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ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー(1−終) 上岡 弥生記者のレポート サンパウロ新聞WEB版より
9月15日から21日までアマゾン移民80周年祭の慶祝団としての県連主催「第三十二回移民のふるさと巡り」に参加させて頂きましたが、サンパウロ新聞からも上岡 弥生記者が参加、あれこれと取材活動をしておられ参加者の皆さんから頼りになるお姉さんとして慕われていました。サンパウロ新聞に掲題のレポートを7回に分けて掲載しておりWEB版から『私たちの40年!!』メーリングリストにも流して置きましたが、今回それを一つに纏めて寄稿集に収録して置くことにしました。
写真もサンパウロ新聞に掲載された弥生さんが撮られて写真の一枚を使用することにしました。写真:慰霊碑に手を合わせ、先駆者を偲ぶ


ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー(1) サンパウロ新聞WEB版より
いざ行かん、傘寿迎えたアマゾンへ―。県連主催「第三十二回移民のふるさと巡り」は、日本人移住八十周年を迎えたベレン、トメアスー、マナウスを回る慶祝ツアーだった。そのため、八県人会長を含む二百十一人が参加、都市間の移動は飛行機だが、現地ではバス五台を連ねて移動という、「県連始まって以来」の大型ツアーとなった。(上岡弥生記者)

<思い巡らせトメアスー目指す 過去最多の211人、6割は初参加>
 九月十五日、一行はサンパウロからベレン国際空港に到着した。人数が多い分、飛行機も三便。午前中に到着した第一便は、その足でトメアスーに向かい、午後十一時着の第二便は二時間後に着く第三便を空港で待つ。
 その間、参加者名簿を繰ってみる。聞いた名前もちらほらあるが、たいていは知らない。いつも常連が多いふるさと巡りだが、旅行会社のセルビッソ・グローバルによると、今回は六割が初参加だそう。
 県連からは、青森、栃木、滋賀、鳥取、島根、福岡、長崎、鹿児島、沖縄の八県人会会長が同行。滋賀県の山田康夫会長が総団長、沖縄県の与儀昭雄県連会長が慶祝団の団長ということだった。
 さて、二時間をどう過ごすか思慮していた所、ポルト・アレグレから初参加の和田好司・恵子さん夫妻に拾われた。夫妻は空港のレストランで、カルデラーダというマナウス伝統料理の魚スープを注文し、わざわざ呼びに来てくれたのだった。
 一九六一年五月着のあるぜんちな丸同船者のホームページ、『私たちの四十年!』の管理人として広く知られる好司さん(六九、兵庫県)は、同船者の足跡めぐりがライフワーク。
 当時、ベレンで下船し、モエマとトメアスーに入植した三十二人に思いを馳せ、その中にはトメアスー八十周年式典実行委員長の海谷英雄さんもいるといい、再会を楽しみにしている様子。
 ビール片手に、ジャンブーという薬草の入った酸味があるスープをつついていると、同じくあるぜんちな丸同船者の麻生悌三さん(七一、静岡県)夫妻が合流した。
 東京農大拓殖科二期生の麻生さんは一九六〇年、海外飛遊を夢見て渡伯。サンタレンでジュート麻の集買に従事したという。
 コーヒー豆の麻袋に使うジュートは、下半身は水中、上半身は灼熱の太陽に焼かれるという刈り取り作業が重労働。足掛け三年アマゾン地方にいた麻生さんだが、「陸の孤島」と呼ばれたトメアスーを訪れるのは、実に四十八年ぶりだとか。
 ベレンから約二百キロ、途中、川渡しを利用するものの陸路で五時間というトメアスーは、「滅多に行ける所じゃないから」と訪問を楽しみにしている人が多く、今回の旅のハイライトとなっているようだ。
 アマゾン地方における日本移民最初の入植地であり、この所、苦闘続きの開拓初期を綴った連載が邦字紙に掲載されていることからも、「実際に自分の目で見てみたい」という人が多かった。
 八十年前の翌日、十六日は、日本からの四十三家族と単身者九人の百八十九人を乗せた「まにら丸」が、ベレンに寄港した日。トメアスーの八十周年記念式典はその日に合わせ、ふるさと巡りの一行は、それに駆けつける算段だ。
 百五十人を乗せた第三グループの航空便は、日付が変わった午前二時前、ベレンに到着。現地参加組とも無事合流し、バス四台に分乗して、いざトメアスーへ。
 十分なリクライニングも、足置きもトイレもないバスでの「車中泊」だが、初日のせいか、みな元気。道路の舗装は「良い」とは言えず、寝ながらの移動は期待できそうにないが、ともかく出発だ。  (つづく)
2009年10月22日付


ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー (2)サンパウロ新聞WEB版より
バルサでグアマー川越え てんやわんやのトメアスー視察
 午前四時半、ふるさと巡りの一行を乗せたバスは、ベレンから八十キロ走ったイニャンガピーで停止した。薄暗い中、グアマー川をバルサ(車両運搬用筏)で渡るため、一旦バスから下りる。
 ベレン―トメアスー間は一九六〇年の道路工事まで、二百七十キロの水路を船で十五時間かけて往来していた。今はこの一か所だけ、バルサを使う。対岸のブジャルーまでは約半時間、随分便利になった。
 ただ、乗船までがやたら時間を食う。バックで車両を乗せるのが面倒で、バスなどの大型車は、斜面差でボディをこすらないよう、整理係がタイヤに添え木して誘導しなければならない。
 ふるさと巡りの面々は、「ここは時間がゆっくりだから」、「昔は桟橋も地道だったんだよ」とさして気にならない様子。隣のスタンドで、朝のカフェを一服している人もいる。
 バルサがいっぱいになったところで出発。一般客は車両と車両の隙間に入り込み、一行も乗り込んだ。既に太陽が昇り、時計は六時を指している。七台の大型車と十台の普通車を乗せたバルサは、静かに岸を離れ、対岸へ。
 少しずつ熱くなってきた。日中の平均気温は三十五〜三十九度だという。ブジャルーに着くと、さっそくバスに乗り込み、トメアスーに向かう。もう一眠りの人もいれば、車窓の風景を楽しんでいる人もいる。
 トメアスーのドゥ・ノルテ・ホテルで朝食をとる。出発以来、全員での食事は初めてだ。バス毎に時間差を設けているのだが、「二百人」という大変さは、今後も旅行中つきまとう。
 席がない、皿がない、パンがないとあって、てんやわんや。「街に一つ」の民宿系ホテルで、そこにバス四台が押し寄せたわけだから、想像に難くない。長蛇の列となったトイレは、ホテル側が宿泊部屋を開放してくれて緩和されたが、どうやら客のいる部屋らしく、壁にはスーツがかかっていた。
 腹ごしらえをすると、出発だ。トメアスーの八十周年式典日ではあるが、ふるさと巡りの一行は、全員が会場に入れないということで、同地の視察をした。
 十五分でトメアスー農協(CAMTA)に着いた。日系の組合で、創立六十年。五〇年代は黒コショウがメインだったが、六〇年代後半から果物へ転向。現在は、十三種類の冷凍果物をジュース加工している。
 主力のアサイーは、年間四万トン分を生産。主に国内市場用だが、二〇〇〇年に入ってからは、日本と米国にそれぞれ、三百トン、五百トンずつ輸出しているという。
 時間の都合上、工場内を見学できなかったのだが、外で絞りたてのアサイージュースを頂く。サンパウロなどでは味わえない、濃いドロッとしたフレッシュな味だ。
 鉄分が濃いため若干生臭く、喉越しもいいとは言えないため、初めて飲んだ人は、「ダメ」とギブアップ。または、なんとも言えない表情で砂糖をしこたま入れていた。
 川縁に自然生育するアサイーは、果実は濃い紫色で直径二センチほど。種が大きく、ジュース一杯分に相当量を要する。「なんて贅沢」、二杯目をグイッと飲み干し、バスに駆け込む。
 トメアスーの町は、主要道路から一本外れると未舗装も多い。子どもたちは自転車で、幼子を抱えた若い母親は、赤土の上をゆっくりと歩いている。日本移民が初めて来た八十年前も、こうして赤土を踏みしめたのだろう。
 (つづく・上岡弥生記者)
2009年10月23日付


ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー(3)  サンパウロ新聞WEB版より
「黒ダイヤ」に興味津々の参加者 ぶらじる丸同船者再会も
 アサイー工場の次は、隣接する伊藤ジョージさんの農場を見学した。カカオ、ゴム、カスタンニャ・ド・パラー(ブラジルナッツ)などを自然林に近い形で植えるSAFという複合栽培農法を取っている。
 林の中は涼しいが、四十日雨が降らず、乾燥しているという。直射日光が照りつける隣の胡椒畑は、高さ二メートルほどの木が等間隔に並んでいる。緑の実は、熟れて赤くなった後にしなび、「黒ダイヤ」とも呼ばれたピメンタ・ド・レイノとなる。
 同地の胡椒は一九三三年、南米拓植株式会社(南拓)社員の臼井牧之助氏が、寄港地のシンガポールから持ち込んだ南洋種の成功に始まる。十五年近くの根気強い挿し木増殖の結果、黄金時代を迎えた。
 胡椒の木を見るのは初めてという人も多く、興味津々の様子。赤く熟れた実をかじって、「コショウの味だ」と一人が言うと、「どれどれ」と次々試している。「これで料理してみよう」とポケットにしまう人も。
 ゆっくりと見て回る暇もなく、バスに駆け込み、昼食のレストランへ。ここではまたしても、「皿がない」、「食べ物がない」事態に遭遇。店側の手際の悪さに、かなりの不満が出た。
 昼食後はいよいよ、八十周年式典が行なわれているトメアスー文化農業振興協会(ACTA)に向かった。人数の都合上、式典には出席できなかったものの、後の祝賀会には小一時間ほど立ち寄ることができた。
 ステージで歌や踊りなどのアトラクションが繰り広げれられる中、テーブルには婦人部お手製のありとあらゆる和食が並ぶ。エビをふんだんに使ったメニューなど、ここならではだ。
 昼食を食べ損ねた人は、ビールまで失敬して宴会に加わり、顔を緩ませていた。忙しく立ち働く婦人部は、裏方の台所との間を行ったり来たり。覗いてみると、既にふるさと巡りの先客がいた。
 江口マサエさん(六七、新潟県)は、一九六四年十二月着のぶらじる丸の同船者、南部和枝さん(六八、茨城県)に再会して感激の様子。
 「きっと会えると思って来ました」。二人とも花嫁移民として海を渡り、ベレンで下りた南部さんは船上で挙式し「みんなの憧れだったのよね」(江口さん)。四十五年前に思いを馳せ、「また会いましょう」と約束して別れていた。
 ACTAの広い敷地内には、「移民の森」と題した初期移民の家や植樹林、移住七十周年碑などがある。日本語学校と運動場に加えてこの日、「トメアスー日系学校」が、JICAの草の根無償資金協力を受けて竣工したところだ。
 農協内の移民史料館には、日本人移住の歴史が写真で詳しく紹介されている。交通の便も悪く、「緑の地獄」と言われたこの地を切り開いた日本移民の苦闘は想像を絶するものだっただろう。
 『トメアスや 古きを偲ぶ八十年―』
 鶴我博文さん(七三、福岡県)が即興で詠んだ。「八十年の中にどんな人がいたのか知りたい」。ふるさと巡り常連の鶴我さんは、式典に参加出来なかったことが残念だという。
 入植初期を彷彿とさせるようなトメアスーとの出会いを楽しみにしていた参加者も多いだけに、急ぎ足での訪問・見学は少し心残りのよう。後ろ髪引かれる思いで同地を後にした。(つづく・上岡弥生記者)
2009年10月27日付


ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー(4) サンパウロ新聞WEB版より
ベレン市内観光でご満悦 歓迎夕食会に出席の一行
 ふるさと巡り三日目の午前は、ベレン市内の観光だ。この日のバスは、二階建て、レイト(寝台)仕様。たかが観光に贅沢すぎるほどだが、気分はいい。前日まではトイレなしだった三号車への埋め合わせなのかもしれない。
 大喜びの面々は、バスを隅々まで堪能。一階席を陣取ったり、運転席に入り込んでみたり、童心に戻って大はしゃぎ。そうしている間に最初の観光地、エミリオ・ゴエルジ博物館に着いた。
 アマゾンに関する博物学的研究機関として有名とのことで、敷地内の動植物園では、ヒョウ、バク、ナマケモノなどを見学。オオオニバスの池もあり、手で触れてみてはしきりに感心。樹齢百年以上の板根(ばんこん)の前では記念写真も撮った。
 州立コンベンション・センターHANGARで行なわれた前夜祭は、歓迎夕食会ということで、ふるさと巡りの一行も招かれていた。
 会場には、日本から到着したばかりの井上信治衆議もいた。日伯議員連盟代表である麻生太郎・前首相の「名代」とのことで、国会解散と重なったためトメアスーには間に合わなかったが、ベレン、マナウスの両式典に出席するという。
 ふるさと巡りの一行も来賓として紹介され、盛大な歓迎を受けた。二百人もが慶祝に駆けつけた意味を、改めて考えさせられた。
 生田勇治・祭典委員長と来賓の挨拶に引き続き、乾杯、食事へと移った。のり巻きやチラシ寿司、酢の物もあって、一行の箸も進む。そう言えば、今回初の和食だ。
 食事中、マラジョー島のカリンボ・ダンスショーがあり、アルコールも少々入って良い気分に。その足で場内の「アマゾニア祭り、日本文化週間」会場へ向かう。
 特設ステージと観客席の周囲を、日本食の屋台がぐるりと取り囲む。生け花などの作品展示や、日系企業のブース、ショップが並ぶ大きな展示会だ。
 これまでに土産を買う機会がなかった一行は、ここで次々と散財。ステージを遠巻きにしながら、ショップに立ち寄ったり、展示ブースでコーヒーを飲んだり。
 汎アマゾニア日伯協会のコーナーでは、コスプレ衣装に身を包んだ非日系の若者たちが。コスプレを初めて見るという早田年章さん(七〇、佐賀県)は、黒いメークに奇抜な衣装の青年たちに度肝を抜かれた様子で、「家族に見せる」と言って、記念に写真を撮っていた。
 会場をざっと見てまわった後は、ホテルへ直行―。と言いたいところだが、三号車は運悪くバスが故障。戸外で四十分、代わりのバスを待つ羽目に。ガイドの佐藤礼子さんが言うように「ここはブラジル」で割り切るしかない。遅くなったとは言え、ホテルに無事帰り着いたのだから結果オーライだ。
(つづく・上岡弥生記者)
2009年10月28日付


ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー(5) サンパウロ新聞WEB版より
地元コロニアとの交流少ない旅に 式典途中退席、ツアー趣旨や如何に?
 九月十八日、ベレン八十周年式典日は快晴。午前中は、前日に引き続きベレン市内の観光だ。マンガルダス・ガルサス・エコロジー公園、鉱物資源博物館、パス劇場を訪問。三号車では、花土淳子さん(七二、岡山県)が誕生日ということでパラベンスを合唱し、和やかな一日のスタートを切った。
 ゴム景気の折、パリとミラノの劇場をモデルに、一八六九年から十年をかけて建設されたというパス劇場。三種の高級木材を使用した床や、種々の輸入資材、当時の階級差などについて、係員が詳しく説明してくれる。
 マナウスのアマゾナス劇場よりも古くて収容人数も多く、贅の限りを尽くした当時の建造物は、一見の価値あり。観覧席にも入れてもらい、天井絵などをカメラに収めることができた。
 午後三時からの式典は、前日の前夜祭と同じ会場で行なわれた。ただ三号車は、六人が式典に参加せず自由行動を取ることになった。前日、山田団長が「出たくなければ出なくてもいい」と呼びかけたからだった。
 「式典は長引くのが常。形式張っておもしろくないのはわかっているから、無理強いはしない」という趣旨の発言で、これを聞いた参加者らは、「県連の人がそう言うのだから」となってしまった。
 式典は結果的に長引き、予定時間を大幅にオーバーしたものの、それが予測できたからといって、慶祝ツアーの趣旨や団長としての立場を考えると、軽率な発言だと思わざるを得なかった。
 観光地のエスタソン・ダス・ドッカスに向かうため、式典から途中退席したのも残念だった。出席者の五分の二にあたる人数がすっぽりといなくなったものだから、会場は閑散となってしまった。
 式典後は、日本舞踊や箏曲演奏などのアトラクションも用意されており、隣の文化週間会場では、日本から来た舞踊劇団・曼珠沙華(まんじゅしゃか)や歌手の宮沢和史氏のステージも盛り上がったし、地元の人と話すチャンスもあった。
 上杉美樹サンドラさん(四一、二世)は、ベレン近郊のイガラペー・アスーの初の日系郡長。父親の嘉幸さん(七〇、静岡県)は東京農大拓植科卒。同期九人とトメアスー入りし、同地に十四年間踏みとどまり、胡椒栽培などに従事した。
 アマゾンにジュートをもたらした尾山良太氏の子息、万馬氏の未亡人である尾山片岡エミさん(八〇、二世)は、父親が笠戸丸移民。母親は高知県出身で、坂本龍馬の従兄妹だとか。
 また、『群馬の森』を管理している、岡島博さん(六七、群馬県)など、地元民らしい人に声を掛けると、いろいろな話を聞くことができた。従来のふるさと巡りのように、「移住地を回って慰霊しつつ、現地の人と交流する」ことができない分、貴重な時間だった。
 常連参加者らは、「ふるさと巡りの何がいいって、思いっきり日本語ワールドで旅をして、昼は観光、夜は地元の人との交流ってね。今回は慶祝だから主旨が違うと分かっていても、ちょっと寂しいね」と話していた。(つづく・上岡弥生記者)
2009年10月30日付


ふるさと巡り、北へ アマゾン80周年慶祝ツアー(6) サンパウロ新聞WEB版より
ベレンから空路でマナウスへ アマゾナス劇場など市内観光
 ベレンから一路マナウスへ―。ふるさと巡り五日目は、空路での移動日だ。何しろ二百人が一斉に動くわけだから、時間に余裕を持たせた行動となる。
 午後一時半の便に乗るのに、午前十時にホテルを発ち、半時間後に空港着。チェックインが終わるとさっそく昼食、朝食から二時間のインターバルで、食事をとる羽目に。
 三号車では、その間に自己紹介をすることになっていた。旅程も終盤に差し掛かったのに自己紹介がまだ、と指摘を受けたガイドの佐藤さんが、「今日こそは」と意気込んでいたのだ。
 空港までの移動中もトライしたが、たかが半時間足らずで四十四人が終えるのは無理。続きは空港のレストランで、となっていたが、分かれて座ったため結局できなかった。
 焦る佐藤さんをよそ目に、参加者らはマナウス行きに浮かれ気分。初訪問という松酒喜美子さん(七七、岡山県)は、「(移住以来)四十九年越しの夢が叶った」と大喜び。
 すっかり打ち解けて仲良くなったバスの同乗者たちは、歓談して待ち時間を過ごした。「『河大』と書いてアマゾンと読む」と紹介した人がいて、なるほどと感心したが、帰聖後に百科事典で調べてみると、「亜馬孫」または「亜馬生」とのこと。よくできた当て字だった。
 予定時刻から少し遅れて離陸したゴル機は、サンタレン経由のため、機上からアマゾン川の河口、中流、上流と順番に望むことができる。薄茶色のアマゾンは、川幅が広くて、まるで海。左右には原生林が広がり、サンタレンに降りる時、誰かが「まるで森の中の空港だ」と呟いた。
 マナウスのエドゥアルド・ゴメス国際空港からは、バスで一旦市内に出て、アマゾナス劇場や旧市街を見てから、宿泊先のトロピカル・マナウスホテルに向かう。
 現地ガイドの案内で、市中を車窓から眺めた。人口百六十万人のマナウス市は現在、アマゾナス州政府による「POSAMI」という都市美化計画が進んでいる。
 昨年訪れた時は、旧市街東のビテンコルト水路周辺はファベーラで、汚れたバラックから生活用水が垂れ流しだったが、公園に整備された今は、見違えるほどきれいになっている。
 ゴム時代のマナウスは、今よりも水路が多く、移動はカヌー。「水の都」イタリアのベニスに似ていたという。一八九六年に建造されたアマゾナス劇場も、イタリア様式のオペラハウスだ。
 サーモンピンクと白の外壁を持つ劇場は、まいせん焼きのドーム屋根を備え、高台にでん、とそびえている。ベレンのパス劇場より規模は小さいとのことだが、立派なものだ。
 特権階級の社交場として建てられ、資材は全てイタリアやフランスから輸入した。ガイドによると、当時は洋服のクリーニングまで欧州に出していたという、嘘のような話だ。
  ポンタネグラ川岸沿いのトロピカルマナウスは、マナウスきっての老舗高級ホテル。プールやテニスコートなど、あらゆる設備が整っていて、高級ブランド店や動物園まである。
 着いたとき、ちょうど真っ赤な夕日がネグロ川に沈むところだった。「ちょっと考えられないね」と一人が言う。日本人の感覚だと、夕日は海に沈むものなのだ。
(つづく・上岡弥生記者)


ふるさと巡り、北へアマゾン80周年慶祝ツアー(終) サンパウロ新聞WEB版より
マナウスで80周年式典に参加 アマゾンの雄大さに感動
 九月二十日、五泊七日のふるさと巡りもいよいよ最後のプログラムとなった。トメアスー、ベレンと周り、最終地マナウスの八十周年記念式典だ。会場の西部アマゾン日伯協会会館に向かう。
 同協会の錦戸健会長(五八、石川県)は、昨年三月に就任したばかり。「会員らに助けてもらって何とか準備できました」。クーラー不調のため、大粒の汗をしたたらせながら話す。
 会場はかなり蒸し暑く、皆、手持ちの扇子などでパタパタと扇いでいた。日中気温四十度、湿度は九十五度まで上がるマナウスだ、無理もない。
 式典は、祭典実行委員長でもある錦戸会長の挨拶に始まり、井上信治衆議、島内憲大使、海老井悦子福岡県副知事ら来賓の祝辞、高齢者表彰、外務大臣表彰と進行し、二時間足らずで滞りなく終了した。
 最後の記念撮影には、ふるさと巡りの一行も加わった。総勢五百人をカメラに収めるには、高台の上からの撮影で、眼下の人数は圧巻の多さだ。
 その後バスで、憩の園敷地内にある慰霊碑に移動し、献花する。移住五十周年の際に設置された碑の入り口には新しい鳥居が。昨年、日本移民百周年で空港に設置されていたものが、こちらに移動されたらしい。
 用意された花を献花し、目を閉じて手を合わせると、アマゾンに夢を託しながら土となった先駆者が思い浮かぶようだ。今回のふるさと巡りでは先没者慰霊がなかったため、「よかった」という声が多く聞かれた。
 その足で、隣接のアマゾン自然科学博物館も訪問。橋本捷治さん(六四、群馬県)が所蔵するアマゾン川の魚や蝶類の標本は、数、種類ともに多く感嘆しきり。世界最大の淡水魚ピラルクーが、対になってゆっくりと回転しながら泳ぐ姿は、アマゾン川の雄大さを物語っているかのようだった。
 一行はこの後、有名な「二河川合流地点」へ。コロンビアを水源とする黒いネグロ川と、ペルー源流の茶褐色のソリモンイス川は、ちょうどマナウスから下流十キロ地点で合流する。
 ネグロ川の方が水温が五度ほど高く、流速は毎時三〜四キロで、同七〜八キロのソリモンイス川より遅い。この速度差と比重のため交じり合わず、三十〜百キロにわたって分離線が続く。一行の大型観光船では無理だが、ボートでは境界線の水温差を手で触れて感じることができるという。
 ピンクと灰色の淡水イルカがいるらしいが、日中で気温が高いため出てこない。合流地点を見た後は、風に吹かれて二時間の船旅。小さなジャヌアリー集落まで行って昼食をとり、少し散策してホテルまで船で戻る。
 一行が分乗した三隻の船は、競争のように抜きつ抜かれつでホテルの波止場まで二時間のクルーズだ。手を振りあい、写真を撮りあうのも最初のうち、後は居眠りか、旅の仲間と談笑している。
 今回のふるさと巡りは初参加が多く、初対面の人が大半だった。それにも関わらず、すっかり打ち解けて仲良くなった。気さくに冗談を言い合い、肩を叩き合っている。「やっぱり船はいいね」と満喫の様子、移民船が思い起こされるようだ。
 ホテルの近くまで来ると、建設中のマナウスーカカウ・ピレイラ橋が目の前にそびえてくる。対岸までの四キロを渡す橋は、二割が完工している。
 少しずつ橋の下をくぐっていくと、向こう側に夕日が沈む。何百年も続いてきたこの光景は、日本移民が初めてアマゾン地域に足を踏み入れた時から変わらない。
 アマゾン川の水面に映る夕日を見ながら、八十年の歴史に思いを馳せる。水は、流れ来て流れ行く。時の流れのように、絶えることなく、枯れることなく。(おわり・上岡弥生記者)
2009年11月5日付



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