付かなかったのかも知れません。
画像右上:制限時間1時間のうち59分が経過したことを示す掲示時計盤。残り時間はあと1分。
画像左/中:ALEGORIAと呼ばれる山車。
画像右:私が応援するBANBAS de ORGIA 。19回の優勝を誇る。
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ここで、裏方の人達の画像も紹介しておきましょう。
各チームの行列が終わると登場して来るのが救急車と市役所の職員であるGARI(ガリ)と呼ばれる掃除夫(婦)さん達です。広いピスタ(道路状の舞台)を綺麗に掃き清めて行く役割を果たしています。途中で箒を投げ出し(?)休憩するようですが、そんな中の男女二人が「私たちも」とサンバを踊り始め拍手喝采を受けていました。カーニバルの国、サンバの国ブラジルならではの光景でした。
もう一人は、私の前に立っていた若くて端正な州警兵さんです。一晩中(多分10時間以上)立ち詰めで観客席を見つめている仕事は大変だと思いました。
画像右上:派手な山車の後部でがんばる人達。文字通り『裏方』さん。
画像左:行列が終わると登場して来る救急車。
画像中:GARIと呼ばれる掃除夫の男女二人が突然サンバを踊り始めた。
画像右:立ち詰めで観客席を見つめる州警兵。
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ポルトアレグレのカーニバルを見に行き撮った画像を簡単な説明を付けてご披露して来ましたが、云い忘れする所でした。最後の画像は何か分かりますか?
これはカーニバル期間に問題(カーニバル時期に出来る子供が多いとの統計数字があるそうですが、AIDS他の蔓延を防ぐ)を避ける意味で、入場入り口で簡単な荷物検査を受けた後、手渡して呉れたのがこの避妊用ゴムです。一人2箱ずつで我が家では使ったことのない避妊用ゴム4箱をお土産に頂き持ち帰りましたがどうすればよいのでしょうかね。
サンボドロモの入り口だけではなく飛行場、海浜に向かう有料道路の料金所でも配布しているそうで、カーニバル期間中のリオグランデドスール州内で配布されたのは800万とのことです。これは、州民1,000万人の80%が受け取ったことになりますが、州の厚生局も粋なはからいをするものですね。サンパウロ、リオではいったいどのくらい配布したのでしょうか?
画像右上/左/中:ポルトアレグレの町にまだこんなに沢山の人が残っていたかと思うほど、それはそれは凄い人出でした。
画像右:カーニバル時期に州内で配られた避妊用ゴムは800万箱。



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