麻生 悌三のブラジル不思議発見 (17)ナチの双子実験村と噂のある村
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今月の麻生さんのブラジル不思議発見は、綿密な調査と想像力を生かしての双子実験村?と云われているリオグランデドスール州のカンヂド ゴドイと云う双子発生率が異常に高い村のお話です。今回は少し変わった面白い話題を取り上げています。
当地の新聞ゼロ オーラ紙でもつい最近取り上げられていました。RS州の連邦大学の研究家Lavinia教授がドイツ人移住地として双子の生まれる率が高い事をナチの残党JOSEF MENGELEの仕業ではないかとの風説に悩まされて来た住民に化学的に全く根拠がないと双子グループを集めての講演会で公言し1900年台初頭より双子が生まれて居た事実と水の影響とか、土地にクロム、鉛等が存在しないか等研究を続けている。双子の母親42人を調べた所、普通の母親より複数の卵子を出す割合が33%と倍近い割合を示しているのが原因だと結論付けている。
写真は、麻生さんが送って呉れたものを使用しました。
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ブラジル不思議発見 −17 ナチの双子実験村と噂のある村
リオグランデドスール州の南端に、アルゼンチンとの国境に近い、ドイツ系移民が多い村、Candido Godoyが在る。(南緯27度57分、西経54度45分)ごくありふれた田舎町であり、果樹栽培と酪農が盛んだ。
1960年頃から、奇妙な現象が起きだした。街に双子が急に生まれだしたのだ。双子の出産率は、妊婦80人に一組が標準的割合だが、この街では、妊婦5人に1組の割合で、それも、1963年頃から急に起り出した現象であり、それも、殆どの子供が、金髪で、碧眼のドイツ系の典型的容貌である。この傾向は今日にも続いており、2004年の街の人口6400人余りに、何と双子が100組を超えている。
第二次大戦終了後、欧州では、ドイツ軍に対する戦犯追求が始まり、特にユダヤ人に対する大量処刑を巡って、係わった、ナチ軍人の逮捕が続いた。一部の軍人は連合軍の網をかいくぐり、ドイツを脱出した。かなりの数のナチが南米に逃れた。アルゼンチンのペロン大統領は親ナチの政治家あり、こうした、ナチ逃亡者を庇護した。その見返りとして、かなりの額の資金がペロンに渡ったとの風評は根強い。ナチが略奪した貴金属(アウシュヴィッツ収容所で処刑したユダヤ人の金歯等も)をスペインのU-ボートの秘密基地から、アルゼンチンのマルデルプラッタに延べ棒でU-ボートで運び、かなりの額をペロンに献金した。ペロンはその資金でペロン党を組織した噂は根強い。スペインのCadizの秘密基地からU-ボートでアルゼンチンのマルデルプラッタに運航する定期便は火の島作戦と呼ばれ、戦後に実際に活動していた。使用された形跡のある、最新のU−ボートはナチが大戦末期に完成させた、究極の潜水艦で潜航して最大速度16ノットを出せた。潜水したまま、シュノケールを海面に出し、電池充電も行えた。その技術は、ポラリス潜水艦に受け継がれている。ドイツ国内でも、ナチを匿う、秘密組織オデッサ計画が活動していたのは周知の事実である。
ヨセフメンゲルと云う、ナチ親衛隊に所属していた軍医大尉がいた。1911年生まれで、別名アウシュベッツの天使の異名があり、ポーランドのアウシュベッツ収容所で数々の、人体実験を行った軍医で、専門は優生学、遺伝学。ドイツ民族アーリャー人の民族的優秀性の信奉者で、ヒットラーが掲げる、アーリャー民族の人口増加を研究し、双子を生ますのも、その手段の一つと研究していた一派である
1945年ソ連軍がアウシュベッツを解放したが、メンゲルはソ連軍の到着直前にベルリンに脱出、米軍に一時、拘束されるが偽名を使ってすり抜け、1949年アルゼンチンに渡航、其の後、パラガイのドイツ人植民地colonia unidasやブラジルに居住。1960年頃、ブラジルのCandido Godoyに獣医師との触れ込みで、頻繁に出入りした。牛の人工授精をやったり、他の獣医師の手伝いをやったり、静脈瘤の予防とかで女性との接触も多かった。この頃から、双子の出生が増えだした。後年、メンゲルが何らかの、工作を行った、実験の結果だろうとの憶測を生んだ。工作の方法も、双子が遺伝する、科学的根拠はない。又、ナチが双子妊娠の薬剤を開発したと云う話も聞かない。
メンゲルも、アルゼンチンで逮捕されイスラエルに移送された、アイヒマン同様、モサドに狙われていた。モサドはアルゼンチンでメンゲルの行動を監視し、逮捕の機会を狙っていたが、アイヒマン逮捕を優先し、メンゲルを先に逮捕したら、アイヒマンに逃げられる恐れがあったので泳がしておいた。モサドとはイスラエルの諜報、防諜、テロ、暗殺、破壊、情報作戦を行う首相直轄の機関で、世界最強の組織の一つである。それでも、アルゼンチンで1回、サンパウロで1回、モサドに居所を急襲されたが、間一髪、逃げおうせた。アイヒマンはモサドに1960年アルゼンチンで逮捕監禁され、アルゼンチン独立式典に列席のイスラエルの政府要人の専用機に、睡眠薬を注射され、搭乗員の制服を着せられて、泥酔者を装って、機内に連れ込まれ、イスラエルに移送され裁判にかけられ。1962年絞首刑を執行された。尚、アイヒマンは親衛隊中佐でゲシュタポ(ドイツ秘密警察)のユダヤ人課の課長でユダヤ人500万人の移送の責任者。終戦後、連合軍に逮捕され、ワイデンの収容所に収監されるも、1946年に脱走。ナチ残党の秘密組織(蜘蛛)の支援により、イタリヤに亡命しパスポートを入手し、アルゼンチン入国し、リカルドクレメントの偽名で居住していた。ドイツ敗戦後、ナチ党員4−5万人が南米に逃れたと云われ、中にはヒットラーの側近だった、ボルマンのような大物もいた。1955年のペロン大統領失脚後は庇護が無くなり、アルゼンチンから他の南米諸国に散る動きが増えた。ナチが南米に持ち込んだ資金は総額数十億ドルと噂されており、正確な金額はいくらか知らないが、潤沢な資金が、ナチ残党の潜伏、逃亡を助けた事は間違いない。(アウシュビッツの収容所で奪った、装飾品指輪、金歯等もかなり、延べ棒に加工しナチの軍資金として使われたらしい)
メンゲルが何らかのホルモン剤を投与したとの噂に対し、調査に当たった、ポルトアレグレの連邦医大チームは、双子は実際は1960年以前から誕生しており、双子の異常な頻度の出産は、この村の閉鎖性に起因しており、定住した少人数が何世代に亘って孤立した状態が続くと、生物学的特長が遺伝しやすくなると述べている。サンパウロから南に290km離れた南ミナスにPedralvaと云う人口12000の街がある。そこも双子の出生率
が多く、妊婦80人に5組の双子が生まれており、TVグローボが取材放映したことがある。
一方、メンゲルは1979年(68歳)にサンパウロ州のベルチョーガ海岸で海水浴中
心臓麻痺で死亡している。DNA検査の結果、メンゲルと判明したと報道されている。巷の
噂では、モサドがメンゲルを消したのだと云う噂が根強い。今更、逮捕するのは面倒沙汰が起きるし、機会を狙っていたモサドが海水浴中のメンゲルに接近し、タックル、海に沈めて溺死させ、後で、警察に匿名でメンゲルの素性を通報したものと想像する。田舎の警察が、身元不明の溺死者にDNA検査など、やる筈がなく、偽名を使っていただろうし、身元不明者を割りだし、メンゲルなどと、身元確認を、短期間で出来るものではない。
写真はCndido Godoyの双子の勢ぞろい。
以上
2011年4月1日 麻生
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