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真砂 睦の「おいやんの熊野便り」(21)【熊野から捕鯨問題を吠える】(その1)
現在、和歌山県田辺市にお住みの真砂 睦さんは、1965年早稲田大学法学部を卒業後野村貿易(株)に勤務、1973年から1991年までの間に都合12年間、リオ、ベロオリゾンテに勤務され2001年に退職。2003年から日系社会シニアボランテイアとしてサンパウロに住んでおられた時に郷里和歌山の「黒潮タイムス」に【おいやんのブラジル便り】を掲載しておられこの寄稿集にも収録しておりますが、2年半の任期を終えて帰国後も【おいやんの熊野便り】として健筆を振っておられます。
今回掲題の【熊野から捕鯨問題を吠える】との大きな社会問題と真っ向から取り組んでの力作に早稲田大学海外移住研究会の多くのメンバーからもっと広くこの論文を公開するべきであるとの意見が出ておりこの寄稿集にも2度に分けて収録して置くことにしました。
写真は、真砂さんが愛育しておられるブラジルの国花イッペーとジャカランダーの苗を手にした写真を送って呉れました。


「おいやんの熊野便り」(21)
熊野から捕鯨問題を吠える
 私の小学生時代だから、昭和もまだ20年代の頃であろうか。当時住んでいた田辺の今福町に、毎朝小さな手押しの箱車に魚を入れて売りにくる行商のおばさんがいた。「カツオろうれんすらあ(カツオはいかがですか)」、「今日はサイラ(サンマ)が安いよ」と家々に声をかけながら車を押して町内に歩いて来る。江川漁港でとれたての魚を仕入れて売り歩く、古くから田辺の風物となっている魚の行商である。注文がはいると軒先に車を寄せて、年季のはいった分厚い包丁で魚をさばいてくれる。同じ田辺の磯間漁港のおばさんたちは、手押し車のかわりに籠に魚を入れて担いで売り歩いていたようである。それぞれ決まった地域をもっていて、町内のお得意さんとの世間話の相手ともなっていた。夫たちが獲った魚を売り歩くのは、漁師に嫁いだ女たちの仕事であったのであろう。おばさんたちは手押し車に番傘をさしかけて、雨の日も元気にやって来た。
 その行商のおばさんから母親がよく鯨肉を買っていた。戦後日本の食糧難解決策のひとつとして、進駐軍が日本の南氷洋捕鯨を後押ししていた頃のことである。江川のおばさんたちの箱車の中にはたっぷり鯨の肉も用意されていた。目玉焼きがごちそうで、牛肉や豚肉などめったに口にできなかった時代だ。鯨の肉は安くて栄養価の高いうってつけの蛋白食品であった。牛肉のステーキもこんな味がするに違いないと想像しながら、すいぶん鯨肉におなかを満たしてもらったものだ。鯨肉の照り焼きはあの当時の私にとって、なくてはならないおかずであったような気がする。
 高校卒業後、東京に出た私はまた鯨の世話になる。JR新宿駅・西口の線路沿いに、終戦直後のバラック群を思わせる、小さな飲み屋や安食堂が密集している一画があった。夜になると労務者風の男たちが古ぼけた狭いあばら家に群がって、焼き鳥と称して実は豚の臓物を焼いた串にかぶりつきながら焼酎をあおっていた。あたり一帯には昼間でもすえた臭いがただよっていた。学生の仲間内では、この一画を「しょんべん横丁」と呼んでいた。そのしょんべん横丁の中に、鯨のカツを売りものにしている食堂があった。鯨カツ定食を注文すると、どんぶりにやまもりの飯のうえにわらじのような大きな鯨のカツが乗って、それにタクアンと味噌汁がついた。学生食堂並みの安い値段だった。江川の行商おばさんの頃からみれば、日本の食糧事情は格段に良くなっていたが、それでも下宿暮らしの貧乏学生にとって、安い値段で腹いっぱい食べられる鯨カツは魅力満点である。地方出の世間知らずの学生には、怒声が飛び交う夜のあの路地裏で焼酎をあおる度胸はなかったが、昼間新宿にくりだした時の食事は横丁の鯨カツと決めていた。店はいつも客でいっぱいだった。東京オリンピックが近づいていた、昭和30年代も終わりの頃のことである。
 社会人になってからも鯨肉とのつきあいが切れたわけではない。ただ、高度経済成長とともに飽食の時代を迎えて、鯨肉の存在感がずいぶん希薄になり、つきあいの中身も変わった。鯨肉はカツや照り焼きなどといった若い頃の主食の座から離れて、さらし鯨の酢味噌和えや鯨ベーコンなどを、酒の肴として楽しむようになった。なかなか美味で、酒の相棒としてこちらにもずいぶんお世話になった。しかし、いつの頃からだろうか、さらし鯨なども値段がせりあがってしまって、おいそれと口にできなくなってきた。その時分にはもう鯨がなくても食べ物はなんでもあふれかえっていたから、いつしか鯨肉は私のメニューから外れていった。それでも、ふとした機会に鯨肉の味を思い出して、東京でも数少なくなった、渋谷にある鯨肉専門店を訪ねたことがあるが、その値段をみて暖簾をくぐる勇気がでなかった。鯨はとうとう私の前から逃げていってしまった。

 こうして私と鯨肉とは縁が遠くなってしまった昨今だが、その鯨をめぐって世界は長年にわたって終わりのない激戦をくりひろげている。国際捕鯨委員会(IWC)を舞台に、捕鯨国と反捕鯨国が四つに組んで熾烈な外交戦が展開されているのだ。伝統的な捕鯨国である日本をはじめ、ノルウェー、アイスランド、ロシア、デンマーク、韓国、それにカリブ海諸国などが捕鯨容認派。これに対して、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、オランダ、ドイツ、スペイン、スイス、アイルランド、ラテンアメリカ諸国などが捕鯨に反対している。ラテンアメリカ諸国やスペイン、スイスなどは捕鯨反対ながら穏健派であるが、アングロサクソン諸国(アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)とオランダが強硬な反捕鯨派で、捕鯨禁止運動の中核となっている。
 反捕鯨の先頭にたっているのは公的な外交団だけではない。国際捕鯨委員会(IWC)という、国際条約に基づいた公式の土俵の外で、環境保全活動を標榜するいくつかのNPOが捕鯨禁止を扇動する強力な院外団となって、捕鯨反対派の強力な助っ人を演じている。なかでも、その過激な攻撃と世界的な広がりを持つ影響力の点で名をはせているのが「グリーンピース」と「シーシェパード」であることは周知のとおりだ。
彼らが攻撃の標的と定めているのは日本の南氷洋調査捕鯨。日本の捕鯨船が鯨に銛を打ち込めないよう妨害するために、シーシェパード(本拠・アメリカ)の新鋭高速船が捕鯨船の進路を阻み、衝突するという派手なパフォーマンスが新年早々のトップニュースをかざったのは記憶に新しい。「エコ・テロ」などとソフトな言い方をするむきもあるが、シーシェパードは「エコ」に名を借りたれっきとしたテロ集団である。キャッチャーボートに体当たりをしてくるなどは序の口で、捕鯨船にむかってレーザーや化学薬品をつかった銃で人身攻撃をしかけてくることもまれではない。
当然、こうしたテロ活動には巨額の軍資金がいる。ハリウッドの富豪がスポンサーの一人になっていると報じられている。オーストラリアの一部の有力な政治家もこれらの反捕鯨テロ活動を裏から支援していると伝えられており、シドニーはシーシェパードのテロ攻撃のための高速船の母港となっている。彼らのテロ攻撃を支えるスポンサーたちの狙いはいったいなんなのか。そもそも日本の調査捕鯨はIWC科学委員会の承認を得た、鯨資源の科学的な調査活動だ。その日本の捕鯨活動に、執拗に非合法な武力攻撃をかけてくるというのは、ただ単に環境保護が本当の目的なのか。捕鯨活動をゆさぶることによって、マグロ等他の漁業活動からも日本を徐々に締め出し、「公海」での日本漁業活動の息の根をとめて、日本が魚のかわりに肉や飼料をもっと買うよう誘導するための、遠大な「日本囲い込み戦略」がかくされているのか。漁業が破綻すれば、食料自給がおぼつかない日本は、肉や穀物や飼料の供給を受けるために、アメリカやオーストラリアにいっそう従属するほかなくなる。シーシェパードのテロ活動を規制するよう求める度重なる日本政府の要請を、アメリカ政府もオーストラリア政府も平然と聞き流しているのは、捕鯨に反対しているという理由からだけなのか。シーシェパードの後ろに居る黒幕たちの本当の狙いはつかみにくい。
 一方、オランダに本拠を置くグリーンピースは、穏健で合法的な団体であることを強調するために、シーシェパードのテロ活動とは相容れないと懸命に言い訳をしているが、これとても法を尊重するフェアーな団体とは言い難い。IWCの会議場の正面で、「鯨を殺す野蛮人」と叫びながら、「日の丸」を焼き足でふみつけるという日本国にたいする侮辱行為におよんだのは一度や二度ではない。もっと陰湿で卑劣な手も使う。日本人はシロナガス鯨を殺してペットフードや口紅を作っているなどいう話をでっちあげて反日世論を扇動したり、捕鯨砲のわきで反っ歯をむきだした日本人がニヤッと笑っている偽写真を使って日本人は残忍だということを声高に教宣したりと、ありとあらゆる事実無根の攻撃材料を捏造して、「日本人は鯨を殺す野蛮人」というイメージ作りに血道をあげている。
さらに厄介なのは、カナダやオーストラリアの一部の小学校や中学校で、「鯨を殺すのは野蛮人」という、人種偏見もからんだ反日キャンペーンともとれる公教育を行っていることである。果たしてその教室では、日本には国が形成されるずっと以前、縄文の時代から鯨肉を食べる食文化があって、鯨を神からの恵みとあがめて、沿岸にやってくる鯨資源を大事にしながら、鯨肉を貴重な蛋白源としてきた日本固有の伝統があること、そして現在の日本の南氷洋と北西太平洋での調査捕鯨は、今後持続可能な捕鯨活動が可能か否かを科学的に調査・分析することを目的として、IWC科学委員会から正式に託された国際規範にのっとった活動であることを、きちんと教えているのだろうか。
更には、かつて18世紀から19世紀にかけて、油をとるために大西洋の鯨を捕りつくしたのはイギリスやオランダをはじめとする西欧諸国であり、太平洋の鯨を絶滅に追い込んだのもアメリカとイギリスの鯨工船なのであって、脂肪のある腹だけを削ぎ取った後、残った鯨の死体を海に投げ捨てるという野蛮極まりない鯨狩りで荒らしまわったのは欧米諸国であったという歴史的事実を、子供たちにきちんと教えているのだろうか。米英やオランダをはじめとする西欧諸国が、大西洋と太平洋の鯨資源を根こそぎ狩りとったために、20世紀にはとうとう鯨を追って南氷洋まで乗り出さざるを得なくなり、欧米諸国を先頭に今度は南氷洋での乱獲がはじまった。鯨を大事な食料資源としていた日本は、欧米の後から追っかけて南氷洋での捕鯨戦争に参加することになった。その後欧米諸国が捕鯨から手を引いたが、それは安い石油がいきわたったため鯨油の需要が激減して、捕鯨に商売としてのうまみがなくなったからだ。彼らにとって、鯨は絶滅が危惧される野生動物どころか、ただ単に脂をとるための「原料」にすぎなかったのだ。一方、日本にとって鯨は食べるためのものであって、深刻な食糧問題の解決のために、戦後しばらくして欧米がひきあげた後も、南氷洋に残って捕鯨を続けていたのだ。それも戦後日本が南氷洋捕鯨に復帰できたのは、他ならぬ進駐軍の後押しがあったからなのである。日本にはアメリカやオーストラリアのように、牛を育てたり穀物を栽培するための広い土地がないから、鯨は貴重な蛋白源であったのだ。そんな事実を子供たちは知らされているのだろうか。
ところが、それまで先頭に立って鯨を追い回していた欧米諸国は、捕鯨から手をひくや態度を一変、「鯨は絶滅の危惧がある野生動物だから、一切の捕鯨をやめよう」と声高に叫びだした。そしてついに彼ら捕鯨反対派は、海を持たず鯨など知りもしない多くの国をIWCに加盟させるという多数派工作を弄して、1982年「商業捕鯨モラトリアム」を成立させ、主だった13種の鯨の捕獲を禁じてしまった。かつて鯨資源を絶滅の危機に追い込んだ「A級戦犯」であるアングロサクソン諸国やオランダが、日本の捕鯨活動をつぶすために、正面から立ちはだかってきたのである。まさにこの時点から日本の孤独な戦いが始まった。

資源の浪費は論外だが、うまく管理することで持続可能な捕鯨活動が可能なのか否か、その為の鯨の科学的な動態調査を行おう、というのが日本の言い分である。ところが、捕鯨問題は今や「資源がある、ない」という科学的な論議だけでは折り合いがつかない「文化のせめぎあい」、あるいは「価値観の衝突」の要素までもが加わった、複雑でやっかいな様相をみせている。その裏には根強い反日感情もうかがえる。そんな状況下で、日本は捕鯨活動を守るために、どこで折り合いをつけられるのか。ひとつはっきりしていることは、「鯨を殺したり食べたりするのは野蛮」という考え方に屈して捕鯨を止めることはできないということだ。日本の古式捕鯨発祥の地であり、戦前戦後の南氷洋を舞台にした国際捕鯨オリンピックの時代には日本のキャッチャーボートの砲手の80%を送り出して日本に貴重な食料をもたらし、今も細々と小型鯨の漁を続けている熊野という土地に生まれた人間として、これは受けられない。身勝手な他人の価値観で、自分たちの伝統産業や固有の文化が抹殺されるのは困るのである。ではどうするのか。
少し過去を振り返ってみよう。日本は1987年、IWCが決めた「商業捕鯨」の禁止を受け入れた。その見返りに「調査捕鯨」を認めさせた。その調査捕鯨が反対派の攻撃目標となっているのは、調査のためとはいえ日本だけが南氷洋や北西太平洋の「公海」で、なかでもIWCが「鯨類の永久保護区(サンクチュアリー)」に指定した区域で今も鯨を獲り続けていることにある。
そこに至った経緯を知るために、IWCをめぐる戦後の大まかな流れをみてみよう。(IWC設立までの歴史は非常に重要であるが、ここではIWC設立以前の出来事は省略する)

1946年、国際捕鯨取締条約に基づき、鯨資源回復のための捕獲規制を目的としてIWC
(国際捕鯨委員会)設立。
1951年、日本がIWCに加盟。南氷洋を舞台に各国による激しい捕鯨競争(捕鯨オリンピック)が続く。 
1962年、資源の乱獲に危惧をいだいたIWCは国別割当制を実施。
1963年、IWCは南氷洋でのザトウ鯨の捕獲を禁止。(イギリスが捕鯨から撤退)
1964年、IWCは南氷洋でのシロナガス鯨の捕獲を禁止。
1972年、国連人間環境会議でアメリカ提案の「商業捕鯨の10年間のモラトリアム」を採択。しかしIWCはこれに従わず、捕獲枠の削減にとどめる。
1976年、IWCは南氷洋でのナガス鯨の捕獲を禁止。
1978年、IWCは南氷洋でのイワシ鯨の捕獲を禁止。
1982年、IWCは「商業捕鯨の一時中止(モラトリアム)」を採択、1985年以降シロナガス・ナガス・ホッキョク・セミ・イワシ・ザトウそれにミンクなどのひげ鯨と、マッコウ鯨などの歯鯨を加えた13種を保護の対象として捕獲を禁じる。
      日本はこの採択に「異議申し立て」を行い、商業捕鯨を継続。
1987年、日本はアメリカの仲裁案を受け入れて商業捕鯨を中止。かわりに国際捕鯨取締条約第8条が定める「科学的調査を目的とする南氷洋での調査捕鯨」を開始。
1988年、日本はミンク鯨とマッコウ鯨の沿岸捕鯨を中止。
1993年、ノルウェーが商業捕鯨(沿岸)を再開。
1994年、IWCは南太平洋(南氷洋)を「鯨サンクチュアリー(鯨類保護区)」に指定、
      南氷洋での商業捕鯨が永久に禁止される!!
日本は北西太平洋でのミンク鯨の調査捕鯨を開始。
2000年、日本はミンク鯨にニタリ鯨とマッコウ鯨を追加して、北西太平洋での第2期調査捕鯨を開始。
2002年、日本は更に北西太平洋での調査捕鯨にイワシ鯨を追加。
2005年、日本は新たにクロミンク鯨とナガス鯨を対象として第2期南氷洋調査捕鯨を開始。
2006年、アイスランドが商業捕鯨(沿岸)を再開。
2007年、IWC内の対立で調査捕鯨の拡大が思うにまかせず、業を煮やした日本は「IWC脱退」をちらつかせ始める。
2009年、日本の捕鯨活動に一定の理解をもっているIWCホガース議長(アメリカ)
      が、「日本には近海での限定的な沿岸捕鯨を認めるかわりに、南氷洋での調査捕鯨を段階的に廃止し、捕獲頭数も減らす」という打開案を提示したが、日本は調査捕鯨の廃止に反対する立場を崩さず、かわりに捕獲数の削減で合意を目指そうとしたが、反捕鯨派が受け入れず、振り出しに戻った。
      一方、アメリカ・オバマ氏が大統領選挙前に受けたグリーンピースの公開質問状に対して、「貴重な野生動物を保護する観点から、日本のような調査捕鯨を容認し続けることは許されない」と回答、アメリカがいっそう反捕鯨の態度を強めるとみられており、日本の調査捕鯨継続は決定的に厳しい状況となる。
2010年、調査捕鯨を続ける(あるいは商業捕鯨を再開する)ために、日本はIWC脱   
       退を強行するのか?(大戦前の「いつか来た道」をたどるのか?)
       あるいは、沿岸捕鯨を守るために、調査捕鯨を断念するのか?
       はたまた調査捕鯨も沿岸捕鯨も認められず、日本から捕鯨が消えていくことになるのか?

以上がIWCが設立されて以後の流れであるが、現在「公海」(南氷洋や北西太平洋)で捕鯨を継続しているのは日本ただ一国である。鯨資源の動態調査のために必要だという理由で、IWCが「鯨類永久保護区(サンクチュアリー)」に指定している南氷洋や北西太平洋で,合わせて年間1200頭をこす鯨を捕っている。調査というにはかなりな頭数である。しかも年々捕獲頭数も対象鯨種も増やしている。これが日本への強い不信感をつのらせている原因となっている。日本は追い詰められている。ちなみに、ノルウェーやアイスランドは限定的な商業捕鯨を行っているが、沿岸での活動にとどめている。

では、日本はどうして「公海での調査捕鯨」にこだわるのだろうか。日本がこれまで行った調査では、南氷洋においても小型のミンク鯨の頭数は76万頭を超えており(世界全体では100万頭以上)、秩序だった捕獲を行えばミンク鯨は充分商業捕鯨に耐えられるとふんでいるからだ。さらに大型のナガス鯨なども資源は回復しており、健全資源の領域にあるとしている。そうした資源状況をより詳しく把握するために、動態調査の継続と調査対象鯨種の拡大が必要であるというのが日本の言い分である。つまり、日本の調査捕鯨の最終的な狙いは、ミンク鯨やナガス鯨の商業捕鯨の再開に持ち込むことにあるようだ。「鯨は絶滅危惧種の貴重な野生動物」とする反捕鯨派は、「公海上で商業捕鯨を再開する」という日本のもくろみに真っ向から反対、対日攻撃をますます強めている。
もうひとつの対日不信感の原因となっているのが、調査のために獲った鯨の肉や内臓を日本に持ち帰って、販売していること。解剖調査を終えた後、鯨肉や内臓を食用として利用することをIWC科学委員会が認めていることから、日本の調査船は鯨肉を持ち帰って、日本国内で販売してその金を調査費用に当てている。こうした営利活動にたいして反捕鯨派は、調査捕鯨は鯨肉の販売が目的ではないのか、調査に名をかりた「偽装商業捕鯨」だと強く非難している。
これまで先発の欧米諸国がとってきた身勝手さは忘れるわけにはいかないとしても、確かに日本のやり方にも問題がある。日本の南氷洋調査捕鯨は当初は小型のミンク鯨だけが捕獲の対象であったが、徐々に大型のナガス鯨まで拡大し、北西太平洋ではミンクの他にニタリ鯨、イワシ鯨、マッコウ鯨にまで手を広げている。調査捕獲の対象をさみだれ式に拡大して、今では全種あわせて年間1200頭をこす鯨を捕っている。調査というには大規模なものといわざるをえず、反対派が「偽装商業捕鯨」の疑いを持つのも故なしとしないのである。
 では調査捕鯨は誰が行っているのか。捕鯨活動を統括しているのは水産庁捕鯨班。その水産庁の委託を受けて調査活動をしているのが、財団法人日本鯨類研究所。同研究所が共同船舶(株)から捕鯨船と乗組員をリースして、1987年以後南氷洋と北西太平洋で捕鯨活動に従事している。毎年国庫から年間10億円ほどが鯨類研究所に支給され、そのうち5億円が調査のための補助とされている。南氷洋と北西太平洋での調査費用を合わせて年間60億円ほどかかるといわれているが、その90%ほどが持ち帰った鯨肉の販売でカバーされているようである。政府の補助金を加えて、ほぼ収支トントンというところか。
ところで、実際の捕鯨・解体・運搬の現場を担っている共同船舶(株)は、捕鯨の経験と技術を持っている水産大手のニッスイと極洋の二社による合弁会社である。かつて南氷洋の捕鯨オリンピックでニッスイと極洋とともに名をはせたもうひとつの大手、マルハはすでに捕鯨から撤退した。営業的にうまみのない調査捕鯨に顔を出して、世界の非難を浴びることを恐れたためとされている。つまり、今の調査捕鯨は企業イメージに傷をつけるだけで、とうていペイする事業ではないために、大手水産会社は撤退済みなのである。まさにこの点が日本の調査捕鯨の特殊性と限界を示している。大向こうの猛反対を押し切って、「公海」でひとり鯨を捕りつづけているのは、民間企業ではなく、実は水産庁傘下の(財)日本鯨研究所という「官」なのである。ニッスイと極洋は雇われにすぎない。民間企業が逃げ出した事業にもかかわらず、政府の補助金をもらって、しゃにむに活動を続けているとすれば、なにやら「政」と「官」がつるんだ「権益擁護のためのプロジェクト」の臭いがする、というのは言い過ぎか。ともかく、かんじん要の民間企業が逃げ出した国家的事業というのは自然ではない。日本は社会主義国ではないのである。そしてこの「官営事業」が捕獲頭数を拡大するにつれて、反捕鯨諸国の不信感をますます増幅させているのだ。それがひいては、今なお細々と日本の沿岸捕鯨を守っている、和歌山県・太地や宮城県・石巻(鮎川)などの漁師たちを、逆に追い詰めることになっているのではないか。熊野人はそのことを危惧するのである。



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