内田雅夫さんと中平マリコさんの【軍歌談義】に温かい心が通いあっています。(後編)
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今年の中平マリコさんのブラジル公演にポルトアレグレにも来て頂きましたが、このメーリングリストを通じて6年前の中平さんのサンパウロ公演で軍歌を歌っておられた中平さんが今回も軍歌を歌っていましたかとの書き込みがあり中平さんご自身の軍歌に掛ける思い、佐々先生との繋がり等を御披露頂きましたが、この寄稿集の使用ソフトが1万語までとの制約があり神戸の帰国報告公演の内田さんの報告以後は、後編として収録することになりました。歌を歌っておられる時の中平さんの真摯な姿勢には感心しますが、80歳のご母堂をマネジャーとして一心一体心のケア―をして貰っているとは言えメールでの交信、こまめに掛けられる電話、何事に置いても御自分で対応処理される姿勢は、メールでのやり取りにも充分伝わって来ることから歌と共にマリコさんの書かれる文章にもその生きざまが伝わって来ます。今後とも『私たちの40年!!』メーリングリストの大切なメンバーとしてその書き込みを大事にして行きたいと思います。
写真は、神戸での公演で内田さんご夫妻と中平さん親子の記念写真を使わせて頂きました。
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和田さん
今日18日、旧神戸移民センターで中平マリコさんの歌を楽しんできました。取り急ぎご報告。お母様のフーコちゃんにもお会いしました。お元気でした。
また、CBK副理事長で今回の中平さんのお世話をされている東連寺さんにもお会いしました。
わたしたちの40年の304番目のメンバー。メール苦手でよろしくとのことでした。
また、同じく、女性の方で神戸の....さんというかたにもごあいさつしました。お名前ど忘れで出てきません。メールご覧になっていたら教えて下さい。失礼の段おゆるし下さい。
一言でいうと感動しました。心をこめて、一段と磨きがかかった歌唱力。涙が出るくらいでした。
中平さんは2004年のときより、一段と歌に深みが出てきてすばらしかった。
もし、そのように内田さんが感じて頂いたなら、それは、なにより、ブラジル、パラグアイの日系の方々がそのように私を育てて頂いたのですよ、とおっしゃっていました。
軍歌については、私は、最後にごあいさつしたときに、軽率にも、”日本では軍歌はあまりされないほうがいい”との趣旨でお伝えしましたが、中平さんは、そんなことはないという語気で、”そうですか”と言われました。
私は、長いものに巻かれろの現代日本の風潮におかされている自分をはっと発見し、はずかしかったです。
中平さんが、軍歌につきいわれていることは本物です。
きっときっと、こころをこめて歌いあげてもらえると帰りの車のなかで思いました。うれしくなりました。
中平さん、ごめんなさい。日本でも、歌いましょう。ブラジルパラグアイで苦労された人々の応援というか、明日への希望の糧であったもですものね。
中平さんのショーは童謡で始まりました。お手手つないで、結んで開いて、など。
お父さん、お母さんが、厳しい大地で作物を植え汗水と血と涙で格闘されている間、子供たちはじっと、家で待ち、お父さんお母さんが帰ってきて童謡を歌ってくれるのを楽しみにしていた、とのこと。
なんと、けなげで、辛抱強い、こんな悲しくて美しい心根があるのか、と思わずぐみました。日本人だなと思い、
自分が日本人であることになんともいえない誇りを持ちました。
ショーの前のプログラムで移民の歌といわれる歌を一世のかたが披露され、おそらく90歳くらいのかたでした。 1934年ごろの渡航とか。
”万里の波濤を乗り越えて御国の光輝かせ、” との一節にも、ジンときました。外務省はおそらく建前でそんな威勢のいい歌を作ったのでしょうが、渡航した方々はそれを本音で、厳しさに耐え、今の緑の大地を実現されたのだと
思います。中平さんが、日系の方々は日本人の誇りを忘れずにひとに笑われることがないように頑張って来た、と言われましたとの言葉は本当だと思います。ルーラ大統領、カサビ市長が、ブラジルが今日あるのは日系人のおかげとごあいさつされたとの事。決して、ブラジル人のお世辞だけではないと思います。
中平さんには、貴重な日伯の橋渡しとして地道に誠実に活動してほしいと思いました。もちろんその希望も最後にお伝えしました。中平さん、円熟味が増して、ほんとうにブラジルの、パラグアイの日系の方々の代弁者として適役というか、歌っていいな。歌手っていいなとうらやましく思いました。
写真を添付しておきます。
貴重な機会をご紹介いただき、中平さんには感謝致します。和田さんの後押しもありがとうございました。
ああ、Wada,Keiko Wada, YOshijiの名札は仮ですがありましたよ。
正式なパネルにすべく工事中とのことでした。
神戸灘住吉
内田雅夫
内田 さん
旧神戸移住センターでの中平マリコさんの公演良かったようでうね。詳細報告有難う御座います。
東連子さんにもお会い出来たようですね。関西のブラジルからの出稼ぎ者の皆さんとその理解者の皆さんの集いの場として旧神戸移住センターは、大変有用な場所と成りそうですね。私たち移住者の心の拠り所、唯一残った移住関係のモヌメントとも云えます。
この移住センター御改修再整備工事に貧者の一灯を当時その名前が刻まれるとの事、大変嬉しく思います。わざわざ奥様の指まで挿して頂いた写真有難う御座います。
現在ブラジリア滞在中ですがポルトアレグレに戻り次第マリコさんとの軍歌談義を中心に皆さんの関係書き込みを収録して置きます。
有難う御座います。
内田雅夫様 奥様
こんにちは。
日曜日はお忙しい中、旧神戸移住センター(海外移住と文化の交流センター)にお越しいただき本当にありがとうございました。本当に嬉しかったです。
お越しいただけただけでも嬉しく幸せなことですのに、可愛いお花や美味しいお菓子まで頂戴し恐縮しております。センターの皆様やボランティアで参加された方々と美味しく頂きました。
帰り際にはCDもお買い上げいただき、優しくかけていただいた内田様ご夫妻からの言葉のひとつひとつに明日へ進み行く力を頂戴しました。
本当にありがとうございます。重ねてお礼を申し上げますと同時に、心からの感謝を申し上げます。
それなのに、お礼のメールがこんなに遅くなってしまい......ごめんなさい。
昨年4月27日、28日CBK主催の”ブラジル日本移民100周年祭”に参加して以来の神戸の街、夜景に長い時間滞在したく、また、今回の帰国報告公演が決まった時から母と『二人のお誕生日は神戸の夜景を見ながら祝いましょうね』と、
約束しておりましたので18日はホテルプラザ神戸に宿泊しました。
そして、神戸を楽しんだ後、昨日の最終便で東京に戻りましたが、一つ歳を重ねた二人、遊び疲れて子供の様にバタンキューでした。(大人だったり、子供だったり変でしょ?)
内田さん、
早速、和田さんへ18日の詳細や写真をメールして下さりありがとうございます。
読み進んでゆきます中、こんなにも大切に記していただけていること、温かい応援メッセージをいただけていることに胸が熱くなり文字がぼやけています。
和田さんと恵子奥様の数々のご尽力のお陰で行なわせていただいた今年のポルトアレグレ公演。2日目のカトリック大学で公演させていただいた後に日本文化研究所長の森口博士から頂戴した言葉もそうでしたが歌って本当に良いですよね。一瞬にして人の心の中に「温もり」を届け、人と人を結び付ける魔法の様です。
ブラジル、パラグアイでの慰問や公演を通じて多くの方々に育てられ、数多くのことを学ばせていただきました。それはいまも......ing (進行形)です。
その中で、自分が歌手であることに誇りを持ち、堂々と歌い続けて良いと言うことも教えていただきました。
歌を歌わせていただけることに.....、歌う声を与えていただけたことに....、歌手であることに心から幸せを感じています。とにかく『すべて感謝』の一言に尽きます。
これからも、教え気付かせていただくひとつひとつのことを大切に、
歌を通して語り継がせていただける歌手でありたいとあらためて思います。
母からも.....
『くれぐれも宜しく伝えてほしい』と申しておりました。
内田さん、奥様、
本当にありがとうございました。
心から、心から感謝を申し上げます。
また、お目に掛かれますことを楽しみにしております。
どうぞ、これからも宜しくお願い致します。
中平マリコ
追伸、もし宜しかったら奥様のお名前をお教えいただけますでしょうか?
マリコさん
照明もなく、会議室のようなところでしたが、それでもやはり歌のうまさ、心がこもっていることなどから私をひきつけました。うまい。
中平マリコは風格のある大歌手だと思います。やれることをやれるように地道に活動されることが一番だと思います。きっと、誰でも、マリコさんの歌を聞いたひとは感動します。
私は、美空ひばりや都はるみがなぜか好きです。本当に歌がうまいから。
海外にいるときに聞いた歌はやはりこころに沁みるものがありました。
それにまさるとも劣らないマリコさん。一曲一曲を大切に。
パラグアイで一度カラオケに行ったことあります。イグアスから車で20分くらい走って。そこでは昼間の労働で疲れたひと、若い男のひと女の人、年配のひと。本当に歌が日々の労働の応援歌になっていると感じました。ひとり日本円で100円〜200円程度くらいの料金でした。きっとそれでも毎日のお百姓には大枚なのかもしれません。
中平さんの素晴らしい歌を聞いて、その人たちがどれほど力、勇気、気力、を得ることができたでしょう。歌手とは尊いものですね。
申し遅れましたが、家内は洋子ようこといいます。覚えてやってください。彼女も南米駐在を一緒に過ごした、戦友です。パナマでは命がけで過ごした日々もありましたので。感謝しています。フーコちゃん、お元気で。
内田雅夫
中平マリコ様
今日、10月18日、神戸の山本通りにあります海外移住と国際交流センターでのコンサートにいかせていただきました。
あの華奢なお体からどうしてこんなに豊かな声量が ! と驚きました。音楽に関して無知な私がいうのもなんですが、さくらさくらから始まったとき、その柔らかくて愛情に包まれた歌声 (しかも、芯のある)はなんだかいままで聴いたことのないお声でした。
北国の春はホントにたくさんの人々に愛されているんですね。
厨房で働いていた若い日系の方がその手を止め、胸に組んでじっと聴き惚れていましたよ。そしてマシュケナダの時になるとリズムに乗って踊ってらっしゃいました。
その時のマリコさんは童謡や演歌を歌ってらっしゃる時とはまた違い、どこか別の引き出しからパワフルでセクシーな声が出てくるように思えました。
私は海側の窓辺にもたれて、ここから百年前に多くの方が南米に出港していかれたんだなと時の流れの不思議を感じました。
マリコさんはシャンソン風の、切なく激しい恋の歌も歌われるのですね。
日本の童謡や演歌などに限られているのでは、と勝手に思い込んでいましたが帰ってCDをかけると、それにくわえ、大好きなアベマリアもはいっていました。
いま、なんどもリピートして聴いています。
早く肩がよくなりますようにお祈りをしつつ、今日は本当に
ありがとうございました。
内田様
お目にかかれて光栄です。メールではときどき読ませていただいてます。
私は三田市に住んでいますが、神戸に隣接していますので、便宜上神戸の川越ですといってます。またどこかでお目にかかれたらよろしくお願いいたします
川越さん
そう。川越さんだった。ありがとう。そしてどわすれしてすみません。
中平さん。すばらしかったですね。歌がうまい。感動をあたえるくらいうまいって歌手としてきっと
幸せですね。もちろん、歌唱力の後ろにはいろいろな人生のご苦労や積み重ねがあってのことですが。
美空ひばりさんにも匹敵するほどのうまさと思いました。いいショーでした。和田さんには別メールして
感動をつたえました。ぜひ、お読みください。
内田雅夫
川越 さんも海外移住と国際交流センターに出掛けられたのですか。マリコさんが喜んでおられたと思います。
内田さんともお会いしたとの事、また輪が広がりましたね。
来年の訪日では是非OFF会で皆さんにお目に掛かりたいです。
現在ブラジリアですが、明日の午前中のフライトでポルトアレグレに戻ります。ブラジリアは今年は、雨季が8月から始まり良く雨が降っているそうです。日曜日の朝も降っていましたが昼前から上がり市内見学ができました。今日の夕刻からまた前が降っていました。ポルトアレグレは天気が良いそうです。夏時間に入って3日目そろそろ慣れて来たのでしょうかね。今朝は久し振りに7時過ぎまで寝ていました。9時半から大使館での官民合同会議は5時過ぎまで熱心に討議されていました。ポルトアレグレ関係の5分間の報告(発言要旨)をHPにも公開して置きます。
和田さん、
ドンボスコの教会, ダイナミックですね。
クビチック大統領の首を支える写真、もっと重そうな表情をすれば・・・、
のところ笑ってしまいました。
移住センターは友人のマンションの近くにあり、馴染みのある場所なんです。当日、エレベーターの中でばったりマリコさんとお母様とご一緒になり
メーリングリストでお顔は拝見していましたので、
すぐにわかり、こんにちわって自然に声がでました。
コンサートの翌日は彼女の52才のお誕生日だったそうです。
当日、マリコさんは口紅をさしていらっしゃらない素顔に近いお顔でしたがご老人、子どもさん、日系のスタッフ達に明るく力強く歌いかけられた時のご様子は、とても可愛かったです。
和田さんがマリコさんのCDをききながら車で移動されたとのこと、私も実感しています。私の場合はアベマリアですが、一日がスタートする時、これを聴くと心が洗われる感じがします。
メーリングリストに入れていただいたおかげでこんな幸せを分けていただけるなんて・・、有難うございます。。
かげながらこれからも応援させていただきたいと思っています。
川越様
18日は海外移住と国際交流センターにお越しいただきありがとうございました。
会場に行く為に乗り込んだエレベーターの中で、『「私たちの40年!!」のメーリングリストを見て来たんですよ』と、優しく声をかけていただき嬉しかったです。和田さんにいただく一期一会に心で手を合わせました。
お返事が遅くなってごめんなさい。内田さんへ送信させていただいたメールの一部と同じになりますが.....、
「昨年4月27日、28日CBK主催の”ブラジル日本移民100周年祭”に参加して以来の 神戸の街、夜景に長い時間滞在したく、また、今回の帰国報告公演が
決まった時から 母と『二人のお誕生日は神戸の夜景を見ながら祝いましょうね』と、約束しておりましたので18日はホテルプラザ神戸に宿泊しました。
そして、神戸を楽しんだ後、昨日の最終便で東京に戻りましたが、一つ歳を重ねた二人、遊び疲れて子供の様にバタンキューでした。(大人だったり、子供だったり変でしょ?)
横着してコピーとなりましたことお許し下さいね。
> あの華奢なお体からどうしてこんなに豊かな声量が ! と驚き
> ました。
> 音楽に関して無知な私がいうのもなんですが、さくらさくらから始
> まったとき、
> その柔らかくて愛情に包まれた歌声 (しかも、芯のあ
> る)は
> なんだかいままで聴いたことのないお声でした。
歌手冥利に尽きる言葉に感謝申し上げます。ありがとうございます。
「柔らかく愛情に包まれた声 (しかも、芯のある)」とありますが、それは、ひとえに毎年伺うブラジル、パラグアイの老若男女の日本人、日系人の方々の温かい心に触れさせて頂けているからだと思います。
名もない歌手中平マリコが何者かも解らないのに、「日本から歌を届けにきてくれた」と言うだけで両手を広げ温かく受け入れて下さる。そして「ありがとう」と声をかけて下さり、身体を気遣って下さる。
慰問公演の終了後、地方公演終了後、お一人お一人と握手させていただく時、ひび割れた手の感触から語り尽くせないご苦労を感じながらも、優しくかけて下さる温かい言葉に胸うたれます。
これらの優しさに包まれている私.......、歌う時にはいつも皆さんが側にいて下さるようで、自然に穏やかで優しい気持ちになってしまうのです。
そのせいでしょうか???
> 北国の春はホントにたくさんの人々に愛されているんですね。
> 厨房で働いていた若い日系の方がその手を止め、胸に組んでじっと聴
> き惚れて
> いましたよ。そしてマシュケナダの時になるとリズムに乗って踊って
> らっしゃいました。
はい。北国の春は本当に愛されています。この歌との出会いは、CDの歌詞カードにも記させていただきました通りですが、覚えてからは、あらゆる場所で歌わせていただきます。そんな時、殆どの方が大きな声で一緒に歌って下さる。嬉しい限りです。
もちろん日本でも.....そして今回も....。
ブラジル音楽......お気づきと思いますが、日系人の方のリズム感の良さには
驚かれましたでしょ? やはり育った環境が影響するのでしょうか?
ブラジルで歌いますと、会場の子供も一緒に踊ってくれます。そんなとき、何とも腰(お尻)の振り方が可愛く、とても色っぽいことに驚き感動してしまいます。
今起きているいろいろな問題の中、日本で頑張っておられる皆さんを尊敬します。
> その時のマリコさんは童謡や演歌を歌ってらっしゃる時とはまた違
> い、どこか
> 別の引き出しからパワフルでセクシーな声が出てくるように思えまし
> た。
本来の私は演歌ではありませんでした。
16歳の時、スター誕生で最優秀歌唱賞をいただいた時に歌った歌は布施明さんの《愛の終りに》でした。
また、同年に10週合格した「全日本歌謡選手権」では、布施明さんの《愛の終りに》《甘い十字架》《愛よ飛べ》《積木の部屋》《愛の園》菅原洋一さん《今日でお別れ》野口五郎さんの《愛さずにはいられない》尾崎紀世彦さんの《さよならをもう一度》《また会う日まで》最後に山口百恵さんの《春風のいたずら》を歌いました。
そしてデビュー曲は千家和也作詞、三木たかし作曲の「だから雨が好き」と言うブギウギ調の歌でした。しかし、デビュー間もなく舞台の事故に遭い、永きにわたり闘病生活を繰り返し歌を断念していました。
再び歌い出してからは、シャンソン、カンツォーネ、ジャズ、ハワイアン、カントリー、ラテン、ヴォサノバ、クラッシックetc....歌のジャンルを超えて、国境を越えて歌が好きです・....と言いますか、父が歌を歌うことを反対していましたので歌を習ったことがなく、解っていないと言うのが本当かも知れません。
> セクシーな声
.......男勝りな私.....とても嬉しいです。
> 私は海側の窓辺にもたれて、ここから百年前に多くの方が南米に出港
> していかれたんだな
> と時の流れの不思議を感じました。
私も川越さんと同じ気持ちでした。歌う前に改修、改築された旧神戸移住センターの中を見学。所々にブラジル、パラグアイで伺ったお話しと重なるところがあり、以前にも増して、移民の歴史が整理されたセンターに、過去、現在、未来と時の流れの不思議を感じていました。
また、2007年4月、CBK主催の移民祭の時、「移民された皆さんが歩まれた道を歩きましょう」と言うイベントがあり移住センターからメリケン波止場までの坂道をたくさんの方と歩きました。歌っている時、窓の外を眺めながらその時のことを思い出し不思議な気持ちでした。
> マリコさんはシャンソン風の、切なく激しい恋の歌も歌われるのです
> ね。
> 日本の童謡や演歌などに限られているのでは、と勝手に思い込んでい
> ましたが
> 帰ってCDをかけると、それにくわえ、大好きなアベマリアもは
> いっていました。
> いま、なんどもリピートして聴いています。
CDをお買い求め下さりありがとうございます。また、何度もCDをお聞き下さりありがとうございます。
本当にジャンルにとらわれること無くいろいろな歌を歌います。中には器用貧乏ねと言う方もいますが、でも、いろいろな歌を歌ってい たお陰で、ブラジル、パラグアイの皆様からいただくリクエスト曲が自分の不得手な歌でも怖がらずに歌えるので助かっています。
アヴェマリアは私も大好きです。コンサートでは《グノーのアヴェマリア》や《マスカーニのアヴェマリア》も歌います。その他、ジャンニスキッキの《私のお父さん》や、アンドレアボッチェリの《コンテパルティロ》も歌ったりします。ホント、ジャンルが無いでしょ?
> 早く肩がよくなりますようにお祈りをしつつ、今日は本当に
> ありがとうございました。
ご心配をおかけしてごめんなさい。一日も早く良くなる様に頑張ります。
川越さん、長いメールになりましたが、こちらの方こそ、本当に、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。
どうぞ、これからも宜しくお願い致します。
また、お目に掛かれます日を楽しみにしております。
中平マリコ
明日、10月19日に在ブラジリア日本大使館講堂で開催される平成21年度 在伯官民合同会議の前夜祭としてブラジリアのNORTON GRELLで夕食会が行われました。光栄にも島内大使のお隣に座らせて頂き親しくお話させて頂きましたが、中平マリコさんの神戸でのリサイタルの話を伝えた所、元気な写真を送って上げて欲しいとのことでご一緒に写真を撮らせて頂きましたので掲載して置きます。ワシントンに引っ越された河野賢二さんの話題が上がり既に引っ越されたとお伝えした所、最近見かけないと思っていたら挨拶もせずにブラジリアを発ってしまったのはけしからん。島内が怒っていたと伝えて置いて欲しい。マリコさん宛の写真では怒っている様子が伝わらないので怒った顔をするからもう一枚撮るようにとのことで撮り直したのが2枚目です。気さくでちゃめっ気の多い大使です。
美味しく頂いた前菜のサラダとヒラメの焼いた魚料理のお皿を披露して皆さんにもお裾分けします。
本日はブラジリアの1日ツアーを同船者の吉田武弘さんに案内して貰いました。写真を207枚撮りましたので追々ご披露します。お楽しみに。。。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/2132772.html
和田好司さま
本当にありがとうございます。
お礼メールが遅くなり本当に申し訳ありません。
和田さんが管理されている「私たちの40年!!」のお陰で、18日に内田様ご夫妻との再会、川越様との新しい出会いを頂戴することが出来ました。本当に幸せです。心から感謝を申し上げます。
またこの度は、島内大使に神戸のことをお話下さりありがとうございます。
島内大使のお写真まで掲載して下さりありがとうございます。嬉しいです。
今年、ブラジリアでお目に掛からせていただいた時に、お話しをして下さった優しいお顔を想い出します。
> 気さくでちゃめっ気の多い大使です。
和田さんの仰る言葉通り、どなたにでも分け隔てなく優しく接しておられた島内大使、凄いなと思いました。来年も、ぜひ、ブラジリアでお目に掛からせて頂きたいです。
来年と言いましたら.........
> 来年は、ポルトアレグレ、イボチ、カシアスドドスールの3か
> 所での公演が
> 決まっておりお時間を居ただけるようで有ればお隣のサンタカタリー
> ナ州の
> ラモス移住地にも行ってあげると喜ばれるのではないかと思っていま
> す。
> 恵子の運転で4人で回れば1週間近く掛かるかも知れませ
> んが
> 楽しい時間が持てそうですね。何時も桑の実のリキュールを担い
> で。。。
ありがとうございます。またポルトアレグレに伺えるのですね。
恵子奥様はじめ、折田さん、村上さん、皆々様にお目に掛かれるのですね。
早速、アンドレさんにお伝えしますね。お酒がお好きで、フーちゃんの飲み友達のアンドレさん。桑の実のリキュール担いで......を付け加えたら、僕も〜なんて仰るかも???ちなみにアンドレさんのお孫ちゃんはフロリアノポリスです。
森口博士にもお目に掛かれるのでしょうか?来年はどんな歌を歌ったら喜ばれるのでしょう?一応、知られているドイツ、イタリアの歌を1曲ずつ用意しようと思います。
> 何時も桑の実のリキュールを担いで。。。
母に伝えましたら
「ありがたいね。嬉しいわぁ〜、楽しみやわぁ〜」と。
そして、「本当にありがとうございます。心から感謝をしています」と、伝えてねと言っていました。母へのお心遣いを本当にありがとうございます。
最後になりましたが、東連寺さんから『メールを書くのが苦手な私、お返事が出せていませんが、 くれぐれも和田さんに宜しくお伝え下さい』との事でした。
パワフルに動かれている和田さんは、今頃どちらでしょう?どうぞ、3泊4日の旅の疲れが出ません様に......。本当に、本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願い致します。
中平マリコ
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