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【加藤 由美子さん】 あるぜんちな丸同船者がまた一人見つかりました。
あるぜんちな丸は、1958年6月に処女航海し1971年10月の第40次航まで13年間の間に合計10817名の移住者を南米に運びました。改装されたにっぽん丸で移住された285名を加えて合計11102名と『私たちの40年!!』寄稿集には記録されています。
私たちの第12次航は、1962年3月末に神戸を発ち5月11日にサントス港に着きました。来年の5月で48年に成ります。
『私たちの40年!!』寄稿集は、このあるぜんちな丸で来伯した広い意味での同船者の受け入れ国への定着の過程を記録に残す事を主目的にしておりあるぜんちな丸の同船者見つかるとつい嬉しくなってお話を聞く悪い癖が身に付いてしまっています。もう随分昔からニッケイパレスホテルに泊まる度にお世話になっている方、加藤 由美子さんが我々より9航海先輩のあるぜんちな丸第3次航での着伯と伺い取材させて頂きました。
写真は、朝食の片付けが終わり早いお昼?しておられる控室で仕事着のまま取らせて頂いたものです。赤いエプロンが似あっていました。


あるぜんちな丸は、1958年6月に処女航海し1971年10月の第40次航まで13年間の間に合計10817名の移住者を南米に運びました。改装されたにっぽん丸で移住された285名を加えて合計11102名と『私たちの40年!!』寄稿集には記録されています。
今回今年最後のサンパウロ出張で何時ものようにニッケイパラセホテルでお世話になった加藤由美子さん旧姓景山由美子さんは、あるぜんちな丸第3次航の私たちより先輩で1959年2月4日に神戸を発たれ3月のカーニバル時期にサントスに到着されたそうです。
加藤さんは、静岡県出身で6人兄弟にお母さんを含めた7人での渡伯でブラジルにセイロン島から紅茶を持ち込んだ有名な岡本寅蔵さんのレジスロのお茶園に入植されたとのことでお兄さん達はお茶精選工場に働き由美子さんとお母さんは、郷里静岡と同じようにお茶摘みをしたそうです。
レジストロでのお茶摘みは、1年ちょっとであるぜんちな丸で再渡航されていた(一時帰国後ブラジルに戻られた)小幡さんと云うモジダスクルゼスに住んでおられた方の誘いで家族全員でモジに引っ越し、ブームに成りつつあった養鶏の仕事に従事しその後も転々と移住地を移られたそうですが、モジでは日本でも歌手として成功しているマルシアさんのお爺ちゃん当たる方が隣に住んでいて可愛がって貰ったのを覚えていると語っていました。
ブラジル50年を振り返ると苦労の連続だったそうですがそれでもブラジルに移住して来て良かったとのことで日本での生活(15歳で日本を出て戦場で16歳に成られた)、ブラジルに来てからの生活を語り出すと半日では語り終わらない込み入った事情があるとのことで多くを語りたくない(時間が無い)とのことで又の機会に譲りましたが、20歳で結婚、現在はお孫さんのアランさんとお二人で住んでおられるそうですが、18歳のお孫さんは、余り勉強が好きでないそうでショッピングセンターで働きながら航行に通っているそうです。
由美子さんは、もう20年以上前にニッケイパレスホテルの地下にあった関西料理の【つばき】に働きに入り既に年金を貰っているが現役として日本食店【誠】とホテルの朝食を出す為に毎朝6時から2時20分まで働いておれるそうです。来年2月で67歳に成られる王ですが体が続く限りホテル側から首にされない限り働く積りとのことですのでこれからもニッケイパラセにお世話になれば同船者の由美子さんが用意して呉れる味噌汁、温泉卵、焼き魚、煮物、漬物等の日本食の朝食にお世話に成ると思います。
由美子さん何時も有難う御座います。
朝食が終わり昼前の少し落ち着いた時間で早いお昼の食事?をしている所に押し掛けて話を伺い写真を撮らせて貰いました。赤いエプロン(仕事着)が似合う由美子さんでした。



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