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『仕事の歌』に関する回答を頂きました。中平マリコさんからのお便りです。
『私たちの40年!!』メーリングリストで『仕事の歌』が話題になり色々皆でコメントし合いましたが、その中での疑問点に付き中平マリコさんが伝手を便りロシア語の専門家近藤俊介さんの回答を入手して呉れました。仕事の歌は、ヴォルガ河の船曳人夫の唄と言われているそうで良くロシアで歌われる民謡だそうです。ロシア語の原語、英語訳も教えて呉れています。
写真は、近藤俊介さんが回答文と共に添付して下さったロシアの画家レーピン作「ヴォルガ河の船曳人夫」(1870-73)をお借りしました。


和田好司さま 
大変、大変、遅くなりました。
昨年暮れ(12月8日)に、頂戴しておりました『仕事の歌』へのお尋ねについてのお返事がいつものことながら(いえ、恥ずかしながら.....)遅くなってしまいました。
言い訳になってしまいますが、このメールを送信出来ます本日まで、片時も『仕事の歌』のことを忘れたことはありませんでした。
しかし、ご存知の通り、交通事故、肩の手術と自分のことに追われ、ゆっくりと『仕事の歌』に触れる余裕がなく、自分なりに調べたり、答えを見つけることが出来ませんでした。
ロシア民謡の「カチューシャ」や「トロイカ」「ともしび」等は
カラオケで歌った事はありますが、『仕事の歌』は知りませんでした。
この度、初めて知ることとなり、恵子奥様にお尋ねいただいたことが、とても嬉しかったです。それなのに、こんなに遅くなってしまい、
ただただ申し訳ない気持ちで一杯です。
伊豆山様、夏木様、内田様のML内での意見交換をされている時、もっと『仕事の歌』のことを知りたくて、若輩者ですが、本当は仲間入りさせていただきたかったです。
でも、心と頭に余裕がないと言うのは悲しいもので、何も書けませんでした。恵子奥様にも何もお答え出来ず、『ごめんなさい』も申し上げないままとなってしまいました。
ここ数日、やっと左肩のリハビリのコツをつかみ、また、白内障の手術を受けた左目も落ち着き、心と頭に余裕が出来た様です。
早速、私なりにインターネットで調べメロディーを聴きました。
初めて聴くメロディーでしたが、何か懐かしい感じがしてすぐに耳慣れました。DAMのカラオケでも聴いてみました。
こちらはダークダックスのヴァジョンでしたが、後半のかけ声の所に独特の間の取り方がある様で、インターネットのものと随分異なりました。印象はとても暗い感じを受けました。
さらに知りたくなった私は、契約社員だった電通時代から26年、家族付き合いをさせていただいる細谷様(元NTT役員)が、歌声喫茶「ともしび」のお話しをされていたことを思い出し、和田様(恵子奥様)からの質問と夏木様の抱かれた疑問をお借りして、『仕事の歌』について質問してみました。

そうしましたら、
下記の様な流れ(細谷様と近藤様やり取り)で調べ、本日、回答を下さいました。 とても充実した回答に感動。
一つの歌についての奥深きものを学ぶことが出来ました。
和田様はじめ恵子奥様、伊豆山様、夏木様、内田様のおかげで、あらためて、一つの歌を掘り下げることが出来ました。
歌の選曲をするたびに、その曲のことを理解しようと努めては来ましたが、今回のことで、今までの歌も、これからの歌も、ますます、しっかりと学びたいと思いました。本当にありがとうございます。
今回の『仕事の歌』は、細谷様のメールにありますように、細谷様と近藤様、細谷様とマリコのメールのやり取りを「そのまま」を転送させていただきたいと思います。
大変長いメールとなりますが、読み進んでいただけましたら幸いに存じます。
なお、メールの送受信と言う経緯から(3)→(2)→(1)と
お話しの順番が下からとなりますこともお許し下さいませ。
さらにロシア民謡についての質問や不明な点がありましたら、細谷様経由で、再度、質問をして下さるそうです。「何かありましたらお尋ね下さい」とのことでした。
本当に、本当に遅くなってしまいごめんなさい。
中平マリコ

【(3)ー細谷様⇒マリコ】
From: "shosoya" <shosoya@beige.ocn.ne.jp>
Date: 2010年3月24日 13:22:18:JST
To: 中平マリコ様 <donamari@circus.ocn.ne.jp>
Subject: FW: 唄に関するご回答

マリコ様
素晴らしい回答を得たのでお送りします。
近藤俊介さんという方は、私の友人の子息で、以前、ソ連・ハバロフスクの日本大使館に勤務し、現在キエフの大使館に勤務している方です。
この短期間に、原詞(ロシア語)、英訳、邦訳、さらに画像まで集めてくれて、懇切な解説をしてくれています。
ご質問者の疑問に完璧に答えてくれているレポートだと思います。
私も勉強になりました。これは、私の余分な言葉などはさまずに、直接ご質問者に転送されるのが一番良いと思います。
きっとご満足、お喜びいただけると確信しております。
22.3.24
細谷


【(2)ー近藤様⇒細谷様】
-----Original Message-----
From: bazarov@
Sent: Tuesday, March 23, 2010 9:48 PM
To: shosoya@beige.ocn.ne.jp
Subject: 唄に関するご回答

細谷様
ご無沙汰しております。ご連絡ありがとうございます。唄に関するご質問への回答を添付いたします。
これで答えになっておりますでしょうか。まだ足りない点がありましたらご指摘ください。
ご質問された方のご興味、ご関心が満たされ、あるいはさらにかき立てられることを!祈っております。

【船曳人夫の唄】に付いての質問と回答。近藤俊介

【ご質問】
ロシア民謡の仕事の歌の2番の歌詞についての質問です。
♪イギリス人は利巧だから水や火など使う
ロシア人は歌をうたい自らなぐさめる♪
(1)これは原曲に忠実な訳なのでしょうか?

【回答】
 この唄は16〜20世紀のロシア帝国で、船曳人夫の唄として19世紀ごろまでに非常に良く知られた民謡となったようです。歌詞は数種類あり、原文ロシア語のバリエーションは以下のサイトで確認することができます。イギリス人に関する言及はあるものとないものがあり、恐らく伝承の過程で一部が省略されたり追加されたりして、さまざまな形に変化したのでしょう。
サイト名:地下活動アナーキストの唄
ПЕСЕННИК АНАРХИСТА-ПОДПОЛЬЩИКА
www.a-pesni.golosa.info/starrev/dubinuchka.htm">http://www.a-pesni.golosa.info/starrev/dubinuchka.htm
 このうちの1つ、ワシーリー・ボグダーノフによる歌詞の原文は以下の通りです。

Англичанин-хитрец, чтоб работе помочь,
Вымышлял за машиной машину;
Ухитрились и мы: чуть пришлося невмочь,
Вспоминаем родную дубину:
«Ухни, дубинушка, ухни!
Ухни, березова, ухни!
Ух!..»

 これを日本語に訳すと以下の通りになります。
イギリス人は賢い、仕事で楽をするために
次々と機械を発明した。
われわれだって負けていない。仕事が大変な
時には、愛しい棍棒を思い出すのだ。
「えんや、こーら、棍棒や!
こんや、こーら、白樺(の棍棒)や!」

 同じくこの歌詞をもとに英訳したものが以下のページにもありました。
The Song Of The Balalaika
www.kaikracht.de/balalaika/english/songs/dubi_not.htm">http://www.kaikracht.de/balalaika/english/songs/dubi_not.htm

The Englishman is cute:
To make the work easier
he invented machine by machine.
But our poor Russian peasant,
when his work gets too hard,
still sings the song of the cudgel:

 「水」という言葉はどこにも出てこないので、これは誤訳かと思います。
 ここでいう船曳人夫は主に貧しい農民からなる季節労働者で、夏場にのみヴォルガ河やキエフを流れるドニエプル河で、下流から上流へと船を引き上げる重労働に従事していました。当時の絵画や写真を見てもかなり粗末な身なりをした農民風の人々が、監視されながら作業にあたっているのがわかります。恐らく働きが悪いと白樺の棍棒で殴られたりしていたのでしょう。
 数ある歌詞の中には「鎖の音が響く」という部分が含まれているものもあり、これは恐らくシベリアに流刑になった囚人が足かせをはめられたまま舟を曳く懲役に服していたことを暗示しているものと思われます。演奏曲の中でも鎖の音が効果音として入っているものもあります。

【ご質問】
(2)もしそうとすれば、現在でもロシアでこんな歌が歌われているのでしょうか?

【回答】
 ロシア民謡はロシア帝国時代のものがソ連時代、ソ連崩壊後を通して歌われています。ただ若い人は歴史的背景知識がなくてあまり意味がわからず、興味も沸かないかもしれません。
 かえってロシアの民謡は日本などの国外で、郷愁をもって歌われて続けているような気がします。日本の文学や文化はロシア革命を逃れた白系亡命ロシア知識人の影響を大いに受けていますから。

【ご質問】
(3)誇り高い 現代のロシア人がこんな歌詞の歌を歌うのでしょうか?

【回答】
 この唄を知っている年配のロシア人なら、一杯気分の時などには歌い出すかもしれません。でも憂鬱な歌詞とメロディーなので宴会向けではないような気もします。
 ロシア人が誇り高いかというと、一概にはそうともいえません。対独戦に勝利し、スターリン時代の栄光が忘れられない軍人は「誇り高い」といえるでしょう。ソ連崩壊とこれに続く貧困という屈辱を味わった人々は、ロシアが再び大国として世界から恐れられ、尊敬されることを望んでいます。
 他方、19世紀ロシア文学を読んでもわかるとおり、一般的ロシア人は欧州貴族のように虚栄心に固まって気取ることなく、人間の浅ましさや愚かしさを恥ずかしげもなく晒しそれを笑い飛ばすようなところがあり、日本人にとって非常に親しみやすい存在です。

【ご質問】
(4)この歌はまさしく労働歌=組合の歌?だと思いますが、何故、2番になってイギリス人とロシア人との比較がでてきたのでしょうか?
*憶測ですが、改作されて革命歌として歌われてきたのでしょうか?

【回答】
 この部分では、イギリスは18〜19世紀の産業革命で蒸気船を発明して楽をしているのに、遅れているロシアでは船曳人夫が棍棒で何度も殴られながら舟を引いていることを、皮肉たっぷりに比較しているのと思います。ただあくまでも揶揄なので、正面からの体制批判ではなく、諦めを含んだ、やや斜に構えた批判です。しかしこのような体制への不満が積もりに積もって、20世紀にロシア革命という爆発的大衆運動の原動力になったのでしょう。
 この唄が「革命歌」と位置づけられているのは確かです。ただ唄の舞台となっているのはロシア革命前の16〜20世紀なので、帝政前からあった歌が、革命後に帝政を否定するイデオロギーとして利用されたに過ぎません。
 ソ連時代にこの唄が共産主義イデオロギーとして積極的に宣伝されたかというと、そうでもなさそうです。ご存知の通り、スターリン時代には多くの無実の人がシベリアに流刑になり、懲役としてシベリア開発にあたりました。日本人抑留者その被害者の一部です。革命後にも、革命前と同様の人権を蹂躙する労働者搾取のような事業が大々的に行っていたので、ソ連としてはこの矛盾にはあまり触れられたくなかったのでしょう。

【ご質問】
(5)革命歌としても歌詞があるそうですが、ご存知だったら教えて欲しいのです。
*帝政ロシアの圧制下、自由にならない言論を潜めた、或いは比喩した?それを訳した??
訳するときに労働歌と革命歌が混じった???
・・・脈絡のない発想でしょうか?

【回答】
 この唄そのものが「革命歌」と位置づけられていたのは、上記事情によるものと思われます。

(関連コメント集)
マリコ さま
今回は文字化けは起こしておりません。
写真の件、添付のWORDの原稿の次ページに確かに写真が3枚添付されていました。JPGの画像として取り込みました。
週末に寄稿集に収録する手続きをします。
有難うございます。

和田好司さま
お早うございます。
訪日準備や、お嬢様のご結婚準備のお忙しい中、本当にいろいろありがとうございます。
文字化けもなく、WORDの写真の方も大丈夫とお知らせいただき、ホッと、一安心しています。 ありがとうございます。
文字化けの件は、丸木様にもご心配いただき、アドバイスしていただきました。嬉しかったです。
和田さんが管理される「私たちの40年!!」のおかげで、私の中に新しい人生のページがたくさん誕生しています。 本当に幸せです。ありがとうございます。
訪日に向け、これからますますお忙しいと存じます。
どうか、お身体をご自愛下さいネ。
私は、本日の夕方、右目の白内障手術を受けます。
これで一応のメンテナンスは終わりそうです。
後はすべて自分の努力次第となります。
ウ〜〜〜ンと、頑張ります!!!
中平マリコ






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