【めっちゃ楽しかった歌声ビーチ】 丸木英朗さんのカリブ休暇日記
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東北関東大震災後、NHKでは24時間継続して地震、津波、原発のニュースを流していましたが、1週間が過ぎやっと朝の連続テレビドラマ【てっぱん】が放送され出しました。トロントの丸木さんが待ってましたとばかりに『徳力さんに叱られるかな??』とのコメント付きでカリ―ブ海の休暇日記【めっちゃ楽しかった歌声ビーチ】という軽い読み物を写真と共に送ってきました。写真は、5枚あるのですがBLOGに5枚とも掲載する事にしてホームページにはキュラサオ ハット?をかぶった御機嫌の丸木ご夫妻の写真を使用する事にしました。相変わらずの丸木流の人生を楽しむスタイルの文章ですが、5年後の81歳になれば又出掛けるとの約束を交わしているそうでそれを楽しみにこれからの5年間を生き抜くとの事。丸木ご夫妻の健康に乾杯したい。 |
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僕がカリブ海を初めて訪れたのは、神戸で乗船した移民船ブラジル丸がサントスへ向う途中、パナマ運河を越えてキュラソーに寄港した時でした。その後も、ハイジャックされたイースタン航空に乗り合わせ、キューバに拉致された事がありました。それ以来、カリブの島々には何度も行き、いつも楽しんでますが今回は思わぬハプニングがあったので、めっちゃ楽しかったのです。
そこはドミニカ共和国のPraya Escondido、直訳すれば隠れた海岸。リゾートで有名なプンタ・カーナとプエルト・プラータの中間に位置し、大西洋に面した未開のビーチです。アメリカのマイアミやワイキキとかブラジルのコパカバーナやイパネマのように商業化された観光地でなく、Bahia Principe San Juanのプライベートビーチになってるので行商人が徘徊してないので治安は安全です。
椰子の木陰でハンモックに揺られながら読んでた雑誌「小説宝石」を読み終えたら、目の前をオッパイまるだしの女性がドイツ語を話しながら大勢歩いていたので、夢でも見てるのかなと思いました、と言うのは、読み終わった連載小説(たしか片仮名でしたが題名を忘れました)の登場人物に文字通り「オッパイまるだし」と云う名前の女性があったからです。ヨーロッパ特にドイツやスエーデンから来てる女性はトップレスで、ポルトガルの女性はブラジルの水着タンガ(Tバック)ですから「お尻まるだし?」で目の保養になりました。さて余談はさておき、上海で1ドルで買ったハーモニカを吹いてたら、あちこちから拍手がおこりました。続いて何人かのイタリア人がハーモニカの音色にあわせ「オーソレミオ」を歌い出しました。歌詞を忘れた方たちには持って行った新宿の歌声喫茶「ともしび歌集」にイタリア語で歌詞が印刷されてるので貸してあげました。「ともしび歌集」には日本の歌謡だけでなく、世界各国の歌が掲載されてるので、日本の歌はさておき「オッパイまるだし」の気を引こうとドイツ歌曲から弾き始めたところ、乾杯の歌になると近くのバー(プライベートビーチに十箇所以上もある)から取り寄せた大ジョッキのビールを飲みながら巨乳ゆさぶり金髪美人の大合唱♪ おりからカーニバルの真っ最中、ブラジルのサンバを演奏すると、タンガ姿のポルトガル女性連が、まるで阿波踊りの連よろしく沢山集まってきて、プリプリのお尻まるだし尻ふりダンス。まるで桃源郷にでも迷い込んだのではないかかと思うぐらい盛り上がってきました。海の中でハーモニカを吹くとヤンキーガールズがシンクロナイズド・スイミングをご披露ときたので、僕はハーモニカを家内に渡して彼女等と一緒に水中のたわむれに興じました。海の底までは家内の目が届かないので、ボトムレスの割れ目ちゃんにチッチキチのチーとイルカ泳ぎでハーモニカしました。
欧米のリゾート客と思わぬ歌声ビーチを楽しんだ後、その余韻はディナータイムにまで続き、二組のイタリア人夫婦と一緒にワインを飲みながらレストラン専属バンドの伴奏でイタリア民謡を次々と歌いました。イタリア人はイタリア語、家内はブラジル語(ポルトガル語とは可也異なる)、そして僕は「ともしひ歌集」を手に日本語で歌いました。それぞれの音程が外れてましたが、最初は何事かと聴くだけだった他の客やウエイター・ウエイトレスまでが僕たちのテーブルに来て大合唱となりました。こうなれば、もう毎晩ショーのあるシアターに観に行くより自前のエンタテインメントのほうが面白くなってきました。ビーチでの「オッパイまるだし」や「お尻まるだし」のヨーロッパの女性達もディナーには少しは布の多いドレスに着替え、さすがにヒップは隠れてましたがオッパイ半分以上は見えてました。
翌朝、遅めの朝食をとりビーチに出ると、既に昨日知り合ったばかりの面々が、てぐすねひいて待ってました。僕がハーモニカを取り出す間もなく、皆が「上を向いて歩こう」を英語で歌いだしました。「幸せなら手を叩こう」も英語で歌い、日本の歌を習いたいと懇請されました。「ともしび歌集」からトロント歌声喫茶の会で歌ってる曲を演奏、一節づつ教えると、さすがは歌好きの連中、直ぐに憶え緑色のカリブの海原に混声語の歌声がこだましたのでした。中南米や欧米人の中にはユダヤ人も居るだろうに、イラン人やレバノン人などの中近東の連中と何のわだかまりもなく仲良く一緒に肩組んで歌うビーチでのくつろぎ。世界平和は歌声喫茶がもたらすと確信した実りあるバカンスでした。
初日に僕のハーモニカに合わせイタリア民謡を歌った二組のイタリア人夫婦、ハミルトンのイタリア人マシューは7年前にストロークで倒れ、今でも波打ち際でバランスが取れず海水浴が出来ないので、手を取って水浴させてやりました。又、キングストンのイタリア人フランクは両脚の膝を手術し同じ悩みで、今までリゾート海岸に行っても誰も支援の手を差し伸べてくれる人がなかったので、海に入ることもなかったとか。2週間の滞在期間中、僕は毎日朝食後と昼食後に海浜で彼等を支え水浴させてあげました。だから、この写真は男同士が海でダンスしてるのでは御座いません。この国のカーニバルは写真の様に中国の獅子舞の様です。2週間の最終日の歌声ビーチでは「蛍の光」を皆それぞれの言葉で歌い、5年後に同じ場所で再会を約し固く抱き合い握手やキッスして別れました。5年後には僕は81歳、果たして生きてるかな?あのプリプリのヒップとプリンプリンのバストを見て若返るために、なんとしても生き延びよう!(完)
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