インタネットを始められた藤井美智子さん。
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船内新聞編集部の主要メンバーの一人藤井美智子さん(旧性吉田)がインタネットを始められたとの便りが届きました。又仲間が一人増え『私たちの40年!!』HPは、船内新聞の延長のような気持で皆で充実させて行ける体制が整いつつあります。嬉しい限りです。船内の世話人代表をしておられたお父様の昌治さんが8月で88歳になられるとの事、お元気な内に一度お会いしたいと思っていますが実現するでしょうか。写真は、四十年祭の日の夜、妹の和子さん(左)と楽しそうな団欒の一時です。 |
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先日は 大変お世話になりました。 有難うございました。
40年目の同船者会、大変楽しく過ごすことができました。 大勢の人が参加されて
大成功でしたね。おめでとうございます。
和田さんはじめ世話人会みなさんのご苦労の賜物と感謝しております。40数日余り
もの
船旅で 毎日顔を合わせていたはずなのに、ほんの一握りの方の顔しか思い出すこと
が出
来なかったのには我ながら呆れています。 でも無理もないですよね。
40年振りですものね。 うーん40年。気の遠くなるような年月ですもの。
ブラジルやパラグアイ、この広大な地域にそれぞれ根をおろすまでの苦労は百人いれ
ば 百人百様、筆舌に尽くしがたい辛酸をなめられた方が多かっつたことでしょう。
しかし皆さんそんなことはおくびにも出さず移住したことを誇りにしてそれぞれの国
に馴染み、 元気溌剌として!ゆとりある人生を謳歌している人達も大勢おられたよ
うに思いました。
素晴らしい事だと 嬉しくなりました。
父昌治(まさはる)は サンパウロに出るたび高野さんに同船者会企画してくれよ!
と再々催促して楽しみにしておりましたが、寄る年波には勝てず 今や歩くのも覚束
ない程。
この8月には 87歳を迎えます。80歳までは大変元気でした。
その年 欧州旅行のツアーに参加、いくら元気とはいえ“なんぼなんでも無理” と止
めるのも聞かず参加、 想像以上の強行軍だったとかで帰伯したときはまるで別人の
ごとくの
変わり様 それ以来すっつかり健康を害して 大好きだったゲートボールにも行かな
くなり寝たりおきたりの日々になってしまいました。そんなわけで今回内緒で参加し
ました。
近くに住んでいたら何とかなったかなーと可哀相でした。
先日はご馳走様でした。和田さんはじめ 皆さんの近況を知ることが出来嬉しく思い
ました。
奥様 本当に素敵な方ですね。 明るくて 賢くて お会いできてほんとによかっつ
た。
3人のお嬢さんに囲まれて温かい明るいご家庭だろうなと想像しました。
あれから、 私もインターネットに挑戦。 “私たちの四十年” 何度も読み返しま
した。 そしてやっつと、メールを書き送信出来るようになりました。
遅くなりましたが お礼のメール認めました。
三宅 昭子さんの アドレスお知らせ頂ければお便りしたいと思いますのでお願
いします。
藤井 美智子
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