第19回バーチアル座談会 『新春放談 行く年、来る年 2009/2010!!』を開催します。(その3)
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バーチャル座談会行く年、来る年2009/2010!!(その3)を収録して置きます。発言者が偏っているきらいがありますが、これは仕方がないのではないかと思います。まだ後1週間前後継続して行く積りですので是非まだご発言頂いていない方の参加をお願いしたいと思います。2009年を終えるに当たりどんな年で有ったかを記録に残して置くのは面白いと思います。何時までこの『私たちの40年!!』が継続するか分かりませんが都賀さんが2019年のバーチャル座談会が楽しみとコメントしていますが、果たして私がまだ生きているかどうか定かではありませんが若し生きていて継続していると確かに面白いでしょうね。既に(その4)はほぼ出来あがっていますので新年に成ってからのご発言を(その5)に収録することにしたいと思います。
適当な写真が見つかりませんので大晦日の今日撮ったオランダから来たアマリリスと私を使用して置きます。適当な写真が現れると入れ替えたいと思いますので応募下さい。
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丸木:似たような話があるものですね。弟が学生時代に小倉でヤクザの大親分の娘の家庭教師をしてた頃、街で子分連中に「先生!」と挨拶されてたとか・・・。無法松の街だから、さもありなんと思いましたよ。
ところで、僕が新卒で入社した会社はヤクザの大立者が創立した会社です。現在の東芝メディカルです。終戦後、赤旗の閃いていた日本各地の東芝工場では、資金が底をついていたそうです。通信機器(主として電話機)と医用電子機器(主としてX線装置)を製造していた富士工場も例外ではなかったのです。鶴見騒擾事件で悪名高い運送会社の小宮虎之助が日本刀を持って集金に乗り込んだ際、皆が逃げたのに経理課長の河村允明が眼光鋭く睨みつけていたそうです。本当は驚愕で気を失っていたのですが、小宮さんは「度胸のあるやつ」と、河村会長・小宮社長で発足したのが東芝医療電気(後の東芝放射線)。差し押さえたレントゲンの販売会社。こんな真相は社史のどこにも書いてありません。
日大ラグビー部後援会長の野波七郎さんが創立以来定年まで役員をされてラグビー閥があり、ラガーなかりせば人ならずの雰囲気がありました。あの連中、スクラム組むのです。日大ラグビー部OBで雑誌「経済界」伊集院ニューヨーク支局長夫人は新宿歌舞伎町を取り仕切るヤクザの親分の娘さん。彼のオフィスには「新宿古物商」の鑑札がかかってました。彼の父親はプロレス解説者でシャープ兄弟対力道山の試合の中継で人気があり、日本でテレビを普及させた功労者です。医者から癌の宣告を受け割腹自殺されました。九州東芝メディカル・サービスステーション創立者である中村省三の三男の裕和は博多では泣く子も黙るアンダーグランドのボス、現在は塀の向こう側。阪神タイガースの私設応援団の殆んどが、ヤクザの資金源(ライセンス無しのタイガースグッズ)とか、ほんまかいな?
伊豆山:丸木さん 私は丸木さんの弟さんのような勇気はありませんでしたから、一回のデートで親分の娘と付き合うのやめました。 ずるずる付き合っていたら、きっと或る凶日、三原橋の下にプカプカ浮いていたに違いありません。 こうして生きていられるのは、ブラジルに来て、女房に拾ってもらったからです。 有難いことです。
『若者よ』の歌を、体を鍛えるだけじゃだめ〜。 よき伴侶を見つけろ〜!と変更した方がいいかも知れません。
東芝の営業に、栗原さんと云う 『ツワモノ』 がいて、閉口いたしました。
お陰様で、日立にリストラされて25年経ちましたが、何とか、今でもご飯が食べられます。
憎き宿敵は、よきライバルにもなりうる。 心の据えようと思いましょう。
丸木: 栗原さんはアメリカ東芝アメリカ社長の後、日本に帰り東芝メディカル社長になりました。会社の宣伝はしたくないのですが、東芝メディカルが最も成功したのはブラジルなのです。僕の2年後輩の星合泰宏が現地法人設立に赴任し、サンパウロで精液を1斗2升使い果して奮闘した成果なのですが、この事実も社史には一言も書いてありません。その通り、昨日の敵は今日の友、アメリカ日立メディコ社長を現地退職された上原さんとは未だに親交があります。彼も、日立が買収した小さな渋谷レントゲンを日立製作所から出向して世界的なメーカーに育てた功労者の一人でしょう。
伊豆山:丸木さん 栗原さんは、アメリカ東芝の社長になられたのですか。 好敵手だなんて、おこがましくて云えませんね。 身の程知らずでした。
丸木: 昨日の五種競技では全種目で記録更新し、71才の時に40年ぶりで復帰した水泳マスターズ70才〜74才ブラケット競技生活の全日程を終えました。元旦には75才になり百年人生の第四楽章に入りますが、自己記録の更なる向上を目指す自信がつきました。今年はカナディアン・チャンピオンになれたので、来年はワールド・チャンピオンを狙います。
丸木: 僕は鮫脳と云われた元首相より悪い低脳とゆう病気ぐらいしかありません。そうそう最近ようやく痔主の仲間入りしたので、「痔専門医の発明」と題し医学小説の執筆構想を練っております。阪大病院創立者の孫も登場しますが堅い話でなく奇想天外の発明であります、乞う御期待
和田:丸木さんは本当にお元気ですね。「痔専門医の発明」と題し医学小説の執筆構
想を練っておりますとの事、創作意欲も旺盛ですね。また寄稿集にも掲載させて下さい。
穏やかなクリスマスと良いお年をお迎え下さい。2月にブラジルでお会い出来ると良いですね。
丸木:大阪の橋下知事が(大阪府立大学)を廃校にするとか。僕と同級の藤本義一がテレビ対談で知事にくってかかったそうです。彼の嫁はんの母校(大阪女子大)もなくなるので、別の番組で彼女も反論してたらしいです。テレビタレントが政治家になるとろくなことやらん。青島幸男、横山ノック、そのうち宮崎県知事もぼろ出しまっせ。パラナ州のクリチーバを世界最良の都市に甦らせた中村はん、どない思います?あんさんも同窓でっしゃろ・・・。
富田:Texasの富田です。今日で高一の孫は期末テストが終り、明日からクリスマスの休みに入ります。これでアッシーの私もX`mas気分になれます。
昨日から大学と一部の中高は休みに入っているので、今朝は車が格段に減ってました。
明日の土曜からは、Mexicoからの買物、遊山客が押し掛けて来ます。サンアントニオにとって嬉しいお客さんたちです。Mexicanは金持ちと言うより、
金離れが良いのです。お国にないものが目に入ると、買わなきゃ済まないのです。
皆さんのお国の歳末の景気はどうですか?
和田:現在サンパロですが今年はそれ程暑くなくサンパウロでも夕方には雨が降り気温が23度位まで下がり凌ぎやすいです。午後の便でポルトアレグレに戻りますが、クリスマス景気と云うか街はサンタクロースが飾られジングルベルが聞こえて来て何処も買い物客で溢れています。正月用の日本食品等の買い込みをしてトランク2個に詰めて帰ります。ミナスのヴィソーザの街に住む末娘、小百合がクリスマスの一緒に過ごす為に遣って来ます。久し振りに家族全員がポルトアレグレに集うことに楽しみにしています。サンアントニオでもメキシコからの買い物客で賑わうとの事、富田さんの日本食レストランも千客万来で稼ぎ時なのでしょうね。サンアントニオにもブラジルから進出しているFOGO de CHAOのシュラスカリアがあるようですが評判如何ですか。
2009年の皆さんの年末年始の様子を記録に残して置いて下さい。何年か後に読み返すと面白いかも知れませんよ。
丸木:ギリシャで点火されたオリンピック灯火が一昨日トロントを駆け抜け、カナダではバンクバー冬期オリンピックのムードが高まってます。オリンピックトーチの灯されたトロント市庁舎前広場ではネリー・フルタード等の一流歌手による無料ショーが催され、零下15度でも大騒ぎでした。大晦日には、交通事故防止の為に、地下鉄はじめ市電も市バスも終日(午前4時まで)無料解放されます。
昨晩は、ブラジル料理のレストランPortoBrasのオーナーに招かれ、久し振りでフェジョアーダに舌鼓を打ちました。カイピリーニャを飲みながら窓際の席から見下ろすスケートリンクでの美女のフィギュアースケートを眺め、夜更けまで楽しく過ごせました。ブラジル料理を食べながら雪と氷の祭典?取り合わせがユニークな年の瀬ですわ。隣は店名が「リオ40度」のボアッチですが、家内に耳を引っ張られ残念ながら入れませんでした・・・。
和田:丸木さん 来年の冬季オリンピックのバンクーバへの灯火リレーがもう始まっているのですね。
カナダの景気回復策の一つとして少しは役立つのでしょうか?トロントのブラジル食レストラン、ボアテ等があるのですね。
零下15度の大晦日の年越し想像が付きません。ブラジルはリオのコパカバーナの花火が有名ですが各地で爆竹で大騒ぎし家族が集まって年越しを祝うことになるでしょう。そろそろ各社では夏季休暇が始まっており上から率先して夏季休暇を取るので仕事はカーニバル開けまで停滞します。
永田:今年はいいことが沢山ありましたでしょうか。
私は、有ったり無かったりでした。
残念だったのは、 阪神タイガースの戦績です。
寅年の来年こそ!来年こそ!です。
和田:永田 兄 クリスマスカード有難う。私の今の気持ちにピッタリで嬉しく思いました。
来年こそは寅年でもありタイガースに優勝して貰いたいですね。4月また甲子園に立ち寄る積りにしています。
その内一緒に甲子園に応援に行けると良いですね。
来る年も健康に恵まれた良き年に成るように地球の反対側からお祈りしています。
和田:バーチャル座談会は、難しい政局、政治問題、歴史的な解釈等を巡って加熱気味ですが、主宰者としての私は意見の異なる皆さんの自由なコメントは歓迎しております。発言者の良識と責任の基にどんどん発言下さい。この2009年年末に交わされる皆さんのコメントは歴史的な発言、ご意見として残して置きたいと思います。もう字数では3回目が終わり4回目に入っているのではないかと思いますが整理、収録が追い付いていません。ご発言と共に写真の提供もお願いしたいと思います。
ブラジルでは明日24日は半ドンで仕事は昼までと成っていますが、さわやか商会は朝からお休みにしています。25日もクリスマスでお休み、週末に入りますので4連休になり家の仕事も手伝いながら4日間はのんびりと?バーチャル座談会の纏め、溜まっている原稿の整理、写真の整理等で過ごす積りにしています。
今年1年、この『私たちの40年!!』メーリングリストへの投稿数がどの位あるのかCHKして見た所、11月末までで3315件(月301件)を記録しており1日平均10通のメールが飛び交っていることになります。よくまあ我慢して?付き合って下さったと主宰者として頭が下がります。皆さんにとって1日10件と云うメールの数はどうなのでしょうか?多すぎる。適当。少なすぎる?色々な形でお付き合い頂いていると思いますが既にお願いしていた【私とメーリングリスト】に付いてお話頂けると嬉しいですね。
今年も色々な旅、会合、メール、BLOGへのコメント等を通じて沢山の方との邂逅、お付き合いができました。皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
来る年も出来ればお付き合い下さると大変嬉しいです。
前田:小百合様はじめ、皆様、一年間お疲れ様でした。又来年もよろしく。
北海道に住む友人の作品を拝借しました。
サンタさん、madokara 入ればいいのに・・・・!
丸木:暗い話の祖国亡国論はさておき、今年の明るい話題は、僕達移民の第二の故郷である南米で初めて開催されるリオデジャネイロ・オリンピック。僕の第三の故郷カナダでは来年のバンクーバーで冬季オリンピックが目前です。日本では東京、札幌、長野と既に三回もオリンピックが開催されてるので、日本ではオリンピックどころか、国の存続のほうが問題でしょうか?
麻生:丸木さん
ブラジルはリーマンショックの影響が少なかった国の一つです。
14年のサッカーワールドカップ、16年のオリンピックの開催が決まり、躍進の原動力になる事は確実です。
恐らく、国内のインフラは相当整備されるでしょう。サンパウローリオ間の高速列車も欧州勢と日本とが取り合いを巡って熾烈にぶつかっています。最近は、中国の影響力がブラジル産品の輸入で大きくなって来ました。
(大豆ー輸出の約半分が中国向け、鉄鉱石、砂糖等)中国も南米ABC3国(アルゼンチン、ブラジル、チリ)に本腰を入れてきました。オリンピック、ワールドカップのブラジルでの開催に就いて、治安問題がネックだと反対派の主張でした。確かに、殺人事件は年間5万件と高く、一般犯罪も他国に負けない頻度です。
小生は開催期間の治安について心配していません。ブラジル人御得意のブラジル方式で、暗黒街、スラム街と警察が談合を行い、開催期間中は静かにしていろ、その代り、終了後は、大いに、稼がしてやる、ぐらいの取り決めは、朝飯前です。何はともあれ、明るく、自分勝手で、胃袋の大きな国です。
畑山:和田様 ブラジルもこの時期夜になるとイルミネーションが輝いているのでしょうか?ブルメナウやグラマードのようなドイツ風の町ではヨーロッパにいるような錯覚に陥りそうですね。正直、ブラジルにあんなに欧風な町があるとは驚きでした。
クリスマスといえば、やはりナタルの町でしょうか?クリスマスを意味するだけあって、盛り上がり方も違うのかとイメージしています。
私が行った時は連日雨で美しい海が見れずに残念でしたが・・・
今日は、クリスマス前のウィーンで撮った写真を何枚か添付させて頂きます。
建物自体がラッピングされたようにリボンに包まれていたり、市庁舎では誰でも自由に入れるコンサートが開催されていたり、寒さも忘れて一日中楽しめました。
クリスマスマーケットで買い物を楽しむ女の子たちの目も輝いていました!
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/5809661.html
和田:美紀さん 時宜を得たお便り有難う御座います。私もウインには一度行っていますので雰囲気を思い出します。公園の前にSASのホテルがありそこに3泊しました。公園では夕刻からワルツの演奏が有時間があれば聞いていました。夜に一度オペラに行きましたが余り内容を理解出来ませんでしたが大劇場での生のオペラは特別でした。
皆で出掛けた夕食会でもワルツの演奏がありました。地元の料理も食べたのですが覚えていません。私はヨーロッパと余り縁がなくコペンハーゲン、ノルゲン(ノールウエイの港町)、ウィンの3都市しか知りません。
またゆっくり行って見たいですね。
和田:先週末にポルトアレグレに戻って来ていた小百合は丁度1週間の滞在でクリスマスイヴの家族全員のお祝いが終わると昨日25日の夕刻に27kgの大きな登山用のリュックを担いでお隣の国アルゼンチンの湖水と山岳都市のボリロッチに長距離の寝台バスで出立して行きました。
RS州の連邦大学の経営学部の卒業式に掛けるお金をアコンカグアの征服に注ぎ込みたいと卒業式に出席せず1ヶ月近く掛けてアコンカグアの近くの山を征服、体を馴らしてアタックを掛けたアコンカグアは寸前で悪天候に阻まれGIVE UPして帰って来ましたが、その後も山登りはニュージランド、オーストラリア、南アフリカ等で楽しんで来ており8月には好きな国ニュージランドに夫君と共に移住するとのことで今回はアルゼンチンの山を楽しんで来たいと元気に旅立って行きました。
ニュージランドにワーキングホリデイで出稼ぎに行き稼いだお金でインドネシアでダイビングのライセンスを取得、インド、ネパールを訪問しヒマラヤの近くを21日間歩いた経験もあり(私の訪日中と重なり日本に来るように誘ったが断られた)山歩きは本物のようです。
娘たち3人は、それぞれ何でも自分で決める悪い癖が有り(親の教育の仕方が悪かった?)親は報告を受けるだけが多いですが、それでも必要があれば手伝わされています。頼られない親も寂しいですが、完全な親離れが出来ている娘たちは、これからも見守って行くだけに成りそうです
ロードヴィアリア(バス停)まで見送りに行き小百合が担ぐリュックを担いで見ましたがとてもじゃない担げるものではないと思いました。3人で内で一番華奢で子供のころはバレーをやっていた小百合が山登りを好むとは見かけに寄らないものですね。
週に一度は写真と文を送るように頼んで置きましたので来年はアルゼンチン便りを掲載出来るかも知れません。
関係写真を貼り付けて置きます。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/5930383.html
杉井:和田さん 若い内は体力もあり、海外登山を楽しんでおられる小百合さんが羨ましいですね。
MENDOZAからSANTIAGOへの途中の4,000M近い峠からアコンカグアを見たことがあります。 7,000M近い山の様には見えませんでしたが、酸素ボンベ無しで登るのは体力的に相当きついでしょうね。
最後の海外駐在から帰国後に日本百名山登山を始めました。昔のワンゲル時代に登った山を含めてもまだ60数座で、完登にはまだまだですが、70歳までに幌尻岳や宮之浦岳などの厳しい山を片付けておこうと思っています。
若い時はテントやリュック、寝袋も重かったですが、今は全ての装備が軽くなっているとは言うものの、体力も無くなっているので単独行ですが山小屋泊りの安全登山に努めています。
和田:杉井さん 夜更かしですね。こんな時間にメールが入るなんて。。。
南米大陸の最高峰、アコンカグアは、魅力的な名峰ですね。私は1963年にメンドーサから鉄道でアンデス超えをする時にアルゼンチン側のロスアンデスと云う駅でチリ側の鉄道に乗り換えましたが今はこのチリ側のヴァルパライーゾ行きの鉄道はなくなっています。先年恵子にアコンカグアを見せて遣りたくてチリ側のサンチャゴからロスアンデスまで行きましたが初雪に阻まれ遠くアンデス山脈を仰ぐだけで近くで見ることが出来ませんでした。またバスでのアンデス超えをして見たいです。
小百合は何とかバレロッチに着いたのではないかと思います。テントを張っての山岳生活を1月末まで過ごすようです。1月末にはまたポルトアレグレに戻って来るそうです。
今年は、ブラジルからの中国向け鉄鉱石、大豆の輸出に付き色々努力して頂いていますが実績が上がらず残念ですが、2010年には是非実現させたいものですね。それでも中国からの釘の輸入BUSSで実績が挙がっており来年は、数量増大を目指したいと思いますので宜しくお願いします。
良き新年をお迎え下さい。
丸木:丸木で〜す 和田さんの会社では、ブラジルに中国から釘を輸入してるのですね。なんとなく懐かしく思い出します。ニューヨークでGEトレーディング本社に勤めてた頃、ルーマニアに原子炉とタービンを輸出し、見返りにイチゴジャムと鉄鋼と釘を輸入しました。
アメリカ政府が鉄鋼の輸入規制を発動し(ブラジルと韓国からの鉄鋼輸入によりアメリカの鉄鋼メーカーが続々と倒産した頃です)、売り先をエジプトに見つけて、搬送中の貨物船の船長にテレックスでアレキサンドリア港に回送依頼しました。ルーマニアの安価な釘がアメリカに輸入された結果、姉妹会社GEクレジット(現在のGEキャピタル)の融資先の釘メーカーからクレームがあり、姉妹会社から僕達の取引に物言いがついたのです。カウンタートレードは頭の休まる閑のないリスクの多い商売でした。
和田:丸木 さん ブラジルのクリチーバ近郊にあるパレットを生産販売している会社向けに横浜の『大地』と言う杉井さんが顧問をしている会社を通じて繋いでいるインデンターの仕事(口銭ベース)でさわやか商会が輸入販売している訳ではありません。資金的な問題、リスクを考えるとプリンシパルで自己輸入販売する力はありません。誤解の無いように。。。
前田:昨夜、霧島市長を囲んでの20名程度の忘年会に出席しました。小さな居酒屋で飲みました。
私は個人的にイペーが霧島市で展開できればいいなと思っています。飲みながら数名の人に話をしました。
関心を示す方もおられます。市長にはまだ話していません。
ポルト・アレグレ市と霧島市が姉妹都市にでもなればとも思っています。何かいいきっかけでもあればと思っています。
和田:前田 さん 日本とブラジルを結ぶのに姉妹都市、姉妹県提携と云った関係は、大いに役立つと思います。おっしゃる通り『きっかけ』と仕掛け人次第だと思います。
日本とブラジルの姉妹提携の歴史では私の住んでいるRS州がその嚆矢で州内のペロッタス市生まれの外交官(現在はイタマラチーを引退してペロッタスの大学で教鞭をとっている)ヴィニョウレスさんが能登半島の突端の町珠洲市を旅行中に病に倒れ地元の人たちにお世話になったとの事でお礼に彼が書いた詩(歌詞と作曲)が珠洲市の小学校の校歌に使われたのをきっかけに郷里のペロッタス市と珠洲市が姉妹都市の提携をしたのが1963年の9月17日です。ペロッタスの街のバス発着所(ロドヴィアリア)の直ぐ近くに珠洲公園があります。その4年後に両都市の州都と県庁所在地の町が姉妹都市提携をしたのがブラジルで3番目の姉妹都市提携でポルトアレグレと金沢市の姉妹都市提携は1967年3月20日になっています。
その後一つのブームのような形で広がり神戸ーリオ、大阪ーサンパウロ、長崎ーサントス、加古川ーマリンガ、西宮ーロンドリーナ、姫路ークリチーバ等が提携していますが、1992年の大泉町(群馬県)とサンパウロ州奥地のグラチングエターの提携以後は下火になり最近は余り話題になっておりません。
小松製作所が工場を持つ小松市とスザノ市の提携、新潟県の見附市に工場を持っている近藤商店(KONDOTEX)が丸紅と合弁でマイリンキ市に工場を建設して姉妹都市提携をしていますがKONDOTEXの撤退後はどうなっているのでしょうか?現在50都市前後の姉妹都市提携があるようですが、昨年の日本移民100周年記念にあわせてそれなりの交流が見られたようですが、相互間の行き来が行われている程度で目だった動きは少ないようです。
一方、姉妹県提携は、現在11件あるようで1970年の兵庫県とパラナ州が一番古く1980年に琵琶湖とパットス湖が取り持つ縁で滋賀県とリオグランデドスール州が姉妹県提携をしています。一時三菱重工の工作機械工場の有る栗東市と三菱の工作機械を使用している工場があるカシアス市との姉妹都市提携をプロモートしましたがブラジル再度は興味を示して呉れたのですが、栗東市が当時新幹線を止める運動で市長、市議会、商工会議所等は、余り気乗りせず、栗東市が滋賀県の琵琶湖を通じてのAMERICA、中国、フランス、ブラジルと姉妹県提携しておりブラジル以外の県、州、省等の地方都市と姉妹都市提携をしておりブラジルだけが無いのでどうかとの滋賀県の働きかけに気乗りがしなかった経緯がありお流れになりました。
姉妹県提携では、りんごが取り持つ縁で青森県とサンタカタリーナ州、水晶が取り持つ縁で山梨県とミナスゼライス州、沖縄県人が集中するマットグロッソ州と沖縄等のて提携以外にサンパウロ州がなんと三重県、群馬県、徳島県、富山県、東京都と4県1都と複合提携しておりお願いすれば受けてくれる感じです。
さて前田さんがご提案の霧島市とポルトアレグレ市の姉妹都市提携ですが、ポルトアレグレ市は、既に金沢市と提携しており、市の人口が145万、近郊を加えると270万人の大都市で霧島市とは少し規模が違いすぎると思いますし所謂キッカケが見付けずらいです。
RS州のというかブラジルのタバコの都といわれているサンタクルス ド スール市(ポルトアレグレから155キロ離れた街)で今年旧日本専売公社が地場の大きなタバコ工場3社を買収して話題になっており今後日本に大量のタバコの葉を輸出する可能性があり日本からの駐在員も来ているようですし『花は霧島、タバコは国分』と唄われた霧島市との姉妹都市提携のキッカケになるかも知れませんね。霧島市長、市議会が興味をもたれるようであれば当方で当たって見ても良いですよ。サンタクルスは、世界のタバコの都ドイツ移民が多い地域ですが(オクトバーフェスタが有名)ゴルフ場もありちょくちょく行っています。
浜田:こんばんは〜 チコ@神戸です。和田さん お久しぶりです。
昨年、今年の帰国の時は、所用でお目にかかれませんでしたが・・・
その節は、初対面でしたが楽しかったです。
暑いクリスマス・・実感がありませんが・・48年もブラジルに渡って経つのですね。
確か、私が神戸へ来たのと、和田さんがブラジルへ渡られたのが同時だったと、お聞きしました。
ルミナリエも15回目になり、月日の経つのが速く感じます。
ご覧いただきまして、ありがとうございました。
又、帰国された折には、お声をかけてください。
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