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第21回バーチアル座談会 『新春放談 行く年、来る年 2010/2011!!』を開催します。(その4=番外編)
『新春放談 行く年、来る年 2010/2011!!』の(その4=番外編)を設けました。相川知子さんのアルゼンチンのクリスマスの状況を詳細に記述しているBLOGからの転載とボリビアの三浦さんとの激動のボリビアの経済政策に付いての交信、大分の桐井加米彦さんのお便り、藤木亘さんのお便りといずれもBLOGに掲載分を番外編として収録して置くことにしました。
『私たちの40年!!』は、これらの皆さんからのお便りが多くBLOGにも使用させて頂いています。写真は、ブエノスの中心地、世界1道幅の広い大通り7月9日通りにあるブエノスアイレスのシンボルであるオベリスクのクリスマスのライトアップを背景に撮った知子さんのお嬢さんお二人の写真を使わせて頂きました。


(番外編)
相川知子:ブエノスアイレスのクリスマスの様子を書いておきました。二枚目の写真はうちの大きくなった娘たちです。(9歳と8歳です)
http://blog.http://blog.livedoor.jp/tomokoar/archives/51730521.html

12月25日がNAVIDADクリスマス 12月25日はクリスマス、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは中心のシンボル オベリスコがライトアップされ綺麗です。アルゼンチンでは12月24日=クリスマスイブNOCHEBUENA(ノチェブエナ)それぞれの家庭で、夜8時に集合といって、結局メンバーがそろうのは9時ごろ、さらに最初におつまみなどが出てきて、ディナーが始まるのはだいたい10時ごろになります。
暑いクリスマスなため、基本的に熱すぎるものはあまり食べません。それに主婦も祝いに参加するので、事前に用意できるものが中心です 主なメニューはビテルトネ(肉のスライスにマヨネーズにツナベースの味のソース)、アロジャド デ プリマベラ(カステラ記事にハムやチーズ、レタスを海苔巻き的にまいた甘くて塩味ロールケーキ)、レチョン(子豚をスパイスで味付けした丸焼きを冷たくしたもの)、エンサラダ ルサ(基本ポテトサラダ、ポテト、にんじん、ゆで卵)、メロン コン ハモン(メロンに生ハム)などが前菜(ENTRADA)ですが。
その後、メインディッシュはチキン、ターキー、ステーキ系など各種バリエーションがあります(でも最近牛肉は高いので基本、チキンをオーブンで焼いたものポジョ アル オルノが今年は人気、牛肉も海苔巻き上に詰め物をしたものを焼いておいて切り分けるだけなどで用意しておきます)こちらトラベルコチャンアルゼンチンにも記事、写真を掲載中
なお、この記事の続きは次からどうぞ。
そして重要なのはクリスマスのお菓子です。果物などがなく、伝統的に保存食を食べる冬のクリスマスを祝うヨーロッパの習慣が来ているのでアルゼンチンのこの時期の暑さとは不似合いですが、クリスマスケーキならずPAN DULCEパン ドゥルセというパネトーネ的なドライフルーツを入れたバン?ケーキは定番ですし、BUDINブディンというパウンドケーキも用意します、最近はドライフルーツなしSIN FRUTASも多く出るようになりました。コストも抑えられますしね。。。他に、ナッツ類です。ガラピニャダと呼ばれるピーナッツの甘く炒ったもの(道端によく売っていますが)チョコレートコーティング、クリスマスらしくカラフルなコンフィーテなど、この言葉は日本の金平糖の起源らしいですね。 
飲み物はシャンパン、シードル(シドラ)、フルーツフィズなどです。12時でクリスマスNAVIDADナビダッになった瞬間に乾杯し、キスや抱擁をし花火を打ち上げます。
 家庭では御節料理的に数日前から、親戚の女性達がそれぞれ何を用意するか、オーガナイズする家族もあるし、自然に持ち寄りしてディナー料理がそろう場合もあります10人程度のことなら一人で料理できますが、普通20人ぐらい集まり、またはブエノスアイレス市内ならこの時期ブエノスアイレス州の田舎に帰省して実家で30人以上でパーティも普通です。
最近はお手軽にレストラン派も増えてきました。またROTICERIAロティセリアやスーパーでも出来合いの料理を売っていますので、コンビネーションしてテーブルセッティングすることもあいます。また、地方からバケーションでブエノスアイレス市内にやってきてレストランやウイークリーマンションで過ごす家族もいます。
 レストランは事前に予約が必要です。ただ、当地は結構融通が利きますから、ほんの二人なら直前でもまだ受付可能の場所もあるかもしれません。
また、タクシーはほぼ予約制か台数が減ります。バスもぐっと減りますので、帰りの足も確保する必要がありますので、旅行者の方はホテル近くの周辺で、また滞在中の方で車がない場合、また飲酒するのでしたら、家の近くディナーをしているレストランから歩いて帰れる探した方が便利です。パレルモの住宅街、サンタフェ大通周辺、それからタンゴディナーショーなどでクリスマス、それからこれからの新年を迎えるディナーを提供しています。
もしくは こちらのお友達がいれば、過ごすところがないんだけれども、どうしたらいいでしょうと言えば、必ずどこかに招待してくれるでしょう。ずうずうしい?そういう観念はあまり持たない方がいいでしょう。この家族で過ごす瞬間に 一人で過ごすよりもずうずうしいと思われた方がまし、と考えることをお勧めします(笑)また率先して招待してもらえない、とひがむのもなしにしましょう。単に気がついてない人たちだけかもしれません。
 クリスマスは花火をあげたら、移動する人たちが午前1時過ぎにぐっと増えます。別の家に訪問したり 野外 で 二次会派と帰宅派がいます。よっぱらいも増えますので御気をつけて。新年ANO NUEVOはだいたい同じイメージですが、花火がもっと増えると思います。また家族で過ごした後は友人と、などの二次会派が増えます。
これは兵どもが。。。の状態です。危ないので?道路の真ん中で花火を打ち上げるのですが、、ごみがいっぱい、そして、車が踏むので、清掃がたいへんだと思います。

知子:うちの子もずいぶん大きくなり、無事4年生と3年生が終了し、
5年生と4年生に来年三月からなります。
また長女はアルゼンチンで随一であり世界的バレエダンサーでありました、フリオボッカバレエ学校の発表会の出演を今年は果たし、アルゼンチンの劇場デビューを数分だけですが、致しました。次女は、バレエをやめて、沖縄系空手を習って、一年も経ちませんが、もう黄色帯になりました。どうも日本語が分かるのが型の名前にピンと来て覚えるのが役立っているようです。小さな女の子の空手家は珍しいので道場での人気者になっています。またどんどん新しい子が入ってきてはやめます。99%は男の子で非日系、日本人の血を引いてで女の子の空手をやっているのはアルゼンチンで初めてかどうか知りませんが、かなり珍しい存在であると思います。12月は学校が終わり、丸々2ヶ月半の夏休みに入っていますが、一月はこれはブエノスアイレス市主催のサマースクールに通う予定で、プールもありスポーツさせて、9時から4時まで預かってくれて、朝食に昼食も出るというのが無料ですから、たいへん助かります。

和田:知子さん 『私たちの40年!!』関連BLOGに掲載文は前半だけになってしまっていて失礼しました。後半も一緒に掲載させて頂きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshijiwada2/22295280.html
上の御嬢さんは古典バレー下の御嬢さんは空手ですか。お嬢さん自慢の知子さんの面目躍如ですね。
ブエノスアイレスのサマースクールは、凄いですね。朝食、昼食付きで子供たちを預かって呉れるのですか?市の教育費で賄っているのでしょうか?それとも私立のクラブが提供?何処の子供でも参加できるのでしょうか?選抜方法は?来年10月に大統領選挙を控えこれは選挙運動の一環なのでしょうか?興味があります。

知子:昨日から少し涼しいブエノスアイレスです。

今年を振り返りますと、折り鶴を何羽折ったことでしょう。。。日本では大晦日の午後7時半ごろから始まるNHK紅白歌合戦はアルゼンチンでは12時間の時差があるので、31日の朝からの放送になります。こちらがその詳細リンクですがwww9.nhk.or.jp/kouhaku/artists/index.html">Ahttp://www9.nhk.or.jp/kouhaku/artists/index.html
出場ナンバー18番のクミコさんの初出場にエールを送りたいと思います。広島の折り鶴少女サダコさんの「祈り」(平和と愛を伝える歌ですー一部、日本のメディアの紹介で反戦歌とありますが、ちょっと違います)当方のフンダシオン
サダコのHPに歌の「祈り」のビデオをリンクさせていただきましたwww.fundacionsadako.org/">Ihttp://www.fundacionsadako.org/
詳細はこちらから。。。
http://blog.livedoor.jp/tomokoar/archives/51734249.html

和田:知子 さん アルゼンチンでの紅白歌合戦は、朝の7時半からですか。ブラジルは夏時間を採用しているので朝の8時半からです。
今日で仕事収めにして明日は、テレビの前の炬燵机の上にPCを置いて紅白聞きながらBLOGの更新でもしながら日本の大晦日をフォロウする積りです。除夜の鐘が真昼に聞こえるのは不思議ですね。出場ナンバー18番のクミコさんの初出場に注目します。今朝もかの状の紹介番組が流れていました。
良いお年をお迎え下さい。素敵なご主人とご自慢のお嬢様お二人にも宜しくお伝え下さい。

加藤:今年の南米 パリダーカールラリーのチームトヨタの燃料は廃テンプラ油を使用です。

三浦:みなさん こんにちは 副大統領声明により、ガソリン、ディーゼルの政府補助金が切られました。燃料費70%以上の値上げとなり、それにスライドして交通費が30%以上値上がりとなりました。物価が急激に上昇、危機的な状況になりそうです。うちなどは、従業員一人の小さい店なので、なんとか家族を養うことはできるとは思いますが、あらゆる産業の中堅から大きな会社は、壊滅的な打撃となりそうです。給与も来年度20%の値上げするようにとの通達もでそうです。今月は年度末で、日本人会の来年度予算ができていたのですが、いきなりの30%以上の値上がりに対する予算はできそうになく、事務局も途方にくれています。明日、大統領声明があるのですが、何を話すのか。ボリビアは来年、どのようになるか予測のつかない厳しい年になりそうです。
ボリビア サンタクルス

和田:三浦さん ボリビアの年末は激動の年末になっているようですね。ガソリン、ディーゼルの政府補助金カットされ燃料費70%以上の値上がりは異常ですね。これまで政府が70%の補助金を出していたということでしょうか?人為的なゆがめられた価格統制は避けるべきですが、一挙に70%は、耐え難い事態ですね。ブラジルのペトロブラス経営の製油所が取り上げられたり天然ガスのブラジルへの供給を大幅カットしたりヴェネズエラのチャべス大統領と共にボリビアのエボ・モラレス大統領も酷いですね。住む国の政情により国民は大きな影響を受けますが、良くボリビアで頑張っておられると感心しています。
来る年が三浦さんにとって最良の年となることを祈りたいと思います。大変でしょうが頑張って下さい。

三浦:皆様 こんにちは  明けましておめでとうございます。
 昨晩 12時 真夜中に、デモ、道路封鎖などの原因になった燃料値上げを、元の値段に戻すとの大統領声明がありました。
大晦日、みんなが、新年のお祝いで騒いでいるときのニュースで、多分、ほとんどの人がみていないように思えます。自分も家族で食事して、寝てしまい、今日のインターネットのニュースで知りました。これで、暴動、道路封鎖、物価上昇が回避されるかと思うとほっとしました。
 それにしても、なぜこのような政策をとったのか疑問がのこります。この政策で、これまでの最大の支持基盤であった、エル・アルト、コチャバンの民衆を敵にまわしました。多分、裏でなんらかの陰謀があったのだと思います。いつの時代も、政治に民衆は翻弄されます。

和田:三浦さん
先ずは明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
我々移住者は、移住先国と云うか住んでいる国により色々政治経済上の影響を大きく受けますね。ボリビアは大変なようで年末に当地新聞にラテンアメリカ諸国に置けるガソリンの値段表と共に報告されていました。ブラジル通貨レアル換算ですが、7ヶ国中1リットルのガソリンが一番高いのがブラジルでR$2,657=1ドル60セント、その次がウルグアイのR$2,442=1ドル47セント、チリのR$2,305=1ドル39セントの3ヶ国のガソリンが1リットル2レアル以上の国です。ヴェネズエラのほぼ無料に近いR$0,08は、論外にしてボリビアのガソリン代は、70%以上の値上がりをカウントしてもR$1,557=93セントとコロンビアのR$1,748=1ドル5セントより安くアルゼンチンのR$1,361=81セントよりは高いですが【岡目八目】のブラジルから見ると適正価格に戻る可能性があり適切だと思っていたのですが大統領が新年に入る前に?この値上げ政策を撤回したとのこと、大変残念な朝令暮改の施策だと思います。ブラジルは石油の自給が可能になりガソリンを現在の半額に下げてもペトロブラスは採算が取れると思うのですが、これからどんどん海底油田のプレサル地層から原油を吸い上げる施設を作って行く必要がありガソリン税の形で国民が文句も言わず高いガソリンを購入しています。ペトロブラスは、利益の大きい国営企業で(株は普通株を公開していますが)どんどん儲けてそれを海底油田開発に注ぎ込んでいます。国民の犠牲のもとに石油輸出国に数年で到達する。これも一つの国策で有り国民が協力して行くことにより国が発展して行くのではないかと思います。
1月1日よりブラジルの最低給料がR$540,00に設定されましたが、これは、ドル換算すると何と325ドルになります。ルーラ大統領が8年前に就任する前は、最低給料が80ドル前後だった事を思うと何と4倍に上昇しています。ドルへの換算率が1ドル=R$1,66と酷いドル安レアル高が影響しているとは云えブラジルの最低給料は驚く程、上昇しています。これを払う企業家は大変ですが、その分購買力が増え、国力が付いて行く政策だと思います。ボリビアも石油、天然ガスが豊富ですのでこれを利用してガソリンへの価格援助等を撤廃して通常価格に戻し足腰の強い経済基盤を作り国力を蓄える政策を採るべきだと思うのでうが。20%の給料UPも撤回したのでしょうか?
その場に住んでいない【岡目八目】的な考え方でものを云って大変失礼だと思いますが、我々の同船者が今もボリビアで頑張っておられる事を存じ上げておりますが、多くの同船者がブラジル、アルゼンチンに転住移動又は帰国されましたがそれも一つの選択肢だったのではないかと思います。移住と云う一つの人生の選択肢を選んだ我々は、必ずしも最初に入った移住地、国にしがみ付いている必要はないのではないかと思っています。大変な政治経済、環境の中で頑張っておられる三浦さんには頭が下がるのですが、敢えて勝手なコメントをさせて頂きました。
私もブラジルでの牛飼いを夢見てトカンチンスの山奥を拠点に私の周りに日本人が集まって来ると云う開拓最前線での土着を目指していましたが、町に出てペンを握れば食っていけると云う自信が頭の端にあり、健康を害し土着を諦め2年で挫折、リオの石川島播磨造船所、ポルトアレグレ総領事館、丸紅と転職、現在に至っています。人生に置いて仕事の選択は、大変難しく何が良いか、良かったかは、過ぎて見ないと分かりませんね。少なくとも目を閉じる時には【我が人生に悔いはなし】と思える生き方をしたいものですね。勝手なご託を並べ御免なさい。

三浦:和田様 人生の大先輩である和田さんのコメントには、参考になります。
自分は、もともとコンピューター・プログラマーだったのですが、うまくいきませんでした。現地の同業者のグループにとびこめなかったのが原因だったと思います。習慣、気質が日本人とは違い、また、若かったこともあり、当初はボリビア人のことをバカにした感覚があったのだと思います。言葉が不自由だったのも大きな問題でした。当初は日系人向けのサービス、販売をしたのですが、3年ほど順調で、その後大きくすることができずにジリヒンとなり売上がなくなりました。平行して文房具店を家内が開いたのですが、これも、まったくダメで閉めました。この期間に子供が5人に増えて、経済的負担は増えるばかりでした。なにをしてもうまくいかず悩みました。日本に帰国することも考えたのですが、たまたま、知り合いからサンパウロの日本食材商社「善大」を紹介してもらいサンタクルスへ輸入をはじめて、こちらで販売、儲かるようになり、現在は落ち着きはじめています。
「善大」のオーナーの一人の協力で、他よりもやすく仕入れているので、なんとかなりました。
自分が、現在、生活できているのは、いろいろな方の協力があって、ようやく成り立っています。お金がなくなると、面倒な仕事でもやすく引き受けたりと、その積み重ねでできた協力関係のように思えます。また、逆にあつまかしく、面倒をみてもらうことも大切と感じています。自分が面倒もらったら、人の面倒をみるという繰り返しで、これまでも進んできたのではないでしょうか。
和田さん書かれているように、無理に問題の多い国住むよりは、よく考えて、生活の場所を移すべきでしょう。うちは、子供5人(女の子4人、男の子1人) 女の子にはボリビアで生活してほしくないと思っています。できれば、ブラジルや日本で生活してもらいたいと思っています。ボリビアは、将来において、さらに不安定で、生活しずら国になるとみています。
うちの家内の母親が、ブラジルの田舎(ロンドニア)、ボリビアとの国境にいますので、自分が店の仕事やめたら、そちらに移ろうかと考えています。

桐井:印刷の年賀状気持ちを添えて  和田好司さん みなさん こんにちは 大分市の桐井です
今年もいよいよ押し詰まってまいりました。
皆さまにはいつもお世話になり有難く感謝しております。
本日、讀賣新聞「私の日記から」に「印刷の年賀状気持ちを添えて」と題して掲載されました(エッセー



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