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ふるさと巡り、ボリビアへ(1)-(4=終わり) サンパウロ新聞今村亮記者
一昨年参加させて頂いたブラジル日本都道府県連合会(県連 与儀昭雄会長)のアマゾン移民80周年に続き昨年はボリビアに121人のふるさと巡りに参加されたとの事でサンパウロ新聞社から同行記者として鹿児島県人会の実習生の今村亮記者が参加され4回に渡って随行記事を書いておられます。
今村記者は、サンパウロ新聞での実習を終えて帰国前のブラジルを知る旅行をしておられマナウス、べレン、フォルタレーザ、サルバドール等を回り現在ポルトアレグレに来られており今日から我が家に草鞋(実際はハワイアーナのゴム草履)を脱いでいます。サンパウロ記者時代に署名入りで書いた記事をと聞いたらこのふるさと巡り ボリビア編の記事を教えて呉れました。
お借りして寄稿集に収録して置きたいと思います。
3月23日に帰国予定で将来は記者として地元の南日本新聞で働ければと意欲を燃やしているようです。今年の訪日では九州新幹線で鹿児島まで掛ける予定にしておりまた鹿児島でお会い出来るのではないかと思います。
写真は、今日の昼食を御一緒した時に撮ったものを使用する事にしました。


ふるさと巡り、ボリビアへ(1)10/10/17
34回目の旅に121人が参加 苦節56年のオキナワ移住地を訪問
 7日から12日にかけて実施されたブラジル日本都道府県連合会(県連、与儀昭雄会長)主催の「移民のふるさと巡り」。第34回を迎えた今回の舞台はボリビア。121人の参加者は、戦後移住者が築き上げた集団開拓移住地であるオキナワ移住地、サンファン・デ・ヤパカニ移住地、サンタクルス市在住の日本人移住者と交流を深めた。【今村亮記者】
 7日の午前6時にグアルーリョス国際空港に集合。パラグアイの首都アスンシオンで乗り換えて、サンタクルス・デ・シエラ(ビルビル)国際空港に到着すると、現地ガイドがお出迎え。各グループに分かれてホテルへと向かった。
 ホテルで、しばし移動の疲れを癒すと、一行はサンタクルス歴史美術館やアルゼンチン領事館など市内観光へ。約2時間の観光を終えてホテルで夕食を済ませると、翌日に備えて早目に床に就いた。
 まだ夜が明けきらぬ中、サンタクルスから95キロ離れたオキナワ移住地へ出発。名前の通り、沖縄県出身者が圧倒的多数を占める同移住地は、1954年にアメリカ統治下であった同県の移住を皮切りに、琉球政府と琉球列島米国政府が共同で移住者を募集した計画集団移民地である。
 一行は、うるま植民地、パロメティア地域、オキナワ第1移住地、オキナワ第2移住地、オキナワ第3移住地の先没者約350人が眠るオキナワ移住地慰霊塔の前で黙祷を捧げ、与儀会長とボリビア沖縄県人会の中村侑史監事(69)が献花を行った。
 同地のボリビア・オキナワ農牧総合協同組合、オキナワ第1日本ボリビア(日ボ)学校、オキナワ診療所、オキナワ・ボリビア歴史資料館を見学後、文化会館で交流会へと移行。歓迎のあいさつに立った中村監事は「今回はボリビアとブラジルの関係を深めるまたとない機会。移民のふるさと巡りに感謝したい」と話し、与儀会長が両国の更なる友好関係を願って乾杯の音頭をとった。
 同移住地の56年に渡る歴史を「紆余曲折、波乱万丈に満ちた苦節の歴史」と語るボリビア沖縄県人会の山城保徳顧問(80)は、54年に飲み水を確保することから始まったと言われる、うるま植民地に入植。「うるま病」と呼ばれる疫病が発生してパロメティアへと移転を余儀なくされたが、土地の所得が困難だったために再び、現在のオキナワ第1移住地へと移転した経緯を話した。
 山城顧問によると、同移住地は当初から度重なる洪水や疫病の被害によって、ブラジルやアルゼンチンに転住する人が続出し、デカセギによる日本帰国者と相成って3385人の移住者の中で、残ったのは約800人だという。
 中村監事は「ボリビアでは苦難の連続で、一時は撤退を考えたがサトウキビ、小麦、大豆を中心とした土地に適した作物の多角的農業に切り替えることで危機を乗り越えられた」と当時の生活を懐旧。さらに、「同郷の仲間がいたから、支えあってここまでこれた」と改めてウチナーンチュの絆の深さを強調した。
 交流会では思いがけない出会いもあった。62年に花嫁移住で来伯した多川富貴子さん(三重)は、同じく花嫁移住で58年にボリビアへと移住した中田弘子さん(75、沖縄)と会話を弾ませていた。
 「ふるさとが恋しかった。でも子どもたちには、そんなそぶりを見せるわけにはいかなかった」と語る中田さんは、現在11人の孫に恵まれている。
 交流会後、バスに乗り込む一行。祖父がボリビア移民の赤峰良子さんは、「祖父の苦労が分かってよかった」と目を細めていた。(つづく)
2010年10月19日付

ふるさと巡り、ボリビアへ(2) 10/10/20
入植55年のサンファン移住地 養鶏市場7割、多角的農業を実践
 3日目、サンタクルス市内のホテルから120キロ離れたサンファン・デ・ヤパカニ移住地に向け、午前7時に出発するふるさと巡りの一行。同11時前に同移住地に到着すると、サンファン日本ボリビア協会の日比野正靱会長(71、岐阜)が「遠いブラジルからお越しいただいて、ありがとうございます」と歓迎のあいさつを行った。
 同移住地は1955年、西川利道が始めた計画移住により92年までに302家族、1684人が移住。現在は245家族、748人が稲作や大豆、柑橘類、マカダミアナッツ、養鶏の多角的農業を行っている。
 一行は「この地を拓き、この地に生き、この地を愛し、この地に眠る霊魂にやすらぎを」と刻まれた慰霊碑の前で黙祷を捧げた。同移住地では、先没者の苦労を忘れないためにも7ヘクタールの原始林を残している。
 昼食歓談会に先立ち、一行はサンファン日本ボリビア協会、サンファン農牧総合協同組合、診療所、学校を見学。案内役を務めた同協会青年会の米倉アルフレドさんは、「同移住地の養鶏は国内で70%のシェアを占め、収穫が悪いとボリビアの卵が値上がりする」と語る。
 昼食歓談会で県連の与儀昭雄会長は、「同移住地の営農はボリビアの発展に欠かせない存在」と評価。同協会の澤元静雄副会長(63、富山)の乾杯に続いて、婦人部が用意した手料理が振舞われた。
 27歳の時、結婚半年で移住した野田利行さん(81、鹿児島)は「移住する時、妻は文句一つ言わずに付いてきてくれた。本当に感謝している」と顔をほころばせた。
 親睦を深めた一行は、同協会会員と手を取り合って「明日があるさ」の演奏に合わせて踊った後、「ふるさと」を合唱した。
 交流会を終えると、同移住地の特産物であるマカナダミアナッツが振る舞われた。収穫までに10年かかると言われるマカダミアナッツは当初、反対の声が多かったが、長期的な経営を目指して栽培を開始。現在では1年間に400トン加工するまでに至った。
 マカダミアナッツをお土産にバスに乗り込む一行は、満足な様子で同地を後にした。(つづく・今村亮記者)
2010年10月20日付

ふるさと巡り、ボリビアへ(3) 10/10/21
 日本語教育の継続を重視 サンタクルス日本人会と交流
 サンファン・デ・ヤパカニ移住地訪問の翌朝、ふるさと巡り一行はサンタクルス市の動物園観光へ。同動物園では、南米を代表するリャマ、アルパカ、ジャガー、ナマケモノ、ピラニアの生態を知ることができる。
 「ナマケモノがあまりにも動かないので、死んでいるのかと思った」と話すJICAシニアボランティア看護師の形山千明さんは、普段、目にすることが無い動物の生態に興奮した様子だった。
 観光を済ませると、サンタクルス中央日本人会が主催する交流会が開かれた。同日本人会は1956年に設立。会員世帯数は約90世帯となっている。
 同日本人会の吉家和秀会長(65、香川県出身)は、「ブラジルの日系社会の歴史に比べると若いボリビアの歴史だが、母国を離れ、異国の地で信用を得るまでに至ったのは、先人の努力のおかげ」とあいさつ。続けて、ボリビア日系協力連合会の根間玄真会長(63、沖縄県出身)が両国の日系社会の発展を祝して乾杯を行った。
 JICA開発青年隊としてサンファン移住地へ移住。15年前から同日本人会の監事を務める三浦孝さん(51)は、ボリビア唯一の青森県出身者。ブラジル青森県人会の玉城道子会長へ「ブラジルの同郷者とも積極的に関わりたい」と話していた。
 同日本人会は、1世にスペイン語の習得、2世には日本語の認識を深めるために65年に日本語学校を開始。72年には国際協力事業団(現・国際協力機構)から日本語指導教師が派遣され、99年に日本語学校新校舎が落成した。
 根間会長は現在、沖縄ボリビア協会から要請を受けて、ボリビアの日本語教育の歴史について執筆している。
 12年間、デカセギとして横浜市で働いていた吉家会長は、日系人のつながりの深さを強調する。
 吉家会長は「ボリビアではクーデターなどの政情不安やハイパーインフレによって犯罪が絶えないが、日系人が悪事を働いたことはない」と話す。
 ボリビアの日本人移住者と交流を深め、帰途に就く一行。県連の山田康夫副会長は「3日間のおもてなしに感謝。県連は両国のつながりの強化に努めたい」と語った。(つづく・今村亮記者)
2010年10月21日付

ふるさと巡り、ボリビアへ(終) 10/10/22
世界遺産サマイパタの砦を観光 空港道路閉鎖のアクシデントも
 3日間の日本人移住者との交流を終えたふるさと巡り一行は、サンタクルス市のホテルから約120キロ離れたユネスコの世界遺産に登録されているサマイパタの砦へ出発。ボリビア国内外から観光客が訪れる同名所は、アンデス山脈の東のアンボロ山麓に位置している。
 勾配の急な坂道を約1時間かけて登り、到着。蛇やジャガーなどの動物や幾何学紋様の彫刻が施された石造建築物は、観光客が歩き回ることによって損傷が見られることから現在、内部は封鎖されている。
 JICAの南米プロジェクトに携わり、ボリビア事情に詳しいサンタクルス在住の大塚真琴さん(59、滋賀県出身)は「ここは、インカの祭祀儀式の中心として宗教や政治など高度に発達した文化がボリビアにあったことの証明」と話し、続けて「まだ、十分な研究が行われていないが、南米の歴史を語る上で今後、重要な意味合いを持つだろう」と語った。
 聖市の老人クラブ連合会・文化理事の玉井須美子さん(84、愛知県出身)は、ふるさと巡り初参加。近隣のサマイパタの町を見下ろす丘に築かれた遺跡群に感無量な様子で「参加しなければ、この景色は見られなかった。ふるさと巡りに感謝したい」と話した。
 観光後、ホテルに戻り最終日に備える一行に思いもよらないトラブルが発生。ガイドによると、ストライキが起こり、ビルビル国際空港までの道路が封鎖される可能性があるという。結局、万が一の場合に備えて翌日の午前5時にチェックアウトを行い、同空港に向かうことが通達された。
 最終日の早朝、同空港へ向かう一行。JICAシニアボランティアとして老ク連に派遣されている与古田徳造さんは「残念だが、仕方がない。安全には代えられないからね」と落ち込む参加者を元気付けた。
 結局、グアルーリョス国際空港に到着したのは、同日の午後11時過ぎ。ほぼ、丸一日の移動に一行は足早に帰途に就いた。
 ふるさと巡りに25回参加の清水秀策さん(76、愛知県出身)に今回の感想を聞いてみたところ、「今までの参加の中で、最も温かい歓迎を行ってくれた」とボリビアの日本人移住者の歓待を強調。また、「これから、南米の日系社会と交流を深めることがブラジルの日系コロニアの発展につながる」と結んだ。(終わり、今村亮記者)
2010年10月22日付

写真:オキナワ移住地で記念撮影を行うふるさと巡り一行
写真:慰霊碑の前で黙祷を捧げる一行
写真:交流会は、サンタクルス中央日本人会の会員の歓迎の握手で始まった
写真:ユネスコの世界遺産に登録されているサマイパタの砦



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