内田雅夫さんと中平マリコさんの【軍歌談義】に温かい心が通いあっています。(前篇)
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7月の中平マリコさんのポルトアレグレとイボチ移住地での公演に付いて内田さんから2004年にサンパウロでの中平マリコさんの公演を覚えておられ今回も軍歌を歌われましたかとのご質問がありました。マリコさんは旅先でのおざなりの返事は失礼にあたるとの判断から3ヶ月間この軍歌に付いての宿題を心にとめておられ今回神戸の旧移住センターでの帰国報告会を前に真摯な軍歌に寄せる思いを吐露されており内田さんとの心の通い合うお便りの交換をされています。このメーリングリストを通じての交信と神戸の帰国公演会に奥様と参加され三田に住んでおられる川越しゅくこさんも参加されたとの事でOFF会での顔合わせと80歳になられたマリコさんのマネジャー?として片時も離れないご母堂との交流に大変嬉しい思いをさせて頂きました。
心温まるメーリングリストを通じての交信を記録に残して置きたいと思います。使用ソフトの関係で前篇と後編(神戸での公演以後)の2回に分けて収録して置きます。写真は、マリコさんとご母堂の写真です。
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和田さん
神戸の内田です。私は中平まり子さんの2004年サンパウロでのショーを見て感動したひとりです。きっと、今回のショーもすばらしいものであったのだと思います。
2004年、私が一番、印象に残ったのは、中平さんが、日本の軍歌には、素晴らしいものがあり、今後も歌い続けて行きたい、とおっしゃったことでした。
日本でこのような発言をするとまず、社会的に抹殺されマスコミが近寄らず、芸能人には致命傷になります。それを敢えて発言する勇気と、本当に、軍歌(という言い方は画一的でいやですが)を理解されているのだなと感心しました。
軍歌のなかには、万葉集第14巻の東国のさきもり歌のようなものが多く、むしろ反戦歌、国民の国家義務に対する重圧に耐えてかつ、けなげにお国につくそうという心根がかなしく表現されています。これは軍国主義というより、日本人の精神の素直さ、まじめさ、をいうべきと思います。
ブラジルという自由な国で、中平さんが地道に軍歌掘り起こしをされ、それが、いつか、本国につたわり、ヘンな意味でなく、メロディーや歌詞の音楽的な吟味、歴史的な位置づけが成されるようになれば、つまり、日本が大人の成熟した社会になるような一助になればと思っています。
今回、軍歌は歌われましたか?
神戸灘住吉/内田雅夫
内田 さん
サンパウロに居られた頃に中平まり子さんの第1回ブラジル公演(2004年)を見に行かれたのですか。古いファンのお一人ですね。
今回もまり子さんが歌う可能性がある伴奏曲が入っているCDの中には軍歌も入っていたのではないかと思いますが、イボチではドイツ系の副市長さんご夫妻他も来られていたので選曲されなかったようですしポルトアレグレでは森口先生が選ばれたのですが入っていませんでした。
ブラジルの田舎に行くと今回は軍歌を歌わないのかと催促される事も多々あり歌う機会があるとコメントしておられました。
昨日、今日とサンパウロのフェスチバル ド ジャパンで歌っておられますので少し落ち着けばまり子さんご自身が返事をされるのではないかと思います。
内田雅夫さま
中平マリコです。
初めてお頼りさせていただきます。
7月19日にメールを頂戴しておりましたのにこんなにもお返事が遅くなってしまい申し訳ありません。どうか、どうかお許し下さいませ。
書き進む中、長いメールになりますが、お付合いいただけましたら幸せです。
> 私は中平まり子さんの2004年サンパウロでのショーを見て感動
> したひとりです。
> きっと、今回のショーもすばらしいものであったのだと思います。
ありがとうございます。初めてブラジル(サンパウロ)に行かせていただいた時のショーをご覧いただき、覚えていて下さったとのお言葉、とても嬉しく幸せです。ありがとうございます。
また、ありがたきお言葉の数々を頂戴し心から感謝を申し上げます。
> 2004年、私が一番、印象に残ったのは、中平さんが、日本の軍歌に
> は、素晴らしいものがあり、
> 今後も歌い続けて行きたい、とおっしゃったことでした。
私は、初着伯で移民された方々の大切な宝物の一つ、軍歌を知りました。
ある日、老若男女の皆さんが歌われる舞台を拝見させていただきました。日本の古き良き時代の歌謡曲や演歌、故郷民謡や美空ひばりさんの歌を楽しそうに歌っておられました。
その中で、驚いたのが軍歌を歌っておられたことです。
中でも若い方が『お爺ちゃんがよく歌っていました』と言って、軍服を着て「同期の桜」を堂々と歌っておられる姿には感動しました。その時、気がつけば涙が自然に流れていたのです。
> 軍歌のなかには、万葉集第14巻の東国のさきもり歌のようなも
> のが多く、
> むしろ反戦歌、国民の国家義務に対する重圧に耐えてかつ、
> けなげにお国につくそうという心根がかなしく表現されています。
> これは軍国主義というより、日本人の精神の素直さ、まじめさ、をい
> うべきと思います。
はい。素直にそれを感じました。
戦争体験もない私が偉そうなことを言ってはいけないと思いますが、間違っているかも知れませんが、歌詞の中から、また、移民された皆様から伺う開拓当時のお話しから、軍歌を大切にされている「心」を教えていただいた気がします。
軍歌の中に、素晴らしい日本魂(心)が残っていることを教えていただきました。
勤勉、実直、誠実、どんな困難にも打ち勝つ精神力と開拓精神、日本人としての誇りを大切に生きる......軍歌の中にあると思いました。
そんな私は、すぐに、同行(2004年)して下さっていた恩師、佐々永治先生(美空ひばりさんの曲を数多く編曲された方)に相談し、「戦友(14番まで)」を覚えることにしました。
佐々先生はすぐにピアノ譜を書いて下さり、早速、慰問先や公演時に軍歌を歌わせていただきました。
一緒に歌って下さるお婆ちゃん。握った拳を振りながら歌う力強い姿、その時のお婆ちゃんのキリッとしたお顔が印象的でした。
一緒に歌って下さるお爺ちゃん。目を閉じながらも、しっかりと歌って下さる姿、顔を上に向けて涙を堪えながら歌っている姿、胸が熱くなりました。
『軍歌を歌いながら、祖国日本を思い開拓して来ました』と力強く仰ったお爺ちゃん、お婆ちゃんの言葉を思い出します。
そして『お爺ちゃん、お婆ちゃんがよく歌っていました』と言って一緒に歌って下さるご家族を思い出します。
佐々先生も涙を流しながらのピアノ伴奏......。
余談ですが、実は、佐々先生はこの時、前立腺癌末期で最後の旅行だったのです。以前からブラジルに移民された方々に関心をお持ちだった佐々先生は、私が訪伯する旨を伝えました所、同行を希望され実現したのです。しかし、帰国後、45日でひばりさんのもとへ旅立たれました。
10月1日は佐々先生の没5年めの日となります。早いもので来年は七回忌。
パラグアイのイグアス移住地では、松の植樹をして下さり、『木の成長を見る為に来年も帰って来て下さいね』と励まして下さっていました。そして、中のお一人が、すぐに、癌に効くアガリクスを頂戴出来る手配までして下さいました。
その時のご恩は今でも忘れません。
旅立たれる前に佐々先生が仰った言葉は『南米ブラジルとパラグイアには本当の日本の心がたくさん残っていますね。血の繋がりのない僕たちのことを我が家族の様に心配して下さる。本当に幸せです。
行く先々で頂戴する『心』は、まさに軍歌の歌詞の中にある『心』。
皆さんに心から感謝を申し上げたい』と......。
そして、もう一つ、「不思議だったね。遠く離れた異国の地で軍歌に出会い、あなたが歌い、僕が伴奏をする。ある意味、僕とあなたは戦友であり、同期の桜だったのかな」と。
本当に私もそう思いました。
> 日本でこのような発言をするとまず、社会的に抹殺されマスコミが近
> 寄らず、
> 芸能人には致命傷になります。それを敢えて発言する勇気と、
> 本当に、軍歌(という言い方は画一的でいやですが)を理解されてい
> るのだなと感心しました。
確かに日本国内で『軍歌の中にある心は素晴らしいです』と叫ぶには........、歌うには........問題が有ります。実際、帰国後、自分のコンサートで軍歌を歌いましたら、お客さんが減りました。
街宣車やパチンコ屋さんのイメージからでしょうか?
戦争に繋がる、愛国心を植え付けると思われるのでしょうか?
とにかく、今の日本では軍歌と言うだけで、拒否され、否定され、敬遠されます。本当に難しいものがあります。
ただ、軍歌が素晴らしいと言う反面、とても大切にしなければならないことがあると思います。
軍歌の意味する『繊細な心』。それは、個人個人によっていろいろな捉え方があると言うことです。
戦争で語り尽くせない悲しい思いをされた方がたくさんおられます。戦後64年、未だ心の傷、身体の傷が癒えない方がたくさんおられます。
この場で、私の様な若輩者が書いてはいけない内容かも知れません。
でも.....、だからこそ.....、その事を心に刻み、とても真剣に、大切に捉えなければならないと思っています。
2004年、最後の舞台は、8月15日にニッケイ新聞主催の「終戦の日、日本の心を歌う」にでした。
その最後の舞台の上で、私は皆さまとお約束をしていたのです。
その時の気持ちに嘘はなく、今も変わる事なく持ち続け、折があるごとに語り歌っています。
最初は反感をかいました。しかし、そんな時ははっきりと伝えます。
『私はブラジルで、パラグアイで日本の心を見つけました。その事を教えて下さった方々に約束したのです。私の知る事など僅かですが、移民された皆さんのことを少しずつでも語り継げる歌手になりたいです』と。
そして、さらに『私は決して戦争経験者でも、賛成者ではありません。でも、今、日本の心を忘れかけている日本の中で軍歌の中にある心を知って欲しい。親を大切にし、兄弟姉妹を大切にし、血縁関係が有ろうと無かろうと友人を大切にする。そこには思いやりの心の大切さがあり、物を大切する心があります。私はその大切な心を知った時、私の身体の中に流れる赤い血に日本人としての誇りを感じました』 と。
きっと、ある意味、大バカ者かも知れません。でも、こんな馬鹿な歌手が一人くらいいても良いのではと思います。
> 今回、軍歌は歌われましたか?
この度のポルトアレグレ、イボチの公演では残念ながら歌うことはありませんでしたが、サンパウロやブラジリア、ベレンの老人ホーム、パラグアイ各地の公演や慰問、老人会で皆さんと一緒に歌わせていただきました。
南米公演6年目を終えた帰国後も、老人ホームに慰問させていただき、お爺ちゃん、婆ちゃんと一緒に、早速歌ってきました。
実は、本日10月14日、憲政記念館で行なわれました『第50回 海外日系人大会』の中で、40分の公演をさせていただきました。
歌い進む中、貴重な南米公演のお話のさせていただく中、軍歌は外すことは出来ず、海外日系人協会の方に許可をいただき、「暁に祈る」の1番をアカペラで歌わせていただきました。海外20カ国からお越しの日系人の方々の中には大きな声で一緒に歌って下さる方がいました。軍歌を歌う瞬間は、いつも背筋がピーンと伸びます。
> ブラジルという自由な国で、中平さんが地道に軍歌掘り起こしをされ、
> それが、いつか、本国につたわり、ヘンな意味でなく、
> メロディーや歌詞の音楽的な吟味、歴史的な位置づけが成されるよう
> になれば、
> つまり、日本が大人の成熟した社会になるような一助になればと思っ
> ています。
最近では、私の気持ちを理解して下さる方々が少しずつですが増えています。
........ここまで、生意気なことをたくさん書いてしまい、ごめんなさい。
でも、私はこれからも怖がらずに軍歌に触れ歌ってゆきたいと思います。本当に大切な『心(メッセージ)』がたくさん詰まっていると思います。
内田さん、お気づきの点がありましたらぜひ教えて下さいね。
宜しくお願い致します。
こんな私、10月18日、《海外移住と文化の交流センター》 にて、14:30~より、今年の南米公演を振り返って歌わせていただきます。
詳細は添付させていただきますので、宜しかったらぜひお出かけ下さい ね。
そして、お声をかけていただき、直接、お話しをさせていただけましたら、嬉しいです。
中平 マリコ さま
ブラジル滞在中に読まれた内田さんからのメールに返事が出せないでいると気にしておられましたが今回絶妙のタイミングでお返事が書けて良かったですね。内田さんは、神戸市の灘区にお住まいで週末は母校の神戸外国語大学で弓道部の後輩に弓を指導しておられますが、日曜日の午後2時半からならひょぅとすると旧神戸移住センターでの中平さんのライブに顔を出して頂けるかも知れませんね。西宮にお住みの杉井さんも海外出張でも入っていなければ出てくれるかも知れませんよ。このメーリングリストを通じての輪が広がると良いですね。
添付資料を下記に貼り付けておきます。
海外移住と文化の交流センター
日系ブラジル人の“心のふるさと”に帰ってきて
ブラジルへの移民がはじまって101年、旧神戸移住センターは「市立海外移住と文化の交流センター」として新たな出発をしました。かつての移住者の家族子孫が日本に戻り多文化社会をつくっています。
NPO関西ブラジル人コミュニティCBKもこの建物の中で活動しています。
このたび海外移住の歴史を振り返り、新しい100年にむけて地域社会との相互理解、共生をめざして交流の会を兵庫県国際交流協会と共催により実施します。ぜひご来場下さい。
日 時: 2009年10月18日(日) 12:00〜16:00
場 所: 市立海外移住と文化の交流センター5階ホール
プログラム: 12:00〜 センター見学会(説明員同行)
12:30〜 有名なブラジル料理試食会
お食事中はブラジル音楽をお楽しみ下さい
13:30〜 パネルデイスカッション
「日系人家族の思い出と今」
移住体験者、日系ブラジル人が熱く語ります。
14:30〜 中平マリコさんライブ
「懐かしのメロディと南米公演報告」
歌の数々と最新南米情報がいっぱい。
定 員: 100名(ただし食事は先着50名様まで)
参加費: 無料
申込み: 下記申込書を10月10日(土)までにNPO関西ブラジル人コミュニティCBKまでFAX、メールにてお送り下さい。
主 催: NPO関西ブラジル人コミュニティCBK、(財)兵庫県国際交流協会
お問い合わせ: NPO関西ブラジル人コミュニティCBK
神戸市中央区山本通3−19−8海外移住と文化の交流センター3F
TEL: 078―222―5350
中平 マリコ さま
下記写真と共にBLOGに旧神戸移住センターでの公演のお知らせを掲載して置きました。神戸での帰国報告を兼ねたライブのご盛会をお祈りします。私は土曜日からブラジリアに出かけます。島内大使主催の夕食会、月曜日には官民合同会議に参加します。島内大使にもマリコさんの神戸の公演に付いて報告して置きます。喜ばれると思います。地球の反対側のブラジルから応援しております。
(写真説明)
1)サンパウロの日系パレスホテルでマリコさんとお母さま
2)ポルトアレグレの領事館前の寒緋桜の前で撮られたマリコさん
3)IVOTI移住地での公演を前に撮られた記念写真
4)ポルトアレグレ公演での熱唱
5)公演を終えてポルトアレグレカトリック大学の日本文化研究所長の森口博士から花束を頂く。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/1953562.html
中平さん
ご返事ありがとうございます。歌手のかたからメールをいただくなんでうれしいです。
10月18日、家内ともどもお邪魔してみようかと思っています。
午前中は、地元小学校と中学校の児童生徒相手に地元住吉神社の座敷でお茶会を催しそちらのお手伝いをします。午後2時30分のライブには間に合うと思います。
家内に話したら、家内も覚えていて、行きたいと申しております。10月10日の締切が過ぎてしまっていますので入場出来ないかもしれませんが、そのときはお顔を拝見してご挨拶し失礼しようと思っています。
佐々先生と中平さんが戦友なら、家内はまぎれもなくわたしの戦友です。パナマでブラジルで一生懸命助けてくれました。命からがらのときもありましたから。
ブラジルの開拓もそして、たぶん、パラグアイ、ボリビア、ペルーそしてドミニカなど中平さんの言われる>> 勤勉、実直、誠実、どんな困難にも打ち勝つ精神力と開拓精神、 日本人としての誇りを大切に生きる......人たちによって導かれたのだと思います。
ちょっと違いますが、シベリアに抑留されたひとたちによってシベリアの開拓が促進されたとかも聞きました。偉大なるわが民ですね。その素朴な背筋に軍歌が通り、それが勇気の源であったなら、それもうなづけます。
戦争でひどい目にあい、軍歌を讃美するなんて戦争体験のない人のたわごとといわれる人もいます。
でも、それはそれで言いと思います。人それぞれ。でも、歌い続けられる、歌い続けようとするという人
がいるなら、それは大事な事実だと思います。応援歌であり、明日への活力となる。すばらしいことです。
10月1日は佐々先生の七回忌とか。2004年のコンサートでも必死に誠実にピアノ演奏をされていましたね。
なにかを訴えるような、鬼気迫るもの感じました。ご冥福を。
先生のお言葉、『南米ブラジルとパラグイアには本当の日本の心がたくさん残っていますね。血の繋がりのない僕たちのことを我が家族の様に心配して下さる。本当に幸せです。心ですね。』 と。私は苦労が足りず軍歌の心がそんなやさしい人たちの心に通じるなんて僭越なことはとても言えないです。
でも、きっと、そうなんでしょう。
中平さんの歌で、あなたに会えてよかった、という歌い出しの歌がありますね。軍歌とは別に、帰国してからふっと、あの歌詞が中平さんの声、やさしい声とともに囁きかけてきて、ほっとするときがあります。疲れたときとか、ふっとですよ。
佐々先生、中平さん、それに美空ひばりさんも、庶民の味方、ようし明日もがんばろう、との力の源泉であるのだと思います。そんな歌を歌い続けて下さい。
軍歌はまだまだ、日本では日陰もの。あまりご無理なさらないように。歌えなくなることはないですが、中平さんのような歌手が抹殺されつとつらいです。
日本のマスコミはこわいこわい。
でも、わかってくれる人が増えているとのこと。きっと、だんだんとまともな社会に戻りつつあるのかもしれませんね日本本土も。 そうあってほしい。若い人、子供たちのためにも。
神戸灘住吉
内田雅夫
内田雅夫さま
早速の優しいお返事をありがとうございます。
私の方こそ、温かいお言葉をいただきとても嬉しく幸せです。
本当に心から感謝を申し上げます。
18日は奥様とお越しいただけるとのこと......、
重ねてお礼を申し上げます。
ご案内が遅くなり、ご心配をおかけしておりますが、当日は、ぜひ、お声をかけていただき、歌をお聞きいただき、その後、お時間ありましたらお話しをさせていただきたいと思い願っております。
18日は朝から忙しくされているご様子ですが、どうぞ、くれぐれもお気を付けてお越し下さいね。心よりお待ち申し上げております。
中平マリコ
中平マリコさん
はい。ではそうします。楽しみにしています。
内田雅夫
和田さん
中平さんからご返事を頂きました。別メールの通りご返事を差し上げました。18日にはごあいさつを兼ねて出かけようと思います。
家内も一緒に。18日はお茶会、それに外大弓道部のリーグ戦の最終戦。はらはらの連続の一日になりそうですが、中平さんにお目にかかり、ほっとしたいと思います。
ブラジリアでのお仕事、ご成功を。
それと、センターに和田さんの名札プレートがあるか確認してきます。
神戸灘住吉
内田雅夫
内田 さん
お忙しい中、旧神戸移住斡旋所にお出かけ頂けるとの事有難うございます。中平さんの公演も6年振りでサンパウロを思い出しながらの歌謡ショウは、楽しいものになると思います。80歳のお誕生日を迎えられたマリコさんのお母様にも宜しくお伝え下さい。ご報告を楽しみにお待ちしております。
和田さん
中平マリコさんとご母堂さま。了解です。写真も撮ってきますね。
10月に入り、神戸も秋がだんだんと、です。でも、17日昼間は24度とかで暑いくらいでした。
18日に出かけてきます。もういちど、チェックしてきます。和田好司、和田恵子ですよね。
軍歌談義。これはいいと思います。純粋なところを純粋な気持ちで。ともあれ、中平さんにお目にかかり、その結果を和田さんにご報告してから。
内田雅夫
和田好司さま
いろいろありがとうございます。
和田さんにはいつも心配ばかりかけている私。
ごめんなさい。
でも、お陰様で、内田様に良きタイミングで
お返事をお出しすることが出来ました。
とても繊細で大切にしなければならない内容、
心を込めてお返事を書きたく........今回の様に、
長い時間が過ぎてしまいました。
そのメールに対し、
早速、「メーリングリスト(BLOG)に掲載しました」と言う
和田さんの温かいお返事......ありがとうございます。
> このメーリングリストを通じての輪が広がると良いですね。
はい。
内田様からも18日は奥様と一緒にお越し下さるとの
嬉しいお返事をいただき....幸せです。
> 席はなくても中平さんの特別招待客として来賓特別席を作って貰って
> 下さい。
> (中平さんお願いします)
はい。
神戸のことは10日までとありますが、遅くメールした私のミスで
す。
当日はぜひ、お声をかけていただき、歌をお聞きいただき、
お話しをさせていただきたいと思います。
久しぶりの神戸です。
10月5日に80歳になった母と一緒に行かせていただき、
一泊して来ることにしていますので、ゆっくりお話させていただけます。
横浜の伊藤さんから和田さん。和田さんからデシオさん。
デシオさんにはポルトアレグレ公演を応援していただいた上に、サンパウロ〜ポルトアレグレすべてに同行、二人を守っていただきました。本当に嬉しかったです。
そして、ブラジリアの児玉美和子さんからも「私たちの40年!!』を通じてメールをいただき、今年のブラジリア公演にお越しいただきました。
お仲間に入れていただいた『私たちの40年!!』からたくさんの新しい一期一会を頂戴している私。嬉しいです。
> 島内大使主催の夕食会、月曜日には官民合同会議に参加します。
> 島内大使にもマリコさんの神戸の公演に付いて報告して置きます。
> 喜ばれると思います。
ありがとうございます。
ブラジリアの皆様の働きかけで、今年の公演も大使館主催でした。
公演の日、会場にお越し下さり、ご挨拶下さり、最後までご覧下さり、翌日には大使主催で昼食会をして下さいました。
その時お話ししましたヴォサノバのDVDもお約束通り、秘書の齋藤さんを通じてお届け頂くなど、光栄な機会をたくさん頂戴しました。
本当に優しくお言葉をかけて下さる島内大使に母と二人、心から感謝をしています。どうぞ、くれぐれも宜しくお伝え下さいませ。
それからもう一つお願いがあるのですが.....、
ブラジリアへのご旅行中、機会あれば「同船者会を」と言うメールを児玉美和子さんに出されていましたが、もし、再会される様でしたら、児玉美和子さんにもくれぐれも宜しくお伝え下さいませ。
> 地球の反対側のブラジルから応援しております。
本当にありがとうございます。
和田さんのおかげで「輪」が広がっています。心から感謝申し上げます。
最近、日本でもいろいろな場所で公演させていただく様になった私。
点が線になり、線が面になる様、一歩一歩少しずつ努力し頑張ります。
和田さん、これからも宜しくお願い致します。
明日からブラジリアですね。
良い旅になりますことを心より祈っております。
最後になりましたが、恵子奥様に宜しくお伝え下さいませ。
中平マリコ
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