ブラジリアにお住みの児玉 美和子さんにお話しを伺いました。
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『私たちの40年!!』MLのメンバーでブラジルでの最初の生活が私と同じポルトアレグレの街だったとの事で昨年のブラジリア旅行でお会いしてからお付き合いさせて頂いておりますが、今回ブラジリアでの平成21年度官民合同会議に参加の為に3泊4日の予定でブラジリアにやって来ましたが、児玉さんの9人おられるお子さんの4女、マリ(毬)さんの3000m2以上あるブラジリアの住宅街PARK WAYの広い邸宅にお世話になり車がないと生活が出来ないブラジリアで送迎も兼ねて大変お世話になりその間色々とお話を聞かせて頂きました。あるぜんちな丸第22次航の広い意味の同船者でブラジリアでは、美和子さんが偶然見付けられたあるぜんちな丸同船者お二人に第12次航の吉田武弘さんと5人であるぜんちな丸の同船者も開くことが出来て楽しかったです。
写真は朝の散歩の際に撮らせて頂いた写真を使用しました。
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児玉美和子さん、1946年生まれ、大牟田の高校を卒業されて直ぐ1965年に19歳でお兄様のお二人の花嫁さんと一緒に3人でブラジルに花嫁移住され、12月12日にサントスに着かれたそうです。記録見て見るとあるぜんちな丸第22次航に乗船されており1965年の10月30日に神戸港を発ち11月2日に横浜を後にしておられます。東京オリンピックの後で高度経済成長の時代に入り移住者が激減し同船者は僅か76名と記録されています。その内の花嫁移住者は20%以上の20人弱いたようで華やかな移住船だったようです。あるぜんちな丸もこの第22次航海から蚕棚の私たちが乗った移民船から貨客船に改装されペンキの匂いがぷんぷんしていたそうです。この貨客船に改装さえてからは、総て4人部屋の個室だったそうで夕食は、フルコースの豪華なものでハワイにも4-5泊したそうでワイキキのビーチ等を観て歩き『亭主のいない新婚旅行のようだった』と述懐しておられます。神戸を出てから船酔いが激しく横浜で降りたくなったぐらいでハワイまでは船酔いが激しく船員さんたちが大事な花嫁さんを無事にブラジルまで届けないと行けないとお握りを作ったりして面倒を見て呉れたそうですが、ハワイでの休日が効いたのかその後はロスまで大時化にあったのに船酔いはなく快適な船旅でパナマ運河を通過、キュラサオ、ラグアイラと荷物の陸揚げ積み込みの間は町の見学をしたりそれはそれは楽しい船旅だったそうです。
美和子さんのブラジルでの44年間(途中家族全員で日本で過ごした3年間があるそうですが)の奮闘は、驚く子育ての連続で何と4男、5女の9人の御子さんを育てられたそうです。
長男 1967年1月に太郎さんを出産 現在ブラジリア在住
長女 1968年6月に玉菜さんを出産 現在富山在住
次女/三女 1969年 9月に双子のゆりさん(日本福岡在住)とすみれさんを出産(ブラジリア在住)
四女 1970年 10月にまり(毬)さんを出生 ブラジリア在住(ブラジリアではここにお世話になりました)
五女 1971年 春美さんを出生 日本熊本在住
二男 1973年 建二郎さんを出生 ロスアンゼルス在住
三男 1981年 実広さんを出生 日本在住
四男 1983年 五郎さんを出生 現在フロリアノポリス水産学部在学
9人のお子さんの内、8人が結婚しておられお孫さんが現在14人との事でが何処まで増えていくのでしょうか?
ご主人は、頑強な健康体を誇り一度も医者に掛かったことがなく「酒、タバコを辞めるのなら死んだ方がましだ」と豪語しておられたそうで健康診断等を極端に嫌い最後まで医者に掛からず3年前に豪放な人生を終えられたそうです。
新婚生活はポルトアレグレの競馬場の近くで始められたそうですが、最初一緒に住んでいた兄嫁の同船者の仲間と住居を別にしてからは、ホームシックに掛かり日本に帰りたいと思った時もあったそうですが、長男、太郎さんが生まれてから(その年にポルトアレグレで生まれた男の子3人が太郎と命名されたそうです)9人の子供を出生し子育てに邁進、そのすさまじさを楽しんで来られたそうですが、御子さん達、9人が仲が良く4歳を迎えたお孫さんの裕司君の誕生日には、日本から、ブラジルの各地からお祝いの電話が入っていました。
ポルトアレグレに戻る日の朝にPARK WAYのマリさんのお宅を近くを御一緒に散歩させて貰いましたが、その時に撮らせて貰った写真と共に美和子さんからお聞きした話を書きとめて置くことにしました。
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